就職氷河期の問題を放置した結果、日本経済は今後20年間は確実に停滞する。
まず世代論的に言って、当の就職氷河期世代内で正規・非正規の分断が起こっている。
この所得階層の分断、二極化に依って国家制度の運営が実に困難に成る。
当然の如く少子化に成るが、共働き世代を支援する様な枠組みは、
結婚市場から疎外された多くの非正規層の反発を招く。
教育市場もそもそも高度成長期と氷河期世代の受験加熱期をベースに肥大化したから、
今後は縮小せざるを得ない。
知的労働が重視されるとか主張しても、実際に我が国の権力層は無知な人間ばかりだし、
官僚やエリートサラリーマンにしても、大学受験や大学生の頃が知的水準のクライマックス、といった体たらくである。
日本が今後浮上する要素は、皆無だ。
人口が減少すれば、規模の経済も縮小する。
口先だけ小さな政府とほざきながら、ただ単に国民に対する行政サービスだけ縮小しただけで、
現実の政府支出はさして削減されていない白アリどもで構成されている我が国の政府は、
この人口減少に伴って地方自治体からガンガン潰れていく。
為政者の愚かな点は、これまでは確かに氷河期世代や現在の若者の様に、
家計でそれなりに教育投資が為された事で潤沢な知的労働者の獲得が出来ていたのだが、
今後は、家計の所得減少に伴い、この教育投資は低水準に成らざるを得ない点にある。
時代は反転し、中学を卒業したら働く、と言うような昔のトレンドへと転換しようとしている。
今はまだ家計に余力があるので、大学進学へと進んでいる層も、今後はこの大学進学の経済的リターンの低さを鑑みて、
高卒へ…高卒なら中卒と同じだという発想から中学卒業後に働くという流れが出てもおかしくはない。
少なくとも現時点で教育産業に従事している友人の話を聞く限り、
MARCHクラスは随分入り易く成っているという。
そりゃそうだ。
少子化で定員は変わらないどころか学部も増やしているのだから、入り易く成るのは当然。
入り易いと言ってもそれなりの努力は必要なのに、就職市場で苦戦したりするわけだから、
段々それなりの余剰資産がない家計は大学進学を敬遠するように成る。
国立ですら授業料はアホみたいな上がりっ放しなのだから、
貧乏なら国立、という選択肢だってありはしないのだ。
もはや貧乏なら高卒で大企業のブルーカラー狙いと言うのが正しい道だし、
貧乏でなくても、それが最もリスクヘッジに成っているというのが現実だ。
こうしてどんどん我が国の知的基盤は崩壊していこうとしている。
ピケティブームみたいに騒いでるアホメディアを見ても分かる通り、
ピケティの本が翻訳されるまでに実に多くのタイムラグが生じていた事を知る人は少ないのではないか。
つまり世界的に評価されたり話題を呼んでいる本ですら、その翻訳にラグが生じている時代に成っている。
いよいよ語学学習が重要と言えば重要な時代なのだが、恐らくそういう知的生活に興味のない層が増えているだろう。
岩波の将来も暗いと言わざるを得まい。
問題はアマゾンが代替できるかどうか、にある。
英訳されていない重要な書籍を読む際には、結局邦訳がなければ、自分でその国の言語を学ばないとならない。
中国語だとかドイツ語だとかフランス語だとかスペイン語だとかアラビア語だとか…。
しかもそれが重要であるという情報をキャッチするアンテナも常に張っていなければならないのだから大変だ。
結果として落ち着いてしまえば、WSJだとかBBCだとかに成ってしまい、気付けばプロパガンダに取り込まれていくハメに陥る。
そういうのを逃れようとすれば、一時代前くらいの書籍を読んで楽しむといった方向に落ち着く。
それすら、場合に依っては高くつく可能性だってあるのだ。
日本では専門書はそれなりで、その中間の本は結構安い。
海外では専門書は邦訳よりも高いが、それ以外の本などはこの円安を考慮しても十分安い。
だから我が国の学問の入口は入り易く出来ており、それが知的基盤を構成するのに役立っている。
門外漢が基礎知識を固めるのには充実しているのである。
しかしそれも時代が変わっていくのかも知れない。
そこが最も危惧する所でもある。
結局、大衆から知識を磨く程度の経済力も時間も奪った結果、
全くイノベーションが起こらない状況が生じている。
大企業は大企業で、入って数年は安泰だが、その後は見ての通りでリストラを巡ってイス取りゲームに興じる。
こんな腐った環境で、何らかの不確定なプロジェクトなど、採算の見込めないものに会社が投資する環境でもなければ、
労働者側もそういうプロジェクトに没頭出来るだけの熱中できる心境にはないだろう。
ゲームが一番それを反映しているように思える。
あのスクエニが…、まぁここ10年ぐらいかずっとそうだけどリメイクやブランド名を使った商売で稼ぐのに必死であるだけでなく、
ここ数年では遂にタイトルやゲームのコンセプトまで平気でパクるように成ってしまった。
つまりそれだけ社内につまらない人間が大多数に成ってしまっているという事を意味する。
そうなったらゲーム会社は、もうおしまいなのだが…。
氷河期世代から始まる親子世代が一巡し、子供世代が新たな何かを構築する事に期待するのみである。
