グレゴリーペックのある日あの時

還暦を過ぎた極真空手家の人生のつぶやき

高峰秀子の生涯

2014年12月15日 | 日記
1924年北海道に生まれる
四歳半で実母が死んだ。すぐに叔母(実父の妹)の養女に貰われ、5歳で映画「母」で子役デビュー。
途端に人気が出て、日本全国に顔を知られ、金を稼ぐようになった。
そして、金が入れば入るほど養母は金の虜となり、秀子が稼ぐ金で贅沢の限りを尽くして、挙句に十数人の親類縁者の生活まで秀子の肩に担わせてしまった。
成長するに連れて秀子自身は女優という職業が好きになれない自分に気づいていくが、やめることはできない。
次から次へと映画に出て、人は彼女を「大スター」と呼び「大女優」と褒めそやし、遂には金の亡者となった養母がボケて財産を争う兄弟たち。
私利私欲丸出しで近よってくる数多の人間が現れて…
その間、学校と名のつくものに通ったのは小学校一ヶ月、女学校数日。
それが、学びたくて仕方なかった高峰秀子の学歴の全てである。
斎藤明美著「高峰秀子の流儀」より


映画「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく美しく」など300本以上の作品に出演。
キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演女優賞ほか、受賞数は日本映画界最多。
55歳で引退。名随筆家としても知られ、「私の渡世日記」で第24回日本エッセイストクラブ賞受賞。その他26の本を出す。
2010年12月28日死去。享年86歳。

私も偶然「高峰秀子の流儀」を読んで大ファンとなり、日本映画の最高傑作といわれる「浮雲」「二十四の瞳」をDVDで観ました。
いやあ素晴らしかった!
「二十四の瞳」ははからずも涙を流しました。普段日本映画なんて観ない私が…


石内公民館にある弥生時代の住居