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脱原発ポスター

2011-09-22 18:03:29 | お勧め
http://nonukeart.org/
より



http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_305508
より一部転記
原発がなくても真夏を乗り切ったわけ

 ここで注目したいのは、東京電力は原子力発電所がほとんど停止しているのにかかわらず、今年の暑い夏を「楽に」乗り切ったことである。8月以降、東電管内で稼働している原発は柏崎刈羽発電所の5号機と6号機のみである。両機の発電能力は合計246.6万kwなので、両機が定期点検に入る来年3月以降は厳しいという説明を東電はしている。

 しかし、これはうのみにできない。東電の今年3月時点の認可最大出力は6499万kwで、うち、火力発電、水力発電の合計が4764万kwである。この数字に柏崎刈羽5、6号機の数字を加えても、5010万kwにしかならない。ところが、8月、東電の実際の供給量は5500万kwなので、火力・水力は認可最大発電量を約500万kwも上回って稼働したことになる。つまり、原発がなくても、火力・水力の稼働には余裕があり、来年夏を乗り切ることは可能で、ましてや今冬を心配する必要はない。2010年実績によると、真冬のピーク電力は真夏より15~20%少ないからである。

 これに対し、原発停止によって、われわれは経済成長や今の生活レベルを諦めなければならないという説明をする人がいる。例えば、日本経済研究センターは長期の原発停止によって、潜在国内総生産(GDP)を年間1.2%ポイント低下させる効果があると試算している。この試算の前提となっている「電力不足」は電力会社の本当の供給能力をどのように考えているのだろうか。今年のような混乱期は火力発電によるコスト増はやむを得ないが、今後は長期的に調整を行えば良い。

ウラン鉱山

2011-09-22 17:26:34 | きになるニュース
http://www.morizumi-pj.com/jadogoda/jadogoda.html
上記 一部転記

30年前、インド東部の先住民族の住むジャドゴダはウラン採掘の村として、核開発の最先端を行く村になった。 しかし、その陰で、野放しの放射性廃棄物投棄によって、環境は汚染され、 住民に、ガン、白血病、流産や奇形が発生している。 何の知識も持たない先住民の村はいまも汚染され続け村人はみな病気だ。核秘密を守るため、 この村は外国メディアが近づけない地域になっていた。


上記かなりヒドイ画像がありますので
添付はしません
ウラン鉱山で検索して見つけました
残酷な現実です
お勧めはできませんが自己責任にてお願いします


インターネットで文書や画像を登録、セブン-イレブン店頭のコピー機からプリントできるサービスです
http://www.printing.ne.jp/

海外メディア

http://www.huffingtonpost.com/2011/09/19/nuclear-power-protests-tokyo-japan_n_969385.html

http://www.japantoday.com/category/picture-of-the-day/view/sayonara-nuclear-power



中国版AKB48の「AK98」 《You Are The One》

2011-09-22 15:42:23 | きになるニュース
中国版AKB48の「AK98」 《You Are The One》


日本も似たようなこと昔やっていると思います
いつか通った道ではないでしょうか
ジャクソンファイブとかに類似したグループもあったし
ビートルズのマネもしたことがあると思います
そんなにむきになって批判しなくてもよいのでは
学ぶことは真似ることからだと思います
人口の多さから考えて
可愛い子も才能のある子も沢山いるとおもいます
内容で負けないようガンバッテください

AK98(THE AKB48 pattern idol team in CHINA) audition(pay attention to the BGM)

2011-09-22 15:36:47 | きになるニュース
AK98(THE AKB48 pattern idol team in CHINA) audition(pay attention to the BGM)

可愛い



http://ja.wikipedia.org/wiki/AK-47
より
AK-47、露: Автомат Калашникова образца 1947 года、ラテン文字転写: Avtomat Kalashnikova-47、「1947年式カラシニコフ自動小銃」の意)は、1949年にソビエト連邦軍が制式採用した歩兵用アサルトライフル。


歴史教科書問題

2011-09-22 14:26:33 | きになるニュース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E5%95%8F%E9%A1%8C
より

日本と韓国

任那日本府 

元寇(蒙古襲来)

文禄・慶長の役(壬辰倭乱)

韓国併合

日韓併合条約

創氏改名・慰安婦・皇民化教育など

竹島(独島)領有権問題


日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓国交正常化)

