ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

92.ちび猫が見付けた『生物群世界のつぶやき』の再現

2015-03-21 | 1000年“後ろ”の時代のお話し
第0092号


*****(制作終了)*****


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63.ちび猫が見付けた『生物世界』の自由議論(1)を参照して下さい。

135.ちび猫が見付けた『生物群世界のつぶやき』の再現(2)へ続く。







令和1年度版







*次のお知らせ。【10月13日・日】

これからは、当ブログ第0092号の【『ちび猫のつぶやき』の(主張)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。







・平成31年度版]







*お知らせ。【3月23日・土】

これからは、当ブログ第A0015号の【道路をゆっくり走るのに、・・・】~【道路をゆっくり走るのに、・・・(~~~)】をメイン用例としていくつもりなので、参照していただけたら幸いです。







*お詫び。【3月4日・月】

【ニーチェ】の『神は死んだ』の発言に於けるこれまでの{人類への賛歌としていた}解釈を反転させる自己修正をする事に致しました。修正内容については当ブログ第A0015号の【『神は死んだ』などと言われない為に】を参照していただけたら幸いです。







*“投資(比喩)”としての自己努力と『発展や進歩』の修正。【1月14日・月】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪人の営みの風化や腐敗や病気という“ツケ”を負わされて来た人々≫

1000年“後ろ”の時代までは。人の世の多くの不安定要因のうちの代表的なものとして{“投機(比喩)”に於ける{自分が『利ザヤ』を得る裏で『誰か』が必ず負担しないといけない}“ツケ”を『誰か』に負わせる事によって成り立つ}既得権益者たちの{複合的視点を持たないままでの}企画による《『発展や進歩』を{短絡的に}称賛(ショウサン)する{権威を発動させて、大金もかけた}大々的なセレモニー(ノーベル賞の受賞式など)》が行われていて、

既得権益者たちによる“投機(比喩)”に於ける{自分が“投機(比喩)”した分が既得権益者の『利ザヤ』として奪われる}“ツケ”を負わされる『誰か』になってしまう{一般庶民である}人々が、

「自分たちは《社会や経済の発展と科学技術の進歩》の中で生きていて、そこに居る事によって守られている訳なので、そういった『発展や進歩』に{発達機能を休止させ}自立を無くして{呼応するように}《『面倒な真理』よりも『実用性のあるウソ』の利用に賛同する『お利口さ』や、『発展や進歩』を自分が担っていないのに負い目もなく{ノーベル賞の授賞者などを}称賛してしまえる『甘え』の実践》をするというのは、自分たち庶民には{必要不可欠な事として}当たり前なコトなのである」

という{幻想により他力本願へと誘(イザナ)われる}『甘い誘惑』から抜け出せないまま、

『発展や進歩』の{既得権益者が手にする『利ザヤ』を負担する為のような、無駄な“投機(比喩)”をしてしまう}歪んだ利用(発達機能の休止)をいつまでも続け、

さらには{『発展や進歩』の歪んだ利用(発達機能の休止)による}犠牲者(【大全体】な世界に於いて、{細菌やウイルスなどの生き物を含む}多種多様な『他のモノ』たちを{発達機能を休止させた事によって協力関係が築けずに}敵にしてしまって、昔から人の営みが風化や腐敗や病気に脅(オビヤ)かされて来た)となるしかなく、

{結局は、いつも、いつも}雪だるま式に増えていく“ツケ”の担い手となってしまっていたのです。

そしてさらに{広範囲にわたって深刻な影響を及ぼす}大問題となっていたのが{ノーベル賞などのように}複合的視点を持たないまま『発展や進歩』が短絡的に表彰されてしまう事による{問題提起の為の《反面教師的な研究や発表》が真逆に勘違いされてしまう}捻じれ作用の弊害でありまして、

人々が{自分での努力や修正を試(ココロ)みず、個々による個別さも地力の向上も起こせないまま、ただ称賛だけをしていて}『発展や進歩』を傍観してしまうコトによって{手遅れとなって革命的変化を求めるに至る}末期的破綻に陥ってしまう{人の世の必然のような}事態に対し

「なかなか交換されない土台の上に『成功という名のモノ』をギリギリまで積み上げて破綻に至ってしまっては、ようやく{ギリギリであった為に、みんなで一斉に起こしてしまう}土台の交換がされてもまた『成功という名のモノ』をギリギリまで積み上げて破綻に至ってしまう、というコトを繰り返してしまう危うさ」

で表すコトで警鐘を鳴らしたハズだった『パラダイム変換』が{【トーマス・クーン】の『科学革命の構造:パラダイム論』から『反面教師』の面が削ぎ落されてしまって}『究極の進歩』の雛型(ヒナガタ)と勘違いされてしまい、

人の営みが{人類は【大全体】から拒絶される存在となっていて、人間は『他のモノ』たちとの生存競争に勝つ事でしか生き残れないという{“知的”な想像力としてスリ込まれた}構図の中で、人為的な行為が繰り返されて}必然的に破綻に至ってしまうという{何者によっても修正が{そう長くは}続けられずに、長い人の歴史に於いてどうしても繰り返されて来てしまった}事に対して

「人為的な実験をしてはそれが{必ずと言っていいほど}破綻に至ってしまったという発見を{沢山の例を使って}紹介するコト」

によって{人という存在やその行為には問題が付きまとうと“知的”な考え方をし、油断してはならないと“知的”に自戒するような}人為的な行為というモノが破綻を進行させているのだと警告をしたハズだった『悪の自然誌』が{【コンラート・ローレンツ】の『攻撃』から『反面教師』の面が削ぎ落されてしまって}ノーベル賞を取る研究(実験や発見)のお手本なのだと勘違いされてしまったのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。人々が『発展や進歩』に於いて{【大全体】に於ける『他のモノ』たちである『生きた水』作りを自分の生活に様々に取り入れるなどしながら}各個に努力し、

既得権益者の“投機(比喩)”に於ける“ツケ”の担い手としての“投機(比喩)”から足を洗って{【大全体】の構成員である自分に“投資(比喩)”をする事(自己努力と『発展や進歩』の修正)で、結果的に【大全体】の世界へも“投資(比喩)”をしていきながら}実力が高まり、

地力が付くとともに{ノーベル賞による幻想(甘い誘惑や弊害)が払拭(フッショク)され、『他のモノ』との協力関係の構築と継続が目指されて}『発展や進歩』の修正が{世代を越えて}繰り返されていって。


そして、1000年“前(先)”の今では。自分への“投資(比喩)”である自己努力と『発展や進歩』の修正によって《『E=mc²』の一般化:効率優先の特殊化を否定する:これが出来ないような人々だと『発展や進歩』から排除されてしまう:人々がこれをしているので人類は【大全体】の世界での中核を担える》や《配分経済:投資の優先的継続が行き渡った社会:これが出来ていない人々だと投機した分だけツケを負わされる:人々がこれをしているので人類は【大全体】の世界での中核を担える》や《幸せな想い:嫌なコトを否定してしまう想いの自由》や《口と水着の部分を守る:常識という色眼鏡を取り除く》や《時間認識に於ける前後の正常化:ブロック積みの世界観からの脱却》などが誰にでも出来ていて、

『生きた水』作りとともに『他のモノ』たちとの協力関係の構築に役立てられていて、

【大全体】の世界での中核を人類が担えているのです。







・平成31年度版







*破滅と進歩を繰り返さず、更新を負担して支援を得る。【10月28日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪人々が無意識で行う魔女裁判の危険性と、ハッカーの意義≫


1000年“後ろ”の時代までは。ハッカー(スパイ行為:科学技術の更新)により背負うコトになるリスクや負担の事を上げ連ねて批判し、対策と称してハッカー(スパイ行為:科学技術の更新)を排除してしまい、{チーム人類が}破綻と進歩の繰り返しに困窮する状況を{どんどん}深刻化させていて、{破綻の為に必要とされる}進歩の値打ちのつり上げに余念がなく。

