ぎょうてんの仰天日記

日々起きる仰天するような、ほっとするような出来事のあれこれ。

Kalmyk Dance (前編)

2020-07-11 23:12:34 | コラム

 

以前の勤め先には様々な絵があった。ある時具象と抽象の中間のような花の絵が掛けられた。おぼろげな記憶では3輪のスミレである。茎や葉は具象であるが肝心の花はぺたっとした抽象的な表現であまり良いようには思われない。見る度にモヤモヤし、なぜ作者はこのような表現をするのか気になった。そのうちぺったりとしたとも、ざっと一筆で描き切ったともいえるそれは花のエネルギーを表現したのではないのかと思うようになった。そのようにして見ると作者の意図がどこにあるのかわかるような気がしたものだ。

 

しばらくすると新たな絵が掛けられた。ピンク色の背景に優し気なバラがレースを掛けられた花器に活けられ、平和で何とも慎ましやかな暖かい絵である。「ああバラの慎ましさを表現したかったのね。」画家の気持ちが真っすぐ伝わってくるような、画家の人柄さえ伝わるような、そんなやすらぎのある絵。見ていて暖かい気持ちになった。

 

またしばらくすると今度はホールに大きなバラの絵が掛けられる。緑の背景にバラが何本も活けられている。その迫力は何とも言えない。先に挙げた二つの花で表現されたのが「花のエネルギー」「慎ましやかさ」であるならば、今度のバラは「バラそのもの」としか言いようのないものなのだ。形容詞を一切必要とせず、ただ「バラ」としか言いようのない、それ以外の何物でもない、バラのすべてが詰まった「バラ」。圧倒的な存在、桁が違う才能、それを感じずにはいられなかった。あまりの衝撃に、絵の管理者を走って追いかけ画家の名を聞く。管理者は合点がいくとばかりに頷き教えてくれた。荻須高徳だった。

 

最近同じような感動を再び味わう。偶然インターネットから流れてきたバレエの動画で「カルムイク・ダンス(Kalmyk Dance)」という名の不思議な踊りである。黒い衣装の男性三人組が舞う。ハヤブサの舞らしい。勇ましく、敏捷なハヤブサが狩りをする様子だ。広い草原を飛び、膨らませた羽を震わせる。その動きが実に繊細で見事で見栄の切り方なぞは歌舞伎役者のようだ。セットが何もない舞台は草原を見立てている。主役は一人だが脇の二人が時に人間のしぐさで獲物を探す様子を表現する。終盤、主役のハヤブサは大きく舞台を走って回り片手を大きく上に向けた姿勢で旋回を始める。十回も回ったころだろうか突然大きく体を倒し、今度は反対の向きに旋回をする。獲物を捕らえたのだ。軸となる片足は獲物を攻撃している嘴だろう、かかとを大きく右に左に揺らす。荒々しく素晴らしいステップに場内から手拍子が沸き起こる。最後は後ずさりしながら翼を下ろし舞を終える。素晴らしかった。

 

中央アジアの踊りが元になっているようなので調べてみると近年まで遊牧生活をしていたカルムイク(Kalmyk)という民族の鳥の踊りが源流であることがわかる。元の踊りも素晴らしい。3人組で踊るのが基本らしくハヤブサを表現した舞は私が見たバレエと同様に飛ぶ様子や翼の表現を見事なステップと共にしている。祝い事の席で踊られることが多いのか、披露宴や卒業式と思しき集まりで皆笑顔で踊る動画をいくつも見つけた。口笛や手拍子、掛け声が起こり愛される「民族の踊り」ということが伝わってくる。舞台での映像も見られた。踊り手には素人もいたが明らかに舞踊のプロに習ったであろう見事な表現をしている者も少なくない。特にプロと思しきある踊り手は実に伸びやかに軽やかに舞う。こちらも大変素晴らしい。

 

だが素晴らしいものの「民族舞踊」の域を出ていないのもまた事実だったように思える。どれ一つとして私が最初に見た踊りに感じる、心が震えるようなあの感情までは起きないのだ。「何が違うのだろう」心に何ともいえぬ引っ掛かりを覚えて数多くのハヤブサの舞を探し比較を始める。そして気がついた。

 

(「Kalmyk Dance(後編)」に続く)

 

skeezeによるPixabayからの画像

 

 

 



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