1エーカーと言えば約4反歩。60エーカーなら240反、つまり2町歩余り。個人の宅地としては日本だと途方もなく広い。しかし処は19世紀末の帝政ロシア、この程度じゃ誰も驚かない。遅まきながら近代化が始まり、四方に鉄道が伸びつつある。広大な大地を分割所有していた貴族階級が没落しかけ、鉄道建設技師のようなテクノクラートが台頭しはじめている。
とある農村に鉄道橋建設に派遣されてきた技師が(たぶん没落貴族から)上記の土地を買い、土地の農民の言うところの「新御殿」を建て、モスクワから妻子を呼び寄せる。さあ、ここから新旧住民の間の摩擦が始まる。農民にしてみれば、これまで入会地同然に思っていたところ。大昔から自由に馬を放したり、(ワラビは「馬も食わない」から採らないし、枯枝なんかじゃペチカには火力が足りないから拾わないけれど)貴賤を問わず食卓に欠かせない野イチゴや木イチゴやキノコを採りに、簡単な柵なんか気にもかけず、敷地内に出入りする。
新住民は怒る。ウチの馬も外へ出てヨソサマの草を食べるから「おあいこ」ながら、イチゴやキノコは困る。村の娘たちが夜明け前に入り込んできて、ミーンナさらって行ってしまう。ウチの女房や娘たちの楽しみをどーしてくれるんだ。これまでみなさんと仲良くしようと、お金を恵んだり、たいていのことは見て見ぬふりをしてきたのに(「もうカンベンならねえ」なんて下品な言葉は遣わない)...。
農奴身分から解放されて久しい村民たちは言う。「お偉いさん」なんかこわかねえ。オラタチに橋なんか要らねえ。川向こうに用があるときゃ舟がある。とっととこの土地から出てってくれ。」
都会育ちの令夫人は言う。「わたしも子どもたちも病弱で、空気の良いこの土地で是非長く暮らしたいんです。みなさん仲良くしてくださいな。」しかし幼い娘のひとりが泣きながら訴える。(「おらこんなとこいやだ」なんて下品な言葉遣いじゃなく)「ねえお母さま、モスクワへ帰りませう。」とどのつまり、一家は邸宅を売り払って去り、村には昔ながらの貧しく静かな日々が戻る。
ってオハナシ。アントンチェーホフの短編『The New Villa』(『新御殿』とでも訳すのか)。なんでこれほど長々と紹介したかっつーと、キイチゴやキノコが出てくるから。ロシアのお話にはしょっちゅうこの手の話が出てきますなあ。トルストイの『戦争と平和』にも、貴族の女性たちが嬉々としてキイチゴを摘んではジャムにしている場面がありましたなあ。同じロシアの農村を描いた小説でも、ゴーゴリの『デカーニカ近郊夜話』あたりだと底抜けに(野放図に)明るい農民たちが登場するが、「チェーホフもの」に出てくる人々はみーんな何処かしら悲哀を秘めていて、世紀末の雰囲気が感じられます。
「春は名のみの風の寒さ」で、「けふもきのふも雪の空」、畑に出るに出られず、引きこもり老人は相変わらず「eBook」に読み耽っています。プーシキン、ゴーゴリときて、只今チェーホフにかかったところ。なかなか作品数が多くて、とうぶん次の作家には進めそうもありません。
a donkey...appeared...to be contemplating suicide
Charles Dickens: The Pickwick Papers Chapter LI
19世紀初めごろ、イギリスはバーミンガム(懐かしいねえ)近郊。秋、(例によって)そぼ降る雨。日本は(恥ずかしながら)いまだオカゴの時代。「先進諸国(?)」ではずっと前から内陸交通の主役は馬車だった。「産業革命」が始まりかけてはいたものの、まだ「運河の時代」は始まってはいない。世界中の海からポルトガル・スペイン・オランダなどを駆逐して、「海上覇権」は確立しつつあったものの、インドや中国やアフリカを植民地化し始めるのは、これより半世紀あとの話。