『生きた水』を作り、『生きた水』を市民生活に普及させようとするのも、「ネット社会に於いて反有用的な『ウイルス』などを拡散させるハッカー(スパイ行為:科学技術の更新)と同じく、知らない間に危険なモノを取り込ませて、{チーム人類によって}目指されていた秩序や繁栄を危うくしてしまうものだ」と魔女裁判で決めつけられ、秘密にしておくしかなく。『iPS細胞』は{破綻と進歩の繰り返しに困窮している}チーム人類に{ノーベル賞を授与する程に}あざとく取り入って{破綻を承知で}進歩を繰り返したが、『STAP細胞』などは{そんな、進歩の値打ちのつり上げの邪魔になるモノには容赦の無い}あざとい連中の罠にハマって、強引な魔女裁判の過程で{むざむざと更新をリセットされて}排除させられてしまったのですが。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。人の精神を病ませ狂暴化させる倫理道徳の本末転倒に気付き、『幸せな想い』を{雛型の自由ではなく、個々が個々別に行うコトを大前提にして}自由に始め。

常識や正論の本末転倒に気付き、『虐待を防ぐ為の「口と水着の部分を守る話し」の精神性』から広がる《『他のモノ』に耳を傾けるコト》を始め。

小全体{会社や国などの組織やチーム人類}が背負うリスクや負担の増加を理由にして、個人に制限を課そうとする{利害関係が無く全体の事を考えてのコトだから間違っている訳がないと頑(カタク)なになった}有識者たちの言い分の{硬直した自己責任論や、独善に陥った組み体操の意識の}本末転倒に気付き、{自分たちやチーム人類とは違う}『他のモノ』への配分(個々が個々別に行い、小全体が負担を背負う)についても考え始め。

そしてこれらから、{小全体なチーム人類にとって反有用的だとされて来た}ハッカー(スパイ行為:科学技術の更新)への関心が高まり、{強引な魔女裁判で排除して来た更新(その場しのぎの繰り返し(パラダイム論:土台の交換)である進歩とは違う、大全体の構成員として更新する負担を背負うコトで『他のモノ』たちの更新による支援が得られる)の再評価などの}見直しも始まって。


そして、1000年“前(先)”の今では。{協力関係が削除された『進化論の図』により形成されたチーム人類の団体戦勝利への執着に由来し、ノーベル賞の受賞により『反面教師』としての意義を失った『パラダイム論:科学革命の構造』や『悪の自然誌:攻撃』などによって人の営みが縮小し人の世が歪んでしまったコトにより急加速を始めた}破綻の繰り返しに陥る{自分たちの小全体の事を優先事項として、自由の雛型まである倫理道徳を作り、指示命令を生み出す序列を形成し、人の精神までも破綻に陥らせてしまう}進歩とは違う{ハッカーが果たす役割である:大全体の概念に基づいた}更新についての研究と理解が広まり、{小全体が負担を背負い、自分たちが個々別に在って、『他にモノ』への配分を助けるというコトの}追求と認知も進んでいて。

人類は、【大全体】の構成員として『他のモノ』たちからの支援(『生きた水』の普及や、『STAP細胞』の復活など)を、{反有用性を炙り出す魔女裁判によって、更新を隠さざるを得なかったり、更新をリセットされてしまったりするような}邪魔をされずに受けられているのです。







*新たな取り組みとしての生物学世界と人間世界の関係。【6月9日・土】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『アリ的な砂糖のむさぼり』からがスタートの生物学世界と人間世界の関係≫


1000年“後ろ”の時代までは。『科学技術産業』という神への捧げ物としての人の営みの中で生物学世界が取り扱われる{危機的}事態にあって、{神の目を意識した不自然な趣向の}人間世界からの生物学世界への一方的な善意の発動が、{『バベルの塔作り』のごとき趣向の大義名分を自分の自然な欲求だとして疑わず、それを不自然ではないかと指摘されても断固として拒絶し、『市民運動』対『近代科学』や『尊厳死主義』対『延命処置主義』などの対立構造での不自然さがもたらす破綻の責任の押し付け合い{人の営みの破綻が当然となる構図}が修正されないまま、一元化された『指示命令系統』の下で特定の目的の為の情報収集だけがなされて}生物学世界からの抵抗(メッセージ)の{お調子者が有頂天になった時のような}はねつけを決定的なものにしてしまい。

物事の進歩に於いて{『ブロック積み』の土台にあたる}枠組(その変換)の“連綿性”と“共通性”が重要視される『パラダイム論』によって生物学世界が取り扱われる{危機的}事態にあって、{世界の更新を{目に見えないからと}無視した{世界をホルマリン漬けにしての}進歩によって世界を見失ってしまった}人間世界の生物学世界への無謀な管理意欲が、{時間認識に於ける前後の反転による人の未来認識の{世紀末思想的な}制約が修正されないまま、一元化された『指示命令系統』の下で特定の分析ばかりが盲目的に集中して行われて}生物学世界に対しての{妄想的な}誤解を決定的なものにしてしまい。

{『大全体』の構成員である}『アリ的お一人様』ではない人間によって{憂さ晴らしの{他人の砂糖を攻撃したい}衝動を、個々別な『幸せな想い:砂糖に満たされる』によってではなく、『倫理道徳の試練』のさらなる強化(砂糖の厳重管理)で抑え込もうとするコトによる、精神的不自然さの暴走が起こる中で}生物学世界が取り扱われる{危機的}事態にあって、{個々人が一律一様なままの}人間世界からの生物学世界への偽善的なアプローチが、{アリ的に砂糖をむさぼるコトが禁じられている事による人の攻撃衝動の{無自覚な}激化が修正されないまま、一元化された『指示命令系統』の下で特定の指示命令が{深層心理に導かれた}憂さ晴らしのように断行されて}生物学世界からのさらなる抵抗(反発)を{その粗暴さで}招いてしまったのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。一元化された『指示命令系統』の下での小全体としては{環境の}保護とか{ルールの}厳守とかの大義名分のある事が目指されていても、実際には{一人一人の}憂さ晴らしが優先される{集団的免疫精神(敵味方の判別)が慢性的に暴走し、必要のないモノや相手への攻撃衝動が人間性なのだと誤解され、その『ガス抜き』が伝統や規則となっていて、その保護や厳守をみんなが必死に叫んでいる}現実の、{代表的大義名分であり『指示命令系統』の正当性の根拠でもある『バベルの塔作り』を言い換えただけの沢山のもっともらしい話しを偽善だと暴(アバ)いていく}実態解明が始まり。


そして、1000年“先”の今では。生物学世界からの{腐敗(劣化)だとして嫌悪されていた}抵抗(メッセージや反発)に対して、その場その場で、随時、臨機応変に対処できるように、『アリ的お一人様』を個々人が{自分で{一元化された『指示命令系統』の下に納まっていればいい小全体の論理に捉われずに、『大全体』の更新の為の多様な構成員として}その場でしか得られない事を知り、{過去は未来の土台となるとして今の土台からの未来での積み上げを確定的なモノとして想定していく『ブロック積みの世界観』に捉われずに、多重構造のアスキーアートのピース(材料)として過去を掘り起こしてきて今の時代のアスキーアート的な可能性を拡大させる『アスキーアートの世界観』で未来を一新(イッシン)させていく}多次元な思考をし、{男性が女性に強く引き付けられてしまう時の「手を出したらダメなんだろ!ふん!!」という敵意(自己抑制の八つ当たり)を愛情によるものと勘違いして攻撃的なセクハラ(暴力的なモラハラ)を愛情表現だとして盲目的に行ってしまうのと同じ理屈で『倫理道徳の試練』の憂さ晴らしを正義感の行使だとして盲目的に行ってしまう『市民運動に於ける絶対の正義』や『科学技術(産業)に於ける進歩の認識』や『唯一神教に於ける聖戦』に捉われずに、『幸せな想い』によって『アリ的な砂糖のむさぼり』を満喫し盲目的な強い拘りから解放されて}それまでは思うコトも無かった新たな取り組みを増やしていって}実践しているのです。







