ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

40.ちび猫が見付けた『E=mc²』の自由議論(1)

2012-02-26 | 危機管理
第0040号


*****(制作終了)*****


『ちび猫のつぶやき』のホーム ページ





第0037号【ちび猫が見付けた『オームの法則』の自由議論】参照


第0059号【ちび猫が見付けた『E=mc²』の自由議論(2)】参照







平成25年度版-①-







*《普遍性の真実》の実態『物理世界編①』【10月6日・日】


物理世界に於(オ)ける『絶対の普遍性』である『E=mc²』は、自然に存在する全ての物、総てのエネルギー現象に於いて、普遍的に事象の『限界』として内在していて。それは、自然界に於ける物理的事象の真実であるのです。

なので、「人類だけが『E=mc²』を重質量核反応などに於いて【部分解禁】する事ができ、{必然的に}人為的に利用する事でその特殊性の利得を引き出す事ができて、{結果的に}人間だけがその特殊な利得の独占と同時に{放射能汚染}というリスクを発生させてしまっている」というコトではないのです。

しかし、{悪霊が憑依したかのような}エリートたちに騙(ダマ)された庶民(一般市民)に於(オ)いては、《普遍性の真実》に対しての『想像力』は閉鎖され、『E=mc²』に対しての『自由な思察』も遮断(シャダン)されてしまっているものだから、

誰も{自然現象としての}放射能汚染拡大が《人間の営み》に及ぼす影響の本当の意味が理解できず、人為的な範疇(ハンチュウ)の事だけに執着(シュウチャク)していて、惨禍の拡大に《手をこまねいてしまう》ばかりか、「人類は凄(スゴ)い」と煽(オダ)てられてその気になってしまい、{悪霊の言われるがままのような}エリートによる反人類的な謀略を【人間の進歩】と呼んで賛美してしまうものだから、【人間の進歩】と【リスクの高まりの加速】が比例して進行してしまうのです。

そして、放射能汚染という惨禍(サンカ)の拡大を{実際に}目(マ)の当たりにした庶民(一般市民)が、{火を恐れるケモノのように}硬直してヒステリックに『反核』を叫び、人間同士で物理世界に於ける{《普遍性の真実》に対しての}互(タガ)いの『想像力』や『自由な思察』を{魔女狩りのように}攻撃しあうばかりで、エリートの謀略を見抜けずに{既存の物理学を書き換える普遍化作業に着手する糸口も掴(ツカ)めないまま}人類がモタモタしている内に、【人間の進歩】が【リスクの高まりの加速】に拍車を掛けたままで{自然現象としての放射能汚染拡大からの}自然回復が可能な機を逃してしまうと、{悪霊の代弁者であるかのような}エリートが目指すように、人類にはもはや『破滅』しか待っていないのです。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





*『絶対の普遍性』の2面性《物理世界編》【10月3日・木】


物理世界に於(オ)ける『絶対の普遍性』の根幹と言える真実は、【E=mc²】であるのだが、そのコトに庶民(一般市民)を気付かせないようにするために、エリートたちによっていくつかの封印が施(ホドコ)されていて、

その一つが、{パーツ分けしてしまうように}真実を【部分解禁】して導き出された、{核兵器開発から原発(核エネルギー産業)の原理に流用された}【重質量核反応】や、{既存の物理学を放置したままで仮説を先行させている}【量子力学諸説】などには、既存のモノとは違う【革新の特殊性】が必然的に発生して付随(フズイ)するものなのだと{人の、未来に対しての夢や想像力や向上心を擽(クスグ)り}巧みに認識させながら、庶民(一般市民)の心を過度に舞い上がらせてしまう封印であり、

別の一つは、『放射能』を{人の、【見えないモノ】に対しての潜在的恐怖心や嫌悪感や不安を掻(カ)き立てながら}『負の思念』を開放する『キーワード』に上手く仕立て上げ、それがどんなに有用で、どれほど安全であると知らされようとも、「人間が完全に制御する事が出来るモノだとは言い切れない」という似非(エセ)真理を盾(タテ)にして「『放射能』を発生させるモノ(その可能性のあるモノ)は、決して容認してはならないのだ」と考え着いてしまう『負の思念』を《超常の意志》により必然的に起こっているモノだと意識させて、庶民(一般市民)の精神を自主的に縛(シバ)ってしまう封印であります。


そしてそれらのために、

【E=mc²】について学んで行けば、核兵器容認と原発推進(核エネルギー産業の促進)に考え方が染まってしまい、【放射能汚染】を拡大させる禍根(カコン)を必ず残してしまうハズなので、

核兵器や原発(核エネルギー産業)が存続し続ける限りは、絶対に『反核』を貫き通し、「【E=mc²】の容認拒否」を継続しなくてはならず、

さらには、{仮説の域を出ない}最先端の【量子力学諸説】の研究は、放射能を大量放出すような産業化に至る可能性は低く、放射能除去の開発に結びつく可能性が有るのだから、その進歩を怠ってはならなくて、

結局、人間のそういった《否定の継続》や《科学の進歩》だけが、人類の救済の希望になるという結論に、何時も最後は至ってしまうものなのです。


そして何時まで経(タ)っても、

【部分解禁】による【革新の特殊性】である【重質量核反応】や【量子力学諸説】の進歩による、{核兵器や原発(核エネルギー産業)で【放射能汚染】を頻発(ヒンパツ)させてしまう}リスクの発生を無くせなくて、

人間は、「『反核』や、【E=mc²】の容認拒否」や、「【重質量核反応】に拘(コダワ)り続ける核産業や、最先端の【量子力学諸説】の進歩」が、何時までも止められないのです。


