『はたらく若者たち(1979-81)』(後藤正治著)を読んでいる。
『自動車絶望工場』等・・・ノンフィクション物が盛んだったのかも知れない。
当時は体験ルポとでも言えるような物が流行っていたのかも知れない。
しかしこれらの作品は決して世の中の本流ではない。
それが証拠にここ数年の就職難の時期のみをもってして、
苦痛に満ちた世代であるという意識が該当世代にはしみじみと有る。
しかもその世代にしても本流的思考に照らせば、
「フリーター化」という言葉で片付けられてしまうのである。
それだけマスコミのイメージ操作というものは強力なのだろう。
マスコミが取り扱わなかった現象は、無かったものとして処理されがちである。
この本の面白い所は、潜入ルポ的な実地の労働話だけでは無い。
港湾労働に従事した際の次の文章に、
著者の時代を貫徹する分析眼を見た気がする。
元請け‐下請け‐孫請け‐手配師という港湾荷役の重層構造は、
ピンハネという中間搾取と暴力的支配をうみだす温床となった。
現在との違いは何かと言えばこの様な構造の強化である。
この著作から数年後の派遣法成立と近年の派遣法改正として結実した。
それまでは有りながらも黙認されて来た弱者虐めの徹底が、
これによって堂々と行われるようになったのである。
港湾労働はそれが最も如実に分かり易い形で出た例ではある。
それは暴力に依る支配であり、それは企業が社会を支配する事なのである。
そして何よりも企業は企業という体を為しているが故に、
直接的に労働者を攻撃する事が出来ないが故に部外者を必要とする、
という構造なのである。
この場合の部外者がかつては暴力団であり、多分今も大部分はそうなのだろう。
これは暴力団が暴力団という社会外の存在ではなく、体制内化されている事を意味する。
まぁそれが今はそうでないとしても、
企業の横暴の隠れ蓑として派遣会社が機能しているのは間違い無いだろう。
結局違法行為が横行するのは、企業側が人員を手配させる主導権を握っている為、
結果として派遣会社側がその要求に従う形で実現されるのである。
それは港湾労働の構造とさして変わらない構造を持っているのであり、
派遣会社の摘発が母体の利用している企業の摘発にならない限りは永続する。
スト破りとしての暴力を政府が黙認し、支持すらしている節がある為、
この手の問題はアメリカよりも深刻かも知れないのである。
まっ今ではそういう暴力が支配的な事を察知してる為か、
誰もストなんて起こそうとも思わないのが現実である。
こういう企業の横暴がある為、結果として暴力機構が必要になる。
それにしても今はネットがある為、これまでの時代よりは幾分有利である。
それまでなら「フリーター現象」という形で、
一方的に若者が社会的にリンチされていた事だろう。
しかしネットがあるお陰で当人達が声を上げる事が出来る。
下らない情報が多いとされるネットでも情報の取捨選択は可能な訳で、
マスコミが言う程下らないとは思えない。
むしろマスコミの情報寡占が崩れる事自体喜ばしい事である。
まぁ寡占業界にとっては困った状況であるのは確かだろうけどね。
それはともかく、こういう著作に出会う事は素晴らしい事だと思った。
この様な書物のお陰で、無用な世代間闘争を回避出来るのである。
問題なのは露骨なまでの搾取なのである。
まぁこの搾取って話自体マルクス主義とセットにして葬り去られた訳で、
マルクス主義はレーニン主義とくっつき、その後のソ連ともくっついた。
そしてソ連の失敗はマルクス主義の失敗とセットにされ、
結局資本主義万歳となる訳だ。
この中間搾取の構造は至って資本主義的で無いんだが…。
そういう意味では未だに資本家は不在の資本主義社会なのである。
企業集団という円形の支配構造が、結局支配者の不存在をもたらす。
ひとりひとりが持つ支配権は微力な為、誰にも支配している実感は沸かない。
微力でもグループ内では強権なので、当然その権力にしがみつく事になる。
