私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

海外だった?沖縄

2006年10月13日 | Weblog


18歳の時(40年前)にリュックサックを担いで沖縄一人旅に出ました。
みなさんは蟹(カニ)族という言葉をご存知ですか?
(テントを担いで渡り歩くから、そう言われました)

当時の沖縄は米国の占領下にあって、沖縄に渡るのには日本国が証明する身分証明書が必要でした。

佐藤栄作総理大臣の時代です。

もちろん、使用する通貨はドルで、1ドル360円の時代です。
アルバイトでちょうど100ドル(36,000円)を稼いで、旅費にあてました。

車の通行も右側です。

余談ですか、高校野球で沖縄のチームが甲子園に来て、負けたあとグランドの砂を拾うシーンがありますよね。

しかし、その甲子園の砂を、沖縄島内には持ち込めなかたのです。
検疫法?とかで島影が見える船内から海に撒き散らす映像が話題になりました。

日本なのに!と戦争の悲惨さや後遺を感じました。
(こんな一行で戦争のことを語るのは不謹慎だと思いますが・・・)

いやぁ~、写真を見ると随分若いですね。
(サングラス処理する必要がありませんでした)




40年前の石垣島で、琉球大学の学生と出会い野宿をした時の写真です。

沖縄の方は本土を内地と呼んでいます。

寡黙な沖縄の学生との話は、最初はチグハグでしたが、焚き火と焼酎と三味線(じゃみせん)で打ち解け、夜が明けるまで語り明かしたことを覚えています。

その時の話題も戦争の悲惨さ、今の若者論、将来の夢などを語り合いました。

そして、石垣島内を当ても無くブラブラと歩きまわりました。

泊まるのは誰もいない砂浜に寝袋に包まったり、公民館(屋根だけで壁が無い)や民家の軒先をお借りしました。

白い砂浜には足跡がないのです。
大きな貝殻がゴロゴロしているのです。
見たことが無い、満天の星空です。
聞こえをのは潮騒だけです。

早朝に寝ているそばを、老人が老馬を引いて散歩していました。
一時、話し込んでそのお宅にお邪魔しました。

これが一人旅の良さですね。
また、この時代だからこそ出来たロケーションでした。



当時、沖縄には飛行機と船がありましたが、晴海ふ頭から3日間かけて鹿児島経由で行くのが安価でした。

確か?「那覇丸」だったと思います。
一番安い下層船室の大部屋で、また台風の後でもあって、木の葉のように揺れた船は、船酔いで最悪でした。

上のチケットは沖縄本島から石垣島へ渡る飛行機の半券です。
左したの値段を見てください。16ドル18セントと記入されています。

当時の値段です。

これが私がはじめて乗った飛行機でした。

沖縄を含めて一人旅の話はたくさんありますが、機会がありましたら、また、ご紹介いたします。

yuki
コメント (10)
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