・平成29年度版







*オカシイものがオカシイと責任追及されてきた時代~7~(下書き)。【9月4日・月】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪可笑しいモノを可笑しいと笑える時代へ=生物学(医療とお金)編=≫


1000年“後ろ”の時代までは。『権力者を支える科学者の側』の者達が、多様性によって更新する【“大”全体】の概念(無限の【多様性】から【更新】が生み出され続ける[動く世界]というモノを認識する “大”世界観)に準じる全体の観念(全体に特定の限りを設けない認識)を、人々が持ってしまう事を{権力や科学の正当性への疑念が生じると}恐怖し。「全体とは所属集団の事である」というような{全体の範疇を身近な周囲までで制限してしまった}観念を、{権力や権威による強迫によって}一般常識だとしてしまっていて。


さらには、誰もが「『パラダイム変換(縛りの交換)』は高度な進歩である」と言ってしまうようになる《反面教師の事が隠蔽されていて、破綻が繰り返される進歩の認識(未来認識)に疑問を抱かないように細工(サイク)された『パラダイム論』》や、

誰にでも「自然(環境)の破綻(悪:そこからの“その続き”の無い、『リセット』が必要な終端・終焉)は必然である」と思わせてしまう《人の【部分解禁】の暴走と連動して自然の暴走(破綻・悪)が起こってしまう、“一時的”な非常事態の事が隠蔽されていて、そんな破綻(悪)を“自然な世界”の必然(終端・終焉)だと信じて疑わないように細工された『悪の自然誌』》などを、

{ノーベル賞の権威などを利用して}高等な常識(疑う余地などないモノ)として{自然科学や社会科学などの広い分野で}認知させて。人々を、{疑念の余地を持たない}短略的思考に仕立て上げて来ていて。


そしてさらには、“自然な世界”の必然(終端・終焉)である破綻(悪)の[緩和]や[遅延]を目指す{『延命処置』のような}事が、{唯一の}全体の危うい利

(破綻(悪)に対処する一様な『延命処置』に、誰もが一律な協力をする事が厳守されるコトによる、秩序と平和と繁栄の{いつコケテも不思議でない『綱渡り』的な}持続)

であると、人々に{巧妙に}スリ込むコトにより、

{自然と人とが{二人三脚の更新で}連動する事で、破綻(終端・終焉)からの“その続き”が起こる、【“大”全体】の発動に不可欠なハズの}個人の利(世界に多様性を形成していく、縛られない事による各個の様々な成長)の追求というものが、全体の危うい利の妨げ(『延命処置』の停止による全体の終焉)となってしまうのだと{言葉による明言をしないまま}警告(強迫)し、

“自然な世界”の必然(終端・終焉)と定義された破綻(悪)が悪化する度(タビ)に、{『出る杭は打たれる』の方式で選ばれて}生贄(イケニエ)に仕立て上げた{ 本当は頑張って、“その続き”に気付き、発信・着手した}人間に、個の利を{通常では不利になる『後手に回る』という行為に見せ掛けて、『後出しジャンケン』をするという{ルールの盲点(落とし穴)を利用するだけで利を得る}卑怯な事をして}追求したという罪(みんながルールを守るコトによって維持させて来た『延命処置(危うい全体の、秩序と平和と繁栄の持続)』を停止させたという冤罪)を{恐怖を振りまいて}着せてしまい、

{自分だけが恵まれていないと思い込んでいる大多数の}人々を哀(アワ)れな罪人への避難に{恐怖に慄(オノノ)かせ、ヒステリックになるように追いやって}向けさせては、{『パラダイム変換』のごとく}人々による個の利

(一律に作られた『古典的な倫理』や『近代的な道徳』が要求する、一様な[常識]や[模範]や[試練]に左右されないで、個別な『幸せな想い』を確保する自由な意志)

の追求を{その都度(ツド)芽を摘んでは}出来にくくしてしまって、

見せかけの掛けの自由(義務を果たす範囲で認められたモノ)が定義された{『近代的』という冠を付けた}制度(一様な理想が強要されていて、正義をみんなで一律に追求する体制)を築き、みんなで守るという事が、{年々度を増して}繰り返されて来たのです。



そしてその為に、

「環境(自然の側)が{人間が勝手に陥った必然(終端・終焉)と定義された破綻(悪)からの“その続き”である}更新の再発動をする時に、{その関係の中で}人の行い(人間の側)もそれに合わせて{『単体更新機能の発動』と『多様性のベース拡大』の恣意的行いである【部分解禁】の度を越した暴走などを起こさずに}更新を“適度”に発動させて、

《環境(自然の側)と、人の行い(人間の側)との、二人三脚の更新》を

{『リセット』などはせずに、必然(終端・終焉)と定義された破綻(悪)からの“その続き”の再発動を実現し、間違いとされて来ていた個々の多様な結果(特定の事情(倫理や道徳)に左右されない自分だけの{幸せな}正解)をドンドン受け入れ、閉塞を受け入れてしまった未来認識

(必然的に破綻に至るという『ブロック積みの世界観』が認知されるコトによって、個の利を犠牲にしての延命処置に大義が付き、秩序と平和と繁栄が大多数の合意の下に持続されているという幻想)

から解放され、{[お金]の“有効性”に目を眩(クラ)ませてしまうコト(権力や企業に依存して、個人が《受動的》な取り組みに陥ってしまう事)のない}『お金の配分』の“有用”な発揮(個人による《能動的》な取り組みに支えられた{“アリ社会”的な}社会構成の形成)が最優先(基準)に考えられた経済性

(「経済活動に目的が無い為に{経済取引の}手段がドンドン厳格化され、そのままで{『お金』の“有用性”や、《個人の能動的な行為》を無視した}経済発展がされてしまうと、『お金の配分』という目的の実行が不可能になってしまう」という事に由来し、《余分となった『お金』の経済戦略家による争奪戦》の問題(《個人の能動的な行為》によって“有用”に『配分』されるという『生きたお金』が、その増減を争う『あぶく銭』として認識されてしまう事態)が考慮(反省)された、《『お金の配分』を個人の能動的な行為によって成り立たせるコト》を経済活動の最優先事項とした{権力や企業に依存しない}経済理念)

の追求をして}

実現していく」

というのが、物事の最善でありながら。


近代の衛生観念や医療技術に於いての、

「{延命処置の範疇での医療の、必然(終端・終焉)と定義された破綻(悪)からの『リセット』を繰り返しての、進歩(悪の一時的克服)からもたらされる}一様な[薬品]や[放射線医療]や[遺伝子治療]などの一律な利用が、常態化してしまうという、{『単体更新機能の発動』と『多様性のベース拡大』の恣意的行いである}【部分解禁】の度を越した暴走が、人の行い(人間の側)の多様な更新(『生きた水』たら様々な【耐性水】が作られて多様なコトに利用される事による人の営みの多重化)を{一様な更新(近代医療の世界中への浸透)に歪めてしまって}邪魔してしまい、

{それに引きずられる形で}必然(終端・終焉)と定義された破綻(悪)からの“その続き”が停止(『生きた水』たら【耐性水】への“その続き”を目前にしての、破綻(悪)のさらなる悪化に恐怖しての終端・終焉)してしまって、結果的に{“必然”であるかのように}環境(自然の側)の更新も破綻(悪)に至るコト(雑菌の増殖や耐性病原体の発生:悪の自然誌)が繰り返されてしまう」