まだアジアやアフリカに対して凶悪凶暴に振舞い始めてはいないから、イギリス人の気性も荒れてはおらず、国内は比較的平穏、つまり中世の牧歌的雰囲気が色濃く残っていた。つまり、1パーセントの貴族(含む高位聖職者)と10パーセントの(海外での海賊行為で分捕った富のおこぼれにあずかった)富裕階級と90パーセントの隷属民が、それぞれ「分をわきまえて」仲良く(?)暮らしていたころの話。
馬車の時代。お抱え馬車・お雇い馬車・郵便馬車・駅馬車・辻馬車・荷馬車、馬車・馬車・馬車、町中といわず田舎といわず、縦横無尽に全土を走り回る馬車。馬車が多ければ馭者も多い、(一定の距離ごとに配置された)馬宿(継ぎたて場所)やクルマ屋や馬具屋やモーテルや食堂(主として酒場)も多い。いやはや諸街道、ずいぶんと賑やかだったようですよ。舗装もしてない道を疾駆する馬車、さぞや雨の日(イギリスのことだから降らない日のほうが多い)はぬかるんで(馬が)難渋したこってしょうなあ。道が乾いていればいたで、舞い上がる馬糞、今で言うスモッグも酷かったでしょうなあ。2人乗りか4人乗り、ってことはつまり、貧乏人や従僕(召使い)や馭者は「カヤのそと」、馭者席ならマシなほう、大抵は屋根の上。雨降り雪降り風に日はさぞやつらかったでしょうなあ。
そこで冒頭のロバさん。そぼ降る霖雨、うら寂しい街道筋、散り敷く枯葉、恨めしげに外を眺めているロバ、自殺でも考えていそうな風情・・・なんと俳句的情景じゃあごわせんかな。芭蕉翁ならさしずめ一句モノするところでしょうが、あいにく我が国はテクの時代でしたからねえ。しかし「悪の帝国」になり果てる前のイギリス、雰囲気としては江戸期の日本に似ていなくもない、とは思いませんか。ディケンズに親しみを感じるのはそのあたりにあるのかも知れませんね。
『ピクウィックペーパーズ』。オモロイでっせ。とりわけdebtors' prison(借金が返せないとブチ込まれる『債務不履行者監獄』)の場面なんか圧巻でした。
The sounds of birds "made the place more quiet than perfect silence"
Charles Dickens: The Old Curiosity Shop Chapter 17
「閑さや 岩にしみ入る鳥の声」ってところか。ところはイングランド南西部、片田舎の教会墓地。時は1840年ごろ。芭蕉翁に遅れること150年、さては『奥の細道』からの剽窃か、なんて下司の勘ぐりをしちゃーいけない。
ディケンズの『骨董店』。読みたいと思ってから半世紀、やっと宿願を果たせました。最初は高校2年だったか3年だったか、1955(昭和30)年ごろ、長野の書店にも「洋書」が並んでいた。時あたかもイギリスからアメリカへもろもろの覇権が移り始めていたが、文化面ではまだまだ大英帝国の時代。ペーパーバックもペンギンなどのほうがポケットブックより優勢だった。しかし何せ1ポンド千円、1ドル360円時代。親の月給が4千円ほど、『骨董店』なんか高嶺の花。憧れたな、もう。研究社の『英文叢書』(と言ったふうの名前だったかな)でも出ていたけれど、こちらは薄っぺらだったから恐らく抄本だったのだろう。それでも欲しかったけれど、財布と相談の上、すぐ横にあったシャーロックホームズにしちゃった。以後ずっと気にはなりつつも、歳月は流れ、やっと10年ほど前、東京の本屋でペンギンブックになっているのを見かけ、(今度は財布に余裕があったので)衝動買い。
しかし時すでに遅し。さて読もうとして開いてみたら、ナナなんと、文字の代りに蟻の行列というかゴマ粒が並んでいるだけ。大道易者の天眼鏡のように大きな虫眼鏡を買ってきてはみたものの、あまりにもメンドクセー。哀れや我が『骨董店』、つい先日「電子書籍」の形で読めることを知るまで、本箱の底に眠ったまま更に10年。あー、長生きしてよかった。虫眼鏡なしでディケンズが読める!
