創価学会中心のハイテク兵器を使ったテロ「集団ストーカー」の告発

統合失調症に見せかけ殺人を行う無差別テロ。テロ目的ならまさかと思う事をやるのが軍事的常識。被害者の言を疑えば思う壺です

日本のケインズ備中松山藩の改革者山田方谷という人物。3

2014年03月12日 | その他、趣味、関連情報

日本のケインズ山田方谷という人物。2
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/6d3e9e0d59e4fa4b9330efe2e3043ddc
の続き

また、同時に行っていた藩士藩民の倹約令についても詳しく解説する必要がある。
先述したように改革が成功するまで藩士を減給とし、領民にも奢侈を禁止させたが、
一番重要なのは「賄賂の禁止」であった。「擬対策」にも賄賂を何より禁止すべきと書いており、
倹約令の真の狙いは勤倹を口実に賄賂を廃止する事にあったようである。
領民に行き過ぎた倹約を命じれば、逆に経済が委縮するのを方谷は知っていたはずである。
方谷は
1、奉行代官を始めあらゆる役人は貰い物はどんな小さなものでも役所に差し出す事。
2、領内を巡回する役人に対し酒の一滴も出す必要はない
と命じた。
この政令が発表された時、特に後者について常に苦労していた各地域の領民達は喜んだという。
これを実施するに当たり、方谷は最も賄賂が多く入るポストである元締め役の重要な仕事、
藩会計の一切を部下に任せ、ガラス張りの私生活を送った。藩士の減給は当然、
方谷自身も例外じゃなく、その上、賄賂も禁止したので、時々自らの私金を持ちださざるを
得なくなるほど生活が困窮し、荒地を開拓することで食いつないだという。
この強靭な意志の率先垂範によって、他の藩士も文句を言えず見習わざるを得なくなった。

続いて、方谷は松山藩政改革で最も重要な事業の一つ「藩札」の刷新に着手した。
藩札とは各藩が私的に発行した紙幣であり、明治四年に明治政府が調べた所、
全国の藩の約八割、二百四十四藩、十四の代官所、九の旗本領が紙幣の発行を行っていた。
本来は自領内の貨幣の不足を補い、通貨量の調整機能を担わせる目的で発行されたが、
実際は藩札の発行で正貨(幕府が兌換正貨と定めていたのは銀貨。日本の金枯渇による)を
搾取し、財政難に対処する目的に使われた。兌換する正貨もないのに藩札を発行したために、
行き詰って取り付け騒ぎや一揆、打ちこわしも頻繁に発生した。

松山藩もその例にもれず、最初に発行したのは1744~1748年(延享)であり、
板倉家が転封してきて始めての藩主勝澄の時代である。その後1789~1801年(寛政)
にも五匁札を発行したが、この頃はまだ正貨が準備金として用意されていた。
しかし、その後藩財政が悪化してくると、赤字補填のために準備金が流用されてしまい、
それにも関わらず、1830~1844年(天保)に五匁札を大量発行した。
藩札は地元商人を通じた両替、武士の給与や地元産品の買い上げ等で流通したが、
それを手にした民衆が藩庁に押しかけ取り付け騒ぎが起こった。その上、ニセ札まで
出回っており、方谷の時代には藩札の信用はほとんど皆無となっていたと言って良い。
信用が皆無になっただけならまだ良いが、藩が地元産品の買い上げや公共事業を行った
際の給与、地元商人への借財の返済金として藩札を藩内に流通させた場合、他領の民衆は
松山藩で売買しなくなり(藩内では藩札での取引が行われているから)、正貨が藩内に
入ってこなくなって、藩内では物価高騰ーインフレーションが起こっていた可能性がある。
信用のなくなった貨幣は、大量の貨幣でしか商品と交換出来ないという様になるからである。
実際、「日本銀行金融研究所「金融研究」第8巻 第一号」によれば、18世紀半ば、
広島藩始め多くの諸藩で藩札濫発によるインフレーションが起きていたという。
その内容を抜粋する。

「18紀半ば頃から、幕府の諸大名に対する抑圧政策(大規模な土木工事の賦課等)の
重圧や経済発展に伴う蕃の歳出規模の膨脹により、諸藩の大坂商人等からの借財が増嵩、
これが返済のために借財を重ねるという「サラ金的財政」の状態に陥った。さらに飢饉、
風水害等天災の多発も加わって、藩財政は窮迫の度合いを強めていった。このため財政補填
のため藩札を増発せざるを得なくなり、米を始めとした諸物価の上昇が目立ち (広島藩
では約2年間で主要物資が五倍に)、餓死者も発生するに至った」。