とういう《環境(自然の側)と人の行い(人間の側)との二人三脚の更新》が拒まれ続けている真実(必然(終端・終焉)と定義された破綻(悪)に繰り返し陥る『悪の自然誌』の舞台裏)について、

{責任転嫁でしかない}勝手な親切心で「それは{《環境(自然の側)と人の行い(人間の側)との二人三脚の更新》など実行不能で}困難なコトだから」と言って、{“当然”のように}無視するコトを{それがベストな選択だと}人々に奨励してしまい。


されには、“有用”な『お金の配分』にその利益が使われるのを前提にして、医療技術(様々な薬品や治療方法)の[開発]・[販売]が{個人の能動的な行為に基づき、支えられて}されるハズであったのに、そこから『《個人の能動的な行為》にこそ『お金の配分』の意義がある』という事が完全に抜け落ちてしまって、

{《個人の能動的な行為》や『お金の配分』の事(『お金』の“有用性”)など微塵(ミジン)も考慮されない}知的財産権に関するルールに従って医療技術(様々な薬品や治療方法)の[乱開発]・[特許取得]・[高額販売]が{人の行い(人間の側)の更新を、度を越して暴走(一様化)させて}行われていたのです。



そして、『死の必然』という破綻(終焉)を未来に据(ス)えたコトにより、そこに至るまでの過程が、{【ブロック積みの世界観】によって}縛りが積み重ねられて行くように、閉塞状態が悪化していく様にしか見えないのだが、

それでも「{進歩による}病気との{終わりのない}対決を{人間の不老不死が不可能であるのを必然の前提としつつも}続けて、{それが『延命処置』でしかないと分かっていて}人は死ぬまで抵抗(延命治療)をするべきなのだ」と医者(科学者)が{オカシイと言われても決して無駄ではないのだと}断言した為に、

一般市民の多くまでもが、『延命処置』を肯定し、死への抵抗(延命処置)に{人間の必然(死)を認識しつつ}集中し過ぎて、人間の必然(死)との対決姿勢を取り続けてしまい、{余裕を失って}他の多くの事(破綻(終焉)からの“その続き”や、『能動的』な自分や、『幸せな想い』の自由など)から目を逸(ソ)らしてしまっていたのです。




そしてまた、『庶民を扇動する知識人の側』の者達が、環境(自然の側)が更新される時に人の行い(人間の側)がその必要に合わせて更新していく事を、無為で煩雑なだけだからと{面倒くさがって}隠蔽してしまい。


『泥んこ健康法』や『薬不用健康法』などを推奨して、人間自身の免疫力を高める事を{薬に頼った他力本願を止めるコトで得られる、自力の向上だとして}目指し。


{人間の不老不死が不可能であるのを必然の前提とし受け入れて}死期を遅らせる為の『延命処置』を{人が必然のままに在る権利を侵害するのはオカシイと責任追及して}否定して、『尊厳死』の選択というのは{必然との無駄な足掻き(延命処置)から解放されて、人らしく生きるという}尊貴な権利の行使であると言った為に。



迷える市民が増え続けて、人が生きている事(人の世の繁栄)を嫌悪するようになり、人の死期が早まるコト(文明の閉塞・破綻・終焉)を神聖視(不可侵なモノだと)しまい。


「人が{《環境(自然の側)と人の行い(人間の側)との二人三脚の更新》を上手に行って}必要とされる事で、人の長生きを助けてくれるようになる{恵みの}環境(更新する自然)」

に対して、{「人(自分)だけが人(自分)を制御してもいいのだ」という高揚感から逃れられないまま}目が暗んでしまっていたのです。





しかし、1000年“後ろ”の時代からは。環境(自然の側)が更新される時には、人の行い(人間の側)がその必要に合わせて{二人三脚で}更新していく事も大切だという事に、人々の目が向くようになり。人間(自身)の努力による、人間(人類)の助けとなる{恵みの}環境(人の営みと連動した破綻(終焉)から“その続き”が更新される自然)を再始動させる事への{『能動的』な}取り組みが、{一人々々が一様にならず、みんなが一律にならず、そして誰もが受動的になる事もなく}各個に始まって。


『ブロック積みの世界観』を盾にした《“その続き”の拒絶》に基づく{破綻(終焉)を必然とし、『リセット』を繰り返して、その向上・進歩(終焉の一時的克服)が図(ハカ)られる}『延命処置(近代科学の本質)』から抜け出せないままの、{高額で副作用ばかりであり、パンデミックの原因ともなる}可笑しな医療技術や衛生観念を、可笑しいと笑ったり。


{人間への}延命処置が許せないからと言って、{みんなの}尊厳死を正当化してしまうような、{可笑しな近代科学に、オカシイと言って責任追求し、早期破綻(終焉)の達成を絶対正義だと言って目指す}可笑しさを、可笑しいと笑ったりする事が出来るようになったのです。





そして、1000年“先”の今では。各研究所や各地域や各家庭に於いて、{破綻しても『リセット』せずに“その続き”に進む事による}様々な【耐性水】が作られ、{病原体の耐性化を無効化するような【耐性水】による}医療現場での《副作用の軽減》・《耐性病原体発生のリスク軽減》や、{雑菌の繁殖を無害化するような【耐性水】による}衛生環境の[向上]・[普及]に役立てられていて。




そして、

「『ルールの厳守』が普遍的正義だとスリ込む近代的道徳によって理性が硬化・萎縮してしまった人々が、

企業(営利団体)や権力(行政機関)に{頼らず}依存せずに、“有用”な『お金の配分』を《個人の能動的な行為》によって、

{『お金』が、《争奪するチップ》や《権力の象徴》として“有効使用”されるだけの『あぶく銭』としてではなく、個人が《能動性》を発揮して“有用”な行為をするのを円滑にしてくれる『生きたお金』として認識されて、各個人が{独裁者が経済のルールを無視するように}【ブロック積みの世界観】の縛りから解き放たれて}実施するという事を、

「『お金』の流れが{独裁体制などによって}部分的にしか起こらず、{既得権益による富の集中によって}経済から活性が失われて、経済に{必然ではあるが、避けられたハズの}破綻(終焉)を生じさせる、知識人が扇動する{日本では戦後の昭和の時代に全盛であった}『尊厳死信奉』と同じモノだ」とか、

「経済の悪あがきを{『延命処置』のように}続けて、人類に致命的な破綻(終焉)を招いてしまっている{日本では平成以降の時代に全盛になった}『延命処置信奉』と同じモノだ」とかと思い込み、

《個人の能動的な行為》の自由な面を、《独裁者の芽》として排除しようとしたり、《個人の能動的な行為》の“その続き”を目指した面を、《破綻(終焉)を悪化させる悪あがき》として敵視したりして、

『経済ルール』に縛られた個人は、企業(営利団体)や権力(行政機関)に依存するしかなくなり、“有用性”を拒絶した個人は、虚無の想いにとり憑かれてしまうものだから。


{『前向きな時間認識の未来観』に基づいて発想されるモノであり、“その続き”という未来の可能性を広げていくモノなのだが、『経済ルール』では厳禁とされている、[インサイダー]や[後出しジャンケン]などのような《能動的な行為》によって、{『お金』の争奪戦に於ける犯罪行為ではない、自分による自分への[資金]や[労力]や[情報]の提供により}可能となる}利益の“有用利用”としての『お金の配分』を{各個の独自性の発揮によって}多様なモノにしていくコトから始まる、《個人の能動的な行為》による“有用”な『生きたお金』での“その続き”への多様な取り組みを、大多数の人々が{争点にならずに}拒絶してしまうような、

その増減が目的のマネーゲーム(争奪戦)に於ける単なるチップでしかない、『あぶく銭』という《お金の“有効性”の認識》だけが、{誰彼によらず}普遍的な『お金』の概念として抱かれてしまって。



