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ゆーこりんの葡萄狩三昧

葡萄牙とかいてポルトガルとよみます。

ルドンドredondo

2009-02-04 03:33:35 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)
2日目の午前中はルドンドへ。
突然の発表ですがわたしは陶器や磁器の類に目がない。
そこでこの旅のコーディネーターたる強みを存分に生かし、
とある場所を、有無を言わせず行き先に組み込んだのである。
ルドンドはポルトガルでも有数の伝統的な陶器をこさえる小さな町。
が、近年はその窯元も半数に減ってしまったそう。
悲しいなぁ。

最も古い窯元とやらを見学に行く。
煙突が特徴的。
あとは普通の、ごくありきたりの、よく言えば観光客にとってはリアルな町並みでした。

窯元猫。
まさに駆け出さんとする5秒前。略してMK5。
見てください、この怯えた表情。
わたしにではないよ、後ろのこわい顔した3人にです。

女の人が絵付けをしている最中だった。
名誉ある何かしらを受賞した賞状やらトロフィやら写真やらが、
商品と同じくらいのヴォリュームで陳列してあったので、
ポーチで暇そうにしていた気の良いおやじも、
昔は(?)相当なゴッドハンドの持ち主だったのだろう。

ポルトガルの伝統的な絵柄ってこんな感じ。
ちょっと暗かったのでブレブレですが。。
引っかくように絵柄を彫って主に黄色と青で彩色。
大抵各窯元には決まった柄があるみたいで、
ここの窯元はこのピヨコちゃんが多かったです。
オリーブ皿を買って帰りました。
食事中に(主にお酒を飲みながら)オリーブの実をつまむのは、
レストランで必ず出されるほどポルトガルでは一般的。
お皿の形がとても特徴的な形なの。
梅干でも入れてみようかね。
.

エヴォラevora

2009-02-04 03:19:25 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)
エヴォラはアレンテージョ地方で最も大きな街で、
国内でも主要都市ベスト10入り。
そして街全体は世界遺産に指定されている。
異なる時代の様式がコンバージョンされており、
しばしば歴史が積層される街として語られる。
しかし、そんな濃ゆい(はずの)街を、
空腹と宿無しの我々は駆け足でこなしてしまった。
次の目的地に“夕日”のモンサラーシュが迫っていたからである。
とりあえずまずグルメにうんとかすんとか言いながら時間を費やし、
有名なディアナ神殿(コリント式だよ☆)の前をチラ見で通り過ぎ、
あるはずの城壁が見つからないのでまぁこんなもんかと言いながら、
以下そんな薄っぺらい視点からの世界遺産エヴォラレポートですが、
逆にその眼にさえも留まり得た風景はホンモノだと感じてください。

最も大きな広場前。
この一連の光景は見ものです。

広場にひとりはいるよね、こんな人。

アーチだけでなく、よく見ると家の壁も好き勝手です。


水道橋の下に時代を変えて人が棲み付きました。

光の入り方が美しかったで賞シリーズ~!
上の2枚の写真はシンボルでもあるサンタマリア修道院。
なかなか魅力的でした。

サンタマリア修道院のピアノ。
面白い具合に嵌っております。
その昔、遣欧使節団がポルトガルを訪問した際、
このピアノで連弾だかソロだか披露したそうです。
えーっと・・・うろ憶えだなぁ。
伊東マンショさんだか何戸可ミゲルさんだかのお二人です。
日本史で習ったよね!でも暗記するには及ばない人名だったしさ!
てゆうか“誰が”より“何故”その時代の日本人がピアノを弾けたのかの方が
知りたくなくなくない?
マカオで1ヶ月船待ちをしている間に現地の修道士が教えてくれたらしいです。
へぇ。


サンタマリア修道院の中庭。
窓のデザインがそれぞれ違うんですね。

壁と柱がすべて、本物の人骨で作られたオドロキ礼拝堂。
教会の周りに埋められていたお墓のない約5,000体の人々の結晶です。
入り口には“あなたのものをお待ちしています”とある。
それは、死んだらみんな一緒、という意味らしいです。
圧巻だったのですが、暗かったので全景は撮れませんでした。
よく見ると、
あちらこちらで頭蓋骨が抜き盗られている跡や傷つけられている跡がありました。
よくよく見ると、
見たことあるネだれかさんとオナジH.T.
.