それにしても2世紀近くも前の文章、正に「古典」。小説の内容も古典的(つまり古色蒼然)。分子構文やら関係詞やら仮定法やらで文章をつないで、だらだらだらだら、一向にピリオドが来ない。正に当時の「英文長文読解例題集」のよう。おまけに誤植だらけ、方言(らしきもの)だらけ、知らない単語だらけ。こりゃあホント在りし日の大学受験問題そのものだわさ。昔からの癖で字引なんか使わないから、半分も理解できずに飛ばし読み同然。若かりしころなら一晩で読み上げただろうが、今は7日がかり。
これぞ「若返り法」か。連日眠い目をこすりながら読み進むうちに、不活性化していた脳味噌の一部が、薄皮が剥がれるように活性化する実感があってね、気分は大学受験生。確かに頭は再活性化した感じはあるものの、前よりずっと、目はしょぼしょぼ、足腰は(運動不足で)ふらふら、やっぱり「失われし時」は戻らないようですなあ。
ここでハタと気がついた。この世で読み残したのはこの『骨董店』だけ、ってことはすなわち、我が身は「用済み」になったってことか。あー、やんぬるかな。
大正12(1923)年10月28日。関東大震災から2ヶ月足らず。若山牧水39歳,『木枯紀行』の旅に出る。
早朝沼津の自宅を出て、東海道本線(現御殿場線)で御殿場。そこから馬車で須走。茶屋で昼食(つまり例によって酒)の後はひたすら歩きに歩いて、籠坂峠→吉田→(夕暮れの時雨の中を)河口湖。手には洋傘、足には草鞋、背には防寒用の着茣蓙とルックサック、着るは(たぶん)袷に股引。
29日。船津から小舟を仕立てて河口湖を渡り→西湖→青木が原の樹海→精進湖→(モーターボートで)精進村。30日。女坂峠→左右口(うばぐち)峠→笛吹河畔→(乗合馬車で)甲府→(汽車で)小淵沢。31日。今日も寒い時雨。長沢→念場が原→甲信国境まで来たところで、国境の「飲食店」で酒になり、そのまま泊り込む。11月1日。早朝「白麗朗の富士」を眺めながら(小海線は開通していないので)野辺山が原から延々と歩いて、凄まじい木枯の中、佐久街道を海ノ口→松原湖。以後4日まで、木枯と時雨のため松原湖に滞留。
5日。(開通したばかりの)佐久鉄道でいったん岩村田まで行き、仲間と別れてから(当時終点の)馬流駅まで引き帰す。6日~8日。この3日間の足跡を今の地図で辿るのは難しい。武信国境を越えるルートを探っていたらしい。やっと辿り着いた山奥の集落で、宿が「お役人衆」に占領されていて引き返したり、別のところでもまたまた同じ「お役人衆」の傍若無人の振舞いに辟易して逃げ出したり。結局いったん野辺山に戻り、9日、決然と千曲川源流域に踏み込む。梓山から甲武信岳方向へ進み「上下七里」の武信国境十文字峠を目指す。10日、前夜「とある居酒屋で知り合った爺さん」の案内で峠越え。11日、いったん麓の栃本という集落までくだり、ついでに三峰山を登ってから、落合村。12日東京。13日沼津帰着。都合17日の歩きに歩いた大旅行でした。凄いね。
うち3日間は木枯と冷たい雨で動けず、小淵沢~岩村田の3日間は仲間が合流して連日酒宴。最後の2日間は汽車と都会だったから、正味8日。一部汽車とバスと舟を利用した以外はすべてテク。しかもほとんどは雨まじりの木枯しが吹きすさぶ初冬のひとり旅。朝から晩まで酒、酒、酒。ちーと過ぎるんじゃねーの、と思わなくもないが、このひとの場合、歩きと歌と酒は三位一体、ひとつだけに絞るわけにもいかなかったんだろう。