そしてさらには、

物理世界に於(オ)ける『絶対普遍』の根幹である【E=mc²】の【部分解禁】である事により【革新の特殊性】が発生して付随してしまう【重質量核反応】や【量子力学諸説】の進歩が、結果的に【部分解禁】という出し惜しみをした《物理学の研究》の進歩であるために、結局それが{【部分解禁】のトドの詰まりの}最先端の研究である《ヒッグス粒子論》にまでリスクとして付き纏(マト)う《否定的存在としての放射能》が、肯定的に論理構成されていない事の最大の要因となってしまっているのだが、

その事をエリートが隠しているために、

《物理学の研究》の最先端の研究にまで付き纏(マト)って来る《否定的存在としての放射能》による【放射能汚染】というリスクを恐れる庶民(一般市民)が、『負の思念』に突き動かされて、《『絶対の普遍性』の問題》や《【部分解禁】の問題》などの核心部分を拒絶したまま認識せずに、「『反核』や、【E=mc²】の容認拒否」と、「【重質量核反応】に拘(コダワ)り続ける核産業や、最先端の【量子力学諸説】の進歩」の、《矛盾した両立》を無自覚でしてしまい、表面的には核心の問題点が見えなくなってしまっていて、

何時まで経(タ)っても《物理学の研究》の進歩と比例するように高まっていく【放射能汚染】のリスクが、{人類に悪意があるかのように}【人間の営み】に付き纏(マト)って来るように見えてしまうので、

{有効な手立てが見つからないまま}人間が《物理学の研究》の進歩で、自然を相手に『積み木崩し』をしていると考えてしまい、

何時か自然が大崩壊を起こして、人類滅亡の危機がやって来てしまうのではないかと、恐怖しながら、リスクを減らすための《物理学の研究》の新しい方向を延々(エンエン)と模索(モサク)していて、

そういった『物理学』に基づいた【人間の営み】や、《物理学の研究》の『進歩』の閉塞した状態の中で、何も知らないまま庶民(一般市民)だけが、今まで右往左往させられて来たのです。


そして結論としては、

物理世界に於(オ)ける『絶対の普遍性』の根幹が【E=mc²】であると言う事は、「自然の物理世界で生きる人類は、【E=mc²】の範疇(ハンチュウ)に存在している世界で生きているモノであるのだから、人間が何を求めても、自然からは《自然以上のモノ》を引き出す事は出来ないのだ」という『限界』の存在が有る事を意味しているのですが、

しかしそれは同時に、「自然の物理世界を人間が壊しすぎてしまい、その状況から人類が生き残るための手立てが《自然以上のモノ》になってしまった場合には、人間が何をいくらやっても自然はそれに応(コタ)えてくれなくなる」という『破滅』の存在が有る事も意味していて、

庶民(一般市民)も、そんな自然の『限界』と『破滅』の“2面性”の事を踏(フ)まえながら、エリートに任せ切りにする事なく、《『絶対の普遍性』の問題》や《【部分解禁】の問題》を直視し、考え直して行かなくてはならない時代の分岐点が、ついに来たのではないかと思われるのです。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





・核戦略を推進するエリートの思う壺【7月19日・金】


日本の核戦略はプルトニウムの製造と蓄積(チクセキ)であり、原発の発電はそのカモフラージュである事は、非公認ながら誰もが知る周知の事実だ。

だからこそ『核エネルギー利用』の反対派は、原発を天罰の下った『バベルの塔』と言い、『E=mc²』を災いの詰まった『パンドラの箱』と言って、日本の核戦略の危(アヤ)うさを表現しようとしたのだ。


しかし、それは逆に核戦略を推進するエリートの思う壺となり、日本人の心に「『E=mc²の普遍化』という【自然法則】の“全容”を『封印』する事の正当性」と、「【自然法則】の“部分解禁”である『E=mc²の変換式』による《魔法の成立への確信》と《魔法への畏敬(イケイ)の念》」を強く植え付けてしまって、

「万物は、『E=mc²』の質量によって造られていて、『E=mc²』のエネルギーによって動いている」とする『E=mc²の普遍化』は、《神の領域》である『E=mc²』を穢(ケガ)れた人間の手で冒涜(ボウトク)するモノであり、『E=mc²の普遍化』を考えていては「必ずや天罰が下る」と日本人の誰もが恐れるようになってしまったのだ。


そして、「『核エネルギーの利用』だけが、『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』の垣根(カキネ)を《魔法》のように越えて、『E=mc²の変換式』での『エネルギーの発生』を実現できる《神聖》なモノだ」と信じ込み、

『E=mc²の普遍化』などと言う物理学への冒涜を野放しにして、『核エネルギーの利用』で後れを取るという事は、天罰を受ける事に等しく、「不遜・不敬以外の何モノでもない」と日本人の多くが強迫観念を抱いてしまうのだ。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





・『E=mc²の変換式』が魔法だと(!)【6月24日・月】


『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』が大原則であればあるほど、『E=mc²の変換式』だけが{その大原則に拘束(コウソク)されない}唯一の魔法として見られる。

そうすると、『核エネルギー』は画期的な新エネルギーと認識され、その研究は魔法を現実に使う事の出来る研究として、何モノよりも高く評価される。

俺の言う『E=mc²の普遍化』が、何が何でも封印されてしまうのは、何時までも魔法使い気取りでいたい科学者達ばかりだからだ。

俺が《極悪人》になればいいんだろ(!)、《極悪人》に。・・・クソ(!)、俺は必ず死んでやる(!)。





・『E=mc²の普遍化』は無視だと(!)【6月21日・金】


『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』を厳守した、『E=mc²の変換式』としての限定的な使い方しか、人間は考えない。

『E=mc²の普遍化』は公然と無視される。

クソ(!)、俺は死んでやる(!)