{体裁を整える必要のある一部の[老舗企業]や[天下り会社]などを除く大多数の[成長企業]や[新興企業]や[中小企業]や[下請け会社]に於ける}会社経営などに於いて、

『生きたお金』という認識を踏(フマ)まえての「『お金の配分』の為の持続的な利益の保留から始まる{社会に“有用”な事を提供する為として企業が恒久的に利益を上げてから、[社員への給与・賞与・福利厚生]や[役員への役員報酬・役員賞与]や[株主への配当・株主優遇]などを手厚く行い、それによって彼ら(社員・役員・株主)が善良な市民活動に勤(イソ)しむ事を支援する}企業経営」というモノを{本来は自主的な}理念としてしまうコト(強制)が、{『経済ルール』に於ける《自由競争を阻害する違反行為》に当たる}危険なモノ([弱い者イジメ]や[潰し行為]にあたり、経済を破綻させてしまう[独裁体制]や[共産主義]と同じ)だとされて、

{そんな屁理屈な言い訳を言い張って}『お金の配分』の為の利益の保留(単なる“有効活用”ではなく、後向きで至ってしまった破綻から前向きで進む“その続き”を始める為の“有用活用”を、個人がするコトへの支援)からようやく始められるチャンスが、{経営者が利益を貪(ムサボ)り続ける中で}捨て置かれてしまい。


{反面教師である事が隠蔽された『パラダイム変換』の呪縛に取り憑かれていて、{縛りを繰り返しかけているだけなのに}絶えず進歩を続けているのだという自覚しか持てなくなってしまっている上に、{縛りの連鎖を進歩の連続だと錯覚していて、《人間による破綻》を《自然による必然の終焉》だとし、“その続き”を考えないのだが、“リセット”までも拒絶してしまって}『尊厳死』を尊ぶ思想(虚無を信奉する想い)からも抜け出せないでいる革命家(共産主義者)や、制度(その状況)を無視して、トップダウンでのスピーディーさで国や企業を成長させているのだという自認しか持てなくなってしまっている{足元を見ないまま『手のひらの上』で踊らされているものだから、制度が俗物たちの食物にされているのに気付けない}既得権益者(裸の王様)の}

知識人たちに於いては、

マネーゲーム(争奪戦)の本質である

{『お金』の流れの本流(1本化)を経済の破綻状態(終焉)だとし、経済の活性化を名目に硬直(1本化)されていく既得権益を何度でも破壊(リセット)して、破綻(1本化・硬直・終焉)に至る事が何度でも繰り返されようとも、利権の分散と簒奪(サンダツ)を繰り返す}

『延命処置』への{自己保身でしかない}嫌悪感から、『お金の流れ』の分散(自由市場経済)が危険なモノ

(尊い人間の権利でもある

『経済の尊厳死:優秀な者がトップに立って政策の断行が可能となり、{過保護な}制度による《生殺し状態》から人々(閉塞を繰り返していた人間)が開放され、《ダメな人間だと駄目出しがされる》という{本来の}危機に直面して、人間が《生きている実感》を抱けるようになれた状況』

の普及を阻むものであり、必然の破綻(終焉)からの悪あがきによって破綻の規模を大きくしてしまうモノ)

だとされて、

{そんな独善者の言い訳を言い張って}『お金の配分』の為の利益の保留(『お金』の“有用活用”という《個人の能動的な行為》を支援する為の準備)から始まる“その続き”への取り組みそのものが、{たちの悪い『延命処置』だというレッテルが貼られて}特に嫌悪され。


{子供の頃には大人になったら何でも出来ると思えていながら、{実際に}大人になるにしたがって自分で決める権限を{常識の強迫観念による試練によって平常心が保てなくなり、周囲との見せかけの同化にさえアップ・アップして}放棄してしまい、{経済を『お金』というチップを集めるゲーム(ギャンブル)だと思い込み、『お金』の“有効活用”(“その続き”などの{広い視野から生じる}“有用”な意図を持たずに、《受動的》な行いで成果を求める{【ブロック積み】で先細りしていく}コト)としての《ゲーム(ギャンブル)に勝って『大金』を手にする事》が大事だと信じて}『お金』を《能動的》に使うコト(広い視野を基にし、“その続き”を踏まえた、多様な“有用活用”)を一律に『無駄遣い』として{無自覚なまま}抑制してしまって、社会人を{馬車馬(バシャウマ)のように頑張って}無為に続けてしまう}

個人に於いても、

そんな{閉塞した未来観の中での}ゴリ押しの人生に疲れ果ててしまい、{ただただ恭順(キョウジュン)して}マネーゲームに興じ続けるか、{一転して}そんな競争社会への批判をするかの二者択一が{短略的に}行われ、{双方}二つに分かれて{狭い視野で、深く考えるコトも無い}雄弁なだけの自己主張を{双方で}し合い、

双方ともで{そんな横着者の言い訳が言い張られて}『お金』の“有効活用”としての《個人の能動的な行為》が、{大人となり、年齢が上がるにしたがって、よりドンドンと}自制されてしまうのです。」



という1000年“後ろ”の時代から問題提起されていた経済の諸問題が、{『お金』が《受動的》に“有効活用”させるだけの『あぶく銭』から、『お金』が《能動的》に“有用活用”される『生きたお金』への、自発的な『お金』の認識変更の浸透によって}世界中で解決した事により。



高額な高度治療や新薬による利益が、『貧困の救済』や『難民の救済』や『人権侵害対策』や『環境破壊対策』などに『配分』されるのを前提に{特定の企業などへの委託(イタク)もされずに}集められ、

『お金の配分』が{特定の権力者たちによる指揮もないまま}行われていて、

世界中に{個人が『お金』の《能動的》な“有用活用”を発揮させて}活動の輪がっているのです。







*未来を憂いて今が縛られ、人の営みの自然な更新だけが止ってしまう(概要)。【6月4日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪自然な【多様性による更新】との共調進歩を目指して≫

1、【部分解禁】の域を出ない{絶大な効力を持った}『生きた水』に対しての、【“大”全体】に参加する【アロエ耐性水】のように{やり直しや繰り返しの難しい【多様性による更新】を起こす}【多様性のベース拡大】が発動している状況の{壊れやすく再生の難しい『生きた水の水槽』の中の、高い【多様性での更新機能】が発動している環境を指している}モノ(状態)というのは、「〔この世界〕の創造は完成していて、{外部(特殊世界)からの影響によるモノと解釈しての}【単一なモノ達の更新機能】の発動(部分解禁)であっても問題が先送りされていて{取り返しが付かなくなるかもしれないほど}危険でありますから、〔この世界〕を更新させてしまう【多様性での更新機能】の{『【“大”全体】の概念』を利用しての}発動というのは絶対に厳禁(永遠に隠蔽しておくべき)である」という理念から形成されている人の営みから見ると、絶対的な悪であり、悪魔の囁(ササヤ)きに惑わされた人間の末路(〔この世界〕の崩壊の始まり)でありまして、そこに議論の余地は全く無いのです。

1000年“後ろ”の時代までは。上記1の事が、{〔この世界〕の安定(人の世の繁栄)を維持する為の}絶対の真理とされ、色々な分野での縛りが{自然な【多様性による更新】に逆うように}形成されていて。生物学分野でも、{単一種ごとの生存競争での結果が一本の木のように記述された『平面的な進化の図』が普及し}『多様性によるグループ』が様々な関係性を持って重ねられた『立体的な進化の図』が、{生物学の研究を}回復不能な危機(〔生物世界〕の再生不能な崩壊)に至らしめる悪魔的なモノとして隠蔽され。既に存在していた(容易に再生産が続けられる)『生きた水』の利用方法の応用(部分解禁)だけが、長年に渡り様々な形で実用化(昔からお酒や納豆などが作られ、近代になって抗生物質やワクチンなどの開発が行われている)がされて来ていて。本当は簡単で安全で効果が多様な【アロエ耐性水】などの殆(ホトン)どが、「利用中の『生きた水』が何時までも作り出され続ける大切な環境(生きた水の水槽)が、人間の欲望によって簡単に崩壊してしまう」という{自然な【多様性による更新】を人間の傲慢によるモノと妄想(反省転嫁)するコトによる}危機感から、{人間の周囲の〔この世界〕だけを、自然な【多様性による更新】から強引に除外させようとして}破壊され続けていたのです。

