番町で目あきめくらに道をきき 江戸川柳
長野市芋井鍋石(なべいし)集落のはずれ。山道の脇の伐採樹木捨て場。太い木が三尺ほどに寸断されて積み上げられている。この秋切られたばかりのもの、去年のもの、10年ほど前から毎年「始末」されては積み重ねられ、自然に腐るのを待っている。
今にも雪になりそうな空の下、廃材の山の前に立つ男ふたり。70はとうに超えていそう。しきりに廃材の間を覗きこんでいる。怪しい、何を探しているのか。やがて「あるぞ!」、ひとりが叫ぶ。もうひとりが駆けつける。先のひとりが落ち葉と枯草の下を指差す。寄ってきた男が叫ぶ「うわっ、すげえ!でかいカブツだ!」
鼠色の大きなかたまり、カンタケ(ヒラタケ)が何枚も重なり合って、身をひそめている。奥のほうまで手を突っ込み、ゆっくりこそげ採る。一枚一枚が根元が太さ2センチほどもあるので、かたまりで採ると持ち重りがする。寒い季節なので虫も入っていない。裏は真っ白。たちまちビニールの買い物袋いっぱいになる。大収穫だ。
喜んで帰ろうとしたとき、またまた叫び声「やっ、まだこの奥にもあるぞ!」山の表面から一段下の暗い廃材の隙間を指差す。急いでかぶさっている廃材を取りのける。材木と材木の間に身をひそめていた大きなかたまりが姿をあらわす。せっかく隠れていたカンチャンたちと知りながら、手を突っ込んで無慈悲にもこそげ採る。またまた大収穫。予期していなかっただけ、余計に嬉しい。
それにしても凄い眼力。木材の陰に隠れているヤツまで見つけちゃうとは!ひょっとして透視能力があるのか。言うまでもなく、見つけるのは決まって『きのこの達人』。いただくの恥ずかしながらこちとら『きのこ天狗』。ホンモノとニセモノの差は歴然。まるで魔法を見た気分。こりゃ「神の手」ならぬ「神の目」だ。視力の差じゃない。たしかにこちとら、半盲に近いが、それだけじゃない。「ガンリキ」の差だ。
そもそも先週出始めの小さいかたまりを見つけて、ここまで案内してきたのはこちとら。『天狗』の名に恥じず鼻高々と、場所を教えるだけのつもり。案のじょう「そいつ」はまだ小さくて「採取不適」。発生を確認しただけで帰りがけたところへ「見ーつけた!」の叫び声。驚いたな、もう。先週目を皿のようにして探したところじゃないか。確かに、材木の陰に隠れていたのが見えなかったのは、眼力の差で仕方がない。しかし、最初のは文字通り「現に目の前に」歴然としてあるじゃないか。あー、それさえも見逃しちゃった。やはりかの塙保己一(はなわほきのいち)検校とは逆、「めくら」は「めあき」にかなわないか。
以前にも似たようなことがあった。視力2.0の友人とカンコ探しに行ったとき、0.5のこちらが数本見つけている間に、あちらは「あっちにもある、そっちにもある」と、はるか離れているあたりを指差す。またたくまに数倍も見つけてしまう。「視力の差」だとあきらめていたけれど、やはりあの時も「眼力の差」だったのか。