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山の恵み里の恵み

キノコ・山菜・野草・野菜の採取記録

エノキ、見ーつけた!

2011-11-19 10:29:56 | 山の恵み(保存版)

 家の近くの道ばた。柿の切株にエノキが密生していました。裏側のはかなり前に出ていたらしいが、気がつかず、11月13日、道路側に生えているのを見つけました。早速ひとかたまり、むしり採って晩酌のつまみ。晩秋の佳肴。5日後、つまりきのう、別のかたまりが食べごろになっているのを頂戴。まだ3株ほど残っているので、数日おきに採るのを楽しみにしています。
 念願の冬キノコのひとつにありつき、ご機嫌。残るはヒラタケだけになりましたが、果たして運命やいかに。

マツオウジふたたび

2010-05-27 15:59:03 | 山の恵み(保存版)
 庭の一部がヤケに明るく光っている。さてはかぐや姫か、と思って近づいてみると、昨夏大きく株立ちしたマツオウジが、更に大きなカブツになって、同じ松の切り株に出現していました。前は横に広がっていたのが、今回は縦に積み重なっていました。段数20。最大のものは傘が直径15センチ、茎が3センチ。肉厚で、見た目はいかにも柔らかそう。
 ごっそり引き剥がしてみる。重い。5キロはありそう。これがマイタケかニオウシメジだったら、文字通り「舞う」ところ。ただし、触ってみると、かなり固い。身も茎も、まるでゴムで出来ているよう。ほのかに松脂の匂いがただよう。
 図鑑類には「要注意キノコ」とあるものの、あまりにも旨そうなので、一部を薄切りにしてみる。傘や襞はクリーム色だが、身も茎も中は純白。火に炙ったり、油で炒めてみる。やはり固い。なかなか噛み切れない。噛むほどに甘みと旨みが感じられ、味は悪くない。しかしゴムの板を噛んでいるような感触は、なんとも頂けない。
 食茸としては、色ちがいのヒラタケやカタハに及ばないようです。

税金じゃなく「ごほうび」を!(続続)

2009-12-23 15:22:18 | 山の恵み(保存版)

 ⑦Green New Town
 こんな町、あったらいいな。ホントに出来たら、億単位の「ごほうび」を上げよう。
 1)歩く町
 半径1キロの円形。総面積1×1×3.14=3.14平方キロ=314ha(町歩)=3,140反歩。1戸につき1反歩あて割り当てるとすれば、3千あまりの家族が入居(入植)できる計算だが、もちろんダメ。公共施設や道路・水路などに広いスペースが必要だから、せいぜい半分程度だろう。(中心部に地下駅でもあればサイコーだなあ。そう言えば「サイコーですか?」の詐欺師、どうしてるかな)。
 広い濠にぐるっと取り囲まれており、その脇を広い道路が走っている(江戸城のようだね)。濠には東西南北に一本ずつ、中心方向に橋がかけられ、車道(1車線)と、両側に広い自転車道と歩道がついている。橋のたもとにはバス停と広い駐車場。橋を渡ったところに木戸(バリケード)が設置してあって、「曲者」の侵入・逃亡に備えている。(イザヤ・ベンダサン氏に言われるまでもなく、今や日本も、水と安全はタダじゃない)。
 橋から町の中心に向って、橋と同じ幅の車道と自転車道と歩道から成る並木道が一直線に通じている。車道は緊急車両または土木建築・設備点検維持のために特別に許可されたクルマしか通れない。国賓のクルマだって通れない(こりゃまた、皇居より厳しいね)。
 中心部は半径100メートルの円形。(「水路」に水が流れるように)少し小高くなっていて、大きな噴水(自噴)を中に広い池がある。池のまわりは公共施設と商店街が環状に建ち並んでいる。ただし「道路」はなく、「路地」のみ。水路の水は、町なかを流れたあと、濠に落ちる。
 中心部を取り巻いて、同心円状(バウムクーヘン状)に「居住区」が整然と並んでいる。同心円の幅は(区画の面積が同じになるように)内側ほど広く、順次狭くなっている。輪と輪の間は路地と水路で仕切られている。「路地」はすべて(緊急車両と作業車がぎりぎり通れるだけの)「水路」を含め幅2メートル、「水路」は幅30センチ。中心から放射状に、やはり路地と水路が伸び、各「区画」のかどで交叉している。水路は畑の水撒きだけでなく、雪片付けにも役立つ。
 路地はクルマもバイクもスクーターも禁止。例外は前記の特定車両のみで、それも超低速で動いてもらう(道幅が狭いため、どうせノロノロでしか進めない)。徒歩以外で許されるのは、一輪車・自転車・三輪車・車椅子・電動スクーター・乳母車・小型ガートラ(電動式)・大八車・リヤカー・駕籠・輿(かなり大時代がかってるね)。馬車・牛車・人力車・輪タクは不可。
 縦横に走る路地のおかげで、どの区画からも、中心部へは徒歩で15分以内、外へ出るのも同様。まさに「歩く町」だね。もちろん町内全域バリアフリー。アスファルト(危険化学物質)舗装はせず、石畳や木材チップを敷き詰めてある。