マルヴァオンMARVAON(村めぐりシリーズ その4)

2009-02-04 02:50:44 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)
マルヴァオンは世界遺産。
これまた200m×800mの小さな村ですが、
標高は865m と高い場所に城壁を築き、
その様子から「鷲の巣」の異名を持ちます。
イスラムの騎士イヴン・マラワンが一晩明かしたため、
彼の名前を取ってマルヴァオンとなりました。
それが12世紀くらいの話で、
16世紀~17世紀にはキリストの騎士たちの拠点となりました。
標高が高いので地理的に厳しい場所ですが、
スペインとの国境を守るため、
最盛期には多くの騎士たちで賑わっていたそうです。
これだけでファンタジックな本が一冊書けそうなくらい役者が揃っていますが、
実は面白いことに、
現代にもリアル役者が揃っています。
なにぶん地理的にあれなのでしばらく廃れていた村ですが、
世界遺産に申請するためにがんばって電線を何とかしたりして、
観光客のお世話をするために180人の“村人”が下の町から通ってきているそう。

一体どんな“おもてなし”の村だろうとわくわくしながら行ったのですが、
かなり濃い目の霧に巻かれることとなりました。
村人の皆さんが、ドライアイスの煙を扇ぎすぎたせいだと思います。
迫真の演出、ご苦労さまでした。


こちらが村の入り口です。

右に行っても左に行っても、霧に吸い込まれそうなのですが・・・。

人っ子一人見かけません。
“村人”たちはシーズンオフっぽいです。
それにしても道路のタイルの素材や置き方が、
モンサラーシュとはまた全然違います。
道幅もなかなか一定です。


この村はクッキーみたいだなと思ったのですが、どうでしょう?
ココアクッキーにホワイトチョコレートか白い砂糖ペーストを落とした感じ。

とにかくお菓子の家のようです。
ていうかたぶん食べれるんだと思います。
あの出っ張りが気になります。
端っこを時々削って下地の石を見せているのは何のためなのでしょうか?

霧の中に浮かぶ、右奥の不気味なシルエット。

もう、、風が・・・。
“村人”よ、もういいから扇風機止めて!

ぅおー!今なら飛べるっ!

指先が冷たくなりすぎてほとんどシャッターが切れなかった町歩き。
なのでグルメショットで間を保たせたいと思います。
ポルトガルで食べてみたいと思っていた料理のひとつ、
アサリと豚肉の炒め物。
内陸の郷土料理なのですが、貝が入ってるんですねー。
さて、お味はというと、
豚肉にアサリエキスが染み渡ってることを期待していたのですが、
ここのお料理はそうでもなくて、うーん、、ひとつ星にしとこっかなっ☆
後日、Yさんが近所のお店のアサリと豚肉炒めは絶品だと教えてくれました。
リスボンでも食べれるじゃん。
ていうか作れそうじゃん。
次回からグルメ路線に変更。乞うご期待!?
.

モンサラーシュMONSARAZ(村めぐりシリーズ その3)

2009-01-29 13:54:01 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)
陽が沈む前に、早く、早く。
ポルトガルの中部アレンテージョ地方の田舎道を
まるで走れメロスのごとく追い立てられながらプジョーを走らせた。
何に追い立てられていたのかは、もう忘れた。
理由はどうだっていい、ドライブには飛ばしたい“気分”が重要なのだ。
車は丘をぐいぐいと上っていく。
そのときバックミラーに写った美しい湖畔を発見した。
車を停めて一望する価値はある、瞬時に全員が悟った。
タイムリミットまで僅かばかり余裕がある。
駐車場を見つけるや否や大袈裟なサイドブレーキターンで滑り込み
粉塵をあげながらも軽やかに
先客車の隙間へとパワーパーキングを成功させた。

