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山の恵み里の恵み

キノコ・山菜・野草・野菜の採取記録

眼力の差

2011-12-17 11:42:10 | 山の恵み

 番町で目あきめくらに道をきき 江戸川柳

 長野市芋井鍋石(なべいし)集落のはずれ。山道の脇の伐採樹木捨て場。太い木が三尺ほどに寸断されて積み上げられている。この秋切られたばかりのもの、去年のもの、10年ほど前から毎年「始末」されては積み重ねられ、自然に腐るのを待っている。
 今にも雪になりそうな空の下、廃材の山の前に立つ男ふたり。70はとうに超えていそう。しきりに廃材の間を覗きこんでいる。怪しい、何を探しているのか。やがて「あるぞ!」、ひとりが叫ぶ。もうひとりが駆けつける。先のひとりが落ち葉と枯草の下を指差す。寄ってきた男が叫ぶ「うわっ、すげえ!でかいカブツだ!」
 鼠色の大きなかたまり、カンタケ(ヒラタケ)が何枚も重なり合って、身をひそめている。奥のほうまで手を突っ込み、ゆっくりこそげ採る。一枚一枚が根元が太さ2センチほどもあるので、かたまりで採ると持ち重りがする。寒い季節なので虫も入っていない。裏は真っ白。たちまちビニールの買い物袋いっぱいになる。大収穫だ。
 喜んで帰ろうとしたとき、またまた叫び声「やっ、まだこの奥にもあるぞ!」山の表面から一段下の暗い廃材の隙間を指差す。急いでかぶさっている廃材を取りのける。材木と材木の間に身をひそめていた大きなかたまりが姿をあらわす。せっかく隠れていたカンチャンたちと知りながら、手を突っ込んで無慈悲にもこそげ採る。またまた大収穫。予期していなかっただけ、余計に嬉しい。
 それにしても凄い眼力。木材の陰に隠れているヤツまで見つけちゃうとは!ひょっとして透視能力があるのか。言うまでもなく、見つけるのは決まって『きのこの達人』。いただくの恥ずかしながらこちとら『きのこ天狗』。ホンモノとニセモノの差は歴然。まるで魔法を見た気分。こりゃ「神の手」ならぬ「神の目」だ。視力の差じゃない。たしかにこちとら、半盲に近いが、それだけじゃない。「ガンリキ」の差だ。
 そもそも先週出始めの小さいかたまりを見つけて、ここまで案内してきたのはこちとら。『天狗』の名に恥じず鼻高々と、場所を教えるだけのつもり。案のじょう「そいつ」はまだ小さくて「採取不適」。発生を確認しただけで帰りがけたところへ「見ーつけた!」の叫び声。驚いたな、もう。先週目を皿のようにして探したところじゃないか。確かに、材木の陰に隠れていたのが見えなかったのは、眼力の差で仕方がない。しかし、最初のは文字通り「現に目の前に」歴然としてあるじゃないか。あー、それさえも見逃しちゃった。やはりかの塙保己一(はなわほきのいち)検校とは逆、「めくら」は「めあき」にかなわないか。
 以前にも似たようなことがあった。視力2.0の友人とカンコ探しに行ったとき、0.5のこちらが数本見つけている間に、あちらは「あっちにもある、そっちにもある」と、はるか離れているあたりを指差す。またたくまに数倍も見つけてしまう。「視力の差」だとあきらめていたけれど、やはりあの時も「眼力の差」だったのか。

