日々の寝言~Daily Nonsense~

上善如水

今日の「世界遺産への招待状」は、
道教の発祥地と言われる青城山(中国四川省)を紹介していた。

知らなかったのだが、
日本では酒の名前になっている「上善如水」は、
「老子」の中の言葉だったのだ。
この寺の額にも書かれていた。

こちらの老子紹介サイトによると

原文
上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、
與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

書き下し文
上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して
而(しか)も争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。
故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。居(きょ)には地が善く、
心には淵(えん)が善く、与(まじわり)には仁が善く、言には信が善く、
正(政)には治が善く、事には能が善く、動には時が善し。
それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。

現代語訳
最上の善とはたとえば水の様なものである。水は万物に恵みを与えながら
万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。
住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、
言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、
事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。
水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。

あー、深いなぁ。

番組に出てきた、太極拳の先生(劉さん)が、
この言葉を体現しているような、
なかなか素晴らしい感じの人だった。
青城山で修行者に太極拳を教えているという。

いろいろな武術を学んで、(養生)太極拳にたどりついた。
武術は、敵を倒すためのものではなく、
自分を磨くためのものだ。

太極拳で、普段動かさない関節や筋肉を使うことで、
体の気を整えることができる。

自分の目標は、敵を倒すことではなく、
人々の間に浸透してその心を癒す水のような
存在になることだ。

というようなことを実に明快におっしゃっていた。

鍛えられた心技体に裏打ちされた自信。
話し方、その内容、そして実践に揺るぎが無い。
人間が円熟するというのはこういうことなのだ・・・
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