ふと気が付くと、夕日に満ちた小さな村に横付けていた。
この村がモンサラーシュであることは必然であった。

モンサラーシュはポルトガルで最も美しい村のひとつ。
「地球の歩き方」には近くに湖畔があるなんて、一言も書いてはいなかったし、
村が小高い山の上にあることを連想させる写真ですらなかった。
けれども、そんな編集者のささやかな仕掛けのおかげで、
ころっと陶酔。

ダイナミックに振り回しながら三脚準備中。
記念撮影はキホン。
ちなみに今回は、
ハマちゃんとフォセとベンベンと4人での2泊3日旅行。
モンサラーシュには広場付近に3つ宿がある。
部屋を見せてもらってその場で選ぶのはなかなか面白いもの。

さてさて、こちらがゲート。
入り口はここと、もうひとつ裏口があるだけだ。たぶんね。

スペインの国境すれすれらへんにあって、厳重に城壁に囲まれている。
200m×600mの小さな村だけれども、
一番奥には闘牛場らしき場所も備わっていて少し驚いた。
まっ暗くて階段ばかりなので、わたしはそこで3回こけた。

湾曲しながら、白い壁が白い霧の向こうまで続いている。
薄い煙突が目立つ。
この村の道の素材や石の置き方は、
たぶん、ポルトガルの中ではとても特異だと思う。

左上:道と家のあいだ。もこもこと小さな岩がでている。
右上:石と石のあいだ。縦のラインが横のラインをせき止める。
左下:道と道のあいだ。交差点では大きな石が争いを鎮める。
右下:緑と石のあいだ。なかよし。

座るんだか置くんだか立つんだかなんなんだかわからないけど、
いろんな高さでいろんなつくり方のこういうのが、いっぱいあった。

屋根。
2階の窓。
入り口+新聞。

こんなところにも、郵便屋さんは来る。
あたりまえだけど。

ドアノブ。

壁の設備とか。

中庭と、テラス。

村の端っこに、ひっそりと水貯めがあった。
ここだけ、異様な空気。
水汲み場も発見。
もちろんどちらも今は使われていない。
それから関係ないけど、雨どい近辺が面白い家も付け加えて。

次の日の朝、湖畔に立ち寄ってみた。
ポルトガルへ来る旅人たちが、海岸沿いしか知らないのは残念だと思った。
暖かくなったらボートを浮かべにもう一度訪れたい。
地図を見てみると、実は一続きの広大な湖畔で、
スペインとの国境をなしていた。
わたしたち、一番左端から来たのにね。
足元を見ると、平たくて“手ごろな石”がそこらじゅうに転がっていた。
となると、あれしかない。
3人の負けず嫌いな男たちは肩を回した。
.

オビドスOBIDOS(村めぐりシリーズ その2)

2009-01-18 12:20:47 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)




むかしむかし、仲のよい姉妹がいました。
ふたりでいつも新しい遊びを考えていました。

ある晴れた日のことです。
ふたりは小さな小さな村を見つけました。

そうだ、ここでかくれんぼをしよう。
ふたりとも鬼だよ。

声をそろえて言うと、
ふたりからひとりに別れました。

ところが、お互いになかなか見つかりません。
ふたりが初めてお互いからはぐれてしまったことに気がつきました。

真っ白くて長い壁が、あんまりきらきらしていました。
ふたりにはそれが永遠のようにみえました。

そうだ、壁に自分が通ったしるしを付けよう。
ふたりを結び付けるかもしれない。

白いキャンバスに、線を引いてゆくことにしました。
ふたりの好きな色のペンキを持って、新しい遊びが始まりました。

こうしてオビドスが今のかたちとなったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんてのは大嘘で、
正しい物語はこうです。

ローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐために、砦が築かれたことにさかのぼります。
その後イスラム教徒に征服され、
1148年にアフォンソ・エンリケスによってムーア人の支配が終わると、
再建が行われました。
1282年、オビドスを訪れてすっかり魅了されてしまった王妃イザベルに、
ディニス王が町を“プレゼント”しました。
以後1834年まで代々王妃の直轄地となり、
今なお中世のままの姿をとどめています。
オビドスは、人口800人ほどの小さな町です。
「谷間の真珠」と呼ばれ、夏には色とりどりの花が軒先を彩ります。

by 地球の歩き方大先生

壁の事情にはお構いなく塗っちゃうよ。
でもね、青色の中はやっぱ黄色を垂らしちゃうよ。
ディテールに凝っちゃうよ。
ま、気まぐれだけどね!