日韓基本条約が現在の問題として議論が続く理由の検証

日本と中国

尖閣諸島問題(尖閣諸島)

日本と台湾

尖閣諸島領有権問題

中国と韓国

高句麗史

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC%9A
より

新しい歴史教科書をつくる会(あたらしいれきしきょうかしょをつくるかい)とは、1996年に結成された日本の社会運動団体。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも関与しない立場から新たな歴史教科書をつくる運動を進めている。
政界や地方議会の一部勢力からも支持・賛同され2度にわたり中学生対象の教科書を出版し、採択しようとする運動を進めていた。その一方で一部の歴史家や市民団体・政治団体からは「歴史修正主義」であるとの批判や、中華人民共和国・韓国・北朝鮮の政府や民間人からは反動分子もしくはそれに近いとみなされることがある

沖縄の歴史

参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E5%95%8F%E9%A1%8C


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
より

戦争


米軍に捕縛された民間人


上陸中の米軍 (4/13)
詳細は「沖縄戦」を参照
太平洋戦争(大東亜戦争)では、1944年(昭和19)10月10日に本土空襲に先駆けた激しい空襲によって那覇市の90%が壊滅し(十・十空襲)、上陸戦開始まえに知事の努力で行なわれた本土疎開でも、学童疎開の対馬丸の被雷喪失など、被害が発生していた。
1945年(昭和20年)3月26日、慶良間諸島にアメリカ海軍艦隊が集結し、3月29日にこれを占領した。4月1日に米軍は55万人の兵力で沖縄本島の読谷村(沖縄本島中部)から上陸し、すさまじい砲撃と空襲を加え進攻してきた。圧倒的なアメリカ軍の火力の前に、首里城地下を本部にした日本軍との間で壮絶な地上戦が行われ、沖縄県民も沖縄防衛隊を配置、多くの一般人も戦闘に参加し、日本軍と共に亡くなった。第32軍司令官牛島満が自殺した6月23日に組織的戦闘は終結、実質的な戦闘は7月4日に終了し、9月7日に降伏文書が取り交わされた。
また、戦争に伴って行われたマラリア発生地域への住民の強制疎開や、物資の移動、栄養状態の悪化、マラリアの集団罹患が発生した(詳しくは戦争マラリアを参照)。
戦後 [編集]


http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sugata/a5_01h.html
より


沖縄の基地問題下記お勧め
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200407_642/64202.pdf

沖縄戦における集団自決

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA
より

沖縄戦では、一般住民が集団で自殺する行為が発生し、これを「集団自決」と一般的に呼ばれる。主な事例としては、伊江村のアハシャガマ[1]など約100人、恩納村11人、読谷村のチビチリガマなど121人以上(詳細は後述#チビチリガマの集団自決)、沖縄市美里33人、うるま市具志川14人、八重瀬町玉城7人、糸満市、カミントウ壕など80人、座間味島234人、慶留間島53人、渡嘉敷島329人などとされている。研究者の中には計1,000人以上との見方もあり[3]、これは沖縄戦における住民死者94,000人の1%強にあたる。
戦後、一部の文献(1950年の『鉄の暴風』など)では、日本軍の命令など、強制により自殺することになったとしているが、否定・疑問視する見解もある。
沖縄戦における県民の犠牲者に関する教科書への記載は、1974年に家永三郎著『新日本史』(三省堂)の脚注に「沖縄県は地上戦の戦場となり、10万をこえる多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた」と書かれたのが最初である。1982年の高校教科書『日本史』(実教出版)の脚注において、江口圭一が日本軍による住民殺害を書いたところ検定意見がついて除去されたが、これに沖縄県が猛反発したため次の検定より「住民殺害」という記述が教科書に載るようになった。しかし、1983年に家永三郎が教科書『新日本史』で日本軍住民殺害を記述したところ、「(自殺である)集団自決が多かったのだから、集団自決をまず書け」との当時の文部省は検定意見(修正意見)をつけた。この検定意見に関して争われた家永教科書裁判において、事実認定では軍による住民の投降阻止の為の自決強要や殺害など家永の研究結果を認定する内容が含まれていたが、判決では「集団自決を記述せよとの検定意見は違法とまでは言えない」とし、「集団自決」の記述が教科書に追加されることになったが、その「集団自決」が日本軍の強制であったか否かの論争が活発となっていった