★今春の中国・韓国の反日活動、特に中国本土に於ける反日デモに対する日本国内の意見分布を見ていて、気の付いた事がある。 この種の問題には個人的に主張が別れるのは当然だが、
この問題に限って云えば、個人の資質でなく、その生れ育った年代で問題の理解が大まかに決まる感じ
が見えて、興味深く思った。
年代別の代表的な所説を引用する:
▼(戦後世代): 池田晶子:[日本人は嘗て中国で酷い事をした。 これが事実であるのかどうかを私は知らない。 その場に居なかったから(中略)。 本当のところはどっちなのか、そんな事は結局誰にも分らない。 各人が各人の思惑で言う事だから。 本当のところなど、誰にも分る事ではない(中略)。
「歴史」というものが、客観的な事実として、どこかに実在していると思っているのは、根本的な勘違いである。
(中略)歴史とは、現在において自分がそれを思い出すという行為以外の何物でもない。]
▼(戦中派後期):渡辺純一: [大戦の時小学生だった私は中国人を「チャンコロ」と呼んでいた・(中略)。 加害者側と被害者側では事件に対する思いは天と地ほど違う。 多くの中国人は父母から日本の非道さを叩き込まれて育ったに違いない(中略)。 忘れてならないことは、東南アジア、西欧諸国から米国まで、今回のデモの問題とは別に『日本は大戦中の行為を、きちんと謝罪すべきだ』と述べていることである(中略)。
3兆円を越すODAを中国に差し出すよりも、南京に「中国侵略謝罪の塔」でも建て、日本の要人が行く度に献花でもした方がよほど分りやすい。(中略)。
日本での反中意見は、その限りに於いては正しそうである。 だが、今求められているのは、理論や屁理屈ではない。 必要なのは「ごめんね」という一言だ。(中略) 辛い事だが我々の父母が犯した罪は、我々皆で背負わなければならない。]
▼(戦中派前期):五味川純平の娘栗田郁子氏:[父がたった一度だけ話してくれたことが有る。
「人間の条件」にも出てきますが(中略)捕虜の中国人の首を落とすシーンです(中略)。
それを話す父の目は真っ赤に充血していました。 慙愧の思いがずっと父の胸の奥底にこびり付いていたんでしょうね]
★以上、3人の意見は夫々同年代の人の8~9割の人の意見を大体代表するように思われる。
各年代の中に右翼的な思考様式の人、左翼的な人、などは同等に分布している筈だが、この問題に関してだけは、その様な思考の資質の差異でなく、年代として纏まった意見になるのが見られる。
★佐久間先輩のブログ(出逢いの問題、特に終章など)に時々名前の出るY君は戦争中に中国に行ってきた。彼は検閲を逃れて密かに写真を2枚持ち帰った。 当時、これは現在の人には考えられない危険な、蛮勇行為であった。
自分で彫らせた穴の前に中国人を座らせて首をはねる瞬間の写真と、特別な訓練をした軍用犬を嗾けて、中国人を襲わせ、訓練どおりに逃げ惑う彼の股間の急所を噛み付く場面の写真である。 この写真が撮られた経緯は書かない。
兎も角Y君はそれを彼の両親を含めて誰にも見せずに置き、終戦後に米軍が進駐してくる前に焼却した。五味川純平氏の場合と同様にY君も私以外には話していない。
歴史認識は主観で? 客観的事実としては存在しない? そんな事は無い!
食べ物にも全く困らず、平和な毎日を机に向かって過ごす現代日本の若者(哲学者?)はそんな事を言うが、日本刀で親の首を刎ねられ、軍用犬で兄弟を食い殺された人間には間違いの無い歴史的事実なのである。
★私は嘗て、南京大虐殺で60万人が殺された、という数字を誇大で信じがたい、と否定したために左翼思想の持ち主らしい若者にしつこく食い付かれた。 そして、最近では今度は全く逆に、数字以前に、その様な事実の存在は怪しいと責められる。
誰かが、何時、どの様な行為をしたかという事は一通りに決まった事実である。 それを周りの人間がどの様に受取か、どの様な意図で行なわれたかは人に依って理解が諸々だが、その真実を明かす事は重要な意味がある。
物質的に恵まれた平和な戦後日本に生まれ育った人物が、「歴史認識は主観」等とのんびり囀っている事は不思議で無い。 小泉首相もその程度の歴史しか知らぬのではないか。
しかし、あの写真の中国人の家族は間違いなく「歴史的事実」として捉えている。
そして加害者側ではあったが、戦中を活きた世代は多かれ少なかれその様なことを知っているから、今回のような反応になる。
個人の資質・感性の問題でなく、生きた時代で受け止め方の決まるのは当然である。
この問題に限って云えば、個人の資質でなく、その生れ育った年代で問題の理解が大まかに決まる感じ
が見えて、興味深く思った。
年代別の代表的な所説を引用する:
▼(戦後世代): 池田晶子:[日本人は嘗て中国で酷い事をした。 これが事実であるのかどうかを私は知らない。 その場に居なかったから(中略)。 本当のところはどっちなのか、そんな事は結局誰にも分らない。 各人が各人の思惑で言う事だから。 本当のところなど、誰にも分る事ではない(中略)。
「歴史」というものが、客観的な事実として、どこかに実在していると思っているのは、根本的な勘違いである。
(中略)歴史とは、現在において自分がそれを思い出すという行為以外の何物でもない。]
