ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

69.ちび猫が見付けた『オームの法則』の自由議論(2)

2014-03-07 | 危機管理
第0069号


*****(制作終了)*****


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~~~第0037号からの続きです~~~





・新テーマ


人類が『諸法則』から見い出せる『生きた進歩』を提供する。







・平成27年度版







*人間の問題から生み出された近代科学の問題。【9月7日・月】


この【更新する無限大に多様な“大”全体】の〔世界〕では、たとえ人間が死滅してしまっても、その【“大”全体】が【“大”更新】して人間の役割を担ってくれて、人間が居なくなっても大丈夫なように〔世界〕が再形成されて行くのですが。この事は、何も人間だけの話しなどではなくて、他の全ての生物や事柄に{共通して}当てはまる事でありまして。

進化論でよく使われる『進化の図』からでも{解る人には}解るのですが、色々な生物が進化の途中で絶滅したり、新たな進化を始めたりしながら、【更新する無限大に多様な“大”全体】での【“大”更新】によって環境の変化に順応して、〔生命世界〕そのモノが進化を繰り返していますし。核エネルギー利用により放射能汚染の拡大が起こってしまうのですが、{『E=mc²』が普遍的な“一般理論”である事による}『質量』と『エネルギー』の相対的関係の局所的な異常を自己修復する過程で起こる一時的な現象であり、〔物理世界〕そのモノが【更新する無限大に多様な“大”全体】での【“大”更新】を繰り返して{正常に機能して}いるだけでありますから。

人間がこの〔世界〕から居なくなっても、〔生命世界〕そのモノが進化をして、順応して行くだけであり。放射能汚染の拡大が{人間にとっての}深刻な事態を惹き起こしても、〔物理世界〕そのモノは正常に機能して、自己修復が遂行されるだけでありますが。

人間が【更新する無限大に多様な“大”全体】の道理を理解して、〔生命世界〕そのモノによる順応に人類として加わり、〔物理世界〕の自己修復を促進させられればいいというのに。人間が近代科学を手にしていたが為に、滅亡の危機を感じた時に【更新する無限大に多様な“大”全体】の道理を手放してしまい、人類存続の可能性を低下させる事態を招いてしまうのです。


【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』を、近代科学に於ける〔完成した世界〕の大原則に縛られて拒絶してしまい。医療施設や畜産施設での『殺菌・消毒』の多用により、薬品耐性を高めた殺人病原体の発生を許し。

核エネルギーでも用いられるだけの{普遍的な}“一般理論”である『E=mc²』を、知らなかった方が良かった『パンドラの箱』だと考えたり、宇宙戦艦ヤマトの{異星人よりもたらされた}“特殊理論”の『波動エネルギー』と同じ様に認識したりして。放射性廃棄物を高濃度にして貯蔵し、その処理を後世の技術革新に委ねる事を、{合理的だとして}正当化しているのですが。

そういう近代科学の問題に人間が気付けない原点にあるのは、衛生問題を『殺菌・消毒』だけで解決しようとする〔怠惰で日和見な〕姿勢と、電気エネルギーを『質量』抜きで論じられている『オームの法則』に違和感を抱かない{他力本願で責任転嫁な}感性でありまして。

近代科学の問題とは、それを使いこなせない人間の問題であると、言えるかもしれませんね。





*『オームの法則』が[教育]され[常識]となる怖ろしさ。【7月25日・土】


『既存の利権者である権力者』が既得権益の拡充と独占を目指したり、『次の利権者を窺(ウカガ)う知識人』が既得権益の温存と略奪を目指したりする時に、{【全体】から切り離された}『全体』が“限定”を意味するモノとして、人々を道理によって縛るのに使われたり、人々に体制批判を扇動する時の口実に使われたりしていて。そして、【更新する無限大に多様な全体】には{得体の知れないモノという}危険のレッテルがドンドン貼り付けられ、『全体』は“限定”を意味しているモノだと、{既得権益をめぐって}汎用と言うよりも{利己的な}乱用と言った方がいいように、{様々な地位の者により色々と巧妙に}利用されているのが{人間的諸事象による}人間の営みでありまして。