青が想像以上に青々していた。
はげ具合を見ていると、世界地図に見えてくる・・・はず!

仲間はずれの色も時々見かけたよ。
カラーリングうっかり大胆にミスった感の建物もあったよ。

トンネルがちっちゃいの。

トンネルの素材がイレギュラーなの。

ツタ。
他に気になることは?

ツタ。
ツタ!!??

被写体:猫と猫ハンター。
撮影者:15分待ちぼうけ。

教会の裏っ側に干してあった洗濯物を撮っていたら、
持ち主が女優のように現れた。
ショッキングピンクのオーラでした。


メインストリート。

それはそれは小さな小さな。

町の周りをぐるりと城壁が囲みます。
1周15分くらいです。

城壁と民家の瓦の境目はこんな具合。
接合部がモリってなって煙突がニョキってなって壁1面節約でウハッ!てなって。

小さいけれど水道橋もありました。
えー、なんか模型みたい。
なんだろねこの違和感的スケールは。

お城に泊まれます。
一日女王さまが味わえます。
砂浜でも作れそうなTHEクッパ城である。
.

岬日和

2008-12-29 23:58:22 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)




ユーラシア大陸をひとつの陸塊とみなすなら、
西経9度30分のロカ岬は、まぎれもなく地の果てるところである。
民族詩人カモンイスは大叙事詩“ウズ・ルジアダス”(ルシタニアの人々)の中で
ポルトガルの地を指し「ここで陸地果て、海始まる」と記した。
ヴァスコ・ダ・ガマの偉業に感激した詩人は、
ヨーロッパの地図の西端を上に見て、
ヨーロッパの頭の頂点にあたるルシタニアの国と位置づけた。
ロカ岬には十字架の塔の下に、
このカモンイスの書いた一節が引用されている。

と、ガイドブックにはありますねー。
ふーむー。なるほろねー。知らんかったわー。
というのも、
友達とシントラ(※1)周辺をドライブしていたところ、
うっかり開け違えたどこでもドア的に、
アッパークラス風に言えばdoor to doorで、
ふいにあっさりと到達していたからだ。
噂に名高いロカ岬には
いずれ、公共交通機関を乗り継いで苦労を重ね
大詩人カモンイスよろしく厳かに訪れようと思っていたのだが、
この軽~いふわっと感がわたしの第一印象となった。
おまけに運の良いことに、晴天微風でまさに岬日和。
海と引き合って浮かぶように際立つ緑の平原が
なだらかな傾斜をつくりながら断崖へと落ちていく様は、
大変絵になる風景である。
今度はここ西の果てへ、夕日を見に来ようと思う。
言っておくが、この決意はだいぶ固い。
だって想像してみて?
想像以上でしょ。

ちなみに、ここではヨーロッパ最西端到達記念の証書がもらえる。
10ユーロなのでかなり立派な代物。
自称どうでもいいことに金を使うヒッツーは、恭しく持ち帰っていた。

※1
シントラとは、
リスボンから車で40分程度のところにある全体が世界遺産の街。
11/5ブログ参照♪
.

モンサントMONSANTO(村めぐりシリーズ その1)

2008-12-22 09:18:28 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)
留学を決めたときから
どうしてもやりたいことがあった。
ポルトガルの村めぐり。
今回はハマちゃんとインターンシップに来られているYさんと、モンサントへ。
ベンツで。
ベンツでね!!
右側運転は案外イケる。
ただ、ハマちゃんは
運転席が逆になったと同時多発的に言語感覚が本気の目をして左右逆になっていたので、
ナビゲーターとしては「次の角右」を「左」と言うべきかなんて深読みさせられ、
もしやロータリーも270度回るところを-90度回るのかと思いきや
そこはきっちり反時計回りで空振りさせられ、
結論としては、周囲のあたふたっぷりを尻目に紳士的安全運転だったので、
彼の脳構造を心配はしても我々の身は案じなくてもよいということで、到着。


