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事業化から50年以上着工されない関ケ原バイパス3工区

2024/2/11付で、中日新聞のサイトに以下の記事が掲載されました。

またも雪で閉ざされた関ケ原 地元はバイパス全線開通を求めるが…

国道21号関ケ原バイパスは1972年に事業化され、総延長10.4kmを3つの工区に分けて事業を進めることになりました。

https://www.cbr.mlit.go.jp/gifu/works/kaichiku21b.html

まず関ケ原古戦場の北方を経由する中間部の2工区の工事が1983年に着手され、東側の1工区も1987年に着手されました。まず1工区のうち県道53号岐阜関ヶ原線との接続点より西側が1990年に開通し、次いで2工区全区間が1993年に、1工区の東側(国道21号との接続付近)が2004年にそれぞれ開通しました。計画では4車線ですが暫定2車線で開通したまま現在に至っており、未成の道路が延々と並行した形になっています。

関ケ原バイパス周辺のGoogleMapはこちら

垂井町内の国道21号現道との分岐点付近のストリートビューはこちら・・・右の国道21号バイパスに入ってもこの先国道21号現道からは離れるばかりなので注意!

 

一方、残る西側の3工区は、事業化から50年以上経過しても着工がお預けになっています。凍結や中止という決断はなされておらず、2017年の再評価資料では

https://www.cbr.mlit.go.jp/kikaku/jigyou/data/h2907/shiryo8.pdf

「玉~今須間の都市計画決定に向けた関係機関協議(鉄道交差協議、猛禽類等貴重動植物調査・影響把握等)を引き続き進め、周辺の交通状況などを踏まえ事業の着手を検討していきます。」となっています。もっとも、関ケ原町公式サイトで公開されている2023年時点の関ケ原都市計画図を見る限り、3工区のルートは都市計画の範疇外となっており、2工区も国道365号との立体交差以西は都市計画決定されないまま供用されています。実際のところは、再評価の議事録にある以下の文言のような事情のようですね。

「平成 16 年度に開通して以降、数年間は開通したバイパスの状況を見ながら、先線の検討をしており、協議をいろいろ始めてきたのが平成 20 年度以降ぐらいです。その中で、これまでに一番協議に時間を要したのが東海道新幹線です。ここは、東海道新幹線が上を通っていますので、下をトンネルで抜く計画になっていますが、施工、設計について協議を中心に行ってきた状況です。」

一方、5年後の2022年の再評価資料では、

https://www.cbr.mlit.go.jp/kikaku/jigyou/data/r0412/060_shiryou6.pdf

「不破郡関ケ原町玉~関ケ原町今須間について、近年の大雪による地域への影響等を踏まえ調査設計を推進していきます」とあり、「関ケ原バイパスの整備により豪雪時の山中峠を道路構造によって回避することが可能となり、災害に強い道路ネットワークが構築されます」という新たなアピールポイントが誕生しています。山中峠は関ケ原町中心部と今須地区(3工区の終点)の間にある峠の名称です。

なお、現在開通済みの区間は長浜市方面に通じる国道365号<岐阜県管理>のバイパスとして機能しており、2工区の西端の交差点をまっすぐ進むと伊吹山ドライブウェイにつながります。

付近のストリートビューはこちら

結果的に国の予算で国道365号のバイパスを整備した形ですね。

 

蛇足ですが、伊吹山ドライブウェイの運営会社は「日本自動車道株式会社」という大きな社名ですが、運営しているのはこの1路線だけです。Wikipediaに書かれている通り、この会社はもともとオーストラリアの投資銀行であるマッコーリー銀行が日本国内で手広く有料道路の運営を行うべく事業を開始し、その第一弾として近鉄グループから2005年に伊吹山ドライブウェイを譲り受けましたが、諸般の事情で後が続かず、2010年にマッコーリー銀行は撤退して現在に至っています。

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