妙な構造なのである。
『自動車絶望工場』等・・・ノンフィクション物が盛んだったのかも知れない。
当時は体験ルポとでも言えるような物が流行っていたのかも知れない。
しかしこれらの作品は決して世の中の本流ではない。
それが証拠にここ数年の就職難の時期のみをもってして、
苦痛に満ちた世代であるという意識が該当世代にはしみじみと有る。
しかもその世代にしても本流的思考に照らせば、
「フリーター化」という言葉で片付けられてしまうのである。
それだけマスコミのイメージ操作というものは強力なのだろう。
マスコミが取り扱わなかった現象は、無かったものとして処理されがちである。
この本の面白い所は、潜入ルポ的な実地の労働話だけでは無い。
港湾労働に従事した際の次の文章に、
著者の時代を貫徹する分析眼を見た気がする。
元請け‐下請け‐孫請け‐手配師という港湾荷役の重層構造は、
ピンハネという中間搾取と暴力的支配をうみだす温床となった。
現在との違いは何かと言えばこの様な構造の強化である。
この著作から数年後の派遣法成立と近年の派遣法改正として結実した。
それまでは有りながらも黙認されて来た弱者虐めの徹底が、
これによって堂々と行われるようになったのである。
港湾労働はそれが最も如実に分かり易い形で出た例ではある。
それは暴力に依る支配であり、それは企業が社会を支配する事なのである。
そして何よりも企業は企業という体を為しているが故に、
直接的に労働者を攻撃する事が出来ないが故に部外者を必要とする、
という構造なのである。
この場合の部外者がかつては暴力団であり、多分今も大部分はそうなのだろう。
これは暴力団が暴力団という社会外の存在ではなく、体制内化されている事を意味する。
まぁそれが今はそうでないとしても、
企業の横暴の隠れ蓑として派遣会社が機能しているのは間違い無いだろう。
結局違法行為が横行するのは、企業側が人員を手配させる主導権を握っている為、
結果として派遣会社側がその要求に従う形で実現されるのである。
それは港湾労働の構造とさして変わらない構造を持っているのであり、
派遣会社の摘発が母体の利用している企業の摘発にならない限りは永続する。
スト破りとしての暴力を政府が黙認し、支持すらしている節がある為、
この手の問題はアメリカよりも深刻かも知れないのである。
まっ今ではそういう暴力が支配的な事を察知してる為か、
誰もストなんて起こそうとも思わないのが現実である。
こういう企業の横暴がある為、結果として暴力機構が必要になる。
それにしても今はネットがある為、これまでの時代よりは幾分有利である。
それまでなら「フリーター現象」という形で、
一方的に若者が社会的にリンチされていた事だろう。
しかしネットがあるお陰で当人達が声を上げる事が出来る。
下らない情報が多いとされるネットでも情報の取捨選択は可能な訳で、
マスコミが言う程下らないとは思えない。
むしろマスコミの情報寡占が崩れる事自体喜ばしい事である。
まぁ寡占業界にとっては困った状況であるのは確かだろうけどね。
それはともかく、こういう著作に出会う事は素晴らしい事だと思った。
この様な書物のお陰で、無用な世代間闘争を回避出来るのである。
問題なのは露骨なまでの搾取なのである。
まぁこの搾取って話自体マルクス主義とセットにして葬り去られた訳で、
マルクス主義はレーニン主義とくっつき、その後のソ連ともくっついた。
そしてソ連の失敗はマルクス主義の失敗とセットにされ、
結局資本主義万歳となる訳だ。
この中間搾取の構造は至って資本主義的で無いんだが…。
そういう意味では未だに資本家は不在の資本主義社会なのである。
企業集団という円形の支配構造が、結局支配者の不存在をもたらす。
ひとりひとりが持つ支配権は微力な為、誰にも支配している実感は沸かない。
微力でもグループ内では強権なので、当然その権力にしがみつく事になる。
妙な構造なのである。