巨石の重力感がたまらない。
夏は涼しく冬は暖かいらしい。

この村では、その昔、岩が信仰の対象だったそう。
こんなに小さな村にやたらと教会が多いのは、謎。

とある人の家のお庭。
岩の間になんとなくテリトリーがあって、
外との境界線らしきところにはなんとなく小さな岩が積んであった。


石っころどもに包囲された。
壁も床も天井も徹底的にぜんぶ石。
木々や草花の役割すらも、苔生した石で補われているんじゃなかろうか。

それにしてもなんだろう・・・この空間にあまり違和感を感じない。
この村を訪れる前は、これら一連の光景にもっとびっくりするのかな、と思っていたけれども。
巨石と家が同じ素材でできているからだろうか。
視覚的に受け入れるのかな。
もしくは、
でかい岩があるとその隙間で落ち着きたくなるのは、人間の本能かも。
だってほら、

こんな空間を見つけると家をつくりたくなるでしょ。

この村はたぶん、半分くらいは空き家だと思う。
スペイン瓦のお手入れ具合を観察したり、
古びたドアを(ちょっとだけ)ぶち壊して中まで進入したり、
人んちのポストを覗いてクリスマスカードの有無を確認したり、
してみたところによると。
人間のものでもない家は、すぐさま岩に呑まれて遺跡へと収束していた。

ディテールについての話だけど、
岩と人工物のあいだ。
ずっと暗闇。子供たちが宝物とか、隠していそう。

収まりの良いジョイントはこんな感じ。
建築家とか、いたのかな。

とにかくこの村では、からだがうずく。
誰よりもでっかい岩の上に、どうにかこうにか登ってやりたくて仕方がない。

登り詰めると頂上にはお城があって、
岩山に絶妙なバランスで、乗っかっている。
そのさらに上で飄々と立っているのが、Yさん。
こんな、たっかいところに来ちゃったら、
バンジージャンプとかしたいよね。

これらの何気ない距離感が、わたしは好き。
もし街中にコモンスペースを設計しろといわれたとしたら、
細かく細かく計画的に配置して、
何も計画されていないかのように見せながら
体感としては心地の良い空間ってのをつくってみたい。
(仮定のハナシではなく現在進行形の課題なのだけど。)

どこにいても、
岩と影のヴォリュームに圧倒される。

4時間歩き回ってもまだまだまだ足りなかったのに、
見下ろすと小さな村。
この村は岩と影のヴォリューム分、奥深いらしい。
中央の教会のてっぺんには、
1938年に最もポルトガルらしい村に選ばれたときにもらったという、
鶏の形をしたトロフィーが今もくっついている。
最もポルトガルらしいかどうかは・・・コンペ違いな気がするんだけど。

ポルトガルの村めぐり、1つ目を制覇。
レンタカーも制覇。
まだまだこれから。
.

カシュカイシュにて、見事な休日

2008-12-11 23:48:31 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)
課題提出1週間前だというのに、
ここ最近、風邪をひいたり、カシュカイシュに遊びに行ったりしていました。
ようやく薬も効いてきてベッドから起きあがると、
課題は置いといてブログとか書いています。
おひさしぶりです、カシュカイシュに行ってきました。
マリア様のご生誕だかご懐妊だかでとにかくおめでたい日だったので、
これは旅に出るしかない!
と、天使が耳元で囁いたものですから。

カシュカイシュはリスボンから車で15分、鈍行電車で40分の場所にあるリゾートです。
おなじみのポーランド人のアガと、ヒッツーと3人で海沿いを散歩します。
今更ですがアガの本名はアグネシュカ。可愛い名前だなぁ。

10日ぶりの晴れの日に恵まれて、少し暑めの空気。
ビーチで寝そべるカップルは、初冬を感じさせません。
その隣の波止場では“サンタクロース”がボートを運んだり水をまいたりしています。
露店の貝殻の飾りは風鈴の音色を思い出させました。
写真を撮っていたら案の定、怒られました。だよね。

リッチピープルが住む場所で、
芸能人とかたくさんいるらしいですが、会ってもわかりません。。
ヨットやオープンカーや豪邸がたくさん。

こちらが★★★★★ホテルでございます。
星が5つ記してあるの見えるかな。
まぁわたしの場合、しょっちゅう利用してるし?
五つ星をこのとき初めて見たなんてことは有り得ないんだけどネ。
何者がどんな風に休日を満喫しているのでしょうか。
まぁあれだよね、五つ星ともなると料理とか絶品だよ。ほんとまじで。
あとバスタブとかおっきいんだよ!ワインセラーとかさ!