方谷はこれを解決するために、長年に渡って司馬遷の貨幣研究書「平準書」等で貨幣原理を
研究したり、大阪商人に話を聞きに行ったりして独自の貨幣理論を探究していた。
そして、藩内に流通している全ての藩札を、三年間の期限を切って回収し、正貨(永楽通宝)
と確実に兌換するという触れを出した。
 
嘉永五年(一八五二年)に回収した藩札は、四八一貫一一0匁(八0一九両)であった。
これに未使用の五匁札二三0貫一九0匁(三八三六両)を合わせた合計七一一貫三〇〇匁
(一一八五五両)というおびただしい量の藩札を、村々に触れを出して大観衆を集めさせ、
一日かけて藩札を焼却するイベントを祭りの様に行った。この大掛かりなイベントは、
藩民に対する藩政改革の意気込みを表明すると共に、積極的な協力も引き出す目的も
あったと思われる。

その後、御用商人の加島屋からの借金を準備金として、永楽通宝を兌換正貨とした
「永銭」と呼ばれる新たな藩札を三種類(五匁、十匁、百匁)発行した。この藩札は今で言う
政府系金融機関において、百文札は十枚で永楽通宝一両、十文札は百枚で同一両、五文札は
二百枚で同一両と確実に兌換できる(永銭の裏面に「約束」として記載されていた」)事から、正貨と同等の信用を得て藩内外に流通した。

また、撫育方の事業が波に乗ってくると、製造した特産品を江戸藩邸で取引するために、
永楽通宝建ての金札も発行した。江戸では、決済通貨が金と定められているからである。
それだけでなく、西日本においては、金を入手するという事自体にも価値があった。
後述するが、幕末の日本は金が枯渇していた事から金貨の価値が高く、銀貨と交換すれば
利益が出るからである。

更に、この藩札発行は、藩札の価値や物価を適性に戻しただけではなく、松山藩撫育方の「貸し銀行」事業の存在や両替商の存在、藩外にも永銭が流通していたという史料ー河井継之助の紀行記「塵壺」の一節(後に抜粋する)から推理すると、他藩の藩札との交換や藩撫育方の「貸し銀行」事業、兌換を行う両替商を介して貨幣の乗数効果を生んだと筆者は考える。しかし、これは後に詳述する撫育方の殖産興業の成功による正貨獲得との相乗効果が裏付けとなっており、この殖産興業の成功が永銭に対する需要を更に喚起し、発行当時以上の価値ももたらしたと推定する。そして、同時に方谷は永銭の価値が落ちないよう両替商に対する厳格な管理も行ったという。

ちなみに、他藩の藩札との交換について説明するが、藩札は原則的に藩内のみで運用されていたものの、異なる藩の藩札を交換する時は裏付けとなる資産との交換レートから「為替レート」を導き出していた。河井継之助は「札の咄出づ。松山札は随一なる由」、「この辺り、諸方の札ありて、誠に信じ難きものなり」と書いており、「この辺り」とは高梁川沿いに備中松山藩のすぐ隣にあった浅尾藩と考えられる。そして、浅尾藩で様々な藩の藩札の交換が行われていたのは確かなので、交換が行われれば貨幣流通量が増えるという事になる。先述した河井継之助の紀行記「塵壺」の一節とは以下の通りである。

「殊に松山(岡山県高梁市の備中松山藩)は山中故、却つて彼方が好からんと決定して、妹尾(岡山県岡山市南区妹尾)より右に吉備の社(吉備津神社)を見て板倉(岡山県岡山市北区吉備津板倉)へ出づ。是は本道なり。板倉より松山道、分れて城下まで八里(一里約3.9272㎞)、二里計りは平らなれども、あとは皆山にて、松山川とて玉島(岡山県倉敷市玉島)に出払ふ川あり。六里計りの所は、両岸山にて、川岸のみ行く。奇態の所なり。安みし処で札の咄出づ。松山札は随一なる由。或る時五匁の札不通用の聞えある処、不通用のものは非道とて何日迄と日を限りて触出し、持参引替へ、目前にて火中せるより皆感心して信ずる由。其外、文武を励まざる者は山へ上げる抔の咄。他領の者迄信じて話をする。遥々来り、張合(張り合い)に思ひしなり。この辺り、諸方の札ありて、誠に信じ難き物なり」

続いて、先述した「撫育方」の殖産興業についてであるが、これは藩札のデノミによる金融政策と同時に、現代からみても優れた財政政策であった。この金融政策と財政政策の両輪によって、松山藩の高い経済成長と財政黒字を作り出し(表高5万石実高1万9千石から実高20万石へ)、その結果、わずか8年で10万両の借金を返済しただけじゃなく、10万両の余剰も生み出す事が出来たのである。