≪『権力者』側の科学者が『核エネルギー』の特別化の為に{一般理論の}『E=mc²』を核反応に限定された『特殊理論』としたのと、『知識人』に扇動された市民運動家が『E=mc²』を『パンドラの箱』としたのとが同じ意味のモノである為、『反核』を言えば言うほど『核開発』が推進されてしまう≫というのと同じ道理で、『権力者』や『知識人』の双方の偽善的な思惑の一致から、『お金』の経済ゲームが{『利権者』の入れ代わりに伴なう表面的な『お金』の再分配はあっても、『お金』の存在意義をゲームの[駒]や[カード]に修正しての《『お金』の再分配の繰り返し》がされずに}何時までも“終焉”を迎えたままである為、既得権益から遠い所に絶つ{経済ゲームからドロップアウトした}人々が大多数を占めて、《『全体』への不信感》の一般化が結果的に{人間の精神の中に広く深く}浸透してしまって。【全体】の恩恵が目の前に在ってもその存在に誰も気付かず、したがって【全体】を言葉で聞いた瞬間に{体制派だとレッテルを貼って}相手を食い物にしてやろうとしか誰も思いませんし、さらには{【全体】を言う為に}『全体』を公然と否定する者があれば{敵側の間者と決め付けて}憂(ウ)さ晴らしに甚振(イタブ)ってやろうとしか誰も考えませんから、ましてや{誰も実感できない}【全体】の恩恵を実演するのを目にすれば{精神異常者と判断して}誰も相手にしなくなってしまうのも、仕方の無い事なのかもしれなくて。

そしてそういった人間的諸事象の裾野(スソノ)の一端が、『オームの法則』でありまして。『権力者』側に立ち続けたい科学者の勝手な都合で、{一般理論の}『E=mc²』が反応に限定された『特殊理論』であり続けなくてはならず、{『E=mc²』が無視された}『オームの法則』が物理学の重要法則として、子供への教育や、大人の一般常識として利用されていて。そして、一番簡単に一般理論である『E=mc²』を実感できる機会が奪われた事により、それが《『E=mc²』の『パンドラの箱』化》の温床となり、『核エネルギー開発』の神聖視が決定付けられて、原爆や原発事故の被害を目の当たりにしようとも『核開発』が止められない『反核運動』を生み出してしまっていて。そしてさらには、『オームの法則』が{『権力者』や『知識人』だけではなく『一般市民』も含む}人間が[教育]や[常識]で形成される時の{省(ハブ)かれる事の少ない}重要な知識とされている事から、『オームの法則』というのは、人間的諸事象の{現象ではなく}一因であるのかもしれません。


〔人間世界〕の多くの知識というモノが、単に制限された知識というだけのモノではなくて、人間に制限を与えて{人の営みを制御して}しまうモノであり。これまでにも様々な[国家]や[宗教]や[仕組み]でそれを利用しようとして、[教育]が行われ、[常識]が形成されてきていて。そして、それを露骨に言い表しているのが、「教育は国の礎」という言葉であり、その安易な利用でありまして。既得権益の『利権者』に都合のいい[教育]が施され、[常識]が広まる事で、《むやみやたらな『殺菌・消毒』の奨励》や《『E=mc²』を『パンドラの箱』に例えた反核運動》や《経済ゲームが終焉したままでの『お金』の再分配の無限延期》がまかり通っている{異常事態だという}のに、誰も異を唱えていないのですから、[教育]とは危険なモノであり、[常識]とは恐ろしいモノであります。





*万物の霊長として退化している人間。【7月11日・土】


自分の認識する『全体』については{有効な範囲で}的確に的を絞り、『利益』が有ればそこには崇高な意味が生じると、人はそういう教育を受けて人間となり、{見ていても理解ができないように}理解する力を失っていくのです・

【全体】とはもっともっと大きいし、『利益』にはもっとハルカに意味が無いのですが、人が人間になると《大局に於いての全体の利益》を求めるようになり、{目が暗(クラ)んでいって}それについての理解しか出来なくなるのです。

【更新する無限大に多様な全体】とその【部分】というのはトテモ大切だし、『お金』にはその度に繰り返し平等に再分配されるモノとしての価値しかないが、人間とはそれを見ていても、理解する事が出来ないのです。

人間は、人としての{【全体】に関しての}能力を失い、{【全体】の【部分】としての能力を【部分解禁】した}『部分的』に特化した能力を暴発(ボウハツ)させているだけなのに、万物の霊長と自負して、その【部分解禁】のモノサシでしか物事を見ないので、それしか理解できないのです。

過去に幾多の偉人たちが、人間の目の暗みを晴らそうと{『進化論』や『E=mc²』や『神は死んだ』や『パラダイム論』などの}様々なアクションを起こしてきたが、人間はことごとく{可笑しな解説を付けて}権威の下に歪めてしまい、万物の霊長という{人間同士が争い、学問は歪み、地球環境を破壊させながらも}退化は止まらなかったのです。





*『しにがみのバラッド。』より【4月10日・金】


【ちび猫】の愛読書に、ハセガワケイスケ先生の『しにがみのバラッド。』があり、その読んだ感想などを当ブログ第0073号で書き込んでいるのですが。その平成27年度版(1)【4月9日・木】で、第十巻の第三十六話『世界の終わりにハミングを。』を取り上げていて。そこでも少し書いたのですが、人間の『刹那』を、{世界の終りを望む}少女を巧みに用いて表現していて、その{人間の感性に訴えかける}手法に感動してしまったのです。