「ホリデーっ!」と何度も叫ぶアガ。
本当に、見事な休日。

2ヶ月ぶりに自転車に乗って“地獄の口”へ。
30メートルの断崖に大きな穴が開いていて、
大西洋からの波が飛沫とともに吸い込まれてゆきます。
この写真からではまったく・・・迫力が伝わりかねますが。
その付近には、命がけで釣りを楽しむ方々がたくさんいます。
そんなこんな寄り道しつつ
久しぶりのチャリが嬉しい3人は競うようにチャリを爆走させ、
後先考えず滑るように坂道をくだり、
変てこな木がぽつねんと立つ場所で折り返し、
苦労して、くだった坂道をのぼりました。
このとき、喉だか肺だかに負担がかかったのが、
風邪が悪化した原因だと言い伝えられています。

帰りの電車が到着した途端に、わっさばっさと集まってきた鳩たち。
見送りごくろう。
.

ビギナーズラック

2008-12-06 02:32:29 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)

昨日は2時間睡眠、今日は徹夜で、どうにかブツを提出しました。
それなのに、
ほとんどの人が未提出とは、どういったご了見でしょうか。
でもあれ?それにしてもあれ?全然眠くないや。
今から元気にみんなの夕ごはん作りまーすv

ところでこちらの学校では、
プレボその他諸々の印刷に、時間とお金がかかります。
コピーセンターのおばちゃんに印刷してもらうシステムです。
まずは依頼書に何を何枚って書かなければなりません。
しかも、A1×1枚=4.75ユーロ!
えらく高い。
さらに、お金払うのも待たないといけないのです。
ぜんぜん払ってほしくないみたいな空気を感じちゃう、非効率主義のカウンターです。
払わずに踵を返しても、絶対に見つからない自信があります。
なんてことだ・・・試されている・・・!!
あの長い待ち時間に訪れる幾度ものチャンス・・・。
その誘惑に負けないよう、これからも頑張ります。

印刷代に朝から札束を費やしてしまって、
悲しみながら学校の本屋に行きました。
以前から欲しいなぁと思っている、パブリックスペースに関するぶ厚い雑誌があります。
本屋のショーウィンドウに置いてあるものなので、ためらいつつ立ち読み。
定価は90ユーロ、学校価格は81ユーロ、
ずっと立ち読みもあれなので、
そろそろ買おうかと思ったところ、破けているページを大発見。
テープで貼り合わせれば全然OK。
人生初の試みを気まぐれで。
えいや、と値切ってみたところ、
なんと45ユーロになりました!
びっくりして2回くらい値段を確認していたところ
フォーティーファイブが聞き取れないと思われて紙にメモられました。

明日からまたまた夢の3連休ですが、
(まぁ、毎週平日に3連休あるのですが、)
成果物最終提出日まで2週間を切っているので引きこもります。

街では、せっかちなサンタが流れ星に乗ってやってきます。
ん?どうした、足がツったか。
.

