正岡子規はかなりの果物好きだったらしい。明治24(1891)年初夏、24歳のとき、上野から信越線で篠ノ井(ただし横川~軽井沢は未開通だったので馬車)、そこからは芭蕉の『更級日記』のコースを逆に辿って木曽路を、徒歩と馬車と馬と舟で、犬山あたりまで旅した記録『かけはしの記』、およびその時食べたくだものの話『くだもの』。読んでいて驚いたのは、路傍になっている木の実、木いちご・桑の実・苗代ぐみを、手当たり次第に採っては食い千切っては食いしているさま。とても尋常じゃない食べっぷり。
猿が馬場では「木いちごの一面に熟しているのを見つけた。これは意外なことで嬉しさもまた格別であった...ついに思う存分食ふた。喉は乾いているし、息は苦しいし、この際の旨さは口にいふこともできぬ」。
木曾では「大きな桑の木があってそれには真黒な実がおびただしくなっておる。見逃すことはできない、余はそれを食ひ始めた...その旨さ加減は他に較べる者もないほどよい味である。余はそれを食いだしてから一瞬時も手を措かぬので、桑の老木が見えるところへは横路でも何でもかまわず入って行って貪られるだけ貪った。何升食ったか自分でもわからぬがとにかくそれがためにその日は六里ばかりしか歩けなかった...もとよりその日はひと粒の昼飯も食はなかったのである」。
贄川では「一間半ばかりの苗代茱茰なわしろぐみが累々としてなっておった...ハンケチに一杯ほど取りためた...」。
さてここに出てくる木の実のうち、桑の実と木いちごは分かるが、苗代ぐみが分からない。赤くて果汁が豊富で初夏に熟すというと、ニワウメかタワラグミのどちらかじゃないかな。ネットで調べたらあっさり判明、こちらでタワラグミと呼んでいるものでした。地方によってさまざまな呼び名があるのは、ナラタケなどと同様、昔から全国的に親しまれてきたしるし。(註参照)
子規は別に「異常に」木の実・草の実が好きだったわけじゃない(フツーよりちょっと多めな気がしないでもないけどね)。異常だと思う人こそ異常なのさ。このごろは田舎の子ども(大人も)でさえ、まわりにいっぱいある山の実・野の実なんか食べ物じゃない、「フルーツ」といえば八百屋の実、スーパーの実のことだと思い込んでいるらしい。これこそまさに「食の貧困」だねえ。ま、「ひとさま」のことをあれこれ言っても詮ないこと。年寄りは年寄りなりき、ホンモノを楽しむことにしましょう。
註:その後「タワラグミ」で検索したら、『peaの植物図鑑』というブログに、綺麗な写真付きで、別名『ナツグミ/ダイオウグミ/ビックリグミ』とありました。