 2)自給自足
 「区画」はどれも面積1反歩(1,000㎡、300坪)。総数約1,500、町の人口は、従って、3,000~4,000ぐらい。どの区画も、例外なく、1/3(100坪)が宅地、1/3が畑、1/3が自由植栽地(恒久的建造物禁止)と厳格に決められている。食糧自給に励まない『不耕者』(既報)は入れてもらえない。サボれば追い出される。
 入居資格は最低夫婦ふたり、ほかは肉親だけ(親戚や「おともだち」はだめ)。「オレの土地をどう使おうとオレの勝手だ」なんて言わせないため、期限付き借地権契約を結んでもらい、更新は可能だが、審査は厳しい(「不心得者」は退去)。又貸し禁止。住居は2階建て以下。家屋を寝泊り以外の目的(事務所/事業所/営業拠点/工場のたぐい)に使うこと厳禁。仮設の倉庫や納屋以外の建造物を勝手につくることも禁止。
 食糧と水と電力(石油石炭系の燃料は一切使わない)はできるだけ自給自足。食糧は自給度に応じて別途(既報)「ごほうび」だ出る。各区画とも簡易井戸(公費負担)を掘り、自前の水の確保に努めるとともに、断水や渇水に備える。畑や植栽地で育てた野菜・穀物・花卉のうち、自家消費分を超える余剰分は「交換ステーション」で現金または他の作物と換えることができる。
 建物の屋根は太陽電池パネル(公費負担)を全面設置するため、すべて南向きの片屋根。需給バランスを調整するため、中央に大型蓄電池を設置し、同時にスマートグリッド方式を採用して、外部からの供給不足や停電に備える。電線は地中化。太陽熱温水器・ヒートポンプ式エアコン推奨。
 中心部に配水地と下水処理場があり、各路地の地中に上下水パイプが通っている(都市ガスの配管はない)。処理済みの下水(中水)は濠に落とし、汚泥は堆肥化。

 3)静かな町
 町の静謐と平穏を保つために、屋外での喫煙・ケータイは禁止。屋外スピーカー禁止。大声や大音を発する行為や集会禁止。押し売り・勧誘・販売などの営業禁止。「うろんなヤツ」がうろつかないよう、常時監視を怠らない。「よそもん」を家に入れない、泊めない。ただし介護・看護・医療関係者は別。
 まとまり(班)ごとに交代で、夜回り・昼回り・朝回りをし、防火・防犯に努める(巡回中は特例としてケータイー使用許可)。
 家畜や犬の放し飼いは(たとえ敷地内でも)禁止。吠えてうるさい犬禁止。猫は「白でも黒でも、ネズミを捕る猫は良い猫」だから、うろつき容認。ただし必ず鑑札(飼い主が明確に分かる首輪など)をつける。野良猫・野良犬は処分。犬猫以外のペットは禁止。営利・非営利を問わず、宗教的・政治的・社会的・文化的諸団体の活動は厳禁(「何とかの自由」侵害だ、なんて騒がれそうかな。それならいっそのこと、「特権的自治都市」に指定してもらおかな、昔の堺のように)。
 個人的訪問者(見学者)歓迎。団体さん(5人以上)お断り。グループの場合は、大声で話をしないことを条件に許可。
 滞納・禁止行為・迷惑行為・ポイ捨てなどをする「困ったひと」は即刻退去。