冬きのこ・・・ワカエなど

2011-12-11 11:09:34 | 山の恵み

 キノコの呼び名は地方・地域によって千差万別。山ひとつ、谷ひとつ越えれば全然別の呼び方になったり、ときには全く別のキノコに変身(?)したりする。それもこれも、太古以来、つまり列島に人々が住みつき始めて以来、キノコがいかに親しまれてきたかの証拠。山野草や樹木でも、ある程度は同じかも知れないが、キノコほどじゃなさそう。また、図鑑などに採用されている所謂「標準名」は、命名者が勝手に、と言うか適当に、①多くの呼び名のうちのどれかを採用したもの、②新たに自己流の名前を付けたものがあるが、①の場合はともかく、②のなかには、酷いときは自分の名前を冠して恥じないもの(例:川村フウウセンタケ)があり、聞いただけでは見当もつかないものが多い。
 昔のように、小さな集落や狭い地域単位でのみ暮らしていたころなら、その地域特有のことばなら即座に用が足りるのに、「ヒョーズンゴ」なんか使っても妙な顔をされるのがオチだっただろう。しかし今や「文明開化の世の中」(このことば自体古めかしいか)、何でも「昔の方がエガッタ」なんて言ったって始まらない。一物一価じゃないが、ひとつのものについて全国共通の名称が必要なのは確か。とは言うものの、少なくともキノコに関する限り、その地域の呼称じゃないとすぐには通じないことも事実。
 たとえばカンコ(図鑑名ウラベニホテイシメジ、なんともかんとも長ったらしくて煩わしい名前、これじゃ全国何処へ行っても通じないだろう)。「カンコが出たぞ」と言えば、善光寺平の「きのこっ採り」の面々、仕事も何もほったらかして(うっちゃって)、一斉に動き出す。ちょっと離れた地域の人で、「カンコ」だけだと一瞬怪訝な顔つきをされても、「イッポンカンコ」と言い直せばすぐに分る。高崎あたりだと「イッポン」で済むそうだが、長野じゃダメ。人によっては毒茸のイッポンシメジと間違え、ぎょっとした顔をされてしまうだろう。以下、『きのこの語源・方言事典』(山と渓谷社)を参考に、季節にちなんで「冬きのこ」ふたつについて。( )内の数字は同書による別名数。
 エノキタケ(85)の異名/地方名には、大きく分けて、①発生時期に注目したもの(かんたけ・ふゆたけ・ゆきのした等)、②外見のそれ(あしぐろ・なめらっこ・ぬらめき等)、および③発生樹木(榎・桑・柿・柳など多数)にちなむものがある。エノキと言えば、かつては身近な木で、子供のころ、「えのきでっぽう(鉄砲)を作って遊んだもだが、このごろはとんと見かけない。。もともとが、榎なんかに代表させたのが間違いで、どれかほかの特徴にちなむ名前、たとえばアシグロナメコあたりにしたほうが良さそうなものだが、栽培品が一般化してしまった今となっては、手遅れだろう。ちなみに英語での愛称は(なーんてガクをひけらかすようで恐縮ながら)velvet shank。柄(shank あし)の部分がビロード状に繊毛が付いているところからの命名か。
 ヒラタケ(84 別名ワカエ、と言ってもこちらのほうが本来の呼び名だろう)。①かんたけ・ときしらず等、②かたはみみたけ、あわびたけ、かき(牡蠣)たけ、かのか、そろばんだま、くろなべ等、③くわたけ、すぎわかい等。英語名はoyster mushroom。
 なんで今ごろきのこ談義かって?それはね、きのう(土)小春日和に誘われて、ちょっくら善光寺(ぜんこじ)さんの裏手でワカエ(寒い時期だからカンタケと呼ぶべきか)をひと塊りめっけたから。ホントはエノキを探しに行ったのだけれど見つからず、代わりに天然冷凍のカタハが少々採れ、ゴキゲンだからなのさ。ヒラタケ(同じく凍結状態)もまだ小さくて採るにならず、もうあと1週間か10日したら再訪するつもり。雪に埋もれていなければいいが、とにかく冬には冬きのこ、あるところにはあるもんですなあ。