この『世界の終わりにハミングを。』の中でその少女は、『世界の終わりや宇宙の始まりとはじっこについて考え、世界の終わりを願う』という事を日課にしていたが。親友が死んだ事で目の前に現れた白い死神の【モモ】に、「アタシが望んでたのは、世界が終わること。リセットボタン押したら、またはじまるようなそんな世界の終わり・・・なのに・・・」と不満をぶつけていて、【モモ】に呆(アキ)れられてしまうのです。


そして、《リセットボタン付きの世界》というのは、まさに『近代科学』が壁となって、人間の進歩が塞(フサ)がっている《お釈迦様の手のひらの上》状態の〔この世界〕の事を指していて。《世界の終わりや宇宙の始まりとはじっこについての考え》も、『リセットボタン』の存在を大前提としている『近代科学』の事を{間違いなく}指していまして。人間は、リセット機能が使えない《非作為的な事象》が起こるたびに、想定外の事態が起こったと言ってうろたえ、怒り、言い訳をしているのですが。親友の死に直面し、白い死神の【モモ】に不満をぶつけた少女と、[自然災害]や[放射能事故]や[無差別テロ]などの{『近代科学』の手法を用いる}人の制御を受け付けない《非作為的な事象》を前にうろたえる現代人の姿とが、{どうしても}ダブって見えてしまうのです。


現代社会(現代人)に於ける〔この世界〕というモノを、もう少し詳(クワ)しく説明すると。

人の制御を受け付けない、≪細菌やウイルスが突然変異によって薬品耐性を持ってしまう事による『パンデミック』を人々が怖がり、{『生きた水』や『薬品耐性水』に気付く事も出来ずに}『殺菌・消毒』の徹底を{一様な自己判断を当然の事として認識し、みんなが一律に考えてしまって}してしまう事によって、『パンデミック』の脅威がドンドン高まっていく事態≫や、≪その制御や、運用の過程で必ず出てくる放射性廃棄物の除去や、事故の時の収束の難しさが付きまとう『核エネルギー』を人々が怖がり、{『核』や『放射能』の原因は『E=mc²』という『パンドラの箱』だと考えてしまって}『E=mc²』の一般物理学への普及が{一様な自己判断を当然の事として認識し、みんなが一律に考えてしまって}制限されてしまう事によって、『核反応』への無知から惹(ヒ)き起こされる『無謀な核開発』の脅威が高まっていく事態≫や、≪他者の『理念』や『標語』に感化されてしまう事による差別の発生を怖がり、{『人類としての志』を『理念』と『標語』で紡(ツム)ぎ直して行く事の意義に気付けず}切り抜かれてきた『理念』や『標語』が{一様な自己判断を当然の事として認識し、みんなが一律に考えてしまって}バラバラに選び出され、信奉(シンポウ)してしまう事によって、さらに『差別の悪化と混迷の深まり』の脅威が高まっていく事態≫などが深刻化している渦中にありながら。

何があっても《初めから再スタートができる範疇》で物事が考えられ、それに基づいて〔この世界〕が形成され、そして厳格にそれが運営されていて。その状況をチェックし、脱線しないように見張り、そして、逸脱したモノには[倫理違反]とか、[不正行為]とかのレッテルを{権威を振りかざして}貼り付けて、[研究の禁止]や[研究者の追放]などの厳しい処罰を行なってきたのが、『近代科学』による【恐怖政策】であります。

{今現在も}『近代科学』は地球上のいたる所で機能し、それによる〔この世界〕の運営も拡散していて。一般市民はその上で、まな板の上の鯉のように身も心も差し出し、何事も無いような顔で開き直っていて。そして研究者たちは、{それ自体が絶対化してしまった}『近代科学』による《リセットボタンの制限》を使っての足の引っ張り合いに{人の意志とは関係なく}引き摺(ズ)りこまれてしまい、戦々恐々とし、疑心暗鬼となって、傍目(ハタメ)を気にして縮こまっているものですから。

誰もがそうとうの苦労を背負(ショ)い込んでいるにも拘(カカワ)らず、自然災害や放射能事故や無差別テロはなかなか無くならず、規模の拡大化に拍車(ハクシャ)が掛かっていて。誰も問題の核心部分である『近代科学』の閉鎖性の事や、人の手を離れた『近代科学』の暴走状態の事や、『近代科学』に降伏して『刹那』となる事が処世術とされている異常状態の事には{『君子危うきに近寄らず』で}触(フ)れられず。人々が問題解決のために{科学的な根拠に基づいた}苦労をすればするほど、《非作為的な事象》の事態が大規模化してしまう〔この世界〕が続いてしまうのです。