▼(戦中派後期):渡辺純一: [大戦の時小学生だった私は中国人を「チャンコロ」と呼んでいた・(中略)。 加害者側と被害者側では事件に対する思いは天と地ほど違う。 多くの中国人は父母から日本の非道さを叩き込まれて育ったに違いない(中略)。 忘れてならないことは、東南アジア、西欧諸国から米国まで、今回のデモの問題とは別に『日本は大戦中の行為を、きちんと謝罪すべきだ』と述べていることである(中略)。
3兆円を越すODAを中国に差し出すよりも、南京に「中国侵略謝罪の塔」でも建て、日本の要人が行く度に献花でもした方がよほど分りやすい。(中略)。
日本での反中意見は、その限りに於いては正しそうである。 だが、今求められているのは、理論や屁理屈ではない。 必要なのは「ごめんね」という一言だ。(中略) 辛い事だが我々の父母が犯した罪は、我々皆で背負わなければならない。]
▼(戦中派前期):五味川純平の娘栗田郁子氏:[父がたった一度だけ話してくれたことが有る。
「人間の条件」にも出てきますが(中略)捕虜の中国人の首を落とすシーンです(中略)。
それを話す父の目は真っ赤に充血していました。 慙愧の思いがずっと父の胸の奥底にこびり付いていたんでしょうね]
★以上、3人の意見は夫々同年代の人の8~9割の人の意見を大体代表するように思われる。
各年代の中に右翼的な思考様式の人、左翼的な人、などは同等に分布している筈だが、この問題に関してだけは、その様な思考の資質の差異でなく、年代として纏まった意見になるのが見られる。
★佐久間先輩のブログ(出逢いの問題、特に終章など)に時々名前の出るY君は戦争中に中国に行ってきた。彼は検閲を逃れて密かに写真を2枚持ち帰った。 当時、これは現在の人には考えられない危険な、蛮勇行為であった。
自分で彫らせた穴の前に中国人を座らせて首をはねる瞬間の写真と、特別な訓練をした軍用犬を嗾けて、中国人を襲わせ、訓練どおりに逃げ惑う彼の股間の急所を噛み付く場面の写真である。 この写真が撮られた経緯は書かない。
兎も角Y君はそれを彼の両親を含めて誰にも見せずに置き、終戦後に米軍が進駐してくる前に焼却した。五味川純平氏の場合と同様にY君も私以外には話していない。
歴史認識は主観で? 客観的事実としては存在しない? そんな事は無い!
食べ物にも全く困らず、平和な毎日を机に向かって過ごす現代日本の若者(哲学者?)はそんな事を言うが、日本刀で親の首を刎ねられ、軍用犬で兄弟を食い殺された人間には間違いの無い歴史的事実なのである。
★私は嘗て、南京大虐殺で60万人が殺された、という数字を誇大で信じがたい、と否定したために左翼思想の持ち主らしい若者にしつこく食い付かれた。 そして、最近では今度は全く逆に、数字以前に、その様な事実の存在は怪しいと責められる。
誰かが、何時、どの様な行為をしたかという事は一通りに決まった事実である。 それを周りの人間がどの様に受取か、どの様な意図で行なわれたかは人に依って理解が諸々だが、その真実を明かす事は重要な意味がある。
物質的に恵まれた平和な戦後日本に生まれ育った人物が、「歴史認識は主観」等とのんびり囀っている事は不思議で無い。 小泉首相もその程度の歴史しか知らぬのではないか。
しかし、あの写真の中国人の家族は間違いなく「歴史的事実」として捉えている。
そして加害者側ではあったが、戦中を活きた世代は多かれ少なかれその様なことを知っているから、今回のような反応になる。
個人の資質・感性の問題でなく、生きた時代で受け止め方の決まるのは当然である。
私自身は戦後一桁生まれでここで書かれている戦後世代とは若干違う認識を持っています。私の父親は明治生まれなので戦前に属するのでしょう。ここに書かれている戦前の事は親から聞いていた事で違和感は有りません。
最近歴史認識(自虐史観)が日本でも議論されているのは、戦前のこだわりが無い世代が増えてきたことが要因ではないかと思っています。現在の政治家トップは戦前後期ぐらいかと思いますが違う時代を生きてきた人が多いのでしょうね。
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激励のコメントを有難う御座います。
老人の戯言を真面目に読んで頂いて嬉しく思います。21世紀に生きる資格に欠ける人間だと自覚はしているのですが、矢張り、つい一言多く発言してしまう悪癖が直らないので、先日の日本海海戦の様な馬鹿なことをやってしまいます。雀百まで踊り忘れず、という訳です。どうか、宜しく。
みんなのプロフィール様:
お誘いを有難う御座います。どの様なルートで私のブログがお目に留ったか知りませんが、私共は同郷、同窓などの縁で繫がりのある5人程がほぼ同一時期に相前後してブログを開設しました。皆隠居した老人で技術的なことも良く飲み込めないし、グループ外の人からコメントやトラバを頂く件数は余り多くありません。仲間は年齢的に近いし、共通の友人が居るし、共通の体験も有ったりで同じ事を書いたりするので、時には誤解されて、お前と、別ブログ名の誰某は同一人物だろうなどというコメントを貰ったりした事もありましたが、夫々志向する所に多少の差が有ります。私の場合はアクセス数を増やす事にはあまり関心が有りません。 でも友人にはその様な興味を持つ人も居ますので連絡しておきます。
05年の青山学院高等部の入試問題に、元ひめゆり学徒の証言を「退屈」とした英語感想文が使われた。
記事を再度見て、懐かしく思いました。
コメント欄のmmmmはブログの開設をする前の私でした。