秋雨

2011-11-12 09:16:34 | 山の恵み

 秋雨やともしびうつる膝頭 一茶

 HP『俳句案内』で見つけました。(冷たい)秋の雨と(わびしい夜の)灯と(寒いのに股引もはいていない)膝、この三題噺、夫子ならそも何と解く?
 奥信濃柏原に隠棲していたころの句なら、何人目かの女房をなくし、もしくは逃げられ、何人目かの子にも死なれ、暗い土蔵の中で、ひとり寂しく、老いて貧しい暮らしを嘆く姿を思わせる。
 しかし違うんだよね、これが。出典を調べてみたら(ヒマジンだねえ、あんたも)『享和句帖』に載っている句だそうだから、再度江戸に出て宗匠として活躍、と言うか、純粋に芸術に打ち込んでいた(つまり売れない/貧窮にあえいでいた)ころなんだろう。
 出典だ状況だなんて詮索はどうでもいい。「いいなあ、いい句だなあ、身につまされるよ、ったく」と唸っていれば、それでいいのさ。
 拙ブログ、たまには格調高い内容も載せなくては...。声あり「コロモの下からヨロイが見えてるぞ。雨が降ればキノコが出ると内心期待しているんだろう、見え見えだぞ。相変わらず根性が卑しいな。」
 やはり見透かされちゃったか。常日ごろの不徳のせい、恐れ入りました。実は終日雨に降りこめられて、山にも行けず、畑にも出られず、それこそ「膝を抱えて」腐っていて、つい愚痴が出ちゃった、と言うオソマツでした。
 

きのこ最終盤か

2011-10-28 15:47:35 | 山の恵み

 10月27日(木)午後。快晴。先日下見をしておいた芋井荒安(あらやす)のヤブ。数本の太い倒木全体にぎっしり生えたカタハ...のハズだったのに、先客がいた。初老の夫婦がビニール袋を手にはしゃいでいる。こちら(K氏とふたり)の姿を見て、ちょっとバツの悪そうな顔。「これって食べられるんでしょうか。どうやって食べればいいんですか」なーんて、シロートぶっている。なに、とがめられるのが怖かっただけさ。人跡まれな山中、知らずに入り込むようなところじゃない。
 「あめえさんがた、うちの林でなにしているだ。採ったきのこ、袋ごと全部置いて、とっとと失せろ」などと言いませんでしたよ。それほど人が悪くはありませんって。ただ、ちょっと残念だったのは、「ぎっしり生えたカタハの壮観」を写真に取って、ブログに載せようと、折角カメラを忍ばせて行ったのに、取り散らかされた光景を見てがっかりしただけ。
 ご夫婦はそれでも気がひけたのか、怱々に引きあげて行ってしまいましたが、心配することはない、見渡す限りのカタハ、ひとりやふたりで採りきれるものじゃない。こちらもどっさりいただいて、意気揚々と帰ってきましたさ。不思議なのは、カタハしか見えなかったこと。ヒラタケなし、ムラサキなし、チャナメなし、ハタケなし、ジコボなし、シモフリなし、あれなし、これなし、カタハ以外なーんもなし。唯一群生していたのは、ツチスギ(不食)だけ。変な年だなあ。
 今日は都合で、午後になってから出かけたのがまずかった。「きのこ採りは朝早くじゃなくちゃいけないよ」と名人達人たちが口を揃えて、口を酸っぱくして諭してくれた通りで、他人に先んじられてしまい、口惜し涙をこぼす結果になってしまいました。
 28日、快晴。ウチに引きこもっていたんじゃあ最近はやりの「引きこもり老人」になってしまう。どうせ何処まで行ってもバス賃は100円。今日もまたズクを出して山へ行こう。川後(かわご)線湯山で下車。いつもながらの林、いつもながらの倒木群、そして毎度お馴染みのカタハがぎっしり。もううんざり。それでもいかにもうまそうなヤツを置いて帰るのも癪だ。最上のものだけ少しいただいて行こう。カタハのほかには何も見つからなかったので、1時間ほどで下山。帰りは鬼無里線小田切口から乗車。
 ま、ゼイタクこいちゃいけない。きのこの姿を見ただけで嬉しいと思わなくちゃね。晴れた空、すがすがしい空気、紅葉が始まりかけた山々。これで物足りないなんて言ったらバチが当たる。余分に採ってきたきのこは『居酒屋幸べえ』にでも届ければ、喜んでくれるだろう。
 どうやらこの秋のきのこも最終番を迎えたらしい。たった半月のシーズンだったなあ。

きのこ本番、ついに始まったぞ!