 4)きれいな町
 美観を保つため、屋外広告禁止。区画内に雑草やゴミがはびこらないように努めてもらうことは当然。各区画の周囲に落葉喬木を植え並べ、路地を並木道にする。夏には木陰の役割も果たしてくれるだろう。路地や水路の清掃は接している区画の責任。
 「ごみゼロ」にするため、ごみ収集なし。ごみ焼却場なし。生ゴミ・落葉・枯草・雑草など、各戸で処理し切れない分は「堆肥化ステーション」に持ち込む。自販機禁止。壜缶をはじめ、容器・包装・廃品のたぐいは販売店に戻す。外部から持ち込んだものは外部に戻す。(「返しそこない」防止のために、デポジット制の導入が必要かも)。
 金属・紙・プラスチックなどは「リサイクルステーション」へ。ステーションが引き受けてくれないものは、各自外部の処理場へ運ぶ(そもそもハナから持ち込まなければいいんだ)。それでも落ちているごみのうち、販売店が分からないものは、メーカーに受取人払いで送り返し、手数料を請求する。
 伐採した木や枝・廃材などは「炭化ステーション」で木炭に変え、燃料不足に備える。木灰は良い肥料になる(焼き畑農業を見よ!)。

 5)封鎖
 周辺で悪疫が発生したら、橋を通行止めにして「鎖国」する。(こちら側で発生した場合は「あちら側」が封鎖措置をとるだろう)。飢饉や災害や暴動などで避難民が押し寄せてきたら、中には入れないで、濠の外に救護所を設けて対処する。そういう事態に備えて、「中央倉庫」に米・麦・塩・医薬品を備蓄しておく。人間、最低限食糧と塩と水と電気があれば、長期間の「籠城」に耐えられる。備えあれば憂いなしさ。

 6)費用
 初期投資(町の建設費)は莫大なものになりそう。公的補助2/4,債券1/4、受益者負担1/4といったところか。上記「ごほうび」とか、篤志家の寄付があれば、個人の負担分は減るだろうが、「狸の皮算用」なんかアテにならない、借りた金は地道にお返ししていくさ。
 入居時に払い込むのは、受益者負担分+退去時に建物などを撤去する費用(見込み)で百万円単位。
 地代(利用権料)は町の年間経費の均等割り+債券償還費+公共施設・設備更新のための積立金、月々十万単位になりそう。かなり高いが、「いいとこ」に暮らすにはそれなりの代償が必要さ。
 その代わり、エコシステム採用など初期投資がしっかりしているおかげで、電気代・水道代・交通費・食費は少なくて済むはず。電力消費を節約すれば「お釣り」が出るかもしれない。水路と並木・植栽のおかげで、冷房はあまり使わなくて済むだろう。堆肥がたっぷり入手できるから、畑の肥料代もほとんど要らないだろう。畑の作物からも収益が得られるだろう。
 国や国際機関から「モデル都市」に指定されて、初期投資がゼロで済むなんてことも、まんざら夢ではないだろうし、いろいろな「ごほうび」がもらえるかも知れない。投資信託が乗り出してくる、グローバル企業がスポンサーとして名乗り出る...。あれやこれやで、出費がかなり抑えられるかも知れない。とは言え「絵に描いた餅」や「たなぼた」を期待するのは危なっかしい。やはりかなりの資金と定収入が必要だと覚悟していたほうが無難だが、「終の棲家」として、退職金と年金を注ぎ込んでもいいから、というお年寄りも多いはず。貯金と定収入のある「子育て世代」にも魅力的じゃないかな。ただし、最初から立派な家を建てようとして、多額のローンを組むなんてのは愚の骨頂ですぞ。