・①『E=mc²の普遍化』の封印【1月21日】~【6月2日】


既存物理学においての【『エネルギー量』=(物体重量)×(距離)×(加速度)】⇒【『エネルギー量』=(1/2)×(物体重量)×(速度)²】というエネルギー計算式とは、『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』を絶対法則として厳守するために、無理矢理に作られたモノであり。

「質量を持った物体を特定の速度まで加速させるのに費やされた『反作用のエネルギー量』と、特定の速度で動き始めたその物体が保有する事になった『作用のエネルギー量』と、それらを同時に作り出す『総エネルギー発生量』との関係」や、

特定の速度で動いていたその物体を静止させようとして他のモノにエネルギーを持たせる事になる『作用のエネルギー量』と、特定の速度で動いていたその物体を実際に静止させた『反作用のエネルギー量』と、それらを同時に作り出す『総エネルギー発生量』との関係」を、

『エネルギー変換』という考え方で説明して、強引に合理性を持たせている、既存物理学の力学計算式の根幹をなすモノであります。


そして今から100年ほど前に『アインシュタイン』が、『E=mc²』⇒【『総エネルギー発生量』=『減少質量』×(物体重量)×(光速)²=『消失重量』×(光速)²】⇒【『消失重量』=『総エネルギー発生量』÷(光速)²=(物体重量)×(速度)²÷(光速)²】⇒【『減少質量』=《〔(物体重量)×(速度)²÷(光速)²〕×(光速)²》÷(物体重量)×(光速)²=(速度)²÷(光速)²】という、合理的なエネルギー計算式を新しい力学の根幹として発表していたハズで。

『E=mc²』が普遍化される事によって、

「エネルギーとは物体の質量が減少して発生するモノだから、エネルギーが発生すれば必ず微量だが重量が消失するものだと新たに定義され、『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』の絶対性も否定されて、【『エネルギー量』=(物体重量)×(距離)×(加速度)】⇒【『エネルギー量』=(1/2)×(物体重量)×(速度)²】というエネルギー計算式は、『総エネルギー発生量』の半分にあたる『作用のエネルギー量』か『反作用のエネルギー量』を求めるエネルギー計算式になる」ハズでした。


しかし、現実には皆さんもよくご存知のように、

『E=mc²』にγ(ガンマ)係数≪ローレンツ因子:速度と時間を直角三角形で表した計算式である【〔(1秒)×(光速C)〕²+〔(γ秒)×(速度V)〕²=〔(γ秒)×(光速C)〕²】を変形させた計算式の【『γ』=1/√〔1-(速度V)²/(光速C)²〕】で、

「物の速度は光速より早くなる事はなく、物の速度が光速に近づくほど、その物の内在時間の経過が必然的に外部に比べて遅くなるモノであるから。その事を基に、動いているその物の内在時間の経過の割合を、静止している外部の時間から対比して計算される係数が『γ係数』である」という事を表したモノ≫がもっともらしく付加される事によって、

『E=mc²』は物体の質量に内在するエネルギー量を算出する時の変換式だといつの間にか限定され、

既存物理学のエネルギー計算式である【『エネルギー量』=(物体重量)×(距離)×(加速度)】⇒【『エネルギー量』=(1/2)×(物体重量)×(速度)²】と『E=mc²』はまったく別のエネルギーを求めている計算式だと一般常識として決められ。

そして、「石ころ一つの質量で巨大なエネルギーを発生させるが、通常の実験観測では数値が微細すぎてしまって、現実には『E=mc²』の実証を簡単に得る事は出来ない」という“とんち問答”が執拗(シツヨウ)に繰り返されたり、

「『E=mc²』とは『核エネルギー』を生み出す『パンドラの箱』であり、人間の手に余るモノである」という“的外れな警鐘”が意図的に鳴らされたりしながら、

大多数の物理学者の総意として、『E=mc²の普遍化』は封印され続けているのです。

そのために、『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』が自然法則の大原則として広くまかり通っていて、どこの学校でも当たり前の事実として、核物理学を棚上げした状態で、既存物理学が教えられているのです。








平成24年度版





*『E=mc²』の問題点*


要約【平成24年】

要約:【『アインシュタイン』が『E=mc²』を成立させる過程で{色々な論文発表の為に}たどった「個人的な思考手順」や、『E=mc²』を制作する上で{一時的に}目的とした「仮説的な論理概要」を盾(タテ)にして、{順応性の高いネットワーク化された自然科学の基軸に『E=mc²』が成るコトで廃棄(ハイキ)してきた様々な『論理』がどんどん正当化されては困るので、『E=mc²』の“暗号解読は不可能”だと宣言して}『E=mc²』を科学の名の下に埋没させてしまい、世間一般では≪多面的で変動性が有る多神教の自然観≫の実世界に{最低限}対応している『既存の物理学』が権威の下で流布(ルフ)されていて、科学者は唯一神教的{大単一性の}世界観に基づく『パラダイムシフト』を追うような名ばかりの進歩を追求しているだけの行き詰った状況にあるのです。この『第0040号』では以上の事態を危惧して、〔科学による枷(カセ)〕と〔進歩という無思量〕に警鐘を鳴らすモノであります。】



(3)『E=mc²』の“暗号解読”から見える不思議な自然科学観


『E=mc²』を自然科学の基軸とするとどういった世界観になるのかを今まで指摘して来たが、そこに『E=mc²』の“暗号解読”をさらに幾(イク)つか追加して総て上げていくと。