2011-10-22 14:48:50 | 山の恵み

 枯れ木がごーろごろ、お山にどっさりこ
 きのこがぎっしりこで、ぶらぶら親爺はにっこにこ

 10月17日(月)午後。曇り。定期巡回コース、たたらバス停→かつら山中腹→少し戻り山裾をまわって横棚→頼朝山の裾をまわって新諏訪。夢よふたたび、先週ジコボをたんと採ったところを覗くも、影も形も見えず。その代わり、かつら山の登山道脇でムラサキを発見。地面からとび出したばかりで鮮やかな青緑のコロコロ小ぶりのやつが10個(まだ小さいので『10本』とは数えない)余り、まだ虫もほとんど入っていないのが嬉しい。やっと秋中盤のキノコが出てきたようだ。心強いぞ。
 横棚のお寺を過ぎたあたりの山道脇の太い枯木一面に、カタハが点々と顔を出している。「採りごろ」になるのは5,6日後か。今夕のきのこ鍋には、ムラサキだけじゃ物足りないので、大きめのを10個(まだ小さいので「10枚」とは呼ばない)余り失敬。
 20日。快晴。朝8時半、鬼無里線小田切口下車。国見の集落に向って5分ほど山道を登ったところで、道脇の倒木にぎっしり付いたナラタケを発見。やったー!残念ながら4日ほど遅れで、「流れる」寸前。いつもなら手を出さないが、今年としては希少価値があるので、すっかり頂いて帰る。ナラは味がいいし、第一、大量のきのこの参加で、きのこ鍋が賑やかになる。晩酌が楽しみだ。
 21日。快晴。戸隠線『たたら』で降り、カタハ・ヒラタケ・ナメコ・チャナメ・ナメコなど、秋中盤のきのこ畑、芋井荒安のヤブを目指す。歩くこと25分、あっちの枯木、こっちの倒木にカタハがプツプツ頭を出し始めている。採りごろは4,5日先か。ヤブの真ん中あたりで立ち枯れている大きな木の根元を覗く。あったー!ナメコがぎっしり。多少遅れ気味だが、かえって香り(匂い)が強い。30分かけて大きなビニール袋をいっぱいにし、ニコニコ/ホクホク顔でバス停に戻る。ついに、やっと、きのこの本番が始まったようだぞ!あと半月、がんばらなくっちゃ。
 カタハ・ムラサキ・ナメコ・ジコボ・ナラ、うちのきのこ鍋もだいぶ賑やかになりました。
 22日(土)。雨模様。今日明日は休み。天下の公休日を守らなくては、オテントサンに叱られる。土日に雨が降って、週日に晴れるのは、「きのこっ採り」には最良のパターン、週明けが楽しみだなあ。

クリタケ(?)

