goo blog サービス終了のお知らせ 

遊々庵

懐手で、風に任せてゆっくり歩いてみたい。残された時間を大切に。

うららかな大寒

2025-01-21 11:32:53 | 日記
1月20日(月)今日は「大寒」で、暦の上では一番寒い時期だけど、
大阪の最高気温は14度とか、3月並みに暖かい。
一日中良く晴れて、暖房していなくてもよく、ダウンを着ていると、
少し汗ばむくらい。
   <大寒の日とは思えないうららかな青空>


夕餉のメニューはタイのアラ炊き。昨日、娘が買い置きしてくれてい
る。アラ炊きはタイとブリが一般的だが、タイの方が淡白でクセがな
いようなので、我が家では人気がある。
臭み取りにはゴボウを一緒に煮るとよいというので、必ず一緒に炊く。
アラは、店によって下処理を十分していないところもある。ウロコを
丁寧に除くのは面倒なので、いつもきれいに下処理をしているコープ
こうべのを利用する。
調味料は酒を多めに使うと、味がまろやかになるので、レシピより多
め(コップ2杯)に加える。落し蓋して煮汁がほとんどなくなるまで
コトコト煮た。
臭みもなく、美味しくいただいた。他に湯豆腐と総菜2品。
   <煮つけ前のタイのアラ>


   <食卓に上がったアラ、きれいな盛り付けは難しいね>


小さい春

2025-01-20 11:23:46 | 日記
1月19日(日)まるで春を思わせるようなぽかぽか暖かい日差し。
昼間の気温は12度ぐらいか。外に出て、草花に水を撒く。このま
ま春本番、ということになればいいけど、そうはいかないだろう。

道路沿いのフラワーロードのプランターをよく見ると、ムスカリ
ーとチューリップのかわいい芽が出始めている。「小さい春」見つ
けた、というところか。今週いっぱい暖かい日が続きそうだから、
これからぐんぐん大きく育つだろう。
    <芽を出したムスカリー>


    <チューリップの芽>


カナが日向ぼっこしている。こたつから出て、のどかな春のひと
時を楽しんでいる感じ。平和だねえ。


今日は書くことが何もない平凡な一日だった。まあ、変化のない
卑近な身辺雑記を綴っているだけの日記だからこんな日記もある
でしょう。

ブログ交遊

2025-01-19 12:00:25 | 日記
1月18日(土)よく晴れた暖かい一日だった。このような日が来週も
しばらく続きそうで、なんとなくうれしい。

外出が極端に減ったため、好きな神戸、大阪探訪や友人知人との交遊
もほとんどなり、ブログが唯一外に開かれた「窓」になってしまった。
そのブログも、だんだん書くことがなくなり、毎日のネタ探しに追わ
れている。
そのブログで、気になることがある。日記が突然途絶え、半年~1年
間更新がなく沈黙しているブロガーさんが2人いる。それまでほぼ毎
日、楽しい日記を書いて、写真も添えていたのに・・・日記の削除も
なく最後のページを残したまま消えてしまった。
どうしたちゃったんだろう、と気になりながらも。どうすることもで
きない。

15年ほど前に参加していた「シニアメーリングリスト」というSNS
で、「オフ会」やゴルフ会を開くなど活発に活動していたが、ある有力
会員が突然発信しなくなった。しばらくたってから妹さんから「訃報」
が彼の日記欄に入り、驚いたことがある。
今回の音信不通が、パソコン不調の単なる「お休み」だったらいいけ
ど、万一のことが心配だ。
顔が見えないブログ交遊は便利で楽しいけど、本人に不測の事態が発生
した時はどうすればよいのか、考えさせられる。

  📷📷📷📷📷  蔵出し写真  📷📷📷📷📷
        *我が町の武庫川詩情 ③*
  <川面は野鳥たちの楽園>











健全な国民性

2025-01-18 11:44:53 | 日記
1月17日(金)よく晴れていたが、午後から雲が覆って、寒い陰気
な天気になった。

阪神淡路大震災から30年、朝からテレビは震災特番、購読している
新聞も別刷りの震災特集を組んでいる。
30周年の今年は、神戸の追悼のつどいに、天皇皇后両陛下のご出席
いただき、犠牲者を追悼した。