撫育方は元々、長州藩の藩政改革者村田清風から学んだものであるが、備中松山藩では嘉永五年(一八五二年)に創設した。そして、藩内の様々な人材を集めて各種殖産興業政策を立案し、財源は年貢の収納米と別会計にして必要分以外の歳入を全て積み立てたものとし、徐々に推進していった。

高梁地区は昔から良質な鉄と銅の産地であり、方谷はその開掘と加工工場を直轄事業として、
中国地方各地から技術者を集めた。更に、藩内の余剰労働力である農家の次男、三男の
雇用も行い、鉄鋼業の町が出来て繁栄した。そして、江戸藩邸に販売部門を設け、
大火の多い江戸で需要の高い「鉄釘」を販売した。また、三本歯の「備中鍬」という
新しい鉄製品を発明し、撫育方が広告宣伝をしながら全国に普及させていった。
その他、タバコの栽培や林業振興も行って松山藩特産物を多く生み出したが、
その中でも特に、タバコのブランド化に成功し、各地で「松山きざみ」として松山産
タバコが有名になった。

また、撫育方は先述したように「貸し銀行」という政府金融事業も行っており、
名産品、特産物事業のための民間の創業支援や、事業者同士の連携支援も行って
低利で資金を貸し付け、民間投資も刺激した。これに新たに発行した永銭が使われたため、
紙幣の信用を高めただけじゃなく、正貨の準備金を増やし、それが藩庫を潤したのである。

これらの優れた藩政改革により、たった8年で赤字返済額と同額の余剰を生み出した。
それだけではなく、藩民を富ます事により藩政改革を実現したために、領民からは
神の如く慕われるようになった。

方谷のこの藩民を富裕にする事で財政改革を行うという思想は、庶民に対する教育改革にも
繋がっていく。
方谷が有終館の学頭になった時は、藩の教育機関は藩士子弟を教える有終館と
江戸の学問所しかなかったが、方谷は庶民のための高等教育に値する「学問所」一か所、
中等教育に値する「教諭所」三か所、その他家塾一三か所、寺子屋六十二か所を開設し、
学問所や教諭所で成績が優秀な者は身分にかかわらず藩士に登用した。そして、治安維持を
厳格にし、犯罪者でも軽犯罪の者は「寄場」という更生施設を作って善導教育をし、
改悛の余地がある者は釈放した。

更に、方谷は財政改革と同時に自藩軍隊を洋式化させる軍制改革も実行した。明治維新後の富国強兵の先駆けと言って良いが、新政府のモデルより経済政策に重きを置いているので、軍事費への投資が撫育方が諸国へ販売するための民需品への投資を犠牲にするという事がなかったと考えられる。
ちなみに、軍制改革が始まったのは弘化四年(一八四七年)からであるから、ペリー来航(1853年・嘉永六年)の六年前からであった。

方谷は後に二松学舎大学の創設者となる高弟三島中州を伴って、洋学先進藩である津山藩を訪れ、
砲術と銃陣を学び、大砲二門を寿造して洋式砲術と銃陣を松山藩士に伝授した。
安政二年(一八五五年)には、津山藩士梶原六郎左衛門を招いて水軍の砲術や水泳を
藩士に学ばせ、やがて藩政改革で余剰した資金で帆船も購入した。
また、中級以上の藩士たちに甲冑、銃器を自弁させ、下級の藩士には藩庁が購入して貸与して、
文武両道の士風の建設に取り組んだ。
これと同時に、国境地帯の山間部の守備を主目的として、田地も広げるために屯田兵制を
行おうとしたが、これだけは藩士たちの反発が激しく、「里正隊」という農民を
徴発した農兵制を中心とした。
嘉永五年(一八五三年)に領内六十余村の村長、庄屋(里正)の内、壮健な者を選んで
田地開拓すると共に、西洋兵術を学ばせた。
安政五年(一八五八年)に長州藩士の久坂玄瑞が松山藩を視察した時、方谷が指揮する
洋式銃陣の調練を見て「時に長藩銃陣、尚精錬を欠く」と感嘆したが、この里正隊が
後に高杉晋作の奇兵隊創設に繋がっていくのである。

しかし、藩士たちの屯田兵制に対する反発と憎悪がなかなか溶けず、方谷を暗殺しようと企む噂も流れた事から、方谷は一時自ら開拓者となり、北辺の藩境に家を建て屯田兵の指導に当たる事になる。(中断)