2011-10-19 15:21:27 | 山の恵み

  晴れわたる秋空のもと、枯木の太い切り株に茶色く盛り上がったキノコの「かぶつ」。「ワー、すっげえ、クリタケだ!」と歓声を上げるのは、単で純で朴で素で直なひと、疑うことを知らない「きのこ好き」。藪をかきわけて近づく。
 あたりにひとの気配もないのに、寄ってこられたら大変と、急ぎ毟りとって、ビニール袋に入れ、なに喰わぬ顔をつくろいながらも内心ほくほくで、急ぎ山をおり、家に着くやいなや洗って細かいゴミを取り去り、鍋に仕立てる。口に入れる。しかし苦くてとても食べられない。コリャー変だぞ、ひょっとして...?
 つまりニガックリ(図鑑名ニガクリタケ)だったというお粗末。いえ、なに、コチトラのことじゃありませんぞ。ゼッタイに違いますぞ!上記「きのこ好き」だったらって話。こちらはもっとずっと「すれっ枯らし」てる、つまり毒きのこに「やられた」苦ーい経験が何度もある。だから疑い深くなっている。
 たしかに上の文中「藪をかきわけて近づく」までは同じ、つまり目が悪いから、少し遠くから見ただけで「ありゃ違う」と言えるような「達人」じゃない。しかし「急ぎ毟りとって...」以下の行動をとるほど「ウブ」じゃない。数本採取(「ムシリ取」るって言わないところ、専門家ぶっていて厭味だねえ)して、傘の裏を見る。鮮やかな黄色、というか黄金色、というか山吹色。毒茸と鑑定。
 それにしてもクリタケに似ていたなあ。表面が茶色っぽいところや、茎が太くて長いところなんか、遠目にはクリタケそっくり。大抵のニガックリは、黄色い小さなヤツがびっしり枯木の幹なんぞにびっしり貼りついているもの、これほど大きなものは余りみたことがない。
 ここでいつもながら「シロート学説」。自然界には、なんて大上段に振りかぶっては恥ずかしい、キノコの世界では、食毒2種の「そっくりさん」が並存しているんじゃないだろうか。ヒラタケとツキヨタケ、イッポンカンコ(ウラベニホテイシメジ)とミズカンコ(クサウラベニタケ)、シモフリシメジとネズミシメジ、タマゴタケとタマゴタケモドキ、ヤマドリタケとドクヤマドリタケなどなど、枚挙にいとまがない。
 そう言えば植物にもあるなあ。セリとドクゼリ、ニリンソウとトリカブト...。ま、あまりウンチクを傾け始めるとイヤミになりそうだから、このへんでやめとこ。

SKIT会

2011-10-15 11:46:59 | 山の恵み

 長野市南県町、通称『信毎通り』にある『居酒屋 幸(こう)べえ』。知る人ぞ知る「山菜・きのこ・どぜうの店」。昨14日金曜日夕方、怪気炎を上げている男4人、いずれも昭和15年生まれの高齢者(老人じゃなく)、斉藤・小林・伊藤・滝沢、頭文字をとって「SKIT」の面々。相客が辟易しているのにも気づかず、延々3時間近く、栽培クリタケのおろし合え・同じく栽培マイタケの天ぷら・カツオの刺身を肴に、酒やビールや焼酎(各人好みが違う)を飲みながら、来し方(71年間)行く末(残り僅か)を語り合ったと思いなさい(ナヌ、思いたくない?失敬な!)
 奇しくも去年(10月13日)とほぼ同じ日、同じメンバー、同じ居酒屋。話題さえもたぶん同じ(つまり1年前のことなんか皆すっかり忘れちゃってるってことさ)。来年の今月今夜、果たして誰(と誰)が欠けているか、口にこそ出さね、それぞれの胸中深くを去らない様子がありあり。だからこそ余計に「この世に在る日々」を楽しもうと焦っているのだろう。
 ひとつだけ昨年と大きくちがうぞ。キノコが見当たらない。ほとんど全く並べてない。昨年は土間と言わず座敷(「小あがり」)と言わず、身の置き所もないほど、アカンボ・カンコ・クリタケ・ナラタケ、珍しいコウタケまでも積んであったのに...。「みんな、みんな、何処へ行ーったー?」
 「天然もの」らしきものは、小さな菓子箱のふたにのせてある食毒不明の小さなキノコが10個(「本」とも呼べない)だけ。あとは栽培のマイタケとクリタケが少し。専門店でさえこの有様。ホント、不作なんだなあ。去年の「狂乱発生」のとき、もしかしたら今後数年分のキノコがぜーんぶ一度に出ちゃったんじゃないか、と恐れたのが当たっちゃったのか。
 でもでも、まだまだあきらめませんぞ!この週末の雨次第で、きのこ山が「再活性化」しないとも限りませんぞ!

た出、た出、ボコジ!