この『世界の終わりにハミングを。』の中では、少女が不満や諦(アキラ)めを必然と受け止め、回避できないモノだという『刹那』に陥っていて、死神にも呆れられてしまうのですが。それによって、『刹那』こそが人間の性(サガ)であるかのように描かれていて、それがなんとも挑発的であり、刺激的であったのです。

「所詮、死神に狩られる存在でしかない人間には、『刹那』がお似合いなのだ。降伏とは人間にとっての最良の処世である」と読み取れるものだから、【ちび猫】としては「受けてたとう(!)」という事になったのです。





* 《可笑しな》進化論の図が生み出す“悪魔”【2月20日・金】


学校の教科書やテレビなどで一般的に目にする{良く見かける}進化論の図というのが、地球上での大きな環境の変化に際して、小さな個体としての生物の『種』が対応して行くための、≪【生きた世界観】の基本原則である【多様な全体としての更新機能】による、『生命の進化』としての【生物群の更新】≫の事がまったく無視されたままで、{個々の『種』ごとの《単独の判断》か《競合するモノとの勝敗》によって、『種』の生き残りが決まって来たと言わんばかりに}【一本の線】が“別れ”を繰り返しながら、『種』の[絶滅]と[生き残り]が表現されている、《可笑しな》モノばかりであり。

近代社会で生きる現代人のほとんどが、{『野蛮な人間』というコトに無自覚で責任転嫁をして}自分たち自身の身勝手さにも無自覚なままで、的はずれな論争や武力紛争に明け暮れてしまうのは、そういった進化論の図を見て{勉強や仕事の忙しさに追われて、何の疑いも抱かずに}多くの子供が【一律】にそのまま大人に育ってしまうからでありまして。

例えば、『核開発』を巡る議論の中では、良く勉強した者たちの中で「人間は『核』という【パンドラの箱】を手に入れてしまったが、それを開けきって滅亡を自己選択するのか」と『反核』を主張する者と、「今も生き残っている『種』とは、遭遇した事態に打ち勝って来たモノであるのに、人間が『核開発』を放棄してしまうのは、人類が『種』としての存続を途切れさす事に他ならない」と『核開発の推進』を主張する者とが、相容れずに{双方が“悪魔的”に}睨(ニラ)み合ってしまい、和解など在り得ない状況に陥ってしまうのです。


しかし、≪【更新する世界】に合わせて、【多様な全体】である『生物群』が【更新】をしていって、{その過程で}個々の『種』の[絶滅]や[生き残り]への【振り分け】が{【多様性】が失われえない範疇(ハンチュウ)で}なされていった≫とする進化論の真実に、{『人間の野蛮さ』を言う裏で独善的な『正義感』や『義務感』を遂行しようとする身勝手さに無自覚なまま【一律】に染まっている自分たちの姿に目を向け、多くの真実が隠蔽(インペイ)されている事への小さな警鐘に耳を傾けて}少しだけいいので気を向けて。

それを、知性の【生きた進歩】にも広げてもらって、「総ての物理現象は、《質量の消滅》による《エネルギーの発生》の繰り返しによる、〔この世界〕の【更新】の連続によって起こっている」という、『E=mc²』の普遍的原則から導き出される物理学の新しい観念に気付いてもらい。古い時代からの、見かけの整合性から作られた公式を積み上げるコトによって物理学を構築して来た、既存の一般物理学の観念に疑問を抱いて。『核反応』や『放射能』の[現象]や[反応]や[作用]を、{引継いで来た}一般物理学と“区別”したり、わざと“特別視”してしまう事を、一旦でいいので止まってみるだけで。

その余裕から、≪『正義感』や『義務感』を隠れ蓑(カクレミノ)にした、{【一律】で《可笑しな》 進化論の図から生み出される}“悪魔的”な欲求に突き動かされて、[自滅]や[破綻]や[共倒れ]へと【一律】に[独走]や[共謀]や[競争]をしている、自分たちの《可笑しさ》≫からの修正方向が、{それ程の勉強や苦労も必要なく、誰にでも、いつの間にか}見えてくるのだと思うのです。





*新テーマについて(2)【2月13日・金】


《『オームの法則』からの『電気流速』の欠落》の問題と、《『STAP細胞』の消滅》の問題は、まったく無関係な話しではあるが、問題としての本質は良く似ていて、各分野での閉塞状態の原因と共通していて。

《〔活性した世界〕での【多様な全体】の【更新】による進歩》というモノが隠蔽(インペイ)されたまま、《リセットとしての処罰》による縛りを『正義感』や『義務感』を名目にして、強引に引き継がせようとしたり、権力の名の下に引き継ぎが強行されたりした為に起こった問題でありますから。

【小保方 晴子】さんのような研究員を増やし、そういった自由な研究環境をドンドン増やしていく事により、研究環境の更新が次々と起こって、多様性の深まった全体による{人類との共存が復活した}更新が拡散されていけば。