1つ目が≪物体が衝突した時にエネルギーが《衝突した物体》から《衝突された物体》へと変換される運動エネルギーの{既存の物理法則に於(オ)ける}計算式は【エネルギー量=(1/2)X(総重量)X(速度)²】であり、同じ重量の振り子を《A》・《B》用意してその《A》を《B》に衝突させると、【(1/2)X(《A》の重量)X(《A》の速度)²】のエネルギー量で《B》は押し出されるので、《B》は(《A》の速度)で運動を開始して、《A》は{エネルギーを失って}停止するという話しになります。
しかし、この計算式に於(オ)いて運動速度を光速の“C”にすると、【E=(1/2)X(《A》の重量)X(“C”)²】となり『E=mc²』と話が噛み合わなくなるので、光速で《A》と《B》の物体が本当に衝突した時の状況を想像しながら『E=mc²』を当てはめてもう一度考えてみると、衝突の瞬間《B》は【(1/2)X(《A》の重量)X(“C”)²】のエネルギー量で押し出されて光速“C”の速度で運動を開始し、光速“C”の速度で衝突した《A》は【(1/2)X(《A》の重量)X(“C”)²】のエネルギー量で停止するハズであったが、その合計エネルギー量の【(《A》の重量)X(“C”)²】を発生させる為に《A》は消滅しているので、《A》を停止させるハズであった【(1/2)X(《A》の重量)X(“C”)²】のエネルギー量がその対象を失って爆発するように発散すると考えるコトが出来て、これによって理屈がようやく合うようになる≫というモノであり。


2つ目が≪【1つ目の理屈】は衝突時の運動速度が光速の“C”でなくても当てはまるハズですから、《A》を《B》に衝突させた時の話しに置き換えて考えてみて。《A》に衝突された《B》は【エネルギー量(E/2)=(1/2)X(《A》の重量)X(《A》の速度)²】で算出されるエネルギー量で押し出されて(《A》の速度)で運動を開始し。
衝突した《A》は【減少質量(D)=(《A》の重量)X〔発生エネルギー量(E)『(《A》の重量)X(《A》の速度)²』〕÷〔光速エネルギー量『(《A》の重量)X(“C”)²』〕=(《A》の重量)X〔(《A》の速度)²÷(“C”)²〕】で算出される質量を減少させて【(1/2)X(《A》の重量)X(《A》の速度)²】のエネルギー量で停止し。
それによって《A》の『減少質量』を停止させるはずであった分に当たる【〔発散エネルギー量(F)〕={〔減少質量(D)『(《A》の重量)X〔(《A》の速度)²÷(“C”)²〕』〕÷(《A》の重量)}X〔エネルギー量(E/2)『(1/2)X(《A》の重量)X(《A》の速度)²』〕=(1/2)X(《A》の重量)X〔(《A》の速度)の4乗〕÷(“C”)²】で算出されるエネルギー量がその対象を失って発散する。という運動エネルギー論を成立させてしまう≫というモノであり。


3つ目が≪発散エネルギー量(F)の性質について考えてみると。エネルギー量がその対象を失って発散するのですから放射エネルギーの『(F)線』であるとしか考えられず。
さらには、『減少質量(D)』はその物体内の原子の数と個別質量によって割り振られるので、軽い原子ばかりで構成される物体に於(オ)いては「原子の数も多くなり、一つの原子からは少しの『減少質量(D)』しか減少しないため、エネルギー量の少ない{波形の小さい}低周波の放射エネルギーの『(F)線』が数多く発散(:マイクロ波などの遠赤外線が良い例で、数が多く表面を面で温め、小さい波形のため物の内部まで通過していき易い:)」され。重い原子ばかりで構成される物体に於(オ)いては「原子の数も少なくなり、一つの原子からは多くの『減少質量(D)』が減少するため、エネルギー量の大きい{波形の大きい}高周波の放射エネルギーの『(F)線』が少数だけ発散(:核燃料の放射線や紫外線が良い例で、数が少なく表面に対しピンポイントで焼き、大きい波形のため物の表面にだけ照射される:)」されると論じて。利便性の高い放射エネルギー論を成立させてしまう≫というモノであり。


4つ目が≪個別の物質に於いて{自然界では}個別の『原子崩壊速度』で質量の減少をもたらす《自然界に於いては均一に存在する》『中性子』の“物質内通過”現象を、{ブログ第0037号で説明してきた}電気回路上の電気抵抗部分に於ける『電気』の“流れ”に置き換えて。『素材抵抗値』に当たるモノを物質固有の『原子崩壊速度』を決定付ける『中性子の通過させ易さ』と考え、『電気流速』に当たるモノを『中性子』が個別に物質内を通過する『中性子通過速度』と考え、『(F)発光量』に当たるモノを『放射性物質』から放射される『放射線』に代表される{『中性子通過速度』の4乗倍に比例する、放射エネルギーの}『(F)線』による発散エネルギー量と考えてみて。
そこから原子力発電の仕組みについて考えを進めて、《『電気』が“流れ”た時に『(E)発熱量』は多くても『(F)発光量』は少ないように、電気抵抗部分が程好い『素材抵抗値』と最適な形状で造られている》『発熱コイル』に当たる《『中性子』が“物質内通過”した時に『(E)発熱量』は多くても『(F)線』による発散エネルギー量は少ないように、ウランが程好い『原子崩壊速度』となるように圧縮され、最適な結晶化が施(ホドコ)されている》『核燃料』に、電圧を掛けてるように強制的に『中性子』を放射して、エネルギーを発生させていると認識し。
さらには、核燃料のリサイクルと称してプルトニウムを精製するプルサーマル計画で問題になっている高レベル放射性廃棄物を、《自然界に於いては均一に存在する》『中性子』の{ゆっくりな}“物質内通過”によって、『(E)発熱量』は少しだが{有害な程の}高エネルギー{大型波形}で高周波の『(F)線』を発散させてしまう厄介な存在であると認識して。原発の原理を論じる核エネルギー論を成立させてしまう≫というモノであり。


