ぎょうてんの仰天日記

日々起きる仰天するような、ほっとするような出来事のあれこれ。

今すぐお電話を

2020-01-16 00:17:35 | 小説

 

突然の手紙で驚いていると思う。何度電話しても留守だったので手紙を書くことにした。どこか旅行にでも行っていたの?この一週間、それとも十日か。陽の射さない事務所にいるから日にちの感覚も鈍っている。世間で何が起きているかもわからない。そんな中で考えることと言ったら昔作ってくれたいなりずしのこと。何でこんな時に思い出すんだろう。気がつくとぽろぽろ涙がこぼれてくる。あれは旨かった。ほんのり甘くて。でも今食べたらきっと塩味だな。それと血の味か。

 

実はつき合っている女性がいて紹介しようと思ってたんだ。福井出身のすごくいい子。だけど彼女の父親が脳脊髄減少症で治療と入院費がとんでもない額になって肩代わりしてた。貯金だけじゃ、どうにもならなくなって。わかるだろ、つい消費者金融、要はサラ金から借りたんだ。一緒に行ってくれた咲ちゃんも「ごめんね」ってずっと泣きながら謝ってて。この騒ぎが終わったら、いや終わるならきちんと紹介するよ。彼女、咲ちゃんていう名前だ。その咲ちゃんとも会えなくなって2週間近くなるかな。借りた先の消費者金融、その筋の人達だったんだ。馬鹿だと思うけど、本当に馬鹿だと思うけどどうしようもなかったんだ。

 

「あと3日だけなら待つ。それが本当の最後だ。」と言われた。本当にすまないと思う。でも命が掛かってる、どうか助けて欲しい。10日くらい前にこの事務所に連れてこられてからずっと監禁されている。仕事にも行けず食事も1日1回だ。「母親だけになら」許されてた電話も全然繋がらなくて今はスマホも取り上げられた。少しも信用されなくなっている。

 

頼む、これが最後の、本当の最後のチャンスだ。300万円用意して090-1234-5678に電話して欲しい。事務所の番号だ。本当にごめんね。今はただあの頃のいなりずしを食べたい。

 

 

Photo by Annie Spratt on Unsplash


聖夜

2019-12-28 10:28:47 | 小説

 

今年もまた12月24日がやってきた。しかも今年は金曜日にあたる。この日女性社員は(実際の予定の有無はともかく)そそくさと会社を後にする。うっかり残業でもしようものなら「お気の毒に」といった同情を受けてしまう。幸い男性社員にそのプレッシャーはほとんどない。「仕事第一です」アピールをさりげなくしていれば良く、数年続けて残業をしなければ何となくやり過ごせるものである。

 

照井達也もその一人で、まったく予定がないクリスマス・イブは当たり前のように仕事を適度にして適当な時間に帰ることを無意識のうちに考えていた。そもそも「クリスマスの予定は?」などと聞いてくれる人がいない。「自分は女子にとって透明人間なのか。」一緒に過ごす誰かがいないことより、むしろその事に照井の心は寒風に吹かれる。

「テルさんは今夜どうするんですかぁ?」

書類を届けに来た入社3年目の女性社員が高めの声で尋ねる声が照井の耳に届く。もちろん聞いている先は照井ではなく、新野光輝(にいの てるき)である。新野の返答は聞こえないが「えー、そうなんですかぁ?」という女子の尻上がりの声が耳障りである。

 

昼休みになると母親からメールが届いた。

「今日の夜はやっぱり『シャトー』のケーキがいいわ。クリスマスケーキでなくていいから買って来てね♪」

照井は八王子の実家を出て一人暮らしをしている。それなのに母は何のためらいもなく照井に予定がないことを大前提にケーキを買って自宅に帰ってくることを要求している。母への返信をしないまま昼食を終えて会社に戻る途中、同じ課の頼母静香(たのもしずか)の後ろ姿が見えた。一人である。何となく嬉しくなり、「頼母さん」と声をかけようとして止めた。先日のほろ苦い思いが蘇ったからである。

 