現代社会の抱える自然科学の問題の多くが、解消されるハズですし、社会科学の問題であっても、『正義感』や『義務感』を名目にした《リセットとしての処罰》の【引き継ぎ】が無くなるだけで、問題の解決が{ほぼ}達成されたと言えるのです。





*新テーマについて(1)【2月12日・木】


「あれはダメ・これもダメ」という《リセットとしての処罰》の縛りが、『正義感』や『義務感』の名目のまま、引き継がれてしまい、その挙句が《『STAP細胞』の消滅》であり、《『オームの法則』からの『電気流速』の欠落》でありますが。

《【多様な全体】が【更新】していって物事が進歩していく》という原理原則が自覚されるだけで、そういった問題の裏側や本質が見えてきて、解決が始まるのです。







・平成26年度版







*部分解禁談合と知識人の既存文明(科学)【9月21日・日】


特定の知識に偏(カタヨ)っている事への自覚の薄い一般的知識人たちは、『遺伝子操作』や『核エネルギー利用』などの先進科学を『パンドラの箱』と決め付け、《『唯一神教』的世界観》や『国家権力(警察行動)』・『知的財産権(ブランドの保護)』などを普遍的なモノとして疑わず、これぞ真理だと得意になっていて、

〔微生物世界〕の多様な個々の中の特定単独種類の更新機能(突然変異・遺伝子操作)や、〔物理世界〕の多様な物質の中の特定単独種類の更新機能(核反応・核エネルギー利用)などの科学的部分解禁を、「抑制(自制)が必要であるなら手を出さない方が良いモノ」だと言って激しく拒絶し、

〔人間世界〕の多様な人間の中の特定の人間の更新機能(新発想の真似(マネ)・革命行動の伝播(デンパ))のどの人類的部分解禁に対しても、「既存の安定を踏みにじる蛮行」だと言って激しく非難しているが、

結局は、権力者や科学者の既得権益を守るための部分解禁談合で作られる、≪生命の危機をエスカレートさせる『悪』と、それに対抗するための『神』によって人類に与えられた『文明(科学)』≫という{的外れな}図式に、まんまとハマって無自覚のまま感化されているだけであり、

科学や人類に於(オ)ける多様な個々の{単独個体の}更新機能(単独の微生物の更新機能や単独の放射性物質の更新機能や単独の人間の更新機能など)を『悪』と決め付けてしまうために、多様な全体としての{一つの大きな}更新機能に目が向くコトは無く、『微生物群』全体での{生物的浄化の}更新機能や、『大自然』全体での{物理的浄化の}更新機能や、『人類』全体での{人間社会的浄化の}更新機能が蔑(ナイガシ)ろにされているので、

『パンデミック』や『放射能汚染』や『テロ』の脅威は、何時までも無くならないのです。


そんな世にあって、多様性に着目しながら個々に分けて{それを結果的に}『悪』と『身方』に振り分けてしまうのではなくて、一つの大きな全体として認識する事について怯(ヒル)むコトなく考えられる“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*福島の除染作業と放射性廃棄物の処理【8月17日・日】


当ブログ【63.ちび猫が見付けた『生物世界』の自由議論(1)】や、【59.ちび猫が見付けた『E=mc²』の自由議論(2)】でも触れたが、

多種多様な【微生物群】によって清浄が構築されている野山から家に帰ってきて、手を石鹸で洗って『殺菌・消毒』してしまうので、家の中では【特定微生物】の『バイキン』ばかりが繁殖してしまい、人間の住む{衛生的と思われている}空間をドンドン非清浄空間としてしまったのと同じように、

【過剰エネルギー】である『核エネルギー』の利用で排出される『放射性廃棄物』が人間の住む地域で拡散してしまうのを過剰に恐れて、【質量消失の連鎖】を凝縮(ギョウシュク)させた『高濃度放射性廃棄物』を作り出し、地下施設などに『馬鹿の一つ覚え』で隔離(カクリ)してしまうものだから、人間の住む通常空間に於いて{『広島』・『長崎』では原爆の放射能汚染が短期間で浄化したのに、『チェルノブイリ』では核物質を原子炉内に閉じ込めたままなので放射能汚染がまだまだ収まりそうにないという事を忘れて}≪【既存エネルギー量】を“安定維持”させる〔物理世界〕の【更新機能】≫を低下させ続けて、人為的な『放射能除去』に頼らざるを得ない〔物理世界〕の機能不全状態を作ってしまい、{人間が責任を果たして守って来たと思いながら}地球の自然環境を《放射能が何時までも残留する不安定世界》としてしまったのですが、