5つ目が≪『葉緑素』を持つ【植物】の光合成反応による、【酸素】と【炭素】の『発生エネルギー量(E)』と『発散エネルギー量(F)』を太陽光を浴びながら{赤と青紫の2種類の周波数の『(F)線』と上昇した気温の上昇で}回収して、【酸素】と【炭素】の質量の減少によって出来ている{物の燃焼や動物のはいた息に含まれる}【二酸化炭素】の質量を{その光合成反応で}再度増加させてまた【酸素】と【炭素】に“分解”する仕組みを、生物界に於(オ)ける『物質安定化』の唯一の代表であるとは考えずに。{ブログ第0013号第0030号第0032号で説明してきた}『自然の浄化サイクル』も、動物が食した物の『(E)発熱量』を使用してその質量を減少させて作り出してしまった【アンモニア】などの有害な物質を、『自然の浄化サイクル』の実行役である【バクテリア群】が取り込み、そこから『(E)発熱量』を発生させながら少しずつ質量を段階的に{【亜硝酸】などをへて}減少させていって、最終的には安定した無害な【硝酸塩】などに“分解”してしまう仕組みを、生物界による『物質安定化』のもう一つの有力な代表であると考えて。
そして、『自然の浄化サイクル』に有害な環境に順応する『対抗性環境』を持たせるには、《実行役であった浄化サイクルの【バクテリア群】の中に{【EM菌】などの}有用性が期待出来る【耐性菌】を{薬剤散布するように}付加するだけで良い》などと安易に考えてしまう事なく。実行役の【バクテリア群】の多重構造を確保して『自然の浄化サイクル』の多様性を維持させつつ、その中に耐性の欲しい有害な環境少し入れて耐性傾向を【バクテリア群】に持たせ、そして『自然の浄化サイクル』の『対抗性環境』を整えてから、【EM菌】などの有用な【耐性菌】を取り込ませていくコトで、『対抗性環境』が随時構築されていくのだという事を重く受け止めて。
その上で、エネルギーの発生よりも面倒なその【排泄物】や【廃棄物】である有害な【アンモニア】や【二酸化炭素】や、さらには【放射性廃棄物】の『安定化処理』のために、『自然の浄化サイクル』とその『対抗性環境』を用いられないかと提案する事が出来た時に。ようやく、【有害物質】と【有害環境】の『安定化』に関する議論を始める下地が整うのだ≫というモノであります。



(2)【科学の悲劇】と【自然の悲劇】


早い話し。人間の理性にはどうしても越えられない【限界】があり、そんな人間の《人間の営(イトナ)み》と『真実』との間にはどうしても【矛盾】や【弊害】があって、何時も必ず{自然は必ず人の営みに牙を向けてくるという}諸問題が発生するので。科学がその『目くらまし』の役割りを{宗教から引き継いで}全面的に担い、科学の発達という幻想で叶わぬ夢を人々に見せ続けて、孤軍奮闘しているのです。
近代以前は科学ではなくて宗教がその『目くらまし』の役割りを担っていて、『神託』を巡って≪『神託』は絶対であるのだから、『神託』に対して受動的であるコトが人間の役割り≫だとする『原則派』と、≪『創造主の神』が人間に能動的能力を与えたのだから、『神託』を個人利用・有効活用・拡大流用する理性を発揮するのが人間の役割り≫だとする『理性派』がせめぎ合う活劇に人々は一喜一憂していたのですが。近代以降の物質文明の豊かさの中で、『神託』を絶対に厳守をする『原則派』でも、『神託』を有益に有用する『理性派』でも、真実との間の矛盾や弊害などの諸問題を{人間の営みが自然を凌駕(リョウガ)して}解決するコトは出来ないだろうと分かってきたので、『神託』にも『人の理性』にも超自然的可能性は無いのだという烙印をサッサと押して、その「人間の営みは何時か自然にのみこまれて、キレイさっぱり消滅してしまうだろう」という絶望論からの希望が科学に託されてしまい、科学はその『目くらまし』として幻想の発達を担わされてしまったのです。
科学と、その発達に託された希望と言うのは、≪人間の営みが自然を凌駕する事≫であって、『自然法則』への到達ではないのですが。それは、色々な人間の{科学へ対する}公約数的思惑が≪人間の営みが自然を凌駕する事≫であるからで、それこそが人間の【理性の限界】であり、そんなだから≪自然は必ず人の営みに牙を向けてくる≫のです。そして人間は『自然法則』とは言い難い【自然を超越する科学】を目指して、「人間の営みは何時か自然にのみこまれて、キレイさっぱり消滅してしまうだろう」という絶望観にさいなまれていながらも尚(ナオ)、そんな科学の発達に≪人間の営みが自然を凌駕する事≫の希望を託して悶絶(モンゼツ)しているのです。
それはまさに、人間の理性に使われる科学の【科学の悲劇】であり、そんな科学に蹂躙(ジュウリン)されるのも、自然の【自然の悲劇】であります。当ブログで散々訴えてきた、「『消毒・殺菌』による『自然の浄化サイクル』の消失という【悲劇】の始まり」も同じ根っ子の構造と言えるでしょう。



(1)『E=mc²』の意義とは(?)