2、【アロエ耐性水】の作り方は、{水槽にエアーポンプを設置しただけの基本的な}既存の『生きた水の水槽』に『アロエ』や『お茶』や『青汁』を少量入れて、{濁りが無くなってほぼ透き通り、下水の匂いが甘い香りに変わるまで}数日~数週間放置するだけですし。その効用は、{スプレーしたり塗ったりするコトによる}傷口の消毒と早期治癒や水虫の治療などや、{普段から飲用するコトによる}『アトピー』や『花粉症』や『リウマチ』や『乾癬』や『膠原病』の症状の軽減(緩和)などに及びまして、多彩であります。

1000年“後ろ”の時代からは。上記2のコトの一般化が始まり、『生きた水の水槽』を【アロエ耐性水】などが作り出せるように【多様性による更新】を利用していくコトへの危機感(自然に抗(アラガ)わない『人間』や『人の営み』への反省転嫁)が無くなって、様々な分野での縛りが取り除かれてきたのです。

3、{反省転嫁による自己反省の無い危機感から生じてしまう}自然な【多様性による更新】に逆らって人の営みを守り続けようとする正義感の妄想から解き放たれた各分野では、{〔この世界〕の【更新】を否定する}『完全理論的思考の世界観』と{外部(特殊世界)からの干渉による〔この世界〕の【単一なモノ達の更新】だけを肯定する}『特殊理論的思考の世界観』との争いの中で{論外なモノとされて}埋もれていた{〔この世界〕の【多様性による更新】を自然なものとして肯定する}『一般理論的思考の世界観』が掘り起こされ、『パラダイム論』の縛りを断ち切る『パラダイム変換の反面教師』が認識され、非自然な事が人の世での自然な事なのだとスリ込ませる『悪の自然誌』の社会的呪縛から解き放たれ、人の精神を握り潰してしまう『古典的倫理』やお金の分配を盲目的に否定してしまう『近代的道徳』から解放されて、{出来る事がドンドン狭まっていく『ブロック積みの世界観』とは違って}出来る事が何時までも自由な『ロール紙の世界観』や{未来が人の行いに次々と縛られて行く『時間に於ける前後認識の空間との反転』とは違う}未来が人の行いに何時までも左右される事のない『時間に於ける前後認識の空間との一致』による人々の閉塞感から脱出が進むのです。

1000年“先”の今では。上記3の事が既に普及していて、「世紀末思想のように、未来を憂いて今を縛り、本当に〔この世界〕を崩壊させてしまう」という幻想も終わって久しく、自然な【多様性による更新】との共調進歩が目指されているのです。







*『無神性非人間主義』を受け入れない『WHO』(概要)。【2月6日・月】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『神性人間主義』がたどり着いた不健康時代≫


1000年“後ろ”の時代までは、

≪《『無神性非人間主義』の世界観》に於いて、人間は{『神』の創造によるモノではなく}何の特別性も持たないモノなのですが、結局は{『ノーベル賞』などで派手な演出がされて}《『神性人間主義』の世界観》が万延してしまい、人間がする{破綻を繰り返しながらの}進歩というのが、とても{身勝手で}不条理なモノとなってしまったのです。

『鳥インフルエンザ』の問題では、鳥が新しい病原体の情報を{自身の}DNAに刻めばいいので、{『鳥インフルエンザ』が発生した時にその周囲で}生き残った鳥が貴重であるのに。人間は、『鳥インフルエンザ』が発見されるとその周囲の鳥を全て殺処分してしまい、{新しく『鳥インフルエンザ』が発生する度(タビ)に}新しい『鳥インフルエンザ』に有効な薬や治療方法が確立されるのを{殺処分を何度でも繰り返して}待ち、{人間が手を加えて作り出した}病気に強い『新種の鳥』が開発される度にそれを飼育するのです。

人間に於いての{健康保険が破綻する程(ホド)に}医療費が年々増加していく問題では、人間が自身で病気に対しての抵抗力を向上させられる事を考慮し、人体が[薬]に依存してしまわないように配慮して、それなりに健康な人はやたらに[薬]を飲まなければいいのに。病院では、『重体の人』から『仮病の人』まで同じ扱いで、必ず数日分の[薬]が処方され、「[薬]は{勝手に判断せず}必ず全て飲みきって下さい」と一律に指導されるのです。≫

という状況であったのですが。


1000年“先”となった今では、『多様性のベース拡大』が進んで『多様性のステップアップ』へと至り、{人間が各個に様々な免疫を持つコトによって}人類と生物世界とが【“大”全体】で高い抵抗力を持った存在となっていて。そういった不条理な状況も、不思議な時代の『御伽噺』となっているのです。







・平成28年度版







*進歩の行き詰まりが問題なのではないのです(概要)。【12月16日・金】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪破綻と進歩の繰り返しが問題の始まりなのです≫

「証券市場に於いて、プールされる『お金』の{良い事件の発生で庶民が株を買う}拡大と{悪い事件の発生で庶民が株を売る}縮小を繰り返しながら、{株価の上昇で株を売り、株価の下落で株を買う}胴元の経済エリート(権力者)へと『お金』が流出し続ける」のと同じ目的で、{悪い事件の発生である}悪い病気(薬品耐性病原体)が流行する度に薬の効果が下がり、{良い事件の発生である}良い薬が開発(部分解禁)される度に高い値段で売れて、再分配されるハズであった『お金』が一方的に胴元の経済エリート(権力者)へと流出し続けていて、{『多様性のベース拡大』が無く『多様性のステップアップ』も起こらずに}個(庶民)の活動が【“大”全体】の形成に至るコトがないまま【部分解禁】として{行き詰まり}閉塞状態に陥るまで切り崩され続けていたのです。

そういった事が様々な分野でも起こり、さらには「世界の破綻」を連呼する『ゲーム(ゲームソフト)』が新機能を加えられながらドンドン売れ続けていたのですが、結局は≪人間は、《意図された破綻》に怯(オビ)え、《恣意的な進歩》に嬉々とする事の{仕組まれた}繰り返しの中で、その可能性(更新機能)が発揮される度に{個の能力(更新機能)が個別に【部分解禁】されるだけで【“大”全体】の形成に至らなければ、どんな新開発も必ず破綻を迎えてしまうように}破綻を迎えて、右往左往させられていた≫という事であったのです。


『生きた水』による『多様性のベース拡大』が『活性はちみつ』や【アロエ耐性水】へと続き、そこから『多様性のステップアップ』が始まって『パラダイム変換の反面教師』や『幸せの想い(想い合い)』を経て《庶民への『お金』の再分配》へと至る事が当たり前となっている1000年後の今では、{様々な分野に至っていた}胴元の経済エリート(権力者)へと『お金』が流出し続ける仕組みは公開され、閉塞感が文明病と騒がれるほどに人々(庶民)を怯えさせていた{【“大”全体】の概念が隠蔽されていた事に始まる}《意図された破綻》や、ノーベル賞が贈られたりして人々(庶民)を嬉々とさせていた{【部分解禁】である個の能力(更新機能)の暴走(乱開発)に依存した}《恣意的な進歩》は露呈していて、『活性はちみつ』による「アルコールやタバコなどの依存症」の解消が解禁され、【アロエ耐性水】による「花粉症やアトピーやリウマチや乾癬などのアレルギー症」の解消が解禁されているのですが。1000年前の人々は、そういった{誰の足元にも埋まっていた}恩恵が受けられず、{再分配されるハズの『お金』が胴元の経済エリート(権力者)へと流出し続けていて}さぞ苦労し苦悩したことでしょう。