※山田方谷の最も有名な弟子越後長岡藩士河井継之助がここに訪ねて来て
弟子入りするのですが、これ以後、電磁波犯罪犯の激しい妨害にあって
書く事が出来なくなりました。河井継之助についても詳しく調べて書こう
と思ってましたが。また、山田方谷についても岡山県高梁市まで行って
一次史料レベルでの確認作業が出来てないため未完成のままです。
「山田方谷全集」は一次史料を集めたものですが、図書館に行かせて
もらえないので読めません。




日本のケインズ山田方谷という人物。2
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/6d3e9e0d59e4fa4b9330efe2e3043ddc
日本のケインズ山田方谷という人物。1
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/e373f4784e94977fbef679dc273e1c80



※電磁波、BMI兵器による被害詳細と技術解説、ガスライティング被害と手法の詳細解説記事まとめ
http://blog.goo.ne.jp/green5771/c/9b0d3c46a9ab63bd0053faed3f7493ee




※なお、私は元々一サラリーマンで実家は庶民レベルに過ぎませんが、
なぜ、少なくとも政治家や自衛隊の三佐で統合幕僚学校候補くらいの
人間を狙わないのでしょうか?「やりにくいから出来ない」。
それが集団ストーカー・電磁波テロの何たるかであって、真相です。
つまり、無差別テロだからです。無差別テロであれば、猟奇殺人鬼達が
やり易く、「むかつくカモ」だと思える者が狙われます。




<層化の裏に共産圏関連過去記事>
「ハングリーであれ。愚か者であれ」 スティーブ・ジョブズの講演
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/7047be3d80328857c1df3e79df19ab5a
鬱陶しい集団ストーカーネット工作員の印象操作について。
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/eda1870e077684190aa7700eec52d45f
(取り急ぎ)創価etcの自称防犯活動と被害者統合失調症認定の謎について
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/452f4d12dedb4bcb2c0941ad5ec3ede8
池田大作のノーベル平和賞挫折とフランスでのセクト指定
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/e1aa3b7d38520d7cff774919daf6dd6b
【重要情報】前回記事でのコメントのやり取り。
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/404a544444470bb3a8e50fa0693de233
中国高官が祖国を捨てる日
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/27ebe37aed68db08d884615cf035962c
電磁波兵器実在の新ソース
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/55161e4bfc1498be188725f769db3fe9
世界中で集団ストーカーを起こしている根源とは?
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/de7850fec770af6bb514da173278f0be
国防軍創設の意義について
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/26b4f9b6ceac0ceab3d6328da6ac9e10
自公政権の行方を分析
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/a7d33cd95f0390e29253956d636e03e2
韓国で集団ストーカーをドラマ化
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/c7b761c8107ad719137d745c17422141
中国共産党と創価学会との関係
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/888d6dbe4247eca562f17c6054e5ef7c
【創価学会が集団ストーカーをやっている決定的証拠】 洗脳された創価の二―ト大騒ぎ
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/62dcc73ead5e8c2fa8157ff7c6da4656
1999年に『週刊現代』に連載された高沢皓司氏の「オウムと北朝鮮の闇⑨」抜粋
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/8c6e6325adedd6c009b1a2eccb260ee4
新宿区危機管理課に防犯パトロール要員個人登録について相談
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/5862c78b5277ace9ab495a15f6248f28
オウム事件の真相と創価学会の真相(簡単なまとめ)
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/30dd614170546a9bb327499ef37675a0
池田大作死亡説ーもし死んでいたら見えてくる事
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/bbc745916f84d24c1fe002265832e199
池田大作名誉会長の講演 in USA
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/d687450ee0afa4b71b747ffc09f89bb0
集団ストーカーの犯行予告ー飯能の創価学会員桑原に読ませられた漫画
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取手駅通り魔事件の犯人は層化信者
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http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/2a8f276ab4896331510b43c86b71e36f
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http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/5cbec17f4180cf50ed51287316a95e03
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http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/ab0d2d22d2a390d7727bc637d39813bf
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http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/1fbe542ceddde7cc5313a3bf0eeb8fb8
層化の裏は共産圏だと思う(ユダヤ陰謀論に対する見解)。
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/7ccd46f2567c4a2bc862f122a3f0a14c
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」ー層化は共産圏の謀略組織+統一教会が集団ストーカーを一緒にやってる事について
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/3b2e07cdd6f067896b72dbdd2901edb4
創価学会広宣部の存在と創価学会員の語った奇怪な全体主義的思想
http://blog.goo.ne.jp/green5771/e/448ad01ed3014270a7fa41a65dc6a58c


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