『E=mc²』の説明で良く使われる『目くらまし』には、大きく分けて二つあって。一つ目が、「石ころ一つの質量で巨大なエネルギーを発生させるが、通常の実験観測では微細すぎてしまって、『E=mc²』の実証は難しい」と言う{当然の事を言っているように思えて、まったく意味の無い話し}である【とんち問答】による言葉の茶化し」であり。二つ目が、「γ(ガンマ)係数(:ローレンツ因子)を上手に乱用しながら、『E=mc²』や『mc²』を“物質の枠組”みのようなモノとして《記号化》してしまって、『E=mc²』の論理証明をしている振りをしながら巧(タク)みに雁字搦めに《制限》を設(モウ)けてしまう数式のトリック」であります。
確かに、《既存の物理法則》である『質量保存の法則』や『エネルギー保存の法則』や『エネルギー変換の考え方』などは、その構成がとても合理的であり、それ自体で一つの完成された宇宙を表現していて、何ら疑問を差し挟む余地が無いのですが。しかしだからと言って、そのコトが《既存の物理法則》が≪正しい自然法則≫である証明にはまったく成っていなくて。どれ程の《思索の末の数式上の合理性》と《思惟の果ての完成度の高い構成》で成り立っていても、それは人間の創作レベルの高さの証明でしかないので。自然の真理である『E=mc²』と≪既存の物理法則≫はどうしても相容れなくて、上記の『目くらまし』が作られたのです。
しかし、ただ一見すると、≪既存の物理法則≫を≪正しい自然法則≫にしてしまえば、そんな『目くらまし』など必要ないではないかと思うかもしれませんが。人間の理性と言うのは、そんな〔簡単なモノ〕でも〔自由なモノ〕でもなくて。沢山の《宗教・宗派》や《文明・文化》や《地域性・民族》や《階級・差別》に基づいた、多種多様な【倫理意識】や【神秘観】や【道義的感性】によって“公約数的”に≪価値の認められたモノ≫であって初めて、ようやく万人から認知される事が出来るので。『E=mc²』が≪正しい自然法則≫であればある程に、曲がりなりにも“公約数的”に≪価値が有るモノ≫として認知された≪既存の物理法則≫の価値を守る為に、上記の様な『目くらまし』がどうしても必要になってしまったのです。
なので、現代科学が≪正しい自然法則≫の完成を単に目指して、『トーマス・クーン』による≪科学革命の構造の『パラダイム』≫を駆使しながら、『アインシュタイン』による≪相対性理論の『E=mc²』≫に代わる自然の真理である『ピーター・ウェア・ヒッグス』による≪ヒッグス機構の『ヒッグス粒子』≫を、実証主義で細かく正確に証明すればする程に、又候(マタゾロ)『目くらまし』が作られる可能性が高いのです。
『E=mc²』に『目くらまし』が必要となった理由である《人間の理性の実態》をよくよく考えて、今後の為の対策をしっかりと検討し。『パラダイム』論に基づく実証主義の裏側で、数多(アマタ)の『目くらまし』が作られて埋もれてしまったままの、幾多(イクタ)の真理を掘り起こして、万人に認知してもらえるように出来なければ。現代科学が《既存の物理法則》を乗り越えて≪正しい自然法則≫に近づくコトは、まだまだ当分の間は難しい事でしょう。



前置き③
ブログ第0037号で言っていた《2種類のエネルギー》と言うのは、『E=mc²』を物理法則の≪絶対的基軸≫に据(ス)えて、{『質量保存の法則』や『エネルギー保存の法則』や『エネルギー変換の考え方』を否定して}『質量の消滅』と『エネルギーの発生』と『消滅した質量に及ぶハズであったエネルギーの発散』が“セット”であるコトを、エネルギーに伴なう≪大原則≫にした事で浮かび上がって来た考え方で。それは、「振り子が振れるだけで、振り子の重りの『質量』が少しずつ『消滅』していき、『消滅していく質量』に及ぶハズであったエネルギーが{放射性物質に於(オ)いて、質量が消滅してエネルギーが発生し、そして放射線が放射されるように}発散していて、{見えないだけで}かすかに光っている」と想定していて。電気に於(オ)いても、「電圧が掛かり電気抵抗部分内で電気が電流として流れれば、『質量』の無い電子ではなくて電気抵抗部の『質量が消滅』して、『電気流速値』の“二乗倍”に比例して『発熱』し、『電気流速値』の“四乗倍”に比例して『発光』する」とまで想定しているモノです。

前置き②
「質量を持った物質(A)が同じ質量の物質(B)と衝突を起こすと、【(1/2)X(Aの質量)X(Aの速度)²】のエネルギーが物質(B)に伝わって、物質(A)はエネルギーを失い静止し、物質(B)がエネルギーを得て運動を引き継ぐ」と考えられて来ましたが。
『E=mc²』を≪絶対的基軸≫に据えて、「質量を持った物質(A)が光速(C)で同じ質量の物質(B)と衝突を起こすと、【(Aの質量)X(光速C)²】のエネルギーが発生して、その(1/2)のエネルギーが物質(B)を光速で運動させ、残り半分のエネルギーが光速で運動してきた物質(A)を停止させようとするが、その時には物質(A)の質量は消失質量として消滅しているので、【(Aの質量)X(光速C)²】の半分のエネルギーが標的を失って発散する」と仮定するなら。
「質量を持った物質(A)が衝突を起こすと、【(Aの質量)X(Aの速度)²】のエネルギー量(E)が発生して、【(1/2)X(Aの質量)X(Aの速度)²】のエネルギー量(E/2)で物質(B)を運動させ、残りの【(1/2)X(Aの質量)X(Aの速度)²】のエネルギー量(E/2)で物質(A)が停止し、その時に【(Aの質量)X(Aの速度)²÷(光速C)²】の減少質量(D)が物質(A)から消滅していて、その為に【(Aの質量)X(Aの速度)²÷(光速.C)²】の減少質量(D)を停止させるハズであった【(減少質量.D)÷(Aの質量)X(エネルギー量.E/2)】=【(エネルギー量.E/2)X(Aの速度)²÷(光速.C)²】のエネルギー量(F)が行き場を失って発散する」と考えた方が自然だと思うのです。