即ち少なくとも今後20年程度は暗黒時代が確定している。
まず世代論的に言って、当の就職氷河期世代内で正規・非正規の分断が起こっている。
この所得階層の分断、二極化に依って国家制度の運営が実に困難に成る。
当然の如く少子化に成るが、共働き世代を支援する様な枠組みは、
結婚市場から疎外された多くの非正規層の反発を招く。
教育市場もそもそも高度成長期と氷河期世代の受験加熱期をベースに肥大化したから、
今後は縮小せざるを得ない。
知的労働が重視されるとか主張しても、実際に我が国の権力層は無知な人間ばかりだし、
官僚やエリートサラリーマンにしても、大学受験や大学生の頃が知的水準のクライマックス、といった体たらくである。
日本が今後浮上する要素は、皆無だ。
人口が減少すれば、規模の経済も縮小する。
口先だけ小さな政府とほざきながら、ただ単に国民に対する行政サービスだけ縮小しただけで、
現実の政府支出はさして削減されていない白アリどもで構成されている我が国の政府は、
この人口減少に伴って地方自治体からガンガン潰れていく。
為政者の愚かな点は、これまでは確かに氷河期世代や現在の若者の様に、
家計でそれなりに教育投資が為された事で潤沢な知的労働者の獲得が出来ていたのだが、
今後は、家計の所得減少に伴い、この教育投資は低水準に成らざるを得ない点にある。
時代は反転し、中学を卒業したら働く、と言うような昔のトレンドへと転換しようとしている。
今はまだ家計に余力があるので、大学進学へと進んでいる層も、今後はこの大学進学の経済的リターンの低さを鑑みて、
高卒へ…高卒なら中卒と同じだという発想から中学卒業後に働くという流れが出てもおかしくはない。
少なくとも現時点で教育産業に従事している友人の話を聞く限り、
MARCHクラスは随分入り易く成っているという。
そりゃそうだ。
少子化で定員は変わらないどころか学部も増やしているのだから、入り易く成るのは当然。
入り易いと言ってもそれなりの努力は必要なのに、就職市場で苦戦したりするわけだから、
段々それなりの余剰資産がない家計は大学進学を敬遠するように成る。
国立ですら授業料はアホみたいな上がりっ放しなのだから、
貧乏なら国立、という選択肢だってありはしないのだ。
もはや貧乏なら高卒で大企業のブルーカラー狙いと言うのが正しい道だし、
貧乏でなくても、それが最もリスクヘッジに成っているというのが現実だ。
こうしてどんどん我が国の知的基盤は崩壊していこうとしている。
ピケティブームみたいに騒いでるアホメディアを見ても分かる通り、
ピケティの本が翻訳されるまでに実に多くのタイムラグが生じていた事を知る人は少ないのではないか。
つまり世界的に評価されたり話題を呼んでいる本ですら、その翻訳にラグが生じている時代に成っている。
いよいよ語学学習が重要と言えば重要な時代なのだが、恐らくそういう知的生活に興味のない層が増えているだろう。
岩波の将来も暗いと言わざるを得まい。
問題はアマゾンが代替できるかどうか、にある。
英訳されていない重要な書籍を読む際には、結局邦訳がなければ、自分でその国の言語を学ばないとならない。
中国語だとかドイツ語だとかフランス語だとかスペイン語だとかアラビア語だとか…。
しかもそれが重要であるという情報をキャッチするアンテナも常に張っていなければならないのだから大変だ。
結果として落ち着いてしまえば、WSJだとかBBCだとかに成ってしまい、気付けばプロパガンダに取り込まれていくハメに陥る。
そういうのを逃れようとすれば、一時代前くらいの書籍を読んで楽しむといった方向に落ち着く。
それすら、場合に依っては高くつく可能性だってあるのだ。
日本では専門書はそれなりで、その中間の本は結構安い。
海外では専門書は邦訳よりも高いが、それ以外の本などはこの円安を考慮しても十分安い。
だから我が国の学問の入口は入り易く出来ており、それが知的基盤を構成するのに役立っている。
門外漢が基礎知識を固めるのには充実しているのである。
しかしそれも時代が変わっていくのかも知れない。
そこが最も危惧する所でもある。
結局、大衆から知識を磨く程度の経済力も時間も奪った結果、
全くイノベーションが起こらない状況が生じている。
大企業は大企業で、入って数年は安泰だが、その後は見ての通りでリストラを巡ってイス取りゲームに興じる。
こんな腐った環境で、何らかの不確定なプロジェクトなど、採算の見込めないものに会社が投資する環境でもなければ、
労働者側もそういうプロジェクトに没頭出来るだけの熱中できる心境にはないだろう。
ゲームが一番それを反映しているように思える。
あのスクエニが…、まぁここ10年ぐらいかずっとそうだけどリメイクやブランド名を使った商売で稼ぐのに必死であるだけでなく、
ここ数年では遂にタイトルやゲームのコンセプトまで平気でパクるように成ってしまった。
つまりそれだけ社内につまらない人間が大多数に成ってしまっているという事を意味する。
そうなったらゲーム会社は、もうおしまいなのだが…。
氷河期世代から始まる親子世代が一巡し、子供世代が新たな何かを構築する事に期待するのみである。
即ち少なくとも今後20年程度は暗黒時代が確定している。