「照井さん、ちょっとご相談したいことがあるんですけどいいですか。」

しっかり者の頼母が珍しく相談という言葉を使ったことに意外な感じを受け、「よし、昼飯を食いながら聞こう。」と二人でランチに行った時のことである。もしかしたら告白だったりして…とか淡い期待もあった。頼母静香は特別美人というわけではないが感じが良く、秋田出身に相応しい色白で肌の肌理が細かいと評判だ。男兄弟の中で育っているせいか時に逞しくもある。

 

ランチをしながら聞いた話は純然たる相談で、新入社員の作業分担が上手く機能していないので見直して欲しいことだった。頼母がてきぱきと話して改善策の提案までするので、照井が「そうだね。うん、そうするよ」しか答えてなくても話は滞りなく進み、終了した。店を出てドラッグストアに寄るという頼母に「風邪薬か何か買うの?」と何となく聞くと頼母は「いえ、生理用ナプキンです」と答えて信号をさっさと渡って行った。呆然と立ちすくむ照井はいかに自分が「圏外の人」であるかを思い知らされたのだった。

 

4時を回ると女性社員はソワソワし始めたり、小声で笑い声を上げている。見ている分には微笑ましい光景だ、と照井は思う。あの世界の中の女子から「あなたはこの世界の人じゃないのよね」と指差されるような態度を示されることが嫌なだけだ。でも、時としてあの世界の中の娘達はそうしたことをしたがる。そうすることで自分は「そちら側ではない」ことを確認して誇るように。

 

5時半になりフロアに空白が目立つようになった頃、「遅くなってすみません。ご依頼の資料ファイルを届けに来ました」と聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると野村沙織が立っていた。

「部長が出張から帰ってきたのが今日で、なかなか確認が取れなくて…すみません。」と申し訳なさそうに頭を下げた。できるだけ冷静を装い、「それはいいけど…、野村さんこそこんな日に遅くなって気の毒だね。デートとかあるんじゃないの?」と聞いた。セクハラと取られないか、必死にセクハラ研修で受けた項目を頭の中で振り返る。「あら」と野村は笑い、茶目っ気たっぷりに答えた。

「嫌なこと言いますねー。残念ながらそんなのありませんよ。でも大学時代の友達とパーティーをするんです。だからもう帰ります。」

 

付き合っている人いないんだ。大いなる希望を照井は得た気になった。「そうなんだ」とこれまた必死で関心のなさそうな風を装い書類を受け取ろうとした。その時、野村の指先に軽く触れた。一瞬のことだったが、ほっそりとした指先とネイルのひんやりした感触に照井の頭の中は真っ白になった。一方の野村は何とも思わなかったらしく、資料のことを話した後「失礼します」と帰りかけた。頭の制御が効かなくなった照井は勢い込み、突然何の脈絡もなく野村に向かってやや絶叫調で「俺、31なんだ!」と言った。すぐ横で照井の2年先輩の山本優香が呆れたように照井へ視線を送ったが、姉御肌の山本はすぐ視線を外して無意味に電卓を叩きながらPC画面を食い入るよう見つめることにした、その親切に照井はまったく気づかなかった。野村は何のことか呑み込めてない様子だったが「まあ、そうですか」と礼儀正しく微笑み、会釈をして去って行った。

 

冷静に考えれば年齢しか伝えていないのである。しかし照井は愛の告白をしたも同然の興奮状態にあった。早々に仕事を終え、廊下から母にメールを打つ。

「これからシャトーのケーキを買って帰るよ。電車に乗る時にまたメールする。」

いずれ彼女を紹介するかもしれないのだ。何といっても母には今からゴマをすっておかねばならない。仕事と同様、照井は早めの根回しを開始した。単に年齢を伝えたに過ぎないという事実は照井の頭の中でどうも急激(かつ勝手)な展開を迎えているようである。

廊下で清掃スタッフの年配女性とすれ違った。上気した照井の顔を見やると「デートかい?頑張んなよ。」といってにやりと笑った。しかし実際はもう「頑張った」後なのである。

ビルの外に出ると一気に冷えるが火照った頭と体には心地良い。そしてイルミネーションの眩い「あちらの世界」に飛び込んだ気持ちになって照井は師走の街に歩みを進めた。

 

 

 

Photo by freestocks.org on Unsplash