*不完全な『進化論』の後遺症(概要)。【10月11日・火】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『進化論』を不完全にしたままの末路≫

『進化論』の成立・発表に於いて、【“大”全体】の概念を盛り込む絶好の機会であったにも拘わらず、人類はそれを拒絶してしまった為に。その後の、『E=mc²』や『パラダイム論』などの主要な論理の成立・発表に於いても、【“大”全体】の概念を{あらためて}盛り込む決断が回避されてしまい。【更新する無限に多様な“大”全体】を切り崩すだけの【部分解禁】に付き物の、《破綻と進歩の繰り返し》のスパイラルに陥ってしまった人類は、その後しばらくは、その後遺症に悩まされる事になったのです。







*『リウマチ』や『乾癬』や『膠原病』について。【9月4日・日】

これは 1000年前としてのお話しです。


≪飲む『活性はちみつ』や『アロエ耐性水』の意義≫

【“大”全体】に於ける【多様性】が歪みの無いような【無限大】に近づく為には、《多様性のベース》がそれなりに“拡大”している事が必要でありまして。

例えば、{微生物やウイルスなどに由来する感染症とは違う}物質(異物)によるアレルギー症の一種である『リウマチ』や『乾癬』や『膠原病』などは、{生活や環境や遺伝に於いて各個人が千差万別である為に}多かれ少なかれ個人差があって、{アレルギー物質である}同じ『異物』の摂取によって症状がまったく異なったり、{避けようのない}微量の『異物』の摂取でも発症してしまう人がいたりするのに、アレルギー症の症状ごとの{発症の原因となる}異物の種類の特定や、異物ごとの{安全な}摂取量のガイドラインの作成が{平均値化や多数派に目を奪われて}行われていたものですから、難病と長年言われていたのですが。【更新する無限に多様な“大”全体】の真理と『一般理論的思考の世界観』の真実に基づく「それ自体が歪みを形成する『異物』と決めつけられ、悪者として排除の対象とされていたモノの、【多様性】に加わって【無限大】に近付く事の必要性」から生み出された『《多様性のベース》の“拡大”』という概念の登場によって、『はちみつ』や『アロエ』が{昔から薬効が認められていたが}再注目され、『生きた水』と合わせた『活性はちみつ』や『アロエ耐性水』による『《多様性のベース》の“拡大”』の効果というものが認識され始めて。『リウマチ』や『乾癬』や『膠原病』なども、『《多様性のベース》の“拡大”』の為の{『活性はちみつ』や『アロエ耐性水』から派生した}より“包括的”な【薬品耐性水】の研究が、{個人別の}『異物』の研究と並行して行われたコトによって、難病と言われなくなったのです。







*『活性はちみつ』の黎明期。【6月23日・木】

これは 1000年前としてのお話しです。


『進化論』に於いての【“大”全体】の真理が{いまだに}隠蔽されていて、《一本の木》からなる『進化の図』によって《個別の種》ごとの《生存競争による進化》というものに関心が集まり、【薬品耐性水】としての様々な機能が凝縮されている『活性はちみつ』の活用は部分的なものに限られ、安価な{熱処理による濃縮還元がされた}『劣化はちみつ』が大量に流通した為に世界中に於いて《ハチミツ=劣化はちみつ》という認識が常識化していて、【薬品耐性水】の【部分解禁】である『アルコール』の代用が全盛期を迎えていましたが。

特に《疲れが取れた気になってしまう効果》の飲用と《汚れを分解し微生物を殺菌消毒してしまう効果》の洗浄用での乱用が著しく、『アルコール飲料(お酒)』を中心とした大きなマーケットが形成された中で《アルコール依存症の文化・論理》が大衆文化・倫理観(正義感)として持て囃(ハヤ)され、『アルコール』を含む薬剤が過剰な洗浄や必要以上の殺菌消毒で多用された事によって《薬剤耐性病原体の発生・パンデミック》の危機が恒常化してしまい。

人類は地球の癌(ガン)だと言い出す(考えてしまう)事が当たり前となり、人間(人の営み)への正義の制裁(治療)としての反体制運動(テロ)が常識(美徳)とされる文学(宗教)が世に溢れてしまって。

《人間の分断》や《個人の非多様性化》が強要され、試行錯誤による効率の追求(正義の証明)の為の『捨て駒』にされているというのに、誰も不思議に思えなくて、人間(人の営み)が{終わる事の無い}破綻へと{ただひたすら}向かい続けていたのです。


『活性はちみつ』が隠蔽された『アルコール』に依存した生活(人の営み)と同じように、『幸せの想い・幸せの想い合い』が隠蔽された『試練の想い・試練の想い合い』が常態化した生活(『淀み(=澱み』の中の日常)などでも、同じような事態になっていたのですが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。







* “本流”と“人工流”と“漏流”。【2月21日・日】


【更新する無限に多様な“大全体”】によって、〔この世界〕の断続的異変に対して【ストレスに対しての『“様々”な反発作用』による連続更新】が、『流れ』のように起こっているのが、“本流(異変対応)”であり。『唯一神教』の下で、『リセットの原則』を土台に積み上げられた近代科学(学問化)が基となって構築された、〔近代世界〕という{流れが堰き止められたフィールドの}『淀み』に於いて、人為的に【部分解禁】してきて起こしている《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》が、“人工流(恣意的有用性)”であり。〔近代世界〕という『流れ』の止められた『淀み』に於いて、副作用的に形成される{【更新する無限に多様な“大全体”】が破綻した}『澱み』から生じて、“人工流(恣意的有用性)”の妨げとなってしまう{もう一つの}《ストレスに対しての『“個”の反発作用』の単独暴走》が、“漏流(ロウリュウ)(部分暴走)”という{不測の}『流れ』であります。

そして、“本流(異変対応)”とは違う『流れ』の止まった『淀み』が{『唯一神教』の教義を基に}作り出され、{『唯一神教』の〔信仰世界〕である}『淀み』に於いて“人工流(恣意的有用性)”を駆使して見せ、『唯一神教』の有用性が{『唯一神教』の布教活動に於いて}アピールされてきて、『唯一神教』が〔近代世界〕を{現代まで}牽引(ケンイン)してきたのですが。“人工流(恣意的有用性)”の妨げとなる“漏流(部分暴走)”の増加に際して、有効な対策が打ち出せないまま、責任の押し付け合いや、足の引っ張り合いに終始してしまうのも、『唯一神教』でありまして。それによって、現代人を悩ませ、危機に陥れている、国際社会の諸問題が発生しているのであります。

したがって、現代人の認識方法(手段)では察知できないというだけで、今の〔近代世界〕に於いても、『生きた水』から【薬品耐性水】が作られる【更新する無限に多様な“大全体”】による“本流(異変対応)”は、誰の足元にも埋もれていて。誰であっても、“人工流(恣意的有用性)”の妨げとなる“漏流(部分暴走)”を無効化できる可能性を、等しく持ち合わせていますから。〔この世界〕である限りは、意識を変えるだけで人間は誰でも、『生きた水』から【薬品耐性水】を作り出して、“漏流(部分暴走)”を無効化する事が出来ますし。より多くの人間の意識が変わるだけで、{時間が止まったままの}『淀み』を利用した“人工流(恣意的有用性)”への依存が無くなって、{時間が動き始めた}“本流(異変対応)”が用いられた〔未来世界〕が訪れるハズなのです。