【特定微生物】である『バイキン』の繁殖や『パンデミック』のリスクの軽減に『生きた水』や【薬品耐性水】が有効であり、『放射線』と同じ【放射エネルギー】である『光』を放射する電気の帯電には『アース』という対処が有効であり、『放射能汚染』を惹(ヒ)き起こす『放射性廃棄物』の中で起こっている≪【質量消失の連鎖】の凝縮≫を短期間で解消させるには、{『広島』・『長崎』と『チェルノブイリ』の比較からも解るように}豊な自然と広い大地の中で≪【既存エネルギー量】を“安定維持”させる〔物理世界〕の【更新機能】≫を活性させるコトが有効でありますから、

福島の原発事故の今後は、原子炉本体の廃炉にはまだ何十年も掛かるだろうが、『放射性物質』が一時的に飛散した地域は、{人間が無理に掻き集めた『放射性廃棄物』は処理を繰り返しながら高濃度になって何時までも貯蔵施設内に残るが}『放射性物質』の濃度の差や除染作業の有無にあまり関係なく≪【既存エネルギー量】を“安定維持”させる〔物理世界〕の【更新機能】≫の活性が{人間が余計な事さえせずに}起こりさえすれば、比較的短期間で一律に自然回復するハズなのです。


そんな世にあって、誰とも違う≪【既存エネルギー量】の“安定維持”をしている〔物理世界〕の【更新機能】≫という放射能汚染からの自然回復を認識し、放射エネルギーについて怯(ヒル)むコトなく考えられる“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*『STAP細胞』と『オームの法則』【4月28日・月】


『STAP細胞』を巡る議論では、『STAP細胞』の事が棚上げされたまま、研究の手順や論文のミスなどの稚拙(チセツ)さが執拗(シツヨウ)に指摘されて、

既得権益を貪(ムサボ)っている権威者や評論家たち上位者によって、たまたまスポットライトを浴びてしまった裏方で下位者と目されていたイチ研究者の【小保方 晴子】さんを見せしめとして『個人攻撃』する現代の『魔女裁判』が、危機回避の【『火事場の馬鹿力』の活力】の発揮により断行され、

【『合理性を追究する』活力】や【『他人の為に働く』活力】の発揮によってスポットライトを浴びた【小保方】さんを手放しで誉(ホ)め称(タタ)えてチヤホヤした事を、浅はかで軽薄な愚行と厳しく指摘されて、畏縮(イシュク)してしまったマスコミや一般大衆は、これ以上トバッチリを食うのを恐れて、野次馬を装った迎合(ゲイゴウ)に走り、一律に、一様な態度で《小保方さんへの個人攻撃》を支持していて、

今後は、{支援の継続を求めて}渦中(カチュウ)の【小保方】さんが『STAP細胞』の研究の続行を権威者や評論家たち上位者に懇願(コンガン)してしまった事で、『E=mc²』に於(オ)ける《核反応のエネルギー利用》や【微生物群の更新機能】に於ける『EM菌』のように、既存のモノとの差別化を図るために【全面解禁】が隠蔽(インペイ)されて【部分解禁】される事になりそうで、【ちび猫】としては少し落胆(ラクタン)しているのですが、

しかし、こんな所で立ち止まっても居られないので、≪『パラダイム論』を人間の本質的な成熟を待たずに表面的な進歩をドンドン招いてしまう『パンドラの箱』に仕立て上げ、【部分解禁】によって起こる様々な矛盾や閉塞感を進歩に追いつけない人間の不完全さによる必然だと欺(アザム)き、既存の《電気工学に欠かせない『オームの法則』》や《医療現場に欠かせない『殺菌・消毒』》などを不完全な人間の未熟さが招く不安定さを取り除く{欠かす事の出来ない}モノとして一般大衆に堅持させて、上位者が【部分解禁】による差別化の恩恵を独占している日本的『サル山』の序列社会の構造≫を暴(アバ)いて、起死回生の大どんでん返しを狙おうと思っているのです。





*『ジオログ』での検証を受けて(オームの法則編)【3月7日・金】


『オームの法則』には、「【電気流速比】の値の4乗倍に比例して、同じ電球を使用した場合の【特定照度比】の値が増減する」という事が抜(ヌ)け落ちているのですが、この事には二つ意味が隠(カク)されていて、一つ目は『E=mc²』から派生(ハセイ)する

『放射エネルギー量』=(1/2)×(物体重量)×『速度の4乗』÷(光速)²

という、『質量』と『エネルギー』の【交換】が“活性”している『エネルギー計算式』が意味している、「【エネルギーの出現量】が(物体重量)倍と(速度の2乗)倍に比例するモノであるのに対して、【放射エネルギー量】は(物体重量)倍と(速度の4乗)倍に比例するモノである」という〔神秘主義世界〕の真実であり、