大震災発生当初、都市が壊滅しているのに略奪行為が全く起きず、食
料や水の救援にも整然と並んで受け取っていることに、外国メディア
は驚嘆の声を上げて報じていた。
非常時でも冷静な行動は、日本ではごく当たり前のことなのに、海外
ではとても信じられないことだったのだろう。
アメリカのロサンゼルス山火事で、廃墟となった街で略奪や泥棒が横
行、警察や軍が警戒に当たっていると報じている。
世界各地の過激デモの暴走では、商店が襲われ略奪行為が頻繁に起こ
っている。

人の不幸に便乗してワルさをする人はいるが、阪神大震災以来、東日
本大震災や直近では能登半島地震など大災害が相次いだが、略奪や悪
質な便乗犯罪で被災者を泣かすような話は聞かない。
略奪や破壊行為が起こる国々を「民度は低い」と、某大物政治家のよ
うに傲岸不遜に言わないけど、世界に誇るべき健全な国民性だろう。


  📷📷📷📷📷  蔵出し写真  📷📷📷📷📷
        *我が町の武庫川詩情 ②*
  <川面は野鳥たちの楽園>















芥川賞、直木賞

2025-01-17 10:55:21 | 日記
1月16日(木)雨戸を開けると、まぶしい朝陽が飛び込んできた。思わ
ず目を細める。今日も穏やかな日差しに恵まれた一日だった。
パンジー、ビオラの春の花や、球根を植えたプランターが渇いてきた
ので、水を撒いてやる。

2024年下半期の芥川賞、直木賞が昨日発表された。私には純文学
部門の芥川賞小説は理解不足もあって難解という先入観が働いて、
あまり読みたいとは思わない。直木賞は大衆娯楽、エンタメ小説的な
内容が多く、楽しめるので、本屋大賞の小説とともに、これまでもか
なり読んできた。
今回の直木賞受賞作は伊与原新さんの「藍を継ぐ海」という。初めて
知る作家の小説。単行本が文庫本化されるには数年先になるだろうけ
ど待とう。

最近は食材を買ってきてもらったときの限定主夫業になった。夕餉
は揚げサトイモと鶏肉のさっと煮。正月の残りの餅も加えて・・・


  📷📷📷📷📷  蔵出し写真  📷📷📷📷📷
        我が町の武庫川詩情 ①
  <大阪湾の河口は海鳥たちの楽園>













A1c ちょっと改善

2025-01-16 11:22:16 | 日記
1月15日(水)穏やかに晴れ、風は少し冷たいけど、日差しはぽかぽか
暖かい。

今日は月イチの糖尿検診日。11時過ぎ行きつけの医院に着く。いつ
もはバスを利用するが、暖かかったのと正月以来引き籠って歩かなか
ったので、少し疲れたがゆっくり徒歩で行く。
いつものように採血してもらい、A1cを測定してもらったら、前月よ
り少し改善していた。お節料理と間食をかなりしたので、数値が上が
っているかも、と心配したがホッとする。この調子でがんばろう。
Dr.も「さらに改善目指しましょう」と励ましてくれた。

途中、花友さんちの庭先のハクモクレンの蕾が膨らんでいるのを見て、
早春の気配を感じる。春本番はまだ先だけど、気分は軽くなる。
    <蕾が膨らんできたハクモクレン>


  <日当たりが良いので、ダイアモンドリリーも元気>


糖尿病治療薬の処方箋をもって調剤薬局回りして2時間ほどで帰ってき
たが、カナの姿が見えない。探したら私のベッドの布団に潜り込んで昼
寝していたらしい。全身ホカホカの状態で出てきた。
夕方、花に水をやろうとしたら小雨が降ってきたので中止。

30年前の大震災

2025-01-15 10:25:14 | 日記
1月14日(火)穏やかな日差しに恵まれた冬の一日だった。
外に出ることもなく、読書しながらのんびりグータラな時間を過
ごす。

娘が務めている学校は、年度末の行事などで忙しくなるそうで、今
夜と明日の帰宅が遅くなるとか。
昨日、一人夕食のために買い置きしてもらった黒毛和牛のスジ肉で、
二日分の夕餉の菜「スジこんこん(スジ肉とこんにゃくの煮込み)」
にする。昼過ぎから、脂と臭みを取り除くため数回湯でこぼし、夕
方に味付けしてこんにゃくと茹で卵を加えて、出来上がり。美味し
くいただく。

阪神