なんで今更今頃牧水か。お叱りはごもっとながら、コチトラ、このところ「引きこもり」気味。せめて古人(?)の旅日記でも読みながら、旅に出た気分にひたりたい。ほら'armchair travelling'ってことばもあるじゃないか。わざわざ図書館まで足を運ばなくても、自宅にいながら『牧水全集』や『日本紀行文学全集』が読める。嬉しいご時世になりましたなあ。
2月7日はチャールズ・ディケンズの生誕200年忌。なーんて、知ったかぶりするほど恥知らずじゃない。たまたま朝のBBCニュースで、ポーツマスでの記念行事の様子を放映しているのを見た、ってだけの話。それにしても如何なる暗合か。たまたま数日前からアメリカはバージニア大学の'Etext'で「ディケンズもの」を読み始めたばかり。年寄りの冷や水つうか、柄にもなく昔懐かしい'Pickwick Papers'なんかに取り掛かったところだったから、驚いたな、もう。
ポーツマスの『ディケンズ記念館』(覚えてるよ!)、来賓の英国皇太子夫妻(あれっ「お妃さま」が違うんじゃねーの、いくらあれから30年経っていたって、あんなに皺くちゃ婆さんになっちゃいないよな、さてはチャールズおじさん、嫁に逃げられたな)。華麗な結婚式の中継放送を近くで(つまり同じシマウチのバーミンガムで)終日見ていたっけ。一気に「あの頃」の記憶がよみがえる。
今年は女王の戴冠60周年記念にもあたるんだとか。こちらのほうも思い出がある。高校1年(純真だったなあ)の英語の教科書。とっぱじめがエリザベス女王の王位継承の話だった(ような気がする)。オレンジ色の薄い読本(リーダー)。研究社じゃなかったかな。珍しく写真まで付いていたっけ。
閑話休題。『青空文庫』から取り込んだファイル。日本語は縦書きでないと気分が出ない。'azur’という「縦書きソフト」(有料)でしばらく楽しんでいたが、そろそろ飽きてきた。読みたい本がなくなっちゃった。そこで一念発起。英文の文献を渉猟開始。上記'Etext Center'のサイトを発見。すっげー!あるはあるは。数百巻、いや数千巻の書名がずらずら並んでいる。
'HTML'ファイル。正体不明(つまり知らない)ながら、いつのまにか凄いものが出てきましたなあ。文字の拡大縮小自由自在。しかも日本語の場合、文字の大きさが変わって、つまり1ページの文字数が変わっても、ページ送りが自動的に変わるのはもちろん、ルビまでちゃーんとついて来る。欧文の場合は、一行の語数が変わっても、各行の右側がきちんと揃う。終りのほうに長い単語が来るときは、自動的にハイフンが入る。文字が小さくなると、ハイフンが消える。魔法だな、こりゃ。
昔印刷屋さんで、欧文の場合、各行の右端を揃えるのに、植字工だか組版工だかが、文字と文字のあいだや単語と単語のあいだに小さな木片のようなものを挟んで、右端を揃えるのに四苦八苦しているのを見た記憶がある。タイプライターから直接組版用の原稿を作る場合、特殊な装置を使って文字間隔や語間を調節し、行端を揃えているのを見たことがある。今の様子を知ったら、往昔の印刷工さんたち、墓石の下で跳びはねて口惜しがるんじゃないかな。
同じEtextでも、上記バージニア大のもの以外は、「右端自動揃え」なんて芸当はできないらしいから、この技術、ホント最近のものじゃないかな。愚考するに、このごろはやりのタブレット端末(手にとって見たことはないけど)の技術発達に関連があるんじゃないかな。しかし、あんなもなーどーでもいい。こちとら、大画面パソコンで文字を一寸角ぐらいに大きくして読める。