二つ目は『パラダイム論』が抱える、「真実が誰の目の前でも起こっていて、誰もがその真実を目にしていても、《サル山の序列闘争》の方が優先されて、誰もその真実を真実と言わないので、公的に真実が認められる『科学革命』や私的に真実を認める『パラダイムシフトのシフトチェンジ』をワザワザ仰々(ギョウギョウ)しく言い広めて、真実の認定を奨(スス)めなくては、誰も真実が発見できないのです」という〔人間世界〕の真実であります。


『オームの法則』が招いている状況というのは、現代社会が抱えている多くの閉塞状況の典型的な一例ではありますが、

現状の『オームの法則』が学校教育で必修され、さらには一般社会常識として色々な場面で出題されている事の裏には、現代社会が閉塞状況から抜け出せない『構造的問題』が隠れているのです。





~~~参照~~~





*『技術論』と『科学の問題』の違い【11月14日・木】



物理世界にも、ただ存在するだけの『神の力』が及(オヨ)ぶコトによって、≪『E=mc²』に由来して、【エネルギーの出現】のために【質量の消失】が起こり、物質の重量が減少し、質量を持った粒子からの【エネルギーの放射】が速度の4乗倍に比例して増減していて。宇宙が活動し、宇宙の質量が消滅し、宇宙が膨張し続けている≫という《普遍性の真実》が存在しているだけの事であり,

そこには当然、何の『意図』も『道理』も作用していないのであるから、人間が{高い〔付加価値〕を生み出す【重質量核反応】を起こす『ウラン』や『プルトニウム』を利用した}原発を稼動させる現行の『核エネルギー』の〔特殊〕な利用方法による『放射性廃棄物』の蓄積(チクセキ)や、『高濃度放射性物質』の放出・拡散のリスクを恐れるのであれば、



ただ単に≪一般物理学の運動エネルギーに於(オ)いて、『作用のエネルギー』と『反作用のエネルギー』が別々に【エネルギーの出現】を起こしていると、再定義されるべきなのだが、

それは、『E=mc²』に由来した{微量だが}相当の質量が、運動エネルギーの【エネルギーの出現】の度(タビ)に消失し、【質量の消失】が起こっていて、「【エネルギーの出現】によって宇宙が活動を起こし、【質量の消失】によって宇宙は消滅を起こしていて、【エネルギーの放射】によって宇宙の膨張(ボウチョウ)が維持されている」からであり、

『作用』と『反作用』をプラスさせた運動エネルギー量を総合計算すると

【『総運動エネルギー量』=『減少質量(粒子から質量が消失するパーセント〔率〕)』×(物体重量)×(光速)²=『消失重量』×(光速)²】

【『消失重量』=『総運動エネルギー量』÷(光速)²=(物体重量)×(速度)²÷(光速)²】となり、

そして【『減少質量〔率〕』×(物体重量)×(光速)²=〔(物体重量)×(速度)²÷(光速)²〕×(光速)²】

【『減少質量〔率〕』=《〔(物体重量)×(速度)²÷(光速)²〕×(光速)²》÷(物体重量)×(光速)²=(速度)²÷(光速)²】となり、

さらには、その物体の質量が{作用を及ぼした物質から}減少した事によって、『反作用のエネルギー量』の一部が反作用の標的を失ってしまい、物体の『個々の粒子』から{粒子が軽質量であれば電子レンジで利用される『マイクロ波』となり、粒子が重質量であれば原発で問題になっている放射線となって}放射される事になるのだが、その【エネルギーの放射】の量を総合計算すると

【『総放射エネルギー量』=(1/2)×『消失重量』×(速度)²=(1/2)×『(物体重量)×(速度)²÷(光速)²』×(速度)²=(1/2)×(物体重量)×『速度の4乗』÷(光速)²】で計算され、

同じく【『総放射エネルギー量』=『反作用のエネルギー量』×〔『消失重量』÷(物体重量)〕=〔(1/2)×(物体重量)×(速度)²〕×《〔(物体重量)×(速度)²÷(光速)²〕÷(物体重量)》=(1/2)×(物体重量)×『速度の4乗』÷(光速)²】とも計算されるので、

【エネルギーの出現】が(物体重量)倍と(速度の2乗)倍に比例する量で起こっているのに対して、【エネルギーの放射】は(物体重量)倍と(速度の4乗)倍に比例する量で起こっているという事が{見かけの【エネルギーの出現】と【質量の消失】の相対関係の普遍性が示唆(シサ)す〔宇宙の活動と消滅〕と、宇宙の全質量が無くなるまで続く【エネルギーの放射】が暗示(アンジ)する〔宇宙の膨張の限界〕として}導き出されるからなのですが、