 いやー、「理想の町」を考えるのは大変ですなあ。「禁止、禁止」が多くて、かなり「独裁・専制」臭が漂うキライがあるなあ。「安心・安全できれいな町」を追求すると、どうしてもこうなってしまうのかな。
 考えるだけで大変なんだから、実際につくるとなるとどれほどの努力を要することか。ま、考えるだけで、もうすっかり入居した気分になれたから、それだけで満足じゃないかな。しかし、もったいないなあ。廃村や廃村になりかけている農山村・漁村など、(「観光で町おこし」なんてことを目指すかわりに)こんな町をつくれば賑やかさを取り戻せるんじゃないかなあ。
 

マツオウジ

2009-05-11 10:31:18 | 山の恵み(保存版)
 松の老大木が枯れてしまい、先月伐採してもらったのですが、切り株の根元に大きなヒラタケ状のかたまりで生えているのを見つけました。いかにもヒラタケ科に属するキノコらしく、遠目にはヒラタケに見え、傘をひっくり返してみるとシイタケ(近縁種)そっくり。
 肉厚、茎太でみずみずしく、いかにも美味そう。ところがこのキノコ、『日本のきのこ』によれば「要注意、時に軽い中毒を起こすことがある」んだとか。『日本の毒キノコ150種』ではあっさり「有毒」に分類してあるけれど、詳しく読めば、メキシコ風邪並みの弱毒性のようです。「時により、人によっては、下痢や嘔吐などを起こすことがある」なんて言われてもねえ。今が「その時」なのか、自分が「その人」なのか分からないので、無理して試食する気にはなりませんがね。
 この季節、キノコに出会うのは珍しいことではありません。春から夏にかけて、欧米人の好きなスッポンタケ、冬越しのエノキダケ、ナラタケなど、山菜採りで山に入ると、ときどき見つけます。以前、善光寺御開帳の期間中、戸隠でワラビをどっさり採っての帰り道、ナラタケの大群を見つけ、ワラビをほかし、代わりにキノコをどっさり抱えてバスに乗ったら、あいにく行楽客で超満員、ナラタケの入った大きな袋の置き場所に困ったことがあり、以来、御開帳は困り者、山菜キノコ採りには大迷惑行事と思うようになりました。

吊るし柿

2009-01-06 10:54:52 | 山の恵み(保存版)

