グレゴリーペックのある日あの時

還暦を過ぎた極真空手家の人生のつぶやき

声を創る

2015年01月11日 | 日記
高峰秀子著「忍ばずの女」より

私が、自分の発声、発音の悪さに気づいたのは16歳のときだった。
きっかけになったのは『小島の春』という映画に、小さい脇役で出演した杉村春子さんの演技だった。はじめて出会った杉村さんのあまりの上手さに仰天し、同時に、自分の俳優としての未熟さを思い知って、慄然とした。中略
あわてた私は「正しい発声を教えてもらおう」と、撮影所の音楽部に駆け込んだ。
しばらく考えていた音楽部長さんは、二人の先生を紹介してくれた。
それはオペラ界の第一人者、奥田良三先生と長門美保先生で、名前を聞いただけで震え上がるような超一流の先生方だった。びくりして棒立ちになった私に、音楽部長さんは言った。
「勉強をしたいんでしょう?なまはんかな先生なら習わないほうがいいんです」
超一流の先生は怖かった。超一流のレッスンは厳しかった。そして、月謝も超一流に高額だった。16歳の少女俳優の出演料などタカが知れている。いま思えば、その出演料の中から身を切られるような思いで払った月謝だからこそ、必死で勉強したのかもしれなかった。
中略
こうして、私の声は、私を置いてけぼりにしてぐんぐんと成長していった。
どんなに小さな声で台詞を言っても、声はするりとマイクを通るようになった。
それまではいつも一本調子だった台詞の声も、役の性格によってトーンの使い分けができるようになった。中略
先生は超一流が最高。そして超一流に高額な月謝でも決してケチってはならない、とキモに銘じている。


今日のラッシー