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仙台・中2自殺:会見中アンケ確認 市、一転いじめ示唆

2017年04月30日 | ニュース等(新しいとは限らない)
「複数で」生徒記述

 仙台市立中2年の男子生徒(13)の自殺を巡り、市教育委員会が29日に開いた記者会見で、校内で実施したアンケートに「集団いじめ」の存在を示した記述があったにもかかわらず、学校側が把握していなかった可能性が浮上した。情報が生かされず、生徒は絶望の中で死を選んだとみられる。有識者は「生徒を自殺まで追い詰めた原因」の徹底究明を求める。【本橋敦子、真田祐里】

 「いわゆる仲間意識の中でお互いにちょっかいを出すようなことがあったと聞いている」。仙台市役所の会議室であった29日の市教委の記者会見。大越裕光教育長は当初、そう語り、いじめはなかったとの認識をにじませた。

 男子生徒は昨年6月と11月にあった校内のいじめに関するアンケートで「悪口」「冷やかし」を訴えていた。だが、市教委幹部は「一方的ではなく、互いに言い合っていたので、双方に指導をした」と説明した。

 会見場の空気が一変したのは、「第三者がいじめとみられる現場を目撃したのか」との質問後。市教委幹部は「確認させてください」と答え、別の質問が続く間、市教委事務局職員数人が手元の資料を慌ただしくめくり続けた。約5分後、市教委幹部は顔をこわ張らせ、職員が差し出した資料を見ながら「亡くなった生徒を複数の生徒が(集団で)からかっている場面を見た」という他の生徒の記述を読み上げた。

 これに対し、報道陣は「どういう経緯で1対複数の関係を排除したのか」と追及。沈黙が続いた後、「この情報を私たちは把握していなかった。先ほど再度確認する中で出てきた」としどろもどろに答えた。幹部は「確認します」と繰り返すばかりで、今春赴任したばかりの校長は下を向いたままだった。

 大越教育長は「いじめがあったか断定はできないが、そういうスタンスで対応していきたい」と明言した。さらに「尊い命が失われた事実を重く受け止める。自死に至った背景を速やかに調査していきたい」と話した。

 一方、自殺した生徒について、同級生の女子生徒は毎日新聞の取材に「1年の時から、同じ学年の複数の男子生徒たちから『くさい』とか『汚い』とか言われていた」と証言。「周りも見て見ぬふりをしている状態だった」とし、「机に『死ね』と書かれていたこともあった」と話した。

学校誤対応に絶望

 いじめ問題に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」の小森美登里理事の話 いじめを受けている子供は、救いを求め、勇気を振り絞ってアンケートに書く。だから、学校側が結果を分析しないなど誤った対応をすると、絶望してしまうだろう。本人がのちに「もうない」と答えたというが、本当にそうだったのか。全生徒に調査し、結果を学校、遺族が共有し、「なぜ自殺まで追い詰められたのか」を関係者全員が理解する取り組みを進めるべきだ。

 ◆相談窓口

児童相談所全国共通ダイヤル

 189=年中無休、24時間


http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%bb%99%e5%8f%b0%e3%83%bb%e4%b8%ad%ef%bc%92%e8%87%aa%e6%ae%ba%e4%bc%9a%e8%a6%8b%e4%b8%ad%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%82%b1%e7%a2%ba%e8%aa%8d-%e5%b8%82%e3%80%81%e4%b8%80%e8%bb%a2%e3%81%84%e3%81%98%e3%82%81%e7%a4%ba%e5%94%86/ar-BBAwmHO#page=2

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最大の問題は、イジメを認識したかどうかではない。
問題は認識できたとして対策がとれるのか、という事にある。
対策とは当然、イジメをなくす或いは解消する事だが、これははっきり言って無理な話だと思う。
従ってイジメの認識に重点を置くのはあまり意味のある事とは思えない。
認識できれば対応策が取れてイジメが無くなる、と言う程事態はそう簡単ではないからだ。
無視をするなど陰湿さを増すという事が充分あり得る訳であり、
学校側がそういう表面化し難い形態へのイジメを促した事にだって成りかねない。

先に断っておくが、私はイジメにおいて、
いじめられる方にも非がある、とは一切思っていないし、
例え非があろうと、他人の心や身体を傷つけて良い理由にはならないと考えている。

ターゲットに設定された時点で、ほぼ確実にイジメへと発展するだろう。
このターゲットの設定、認識こそが、イジメの核であり、
その条件みたいなものは集団にとって何らかの外れた要素を持った人間がほとんどだ。
つまり村八分原理である。村の調和を乱すものがターゲットに認定されて行われる。
イジメられる子のほとんどがそういう状況だろう。
何らかしらの集団にとって気にくわない面が生じた事でイジメのターゲットにされている訳だ。
だからその点を解消する事で、イジメは解消される……事はそんな簡単には済まない。

世の中、加害・被害の関係が成立し、一定期間が経過した時点でそれは固定化してしまう。
だから、当初のイジメられるきっかけの様な要素や問題が解消したからと言って、
それでいじめが終了するとは限らない。
またいじめられっ子にしても、このイジメという経験を通じて、自らの立ち位置を意識しつつ集団と行動を共にする様に成り、
今度は皆と一緒に成って率先して他者をいじめるという行動に出るというケースも少なくはないだろう。
集団でのいじめの本質は他人に対する過剰な興味関心というか過度な協調意識にあると思う。

子供のイジメの問題は昔っからそうだと思うが、大人社会の問題である。
子供は大人の真似をしているだけだ。
つまり大人が平気で他人をイジメるから、子供が真似しているだけの話である。
会社の経営者が、好業績なのにも関わらず従業員のクビを切り生活を追い詰める。
それを実力主義と唱える社会を子供は反映しているのではないか?
非正規雇用の者達が就職できないのを自己責任だと言ってみたり、派遣社員に賞与が出ないのを当然視して知らんぷりしている。
当人がスキルを磨かなかったのが悪いとかコミュニケーション能力が低いから採用されないんだとかそういう事を社会が考えている。
即ち、能力や社交性と言った人間性を評価の俎上に乗せて議論している訳だが、
これは子供達に排除の原理を叩き込んではいないだろうか?

私に言わせれば大人社会でのイジメの方が遥かに残酷だ。
子供はまだ親の庇護にあるから、考えれば対処方法は山ほどあるが、
大人の場合にはそうもいかない。
環境によっては食べて行かないといけない人達ばかりだ。
稼げなければ生活できない人の心理に付け込んでいる現代の経営と、団結できない従業員達。
この社会の構造は、学校のイジメの構造と全く同じ様に私には見える。









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