2011-10-12 15:25:12 | 山の恵み

 やーれ、汝は井口慈光坊よな!おのれ父のかたき!
 ここで見つけしは盲亀の浮木、優曇華の花、
 汝を求めて南は小田切地蔵平から北は戸隠中社まで、
 艱難辛苦いくとせぞ、ここで会うたが百年目、
 いざ尋常に勝負、勝負!

 ちと大袈裟だったかな。「かたき」でもなく、「百年目」でもなく、「艱難辛苦」ってほどでもなかったけれど、ついに見ーつけた!ジコボ見ーつけた!とは言え、G.J.カエサルもどきに「来た、見た、採った」ってほど簡単じゃなかったなあ。
 12日、秋晴れ。朝8時発の戸隠中社行きバスを『たたら』で降りる。降りがけに馴染みの運転手と「夏きのこは全敗だった」旨の会話を交わす。それから①バス停近くのヤブタケ(ナラタケ)の藪を覗く。なーんも無し。かつら山西登山口を登り始めてすぐ、②道の際にジコボが数本出ている。こりゃー、幸先ええぞ!③中腹まで登って、いつもの「ジコボ畑」を覗く。なーんも無し。
 少し戻って、往昔の『芋井道(いもいみち 今は廃道同然)』をくだり、④5年ほど前までジコボがぼこぼこ生えていた斜面を見渡す。ゼロ。更に横棚に向う。静松寺(じょうしょうじ)近くまで来たら、⑤同じく路傍に数本。ここもかつてはジコボ畑だったところ。周辺を探すが見えず。
 お寺を過ぎたところの、⑥カタハとヒラタケの林を見る。一本の太い枯れ木にカタハの赤ん坊がぶつぶつ出始めているが、頂くのにはまだ10日ほど早そうだ。⑦茂菅のトンネルの上でハツタケを探す。全く見当たらない。
 ⑧最後のジコボ畑を覗く。あるぞ、あるぞ!あっちにも、こっちにも!数本ずつ固まって出ている。本腰を入れて採りだす。たちまちビニール袋がいっぱいになる。袋を換えて更に採る。しめて数十本。あー、来てみて良かった。少し遅かったのもあるし、出たばっかりのもある。この様子だと、次の雨でまた出そうだ。⑨隣りの藪、去年アカンボとカンコが狂乱発生したところだが、影も形もない。全部で9箇所のヤブを見て、成果があったのは②⑤⑧だけ。ま、こんなものさ。
 意気揚々と山を降り、家に帰るのを待ちきれず、駅前で祝宴を張る(つまりラーメン一杯)。今夕は早速きのこ鍋だ!豆腐はあるが、残念ながら「ウチの茄子」は終わっちゃってるから、「おろし」用の大根と鍋用の茄子は八百屋で(つまりスーパーなんかじゃなく)調達しようっと。