 昨秋は甘柿と同様、渋柿も当たり年。あまりに沢山なったのを見て、さすがに見捨てておけず、一部(50個ほど)皮をむいて軒端に吊るしたのが2ヶ月前。そのまま放っておいたのを先日みたら、見事に「こー(粉)が吹いて」いました。試しにひとつ食べてみると、これがまたウメーのウマカネーのって(どっちなんだ)。名にし負う市田柿にはかなわないものの、なんてったって自産自消、気持ち良い甘さ、餅のような食感、60年ぶりの懐かしい味。
 「いもんぼし(干芋)」も昔はよく作ったなあ。柿もサツマイモも何処から手に入れたのか。近くの家から無断で貰った(つまり失敬した)のかな。いや、たぶん芋井村あたりの山里の知り合いが持ってきてくれたのだろう。漬け大根も野沢菜も長い間そこから到来していたっけ。そう言えば、味噌も醤油も自家製だったなあ。こちらはご近所共同の作業だったなあ。「古きよき時代」ってわけじゃない。困ったこともゴマンとあった。ただただ懐かしい。
 昭和20年(1945)秋。朝鮮から、満州から、台湾から、樺太から、数百万人がどっと「引き揚げ」てくる(スターリンと毛沢東の奴隷にされた人々の引揚げはずっと後)。全員失業者・ホームレス。一文なし(失業給付金なし。「引揚げ手当て」なし。「給付金」なし。預金も現金も株券も保険金も超インフレのため紙切れ同然)。大都市は一面の焼野原、農村は働き手不足で耕作放棄地だらけ(きょうこのごろとそっくり)。食糧が無い。頻繁に起きる停電・断水。都会から「疎開」してきたまま帰れない人々に加えて、食住を求めて新たに民族移動してくる「戦災難民」で、地方は人口激増。空き部屋無し。納屋や物置でさえ誰かしら「間借り」している。縁の下には鶏。犬猫の姿は無し。周囲はどこもかしこもサツマイモとカボチャ畑。肥料は人糞(家畜は食べ尽くしてしまっている)。そのため蔓延する伝染病と寄生虫。金蠅銀蠅蚊蚤虱。
 「懐かしい」なんてはずがない。しかし5歳の子供にとっては、そんな状況も遊び場だった。家の中がいっぱいなため、子供はみんな日がな一日外にでている。町は子供であふれかえっている(「子沢山」時代の名残)。空腹をかかえながらも、元気いっぱいだったなあ。のび太もいた。ジャイアンもいた。「むこう三軒両隣り」にひとりガキ大将がいて、隣の組としょっちゅう喧嘩していたっけ。草野球・ぱっちん・びーだま・縄跳び・川遊び・ターザンごっこ・ままごと・凧揚げ・べーごま...。きりがない。
 たった一個の干柿が、これほどの思い出を呼び起こす。「柿が赤くなれば医者が青くなる」そうだけど、柿の栄養価もさることながら、精神的効用も無視できないようですなあ 。

ナメコ・・・見つけた

2008-10-24 11:19:59 | 山の恵み(保存版)
 22日(水)は『きのこの日』。晩秋のきのこ(クリタケやチャナメなど)を探しに、裏山(葛山)へ行ってきました。このヤブは今シーズン初めて。『たたら』でバスを降りて10分もしないうちに、道ばたの倒木上で形の良いカタハが並んでお出迎え。更に10分ほど歩いた道路脇には、風で倒された大木の幹にカタハがぎっしり。ほとんどは出たばかりで、採るに忍びない、来週に廻そう。反対側の草むらにはハタケシメジが1列になってひそんでいる。1週間遅くて採る気にならない。なんとも幸先が良い。
 そこから5分で、いよいよ目的のヤブ。沢のあたまの窪地で、倒木や立ち枯れがごろごろしていて、ヒラタケ・クリタケ・カタハ・チャナメなど、晩秋のきのこの宝庫。山道の脇の大きな倒木全体にカタハがぎっしり。まだ小さいから採りにくるのは1週間か10日後だな。こんどの土日でひとに採られてしまうかも知れないが、その時はその時さ。ひとの知らない「秘境」が無いわけじゃない。
 10メートルほど奥、風で上半分が吹きちぎられたまま立っている大きな木の根元の草むらの中に、ちらっと黄金色のかたまりが見える。近寄ってみると、なんとこれがナメコのカブツ(写真)。驚いたな、もう。この林でナメコを見つけたのは初めてだ。3日ぐらい遅いけど、精一杯大きくなったのも悪くない。ブナに生えたのは匂いがきついけど、ナラのは匂いも少ないので、こっちのほうがいいんだ。
 10月に入ってから雨がほとんど降っていないせいで、林中の地面はからから、足元では落葉がかさかさ音を立てる。これじゃあ地面に生えるチャナメやジコボは駄目だな。しかし枯れ木に生えるクリタケが見当たらないのはどうしてか。ヒラタケにはまだ半月早いから仕方ないにしても、カタハはこんなに出ているのにさ。
 窪地の周辺にジコボとチャナメがちょちょぼ。山がこれほどからからじゃあ駄目だわさ。麓までおりたところで、例の「新諏訪のきのこ好き」が待ち構えている。「ジコボもナメコも来月に入ってからさ」だとさ。
 