前置き①
『アインシュタイン』は『相対性理論』によって『E=mc²』を導き出したと{1905年の3月論文『光量子仮設』・4月論文『分子の大きさの新しい決定法』・5月論文『ブラウン運動の理論』・6月論文『特殊相対性理論』・9月論文『E=mc²』という五つの論文発表の【順番】を参考にして}考えられていて、教育の場でもその考えで『E=mc²』が{【最終的結果】として}説明されているのですが。それよりも、≪『E=mc²』である方が現実に合う≫という《仮定からスタート》して、“それならば”という手順で『相対性理論』を検証する方が、より合理的だし理屈に合うと思うのです。



~~~ブログ第0032号から転記~~~


・科学の災難


とても残念なコトなのですが。自称“進歩的”な『理性派』が信じて疑わない『人間の理性』が、唯一神の『神託』や、多神教やジプシーなどの『神秘観念』といった、【神聖なモノ】の上手(ジョウズ)な有効活用の範疇(ハンチュウ)を越えられない{偏向(ヘンコウ)していて不自由なだけの未熟な}精神である為に。科学には初めから、そんな偏向した理性で行われる【人間の未熟な営み】による不始末の為の、上手(ウマ)い『目くらまし』と成る事が求められていて、巧に「人間の営みが自然を凌駕(リョウガ)するモノであるという証明をする事」が義務付けられていたのです。
そしてさらには。自称“誠実”な『原則派』が、個々の唯一神の『神託』や、多様性に富(ト)んだ多神教やジプシーなどの『神秘観念』といった、【神聖なモノ】の迷うコトの無い厳守を古くから過激に唱(トナ)え。『理性派』がその【理性の限界】で喘(アエ)いで、【神聖なモノ】を見失った暴走や失敗に陥(オチイ)るのに乗じて、【神聖なモノ】の名の下に反攻に転じながら、近代以降は特に台頭してきていて。

それらの為に科学は、≪余計な事はしたがらない人間達によって、〔天の恵みとも言える、『バクテリア群』の活躍による世界環境の安定を、【人工物】を腐食・腐敗などの劣化から無理に守ろうとして、“魔女狩り”のように問答無用で崩壊(ホウカイ)させてしまう〕のと同じような、《【身体】や【身近な環境】の『自然の浄化サイクル』を、不衛生だとして破壊(ハカイ)してしまうだけの、生活環境や医療環境での『消毒・殺菌の徹底』の促進(ソクシン)》を押し付けられ。面倒な事は考えたがらない人間達によって、〔天が創ったであろう葉緑素を持った植物や微生物が、何億年も掛けて環境の安定化の為に、(F)線量値である{比較的軽質量の元素から発散される赤と青紫の2種類の可視光線の}光を元に、周囲の(E)エネルギー量を取り込みながら、減少していた『二酸化炭素』の質量を{自然の元素崩壊に反して}復活させて『炭素』と『酸素』の2種類に切り離してきたモノを、今の人間の“結果オーライ”な都合だけで『化石燃料』を燃焼して、『二酸化炭素』をまた拡散させてしまう〕コトになる、《内燃機関や、石油化学工業などの開発》を担わされ。ついには、責任を負いたくない人間達によって、〔『自然の浄化サイクル』の安定を崩して【殺人対抗性菌】を蔓延させた責任を負わされてしまう〕コトや、《『二酸化炭素』を増やして【地球温暖化】を進めた原因にされてしまう》コト≫が多く。
さらに最近は特に、≪余計な事はしたがらない人間の為に、〔真理に近い『E=mc²』に、【核拡散防止】の名目で、道理を無視した“魔女裁判”のように制限を付加して、科学の進歩に枷(カセ)をしてしまう〕のと同じような、《科学のネットワーク性に欠ける、自己完結した空間の『既存の物理法則』による、進歩の期待できない『核エネルギー開発』の促進》を押し付けられ。面倒な事は考えたがらない人間の為に、〔自然法則に近い『E=mc²』を基軸にした物理法則による、(E)エネルギー量と、(D)減少質量と、(F)線量値との関係の認識を、まったく無視したままの『オームの法則』である【〔電流量W〕=〔電圧V〕÷〔電気抵抗値Ω〕】や、『エネルギー計算』である【〔エネルギー量(ジュール)〕=〔1/2〕X〔重量(kg)〕X〔速度(m/s)〕²】を使って、まったく“イキアタリバッタリ”に、{(E)エネルギー量を増やす}『電熱器』と{(F)線量値を増やす}『電球』を作り分けようとしたり、{(D)減少質量の対象元素となる}重質量の放射性物質から発散する{(F)線量値である}放射線を減少させようとしたりする〕コトになる、《家電機器や、核エネルギーなどの開発》を担わされ。ついには、責任を負いたくない人間の為に、〔電気に依存した文明社会の脆弱(ゼイジャク)さの責任を負わされてしまう〕コトや、《エネルギーの量産を目指して【放射能の拡散】を引き起こした原因にされてしまう》コト≫なども多いのです。

結局科学は、自然には無い【人工物】や【人工環境下での作用】の効果を高め、長持ちさ、リスクを軽減させる為に存続させられていて。最近は、自己完結してしまっている{新しくネットワークを広げる事の出来ない}論理を与えられて、立ちはだかる自然に対して無理でも何でも正面突破を目指す{無限に無駄足を踏み続けるような}コトばかり求められていて。そしてその揚句(アゲク)に、自然の脅威に対する有効な対処法が見つけられずにいるからと言って、『希望の入っていないパンドラの箱』などと罵倒されるだけなのです。
見方を変えれば、科学にとっての人間とは、疫病神以外の何モノでもありません。



