グレゴリーペックのある日あの時

還暦を過ぎた極真空手家の人生のつぶやき

木下恵介

2015年01月04日 | 日記
高峰秀子著「にんげん住所録」より

木下恵介監督とのおつきあいは、昭和26年の日本最初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」からはじまりました。
以後、天才演出家として映画界に君臨した木下作品に十二本も出演させていただいた私は、女優として本当に幸せだった、と感謝しております。
木下監督とは、仕事をはなれての個人的な交流はほとんどありませんでした。
が、三、四年ほど前だったでしょうか、ある夜、とつぜんお電話をいただきました。
〝いま、久しぶりに二十四の瞳のビデオを見終わったところなの。それで、もし秀ちゃんという女優さんにめぐり会っていなかったら今日の僕は存在しなかっただろう、と、つくづく思って、一言お礼を言いたくなって電話をしたんですよ。
秀ちゃん、いい仕事をさせてもらって、本当にありがとう〟
とおっしゃったので、私をびっくりして
〝とんでもない。それは私が言うことです。私のほうこそ、ありがとうございました〟とお答えすると、木下監督はいつになく静かにキッパリとした口調で
〝いえ、そうじゃありません。秀ちゃんあってこその僕だったんです。感謝しています。ありがとう。………〟
と、何度も繰り返されたので、私はなぜかフット不吉な予感がしたくらいでしたが、その電話が木下監督との最後の会話になってしまいました。

木下先生。
聞こえますか?もし、先生との出会いがなく、先生の強引さと、迫力のある牽引がなかったら、もともと演技が苦手で女優度の希薄だった私などは、とうに映画界から放り出されていたことでしょう。
長い間、本当にありがとうございました。無宗教の私は、今度生まれ替わったときは、またあの世でお目にかかります、とも言いません。
たった一言、ありがとうございました。と、申し上げます。
木下先生、さようなら。

映画「二十四の瞳」大石先生役の高峰秀子の演技、最高でした。
思わず泣いたもんね、私としたことが。

夜、爆睡中のラッシー