山菜の大スターマイン

2008-06-13 17:24:43 | 山の恵み(保存版)
 エラ・ウドブキ・ソバナ・ユキザサ・ワラビ・ウド・コシアブラ・ネマガリ・コシャク・ヤマブドウの新芽。テーブル一面に並べられた豪華山菜尽くし。お浸しにしたり、煮付けたり、天ぷらにしたり、直火焼きにしたり。バランスをとるために馬刺しとカツオの刺身。
 『居酒屋 幸べえ』。知る人ぞ知る「山菜・きのこ・どぜうの店」。昨日「はーるかぶり」(十数年ぶり)に顔を合わせた男4人。かねて頼んでおいたこともあり、マーチャン(店主の愛称)が張り切って揃えておいてくれました。嬉しかったな、もう。今年の山菜シーズンの終わりを告げる「大スターマイン」といったところか。
 イケマとギョウジャニンニクとモミジガサとシオデとアマドコロはどうした、去年はあったじゃないか、なんて言うのはヤボ。毎年少しずつ種類が違うのも楽しみのひとつじゃないか。とにかくこれで、ウチに関する限り、「山菜狂い」の憑きが落ちた恰好。これからはひとつ、真面目に野良仕事に精を出すことにしますか。
 写真提供 写真家滝沢和夫氏(横浜在住)

ウドブキ

2008-06-05 17:45:26 | 山の恵み(保存版)
 戸隠宝光社近くの路傍で、ウドブキ(図鑑名ヨブスマソウ)が数本ずつかたまって生えていました。山菜好き垂涎のまと。いまどき道ばたでお目にかかれるのはとても稀有のことなんだけど、思うに、このあたりでは余りに少ないため、「ヨソモン」は知らないから、そして地元の人は、こんなちょっとばか採っても「げーもねえ」とばかり、放っておくのでしょう。おかげで、目を楽しませてくれます。
 それにここのは、茎が細くて、食欲もわかないしね。ウドブキが大の特産品である小谷(おたり)温泉のものは、さすがに茎も親指ほどの太さ、丈も3尺ぐらい。それでも柔らかい。貴重な特産品なので、村民以外の採取は厳重に禁止されているのもムベなるかな。鬼無里のモミジガサ、戸隠のエラ、野沢のネマガリと同様、土地のひとにとっては、「これぞ山の恵み、これを食べなきゃ夏が来ない」というほど大事なもののようです。
 姿形が遠目にはそっくり、唯一の見分け方は葉の付け根が茎を巻き込んでいるかいないかだけ、というのがイヌドウナ。同じく食用なので、特に区別することなく食べられているようです。もともとはドウナと呼んで同一視していたのでしょう。
 味や歯ざわりが蕗と似ているので、名前にフキがついているのは納得できるのですが、姿も形も味も匂いも生えているところも全く違うウド(独活)が何故名前に付いているのか。ドウナブキ→ドウブキ→ウドブキと変化したとも考えられるし、茎の中が空洞(ウツロ、ウロ)になっていることから、ウツロブキ→ウロブキ→ウドブキとなった、という説も有力。クウドウブキ(空洞蕗)の省略形という説は、漢語なんか混ぜ込んでいる点、民族古来の伝統を汚すものじゃないかな。ただし以上の3説、いずれも筆者が勝手に頭の中からひねり出した「卓説」です。念のため。

