日々の寝言~Daily Nonsense~

会社は人が成長するための場

「会社は人が成長するための場」、
という言葉はとても素敵だと思う。

しかし、その一方で、
「コーチング」とか「上手なマネジメント術」とか言われると、
逆に、人をうまくおだててその気にさせて
たっぷり搾取する技術か?などと思ってしまう自分もいる。

「会社と一緒に成長してください」などと言われると、
そんなこと言って、きつい仕事を
押し付けようとしているんじゃないの?
とお尻がむずむずしてくる。

自分は何もしないで「がんばれ」と言うだけの社長は最悪だが、
「一緒にがんばりましょう」と言う社長も、
どこかで信じられない部分がある。

本人がそういうつもり(搾取するつもり)でなくても、
結果としてはそうなってしまうこともあって、
そういう場合のほうがむしろ悪質とも言える。

実態としてはそうなっていないのに、
「ぼくは君のためを思ってこうしてるんだ」
などと本気で言われてしまうと、ほんとうに困る。

それでも、創業者の場合は、
私財を賭けているのだから、
納得できる部分はあるのだが、
中間管理職が主導するプロジェクトの場合、
こけても自分の懐が痛むわけではない。
自分の出世にかかわるだけだ。

こういう考え方は、
マルクス主義の悪しき残滓なのだろうか?

それとも、子供の頃に、
暗黙の命令をたくさんされたのが
トラウマになっているのかもしれない。

そういえば、選挙でクラス委員に選ばれたときに、
いじめだと思って拒否したことが思い出される。
なんでいつもめんどうな仕事を押し付けるんだ、と。

自分の成長の機会、などとは全く考えなかった。
ほとんどの「仕事」は面倒なだけのルーチンワークだと思っていたし、
実際そういう感じだったと思う。

しかし、こんなことを思っていると、
組織で活動することがうまくゆかないのは自然だ。

組織で動く以上、ほとんどの場合なんらかの分業になる。
結果として、楽な仕事、きつい仕事が生じて、
きつい仕事はどうしても「できる人」に割り振られることが多い。

ある領域だけが特異的にできる人もいるが、
多くの場合、できる人はなんでもできる(効率がよい)が、
できない人はどれもできない(効率が悪い)。
分け前があまり変わらないと、できる人は
かなり損をした気分になる。

そういうときに、本気で自分の成長のため、
と思えればよいのかもしれないし、
あるいは、本気で「利他的」に行動できればよいのかもしれないが、
新しい仕事だって、何通りかやればだいたい慣れてきてしまうし、
自分の成長も頭打ちになることが多い
(実は、このあたりが問題なのかもしれない)。

そのたびに転職、というわけにもゆかないから、
だんだんルーチンワーク的な部分が増えてゆき、
結局、きついという事実だけが残る、
ということは現実としてはよく起こるのではないか?

だから、自分は、ほとんど一人でできることを仕事にしてきたわけだが、
やはり一人でできることは多寡が知れているし、
年をとれば、だんだんとやってゆけなくなる。

つい組織に頼りたくなる自分が情けない。

「組織というのは年寄りが楽をするためのものだ」、
という考え方は、事実として間違っていたのだろうか?
もちろん例外はあるとしても、多くの村社会や年功序列の会社は、
実態としてそうなっていると思うのだが・・・

結局は「経営者の人柄、人格」がすべてなのかもしれない。
みかけだけの掛け声なのか、それとも、
一緒に頑張りたいと心から思える人なのか。

後者であることは、「コーチング」などといった技術の問題ではなく、
その人の生き方のレベルの問題なので、とても難しいのだと思う。

人生において重要なことは、
良い師を持つことと、
良いマネージャを持つこと(自分がマネージャにならないとすれば)
この二つに尽きるのかもしれない。

そして、ほとんどの場合、
いつかはマネージャにならないといけないときが来る、
(自分だけをマネージすることも含めて)
ということも忘れないほうがいい。
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