何故かバスにだけはついてる

2011-10-08 14:59:13 | 山の恵み

 10月5日(水)。小田切地蔵平。2時間近く山中をうろつく。林は夏眠中。なーんも無し。食用はおろか、毒茸も出ていない。大事な大事なシメジ林の一部に斧が入って、木々の死屍累々。恐らく例によって杉でも植えるんだろう。ヒトサマの山のこと、苦情も言えないが、残念残念。クマさんイノシシさんたちもきっと嘆いているよ。
 山をおりる寸前、カンコが1本見つかる。イッポンカンコの名前に恥じず、と言ったところか。これまでの成果はしめてカンコ6本、去年の「狂乱発生」とくらべて、何という違いか。
 山を降り、『不動滝』というバス停まで来て、時刻表を見たら、数分後に鬼無里からのバスがある。ツイテる!きのうに続いて今日も。ほどなく下ってきたバスで長野駅へ。
 6日。雨のためお休み。
 7日。「雨後のキノコ」を期待して、戸隠諸沢へ。しかししかし...なーんもなし。がっかりして早々に退散。木枯らし(?)が吹き荒れて、今にも雪になりそうな寒さ。バス停まできたら、帰りのバスまで1時間近くある。どうすべえと思いながら、もう一度時刻表を見ると、数分後中社行きが来ると書いてある。おととしまでだったら、バス賃がモッタイナイからと、可能な限り歩いたのが、今や「100円パス」のご威光がある。後戻りも苦にならない。中社で近くのヤブを覗いたりして時間をつぶす。
 午後「きのこ情報」を訊ねに来た方々に向って、長講一席、得々として現下の情勢を語る。得意満面、イヤラシーねえ。
 8日。家にじっとしてもいられず、朝一番のバスで小田切湯山を見に行く。秋晴れの空のもと、裾花谷の風景をめで、澄みきった空気を吸い、真っ赤に熟しかけたりんごの香りに酔う。キノコなんか採れなくてもいいさ。路傍で休んでいたオッチャンと四方山話。山の話、里の話、昔話、今話...のどかな、のどかな山里の午前。いいねえ、のんびり歩いていると、こういう楽しみがある。クルマ時代以前はいつもこうだった。古き良き時代だったなあ。
 休日なので、川後線も鬼無里線もバスが無い。戸隠から来るバスは1時間半後。バス停のある茂菅(もすげ)までは歩いて1時間ほど。余りの半時間をどうしようかと心配していたところに、オッチャンとの話が入ったおかげで、茂菅のバス停に着いたときは「通過予定時刻」の5分前。やはりバスだけにはツイテルなあ。

何故かバスにだけはついてる

2011-10-08 14:59:13 | 山の恵み

 10月5日(水)。小田切地蔵平。2時間近く山中をうろつく。林は夏眠中。なーんも無し。食用はおろか、毒茸も出ていない。大事な大事なシメジ林の一部に斧が入って、木々の死屍累々。恐らく例によって杉でも植えるんだろう。ヒトサマの山のこと、苦情も言えないが、残念残念。クマさんイノシシさんたちもきっと嘆いているよ。
 山をおりる寸前、カンコが1本見つかる。イッポンカンコの名前に恥じず、と言ったところか。これまでの成果はしめてカンコ6本、去年の「狂乱発生」とくらべて、何という違いか。
 山を降り、『不動滝』というバス停まで来て、時刻表を見たら、数分後に鬼無里からのバスがある。ツイテる!きのうに続いて今日も。ほどなく下ってきたバスで長野駅へ。
 6日。雨のためお休み。
 7日。「雨後のキノコ」を期待して、戸隠諸沢へ。しかししかし...なーんもなし。がっかりして早々に退散。木枯らし(?)が吹き荒れて、今にも雪になりそうな寒さ。バス停まできたら、帰りのバスまで1時間近くある。どうすべえと思いながら、もう一度時刻表を見ると、数分後中社行きが来ると書いてある。おととしまでだったら、バス賃がモッタイナイからと、可能な限り歩いたのが、今や「100円パス」のご威光がある。後戻りも苦にならない。中社で近くのヤブを覗いたりして時間をつぶす。
 午後「きのこ情報」を訊ねに来た方々に向って、長講一席、得々として現下の情勢を語る。得意満面、イヤラシーねえ。
 8日。家にじっとしてもいられず、朝一番のバスで小田切湯山を見に行く。秋晴れの空のもと、裾花谷の風景をめで、澄みきった空気を吸い、真っ赤に熟しかけたりんごの香りに酔う。キノコなんか採れなくてもいいさ。路傍で休んでいたオッチャンと四方山話。山の話、里の話、昔話、今話...のどかな、のどかな山里の午前。いいねえ、のんびり歩いていると、こういう楽しみがある。クルマ時代以前はいつもこうだった。古き良き時代だったなあ。
 休日なので、川後線も鬼無里線もバスが無い。戸隠から来るバスは1時間半後。バス停のある茂菅(もすげ)までは歩いて1時間ほど。余りの半時間をどうしようかと心配していたところに、オッチャンとの話が入ったおかげで、茂菅のバス停に着いたときは「通過予定時刻」の5分前。やはりバスだけにはツイテルなあ。