雪笹健在

2008-05-21 16:22:49 | 山の恵み(保存版)
 1年前に奥社近くで見つけたユキザサ。今年もお元気かどうか、ご機嫌伺いに行ってきました。あった、あった!数は少し減った感じながら、写真にあるように、クマザサに隠れるようにして、ひっそり身を寄せ合っていました。取って食おうなんてヤカラに見つからないでいて欲しいものです。
 ちょっと気になることがありました。奥社にギョウジャニンニクを採りに来始めてから15年余り、秘密の場所にほかの人の姿を見かけたことは絶えて無かったのに、今日はなんと人影が。たまらず近寄って誰何。笹薮の中をうかがっているおっさん(中期高齢者)に何を採っているのか訊ねると、答えはギョウジャニンニク。「ちょっとならいいよね」と言いながら、既に大きなビニール袋が半分ほど膨れている。どうやら、根こそぎ採っている様子。自分の土地(シマ)でもないから文句も言えないけれど、ひとことイヤミ「10年前はこのあたり一帯、ぎっしり生えていたんだけど、このごろヤケに少なくなってしまいましたねえ。」
 ま、自分だって毎年採りに来ているんだから、ヒトサマにあれこれ言えた義理じゃないけれど、こちとら、あちらで1本、こちらで1本と、ポツポツ遠慮しながら採らせて頂いているんだけどね。こんな調子で、シマがどんどん消えていく。ワラビもタラノメもコシアブラもワサビもウドもエラも何もかも、飯綱戸隠じゃあほとんど採れなくなってしまいました。これもご時世か。こちとらも年貢の納め時ってことかな。
 奥社でギョウジャニンニクひと握りと、エラを2本。中社でネマガリを同じくひと握り。今日の収穫はこれだけ。でもホントはこれでじゅうぶんなのよね。山菜は年1回、ひと口食べるだけで満足しなくちゃね。
 奥社の帰りに、隣りの『森林植物園』の中を通ってきたら、園内は一面ギョウジャニンニク畑。遊歩道の脇にはユキザサのちょっとした群落もあって、ひと安心しました。折しもカタクリの真っ盛り。「保護区」のおかげで、希少種が残ってくれているのは頼もしい限り。
 山菜採りもあと1回、月末をはさんだあたりでワラビが採れれば嬉しいんですが、はてどうなることやら。
 

ウコギ

2008-05-03 11:56:04 | 山の恵み(保存版)
 鑢(たたら)集落のはずれに、15年ほど前、杉を伐採したところで「造林放棄」された場所があってね。杉林の真ん中に1町歩ぐらいの空間がぽっかり空いている。伐採跡地(裸地)にまず最初に生えるのが、ウド・タラ・ウコギなどウコギ科の草や木。で、10年ほど前に「タラノメの秘境」が出現したってわけ。最初の年はめちゃくちゃ採れたけれど、2年目以降はひとの知るところとなり、年々採り尽くされて、今では壊滅状態。その荒地の手前にコシアブラがあるのを見つけ、懐かしの原野に入ってみたら、ウコギの群落がありました。
 当地ではほとんど食べられていないため、コシアブラやタラノメとは異なり、今後暫くは絶滅を免れそうです。同じ林に山椒も沢山生えていましたが、高崎前橋あたりと違って、こちらもハダカにされることなく、伸び伸びと育っていました。
 日当たりの良い場所(裸地)を好み、幹や枝にトゲ(剛毛)があるという点、同じウコギ科のタラやウドと共通しており、生育条件は少し異なるもののコシアブラも同じくウコギ科。春の山菜の大関格が揃い踏みしているなかで、ウコギの人気がイマイチなのは、恐らく苦味が強すぎるせいでしょう。
 クコと同様、ウコギ(五加---中国語でウカ---の木)は古代から樹皮が漢方薬の原料のひとつとされ、また葉は茶葉の代用とされてもきたようで、司馬遼太郎の『太閤記』(だったかどうか)に、若き日の秀吉・ねね夫婦と前田利家・まつ夫婦の家の間の垣根として植えられていた様子が書かれていた記憶があります。
 別名「うはぎ」。以前飯田のひとで、春に一度は「うはぎ飯」を食べないと気がすまないという話を思い出し、ものは試しと、少し採ってきて、茹でてみましたが、やはり苦味が強すぎる感じでした。油で揚げるとか、長時間水にさらすとか、いったん日に干すなど、何らかの「あく抜き」が必要なようです。
 ネットで調べたら、米沢では特産品とされていました。あちらのウコギはあくが少ないのか。