それにつけも、あの二宮金次郎少年。石ころだらけの山道を歩きながら本を読んだそうだけど、足元が危ないんじゃないの。歩きながらじゃあ、小さな文字じゃ読めない、せいぜい1ページ50文字ぐらいしか載っていなかったんだろう。左手で本をささえ、右手でページをめくりながらだと、つまづいて転ぶぐらいは仕方ないとして、下手をすれば谷底に転落しかねないよ。タブレット端末を貸してあげたいなあ。
それにつけても、あの「金次郎伝説」、なんとも嘘くさい。戦争末期、全国に石像(初めは銅像だったのが、「金属回収」とやらで石に変えられたんだろうが)を置かせたのは、「奉安殿」と同様、軍部か右翼の「はねっかえり」のしわざに違いない。尊徳さん、ごめんなさい。
18 長野→高崎→新潟(快速)→米沢(特急)→福島→飯坂
19 飯坂→福島(特急)→新庄→酒田(特急)→仁賀保
20 仁賀保(特急)→新潟→長岡(特急)→直江津→長野
時は冬、冬は雪、雪は東北。今回の『老人の休日パス』を利用して雪を見に行き、雪を見てきました。三日間ともなぜか「晴天の窓」に恵まれ、交通機関の乱れゼロ。珍しく鳥海山を南と西と北から、しかもクッキリ眺められたし、同じく珍しく佐渡も良く見えたり、ツイテタな、もう。
この寒いのになにも寒い寒い(だろう)「東北くんだり」まで行くこたーあんめえ、と思わなくもなかったが、「1万5千円で4日間乗り放題」の魅力には勝てない。1日¥3,750。東京片道¥7,460、ちょっと往復しただけで3倍の儲け(?)。よーし乗って乗って乗りまくりまっしぇー!(儲け話となるとなぜか大阪弁)。
つい最近(150年前)まで、大陸に面した側こそ「表日本」だった。歴史に生きるコチトラとしては「裏日本」なんか「おととい来い」だ。だいいち、房総以北は取り込み中だし、以西は津波が迫っている。行くなら表日本さ、てなわけで、上記日程の大旅行。ただし3泊もしたらアシが出かねない。1日分は東京日帰り希望の御仁に譲って、3日で¥11,250。新幹線と特急をフルに活用するとして、ひそかな「皮算用」によれば、上記行程なら名目汽車賃は4万円ほど。差益が3万もあれば、侘しいビジネスホテルなんかじゃなく、まともな温泉旅館にだって泊れる。「団体さん」が来なくなって、温泉地でも最近は「おひとりさまでも歓迎」ってところが出てきている。
泊るなら温泉地が多い山形県が日程的にも好都合なんだけど、どの旅館も「売り」は馬鹿のひとつ覚えみたいに「牛ぎゅうギュウ」。伝統の山菜キノコ漬物はどうしちゃったのさ。それならいっそ、ベクレルだのシーベルトだのって、訳も分からない数字で騒いでいる(騒がれている)福島県だ。できるだけ「爆心地」に近いところを探そう。客が来なくてガラガラだそうだから、ゆっくりゆったり楽しめそうだぞ。(それにつけも、このごろの「放射能汚染」騒ぎ、広島長崎のひとびとはどう見ているのかなあ)。
飯坂温泉『祭屋湯左衛門』。純和風、つまり部屋に椅子なく「お食事処」は座布団もない板の間個室。ひとり侘しく「豪華山家料理」をいただく。いやー、オモロかった。それにしても飯坂温泉、ひどいさびれようだ。20年ほど前に来たときの活気、今いずこ。
仁賀保温泉『いちゑ』。団体さん用の大部屋に都会風料理。伝統的温泉地じゃないせいか、風情ゼロ。ここは失敗。おまけに田舎の駅で、コンビニも駅の売店もない。仕方なく車中で冷や飯弁当を買う。駅弁さえここ数十年買ったことがない。車内弁(?)なんて生まれて初めてだったけれど、やっぱ懼れていた通り、冷や飯なんてダミだな、うん。
汽車賃で儲けた分で宿賃を賄えたはずなのに、帰ってから調べたら、3万円近く財布から消えている。スリに遭った形跡もないのにナシテ、どーして?
