グレゴリーペックのある日あの時

還暦を過ぎた極真空手家の人生のつぶやき

女優は選ばれた人

2014年12月31日 | 日記
斎藤明美著「高峰秀子の捨てられない荷物」より

高峰秀子
「女優なんてものは、きっかけはどうあろうとも、やっぱりある意味で、なんかの意味で、〝選ばれた〟人なの。
だから人間として、公明正大って言うのかな、正直できちっとした生活をしなければならない責任があると思いますよ、死ぬまで。
『いいと思ってたんだけど、あんなひどいことをしたの』なんていうような人間にはなりたくない」

「私は勲章なんて、あんな七宝でできた物なんか要らない。そりゃあ、私でない他の役者を観に来たかもしれないけど、少なくともタイトルの一番先に私の名前が出てくる映画を、自分の財布からお金を出して観てくれた人、その人たちみんなが、私の勲章です。
だから、私、勲章はいっぱい持ってる」


今年も今日で終わりです。
いろいろあったけど無事に年末を迎えられました。
来年もよろしくお願いします。

今日のラッシー
寝るのが仕事!

高峰秀子と作家たち

2014年12月30日 | 日記
斎藤明美著「高峰秀子との仕事」より

高峰秀子を「25%女、25%男、あとの50%はミネラルウォーター」と評した大宅壮一。
「君は僕の大切な友人です」と、終生交流を続けた画壇の巨匠、梅原龍三郎。
円地文子、有吉佐和子……
そして、自著が出る度に高峰さんに本を送ってくれた井上ひさし、山田風太郎、中野孝次。そして送ってくれる森本哲郎、出久根達郎、沢木耕太郎……の各氏。
彼らは高峰秀子をこよなく愛した。

「50年、女優の仕事をしている間、私が一番大事にしてきたものは信用です」
という高峰秀子の生き様が多種多様なその道の一流の人たちを惹きつけるんだろうなあ。
やっぱり凄いは高峰秀子は。


今日のラッシー


少年の顔

2014年12月29日 | 日記
高峰秀子著「いっぴきの虫」より

人間、40歳になったら、自分の顔に責任を持て、というが、猜疑心や警戒心や邪心を心に持ち続ける人間が年をとると、面相まで卑しくなって、ただ汚いジジイになるだけだが、人生の荒波を乗り切って、心おきのない仕事を果たし終え、欲も得も洗い流した人間の顔は、すがすがしく純真な少年時代に戻るらしい。

私の知る限りでも、梅原龍三郎氏、前田青砥氏、武者小路実篤氏、松下幸之助氏、と何人かの「少年の顔」を持つ偉人がいる。
みんな、自信と安らぎに満ちた美しい顔ばかり、まるで上等の白磁の壺でも見るごとく、いつまで見ても見飽きることがない。

それにしても、「いっぴきの虫」という名前が面白い。
高峰秀子がいっぴきの虫なのか、この本に出てくる人たちがそうなのか、定かでないが、誰も思いつかないタイトルが高峰秀子の高峰秀子たる所以ですね。
さすがです!


今日のラッシー



高峰秀子の目

2014年12月28日 | 日記
斎藤明美著「高峰秀子との仕事」より

斎藤明美が初めて高峰秀子と会った時

私が何よりも強く感じたこと、それは高峰秀子の〝目〟だ。
テーブルを挟んで対峙した時、私がその目に感じたものは切れるような知性と深い底に沈んだ慈愛、冷静、そして猜疑、
こんな目を見たことがない。
その目は、今までの私の平凡な人生には決して存在し得なかった、何か壮絶な光を湛えていた。

高峰さんは、私が「今日誰それさんに取材します」と言うと、親しい人には一言、メッセージをくれた。
取材の時、「高峰さんからメッセージを預かって来ました」と私が言うと、ソファーに座っていた大女優はパッと居ずまいを正し、ある大監督は「はい!」と直立不動になった。

彼らの反応は、単に大女優への敬意などという枠を超え、明らかに高峰秀子という人間への畏怖だった。
高峰秀子がどのような姿勢で50年の女優人生を歩んで来たか、その生き方が彼ら一人一人の態度にまるで鏡を見るように映し出される。
私は高峰秀子の信用をまざまざと見た思いがした。

今日は高峰秀子さんの祥月命日です。
今から4年前の平成22年 12月28日亡くなりました。享年86歳。

私の家には仏壇があります。
私は今朝、勤行で彼女の追善回向をねんごろに行いました。
大女優よ安らかにお眠り下さい。
いちファンより


爆睡中のラッシー
何かモグモグと言ってました
犬も寝言を言うんだ!

女優は高慢である

2014年12月27日 | 日記
斎藤明美著「高峰秀子の流儀」より

女優と呼ばれる人々には、他者を見下す傾向がある。相手が名もない記者ならなおのこと。
演技の下手な女優ほど、威張るという法則がある。
そういう人に限って、取材している時、途中から態度が変わる。こちらがその人の仕事を熟知していることがわかるからだ。
威張っていた人が急に愛想よくなるのだから、気味が悪い。
そして、たどり着いた結論が「女優はスクリーンや画面の中で見るべし」
実物に会うと失望することが多い。
幻滅することさえある。

私が体験から得た女優に対する認識を、後にも先にも根こそぎ覆した唯一の人。
それが高峰秀子である。
インタビューに一人で来た。
私が知る限り取材に一人で来たのは高峰秀子だけである。
彼女は私を全く疲れさせない。
何故彼女は人を疲れさせないのか?
理由はただ一つ、高峰秀子は、自分を何ほどのものでもないと思っているからだ。

今日のラッシー
外の景色に興味津々