~~~ブログ第0030号から転記~~~


*『人間の姿』と『人の目に映る自然の姿』と『埋もれた世界の姿』


『人間の姿』には、大きく分けて『神託』の【解釈】をめぐって対峙(タイジ)する、『内向きな【原則派】』と、『外向きな【理性派】』とがあり。それは、『内向きな【原則派】』という、「一度“自分達”に下された『神託』を、普遍の《大原則》として厳守すべきモノと認識し、“自分達”は『神託』を信じての≪共通のコト≫に向かって、内向きの個人的努力に励(ハゲ)むべき」だと考える人達と。『外向きな【理性派】』という、「一度“自分達”に下された『神託』を、人間が神と繋(ツナ)がって《理性》を育み始めるカギとなる《神の意志》の大枠(オオワク)と認識し、“自分達”は≪自分の理性≫を信じて『神託』を“個々”に守りながら、外向きの社会的努力に励むコトで、≪神の意志の達成≫に寄与出来るモノ」だと考える人達なのです。
しかし、そのどちらかが〔優れている〕とか〔劣っている〕とかの話しではなくて、どちらの生き方が〔自分に合っている〕のか〔合っていない〕のかという話しなのですが。にも拘(カカ)わらず、人間は些細(ササイ)な事でも、【原則】は曲げられない(!)とか、その【原則】は悪魔に誑(タブラ)かされたモノだ(!)とか、【理性的】に考えれば此方(コチラ)が正しい(!)とか、その【理性】は私利私欲によるモノでしかない(!)とか言い合うばかりで、《対決姿勢》を崩さず≪『神託』などそっちのけ≫の有り様(アリサマ)なのです。

『人の目に映る自然の姿』の代表的なモノとして二つ上げると、一つは《新鮮な食物を選び出して生き残ってきた【清潔本能】に由来する、堅牢(ケンロウ)なまでの『衛生観念』》が描き出す≪『劣化・腐敗する自然』と、『清浄・殺菌で抵抗する人間』から成る構図≫の自然観で。もう一つは《狩りや農業で先を見越(ミコ)すコトで繁栄を築いてきた【効率本能】に由来する、熟慮(ジュクリョ)を繰り返された『合理観念』》が描き出す≪科学的手法による描き足しによって作られて来た『自然法則』と、法則性を確立するのに邪魔になるとして切り落とされて来た【誤差・端数】や【複数要因の現象】などの『非法則性事象』から成る構図≫の自然観です。
そして、そのどちらもが人類が大昔に生き延びて繁栄するために必要であった人類普遍の【本能】に根ざした自然観であり、現代社会においてもなお【二者択一】の『選別』によって『自然の姿』が何時も【シロとクロ】で塗り分けられてしまうのは、その影響によるモノと思われます。さらには、この《強引な『選別』》について人類は≪神の判断の代行≫をしているモノと錯覚(サッカク)してしまうモノなのか、この『選別』を押し通すためのあらゆる屁理屈(ヘリクツ)に対して人間は誰も疑問を差し挟(サシハサ)もうとはしないのですが、まったく不思議です。

『埋もれた世界の姿』についても同じように二つあって、一つは《自然発生的な『有害環境』を“瞬時”に無毒化する『浄化サイクル』が活性している【自然活性バクテリア群】と、人為的な『清浄・殺菌』から生み出された【対抗性菌】が作り出す『猛毒環境』を『浄化サイクル』に“ゆっくり”と取り込む『対抗性サイクル』が活性している【対抗活性バクテリア群】の共生》が達成されている≪【活性バクテリア群】の神秘≫と言うしかない世界であり。
もう一つは《『E=mc²』の原理が自然に行き渡り、エネルギーと質量が安定した関係で理路整然と存在する、物質の静寂(セイジャク)が続く世界と。人が物質の安定と静寂を壊す事でエネルギーを効率良く取り出そうと模索して、結果的に『E=mc²』の原理を隠蔽(インペイ)してしまいながら、サザ波を立てる様な事をしてはエネルギーを計測する科学的手法を繰り返して来て、『E=mc²』の原理が使えない為に『オームの法則』では電気抵抗部分の【単位抵抗値と長さと断面積】と【発熱量と発光量】と【電気流速】の関係が非法則性要因として無視され、『核開発』においても『放射性物質』の【濃縮】にだけ偏った理解がなされて【物質内の濃縮度と形態】と【質量消失と熱量発生と放射線発散】と【物質内を通過して安定を壊しているモノ(:時を刻むモノ)の流れの変化】の関係が非法則性要因として見過(ミス)ごされていて、物質の崩壊が止められないでいる世界とが在り。それらが隣り合って混在している》というのに人間がまったく気付けないでいる≪『E=mc²』の原理の不思議≫と言える世界なのです。



~~~第0040号先頭へ~~~







最新の画像もっと見る

コメントを投稿