先日から心を入れかえて『青空文庫』を離れ、半世紀前の愛読書を読み始めました。(もちろんネットで、つまりロハで)。幸い'Etext Center(University of Virginia)'のサイトで、版権の切れたものなら大抵の書物が読めることが分り、早速ダウンロード開始。
手始めはMark Twain。'Cannibalism In The Cars', 'Connecticut Yankee', 'EVE'S DIARY', etc., etc. 懐かしいねえ。若かったなあ、あの頃は。これで少しは「終焉期」の症状が和らげばいいんだけどね、ま、望みは無しか。
嬉しいのは大きな文字で読めること。昔のようなペンギンブックやポケットブックの文字が、蟻の列にしか見えない今となっては、視力に合わせた大きさの文字で読めるのは何より。「たきぎを背負いながら書を読んだ」とか言う二宮金次郎少年が聞いたら、さぞ羨ましがることでしょうなあ。何しろ細い山道を歩きながら、ってんだから、一寸角ぐらいの大きな文字、従って紙も大きく、おまけに書物に没頭しながら歩いたんじゃあ、さぞつまずいて転んだり、谷底に落っこったりしたんじゃないかな。「貧しい家計」じゃあロクに本も買えなかっただろうから、次々と新しい書物も買うわけにもいかない。同じ本を繰り返し繰り返し読んだんだろう。今なら、電子ブックリーダーと小指ほどの大きさのメモリースティックさえあれば、何百冊でもホイホイ読めるのに(ただしコチトラ、既述の通り、「リーダー」なんか御免だけどね)。
また、漢文や日本文学と違って「縦読みソフト」のご厄介にならずに済むのも嬉しい。'htm/html'ファイルなら、クリックひとつで読める。しばらくハマリそうです。とにかく嗜好(だけ)が日に日に若返りつつある、つまり退化しているのは我ながら驚き。現在は50年ぐらい前に戻ったらしい。残りわずか。しかも加速度がついているようなので、末恐ろしい(って言い方は変か)。
こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ サトウハチロー
我がブログの数多の(つまり数人の)愛読(義理読?)者のかたがたを、年改まったのっけから失望させるようで心苦しいことながら、ちと近況など。
なにせ、山野が雪に蔽われていてはオンモにも出られず、この時期唯一の「恵み」フキッタマを採るにもならず、家にこもって「つれづれなるままに日ぐらし」パソコンに向かって『青空文庫』を読んでいます。
青空文庫と言えば、昨年暮れ突然、愛用の縦書きブラウザー('azur’)が動かなくなって、あわてちゃったな、もう。なにせ大枚千円なにがしをはたいて買ったソフト、それまでは何の支障もなく、大きい文字で『半七捕物帳』なんか読んでひとり悦に入っていたのが、「URLが見つかりません」なんて表示が出て、縦書きで読めなくなった。横書きならいろいろなソフトで読めても、日本語のお話を横書きなんかで読んでもしまらない。
発売元の「お問い合わせ先」にメールをしても、あいにく年末年始のせいか、返事が来ない。『文庫』ご推奨の無料ソフトをふたつみつ試してみたが、どれもまともに動かない。市販の「電子書籍リーダー」のたぐいなんか、はなから相手にしていない。ソニーは『文庫』が読めないそうだし、アップルは正体不明、最寄りのパソコンショップには置いてないから、どんなシロモノか手にとって見ることさえ出来ない。『ケーズデンキ』なんていかがわしい名前(「系図買い」で仕入れているのか)の店なぞ、探してみる気にさえならない。
松の内を過ぎた先日、やっと「お答え」が来た。「ファイル名とフォルダー名が半角英数字でないと動作しません」。「ザケンナッ!」と思ったけれど、汽車賃がモッタイナイから、江戸は渋谷の会社まで怒鳴り込みに行くわけにもいかぬ。泣く泣く(寒さとヨイヨイで)震える指を酷使しつつ、一年間かけてメモリースティックに貯めこんだ百冊近い「本」の名前を変えてみたら、何故か読める。「なして?どーして?」なんて、いくら考えたって分らないが、ま、終わり良ければすべて良し、めでたしめでたし、の新年でした。以上、オソマツさま。
この12日~24日は例の旧国鉄『老人の休日パス』期間。しかしどうにも「使い勝手」が悪い。「北海道5日間¥25,000」は論外、去年で懲りた。二度と利用するもんか。「東日本4日間¥15,000」も困りもの。『青春きっぷ』のように、バラで使えるならまだしも、連続4日なんてやりきれない(使いきれない)。だいいち、このド寒い時期に何処へ行けって言うのさ。新幹線に乗りまくるなんて考えただけでぞっとするし、在来線じゃあモトが取れない。3泊もしたら宿賃だけで倍もアシが出ちゃう。
せめて倍の3万円分ぐらい乗れば我慢のしようもあるけれど、これが容易じゃないのよね。青森や秋田は「しばれる」からいや、北陸は近すぎる、伊豆は下田まで往復しても「儲け」が足りない。そこでソロバンを弾き直した。4で割れば1日¥3,750、3日で¥11,250。伊豆の温泉で2泊するとして、1泊¥12,000で豪遊(?)すると、1泊分アシが出る。そのアシの分を、残りの1日分で東北一周日帰り旅行と洒落る(?)。たとえば長野→高崎→新潟→(米坂線)→米沢→上野→長野なら、汽車賃3万円ちょっと。『パス』代1日分との差額約¥27,000。あー、これなら伊豆での宿賃を差引いても「儲け」が出るぞ!よしっ!