そういった{宇宙の壮大な}仕組みの事を実験観測で{その一端(イッタン)だけでも}垣間見(カイマミ)るために、『オームの法則』の続きとして、想定される電気流速の2乗倍に比例して電気エネルギー量は増減し、4乗倍に比例して{電球の灯りに現れる}電気の明かりは増減する事が、学校の物理で教えられ、広く一般常識化される事によって、

原発を稼動させる現行の『核エネルギー』の〔特殊〕な利用方法の下で、

『ウラン』や、人工的に作られる『プルトニウム』が、個々の粒子の質量が重くそして大きくて、【エネルギーの出現】に伴(トモ)なう1個の粒子からの【質量の消失】が大きくなるので、個々の粒子からの【エネルギーの放射】のエネルギー量も非常に大きく波長も巨大なモノになってしまいやすく、さらには、中性子の衝突(ショウトツ)を無駄なく受け止めてしまう粒子構造であり、{中性子の少ない}自然界でも『半減期』が{ひかく的}短いという{制御し難い不安定な}特性を持った、{人間にとっては有害なだけの}【重質量核物質】と言うとても〔特殊〕な物質であり、

そういった【重質量核物質】を高濃度に濃縮して燃料とし、そこに人工の中性子を制御しながら放射して、効率的に巨大な【エネルギーの出現】を実現させる仕組みを作り上げてしまい、それを稼動させるために、原料となる『ウラン』や『プルトニウム』を{薬品を多用して}人工的に精製・濃縮し続ける必要に迫られ、必然的に{薬品まみれの}『放射性廃棄物』が大量に排出されてしまい、その結果、{再利用の難しい}『放射性廃棄物』がどんどん蓄積(チクセキ)され続けていて、

しかも、何らかの原因で事故が起こった原子炉で、人工的に濃縮された大量の『ウラン』や『プルトニウム』により臨界(リンカイ)が起これば、{タバコの火の不始末が原因でも、それで山火事が起これば、そう簡単には消火できなくて、大きな被害を出してしまうのと同じで}それを抑(オサ)えて人間の制御下に戻(モド)す手立(テダ)てが無く、爆発的に『高濃度放射性物質』が原発の外へと放出・拡散されてしまうというリスクを抱(カカ)えているのだが、

そういった原発を稼動させ続け、さらに新しく造り続けていく事の危(アヤ)うさを、リアルな形で誰もが{解決可能な『技術論』で誤魔化(ゴマカ)されずに、〔宇宙の活動と消滅と膨張〕に由来する『科学の問題』として}認識する事が出来て、利権の虜(トリコ)になってしまっている{お金と名誉に目の眩(クラ)んだ}科学技術者や{スポンサーに逆らえない}新聞・マスコミと一般市民が、対等な立場で議論を行える世の中にする≫という事をすればいいだけなのですが、



人間とは、物理現象に対してまで何らかの『意図』や『道理』を付加し、それを上手く利用してやろうという、{自分が得をしようとする}邪(ヨコシマ)な動機に左右された思考や知性の発揮をどうしてもしてしまう、{ハタ迷惑な}生き物なので、

《『E=mc²』の普遍性》に基づいた{宇宙消滅の}『科学の問題』を無視して、『核エネルギー』の研究開発を{人類が克服すべき}『技術論』にすり替えてしまって、反対運動で『反核』が叫ばれていても、「進歩を目指して努力を怠(オコタ)らなければ、放射線を減らし、放射能を除去するのに有効な手段を発見するに至る、飛躍的な進歩を成し遂(ト)げられるのだ」と、人間に都合に良い脚色(キャクショク)をしてしまうばかりで、ただ単に起こっている事を素直(スナオ)に認識するコトが出来なくて、

原発の抱える《『放射性廃棄物』の蓄積(チクセキ)》と《『高濃度放射性物質』の放出・拡散のリスク》の双子の問題(リスク)の解決は、人類が長い歴史の中で繰り返してきた技術の進歩の集大成であり、それが出来なければ今までの人類の進歩が全て無意味になってしまうと言いながら、

≪『E=mc』を〔特殊〕な計算式として{『核エネルギー』関連に於(オ)いてのみ用いられるモノとする制限を設(モウケ)けて}扱(アツカ)い、『量子力学諸説』の乱立を容認する事によって、原発の稼動を続ける事と、新技術を研究開発して原発を新しく造って行く事に伴(トモ)なう、《『放射性廃棄物』の蓄積(チクセキ)》と《『高濃度放射性物質』の放出・拡散のリスク》という放射能の問題(リスク)を、一気に払拭(フッショク)して、飛躍的な進歩を遂(ト)げようと目論(モクロ)む、的外れな画策(カクサク)をする≫ものだから、

『ヒッグス粒子』の発見の発表は盛大に行われているのに、肝心(カンジン)の原発が抱える放射能の問題(リスク)の具体的な解決策へとたどり着こうとする{一般市民が参加しての}科学的議論が、何時まで経(タ)っても{技術開発を気長に待つばかりで}始まらないのです。





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