しかし現実の人間は、【更新する無限に多様な“大全体”】による“本流(異変対応)”の“大”きくて【多様】で【更新】を続ける『流れ』が、{理解できない為に}とても苦手で、『唯一神教』による近代科学(学問化)という『淀み』で【部分解禁】を利用する“人工流(恣意的有用性)”に{無我夢中になって}依存していて。“人工流(恣意的有用性)”の妨げとなる{『淀み』に形成される}『澱み』から生じる“漏流(部分暴走)”に、どれほど苦しんでいようとも、反省するコトなど到底できないのであります。

取り敢えずは、【部分解禁】と『生きた水』と【薬品耐性水】と、『流れ』と『淀み』と『澱み』と、“本流(異変対応)”と“人工流(恣意的有用性)”と“漏流(部分暴走)”について各個人が思索し。{出来たら良いのですが}【更新する無限に多様な“大全体”】に基づいた{変動する世界の}『一般理論的思考(世界観)』と、『唯一神教』による近代科学(学問化)に於ける{停止した世界の}『完全理論的思考(世界観)』と、『何でも収納ポケット』を上手に活かす様な{重複した世界の}『特殊理論的思考(世界観)』について、{自己反省をしつつ、犯人探しにもならずに}自由に議論するコトが出来れば。人間の未来は、1000年先まで安泰(アンタイ)と言えるでしょう。







・平成27年度版







*気長に待っていればいいのです。【11月3日・火】


今日のTVニュースで、『STAP細胞』の【小保方 晴子】さんが、早稲田大学から博士号を剥奪されたと報じられていましたが。これで、数年後にはアメリカによって『STAP細胞』の利権が独占されてしまう筋書きが、順調に整っている証拠と言えるでしょう。

しかし、そもそも『STAP細胞』に利権があるとしたら、それは【更新する無限に多様な“大”全体】の真理に気付いていないばかりに、その【部分解禁】に価値を感じてしまっているだけの事でしかなく。大切な【薬品耐性水】の事(道理)を知らない、バカ騒ぎでありまして。{知ったかぶって}利権のコトを心配するのは、マヌケな話しでありますから。何も気にせず、【薬品耐性水】の事(道理)が広まるのを、気長に待っていればいいのです。


また、『大阪維新の会』の【橋下 徹】による、危機とチャンスを織り交ぜて日本人を【特殊理論的思考(世界観)】による暴走へと駆り立て、日本を《【完結理論的思考(世界観)】の欧米やイスラム世界》への最大抵抗勢力として押し上げて、破滅の悪魔に【日本国(日本人)】を己の名声と引き換えに売り渡すような行為や。『反核運動』や『護憲運動』の知識人が惹き起こす、{前進と同時に退路が断たれる恐怖感にさいなまれる《『パンドラの箱』シンドローム》の}思考の強張(コワバ)りによる、【一般理論的思考(世界観)】への拒絶反応と敵対行動も。所詮(ショセン)は、【更新する無限に多様な“大”全体】が基となっている【一般理論的思考(世界観)】の事(道理)に気付かない、人間の停滞でしかありませんから。何も気にせず、【更新する無限に多様な“大”全体】が基となっている【一般理論的思考(世界観)】の事(道理)が広まるのを、気長に待っていればいいのです。

あせって急げば、理想の実現は棚に上げて、革命を連呼し、独裁的な政権による恐怖政治の正当性の主張に明け暮れる、『共産主義国家』の二の舞いになってしまうだけですからね。





*見守る存在。【9月25日・金】


その存在とは、【更新する無限に多様な“大”全体】という真理でありまして。

大多数の人間である一般庶民には、【更新する無限に多様な“大”全体】の存在は知られていないのですが。一握りの権力者や科学者たちが、【更新する無限に多様な“大”全体】から《価値となるモノ》や《有益なモノ》を【部分解禁】してきて、自分達の地位や権威を【特定の“小”全体】として構築し、既得権益を独占する『利得者』としての立場を得て、《一本の木で『進化論』を表現した進化の図による人間の【特定の“小”全体】への束縛》や《反面教師であるハズの『パラダイム論』でパラダイム変換を理想の進歩とした事による【特定の“小”全体】の活性》や《税金として『お金』が【特定の“小”全体】である権力へと逆流する事による終焉した経済の永続》を守っていて。次の『利得者』の座を窺(ウカガ)う『知識人』は、{自分たちの}単純な反体制志向を隠し、【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分解禁】は否定せずに、ただ「権力者や科学者たちの【部分解禁】は、人間の傲慢である」などと吹聴して、一般庶民を可笑しな市民運動へと扇動する事によって、《権力とお金に執着した{帝国主義の隠れ蓑としての}共産主義》や《一般理論である物理法則を特殊理論として使用制限すべきだと主張する{人類への背任行為である}反核運動》や《日本人の手に無い日本国の憲法が日本人の手に取り戻されるのを阻(ハバ)む{反日主義の}護憲運動》などを盛り上げているので。

一般庶民は何も知らないまま、【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分解禁】をめぐるドロ沼の{不毛な}争いに巻き込まれて、【更新する無限に多様な“大”全体】から〔人間世界〕を隔絶(カクゼツ)する《人間にとっての墓穴掘り》を{『利得者』か『知識人』かのどちらの側に付いたとしても}させられてしまいまして。結局人の営みとは、【更新する無限に多様な“大”全体】から【特定の“小”全体】が切り崩されて営まれる、細々としたモノになってしまうのですが。

しかし、真理である【更新する無限に多様な“大”全体】という存在は、何時までも人間の足元に存在していて、人間が拒んでも見守ってくれているのです。


科学技術が駆使されている場所の一つである医療施設では、【更新する無限に多様な“大”全体】から【部分解禁】してきた【特定の“小”全体】である『近代医学』の有効性を{病人の命を背負って}維持する為に、『殺菌・消毒』が{重体の患者を前にして}止むに止まれず強化され続けていて。医療施設内部に於いて、【更新する無限に多様な“大”全体】が歪んで消滅しかかってしまい、人間が【部分解禁】してきたモノとは違う【部分】が【更新する無限に多様な“大”全体】から切り離されて残ってしまいまして。それが単独で、【更新する無限に多様な“大”全体】の内に在った時の【更新機能】を{本来は【無限の多様性】を支える為の一つの機能で在ったものが【更新する無限に多様な“大”全体】から分離したままで}発動してしまう為に、ドンドン“変異”を繰り返して、ついには殺人病原体の発生に至っているのですが。

それでも【更新する無限に多様な“大”全体】は、〔生物世界〕との関係を悪化させた〔人間世界〕を見捨てず、人間の行く末にも心配をしてくれていまして。

人間が『殺菌・消毒』に使う薬品に対する“耐性”を【更新する無限に多様な“大”全体】の【更新機能】を発動させて獲得した【薬品耐性水】を、医療施設を含めて広く散歩するだけで。その“変異”した{殺人病原体を含めた}モノが、【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分】として吸収されて。殺人病原体は、その毒性を失うようになっているのです。


ただし人間とは、『唯一神教』の完成した世界観を基にした『近代科学』の{リセットを絶対とした}原則に縛られて、《【更新する無限に多様な“大”全体】の【更新機能】が発動して、〔世界〕が【更新】されて行く》という状況が受け入れられないモノですから。【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』が完全否定されてしまったように、【薬品耐性水】が〔人間世界〕で生かされる事など{絶対に}在り得ないでしょう。

しかしそれは、真理である【更新する無限に多様な“大”全体】という存在からすれば、{見守る存在であるだけに}大変に残念でならない事なのです・・・。





*予告【9月24日・木】


〔この世界〕の基本構造である【更新する無限に多様な“大”全体】を扱う【一般理論】を聴き取って、〔生物群世界〕のつぶやきを紹介したいと思います





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