コインブラ旅行

2008-12-03 09:22:57 | ポルトガルの休日(Portugal_holiday)

ポルトガルが独立記念で連休だったため、
第5番目の都市、コインブラに1泊の一人旅に行きました。
コインブラは、虹も立ち寄る街だったのです。

この旅では、たくさんの人との縁に恵まれました。
しかし、マウス・トゥ・マウスのハプニングが起きた旅でもあったのです・・・・。
さて、ここで問題です。
わたしの唇を奪ったのは誰でしょう?
①カヒーリョ・ダグラサの設計事務所にインターンシップに来られているYさん。
②優雅な森にあるイネシュの泉で、まとわりつくようににゃんにゃんしてくれた猫。
③ファドの生演奏を聴かせるbarで知り合って、コインブラを案内してくれたおじいちゃん。
④コインブラ旧大学にあるヨーロッパ最高の図書館で働く、サービス抜群の管理人のおじさん。
⑤コインブラ旧大学で居合わせて、一緒に観光したオーストラリア人のバッグパッカー。

Yさんとは、電車の中でたまたま再会して片道2時間の道のりを楽しませていただきました。
彼はポルトへ向かう途中でした。シザの建築を見にゆくそうです。

駅を出てすぐの広場にて。
灰色の空に向かって、彼はペンを振るっていたのです。
せめて夜が、明るくあるように。

コインブラでは古い門がたくさんあって、街の壁と壁の間に挟まれています。
ためしに門をくぐって空を見上げると、その場所は晴れていました。
違う門をくぐってみると、空間が斜めになっていました。

工事中の古いカテドラルに忍び込んだ小さな影たち。
おーい、ここはジャングルジムじゃあないんだけど。

身分違いの恋で暗殺されたイネシュ妃。
その悲劇の場所はとても優雅な森の中にひっそりとありました。
泉の底の不気味な色はイネシュの血痕だという言い伝えがあり、
泉の中や周りの木の幹に、言霊の書かれたいくつもの長くて赤いひもが流れていました。
あの子はイネシュの泉の可愛らしい番人、ケルベロスなのでしょう。

深夜になってBarへファドの生演奏を聴きに行きました。
そこで知り合った詩人のおじいちゃんに、
次の日ランチに誘われました。
写真はチョリソというウインナーをムードたっぷりに焼いているところ。

コインブラ大学はポルトガルで最も歴史のある大学で、それはヨーロッパでも3本の指に入ります。
特に図書館に関しては、
蔵書数や壮麗さや歴史的な観点からヨーロッパ最高といわれています。
そんな図書館。
ホリディのためか11時40分オープン12時30分クローズという謎の時間割でしたが、
たまたまぎりぎりに滑り込めました。帰り際に、
「この扉はなに?」
と管理人に訊いたところ、それは2階への階段でした。
それをきっかけに、
わたしはロープの向こう側のめくるめく世界を見学することができました。
2階にのぼって500年前に書かれた日本に関する書物を実際に手に取り、
その時代の京都の絵や文字を見ました。
本棚には金の絵の具で丁寧な中国画が描かれていました。
上のほうの書物をとるための梯子の仕舞われ方や
梯子を引っ掛ける金具のデザインも興味深いものでした。
そもそも写真撮影すら禁止区域なのですが…。
このおじさん、有難いけど管理人としてちょっと心配です。
ところでこのおじさんがディープなグリーティングの犯人です。
この野郎。


Barで知り合ったおじいちゃんのディープグリーティングは
予期していたのでさささっとかわしました。
彼は不満そうでしたが、知ったことか。
まさかおじいちゃんに、
「わたし彼氏いますんで、」と説明する日が来るとはネ。

左の写真は「帽子の間」。名前が魅力的。議会なんかを行います。
右の写真は「王様の書斎」。42人がびっしりとこっちを向いている部屋。
王様もきっと、落ち着かなかったはずです。

道中、オーストラリアのバッグパッカー君と出会いました。
彼とは5時間後、街で再会することとなります。
彼はリスボンへ向かうバスセンターへ
わたしはリスボン行きの駅のホームへ
そして彼はこう言ったのです。
「コインブラで2回も会えたんだ!リスボンでも会うだろうね!」


橋を渡って対岸にある展望台へ。
夕日を浴びるコインブラはあまりに美しい。
ありきたりな表現が最も似合います。
急に影が差して雨が降ってきたので、近くのカテドラルで雨宿りをしていました。
パーフェクトな虹を見たのは初めてでした。
加えて2重になっているのがわかるでしょうか?
コインブラの街がすっぽりとその中に収まっていました。
まだ雨は降っていたけれども、
わたしは大きめのフードをかぶってカテドラルを飛び出したのです。
.