高峰秀子著「おいしい人間」より
演出家、木下恵介監督の助手をしていた松山善三と私が結婚したのは、昭和三十年の春だった。「結婚」という生涯の一大事業を目前にしているといいのに花嫁であるわたしの気持ちはいっこうに盛り上がらず、われながら全く「可愛げのない女」だった。中略
寒々とした人間関係の中で孤立していた私が、ふっと結婚をする気になったのは、もちろん、当時29歳だった松山青年の人柄の良さにひかれたこともありけれど、それ以上に私の心をとらえたのは、松山のお母さんのたったの一言だった。中略
松山善三とそっくりなお父さんのうしろでほほえんでいたお母さんが、はじめて口を開いた。
「折角結婚なさるというのにうちが貧乏なのでなにもしてあげられません。あなたに働いてもらうなんて、本当にすみません。ごめんなさいね」
そう言ってお母さんは頭を下げた。
私は一瞬ポカンとした。お母さんの言葉をどう理解してよいか分からなかったからである。というよりその言葉をすんなりと受けつけられぬほど私の心がねじ曲がり、荒れ果てていたということだろう。中略
昭和三十年の松山の月給は一万三千五百円、私の映画の出演料は百万円だったから、共稼ぎというニュアンスとはちょっと違って少々こっけいだったけれど、そんなことはどうでもいいとして、松山のお母さんの言葉には、明治の女性のプライドとか、世間体とか、そういう感情のすべてを乗り越えて、ただ純粋に、息子の嫁への「慈愛」だけがこめられていた。
生まれてはじめて「優しい言葉」をかけられて、私の目に思わず涙がにじんだ。
映画の演技以外には人前で泣いたことも自分の心をみせたこともなかった私は、じぶんで自分の涙におどろくと同時に松山善三との「結婚」を決意していた。
いや、善三とではなく「お姑さん」松山みつと結婚したかったのかもしれない。
私は「お姑さん」の人柄を信じると共に、そのお姑さんに育てられた松山善三という男性を信じた。
それは私自身の将来のしあわせを信じることでもあった。何年かぶりかで「人を信じる」という感情が自分にかえってきたのが嬉しかった。中略
私に残されたお姑さんの思い出といえば、あの優しい一言の他にはなにもないけれど、私にとっては百万言の言葉にもまさる貴重な言葉であった。
人はその生い立ち、環境によってそれぞれ感銘を受ける言葉も違うだろう。
姑にもらった一言が、心底生きる支えとなった嫁の話など、ある人にとっては甘ったるくアホらしいことかもしれない。
それでも私はいまだにお姑さんの一言を、私の宝として大切に抱きしめている。
われという人の心はただひとつ
われよりほかに知る人はなし
谷崎潤一郎
眠るのが仕事のラッシー
演出家、木下恵介監督の助手をしていた松山善三と私が結婚したのは、昭和三十年の春だった。「結婚」という生涯の一大事業を目前にしているといいのに花嫁であるわたしの気持ちはいっこうに盛り上がらず、われながら全く「可愛げのない女」だった。中略
寒々とした人間関係の中で孤立していた私が、ふっと結婚をする気になったのは、もちろん、当時29歳だった松山青年の人柄の良さにひかれたこともありけれど、それ以上に私の心をとらえたのは、松山のお母さんのたったの一言だった。中略
松山善三とそっくりなお父さんのうしろでほほえんでいたお母さんが、はじめて口を開いた。
「折角結婚なさるというのにうちが貧乏なのでなにもしてあげられません。あなたに働いてもらうなんて、本当にすみません。ごめんなさいね」
そう言ってお母さんは頭を下げた。
私は一瞬ポカンとした。お母さんの言葉をどう理解してよいか分からなかったからである。というよりその言葉をすんなりと受けつけられぬほど私の心がねじ曲がり、荒れ果てていたということだろう。中略
昭和三十年の松山の月給は一万三千五百円、私の映画の出演料は百万円だったから、共稼ぎというニュアンスとはちょっと違って少々こっけいだったけれど、そんなことはどうでもいいとして、松山のお母さんの言葉には、明治の女性のプライドとか、世間体とか、そういう感情のすべてを乗り越えて、ただ純粋に、息子の嫁への「慈愛」だけがこめられていた。
生まれてはじめて「優しい言葉」をかけられて、私の目に思わず涙がにじんだ。
映画の演技以外には人前で泣いたことも自分の心をみせたこともなかった私は、じぶんで自分の涙におどろくと同時に松山善三との「結婚」を決意していた。
いや、善三とではなく「お姑さん」松山みつと結婚したかったのかもしれない。
私は「お姑さん」の人柄を信じると共に、そのお姑さんに育てられた松山善三という男性を信じた。
それは私自身の将来のしあわせを信じることでもあった。何年かぶりかで「人を信じる」という感情が自分にかえってきたのが嬉しかった。中略
私に残されたお姑さんの思い出といえば、あの優しい一言の他にはなにもないけれど、私にとっては百万言の言葉にもまさる貴重な言葉であった。
人はその生い立ち、環境によってそれぞれ感銘を受ける言葉も違うだろう。
姑にもらった一言が、心底生きる支えとなった嫁の話など、ある人にとっては甘ったるくアホらしいことかもしれない。
それでも私はいまだにお姑さんの一言を、私の宝として大切に抱きしめている。
われという人の心はただひとつ
われよりほかに知る人はなし
谷崎潤一郎
眠るのが仕事のラッシー