てなわけで、もうすっかり儲けた気分。わざわざこの寒い中、出かけるまでもないさ。
これがまあ つひのすみかか 雪二寸 小林半茶
「二寸」ばっかりじゃサマにならないが、現実だから仕方がない。実際は一寸五分なんだから、これでもかなり「サバを読んで」いる。とにかく降るべきときに降ってくれて嬉しい。
雪が積もっていないと、どうしても「冬きのこを探さなくっちゃ」という強迫観念から逃れられない。じっとしていられない。まがりなりにも、野山が一面雪におおわれていれば、あきらめがついて、いくらか気が休まる。さー、やっと落ち着いて(ほかにすることがないから仕方なく)本が読めるぞ、「蛍雪の功が積める」ぞ。
一茶の生涯は66年(数え年)。くらべるのもおこがましいが、恥づかしながら既に72(同)、還暦をひとまわりも過ぎて期限切れ。子供の頃「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」なんて捨て台詞(?)を吐いて引退した(させられた)アメリカの軍人がいたなあ。当時はマスコミが騒ぐのにのせられて、単純に「名調子に酔った」だけだったけれど、このごろはしみじみ同感するなあ。ホント、「死ぬ」んじゃなく「消え去り」たいよ。
例の旧国鉄『老人の休日パス』。冬の部は1/12~24で1万5千円だとか。しかし実に使い勝手が悪そう。去年までは1万2千円で3日間「乗り放題」だったのが、今年から3千円増しで4日間だとさ。一見「よりお得になった」ようだが、さにあらず。
確かに、その気になれば、関東→陸奥→出羽→北陸→甲信と、命を賭して(?)汽車に乗りまくれば、何万円ぶんも「儲かる」かも知れない。しかしテキは65歳を超すお年寄りなんですぞ。『青春きっぷ』で飲まず食わず泊らず、1日たったの2,300円で九州から関東、関東から北海道、北海道一周、九州一周、四国一周なんて、汽車に乗り継ぎ乗り継ぎ乗りまくるツワモノの真似なんかできない。
なにも4日間フルに利用しなくても...などと「したり顔」でのたまう前に、ちょっと「ソロバンをはじいて」みなさい。仮に2泊3日で長野→大宮→青森→秋田→新潟→長野とまわるとしよう。新幹線と特急をフルに使うとして、長野→青森約2万円、青森→新潟約1万、新潟→長野(高崎まわり)約1万、しめて約4万円。「パス」代を引くと2.5万円、そこから更に宿賃(2泊で2万4千円)と駅弁(3食で3千円)を差引くと、な、なんと、2千円の赤字!3泊4日になんかしたら、赤字は2万数千円にふくらんじゃう。こりゃーたまらん!
しかも東北は今「取り込み中」。とてものことに、寒さを冒してまで「遊びに行く」気分にはならない。かと言って、暖かい伊豆方面を狙うとしたら、「損失」は天文学的数字になっちゃう(ってほどでもないか)。長野←→下田はたったの(?)¥27,000、「儲け」は旅籠代1泊分にしかならない。だいいち、ふつうの『老人割引切符(3割引)』とほとんど変わらないじゃないか。それなら、こんな寒い時期に、例によって「じっちゃんばっちゃんばっかりで鮨詰め」のところに割り込むなんてまっぴら御免、てなもんさ。
これじゃ『老人の休日パス』も魅力がなくなったなあ。伊豆のほうに行くにしても、春の『青春きっぷ』なら、多少時間が余計にかかっても、3日間なら7千円弱で済む。しかも「東日本」の狭い狭い縄張りから逃れられる。春の『きっぷ』は例年3/1~4/10、あー待ち遠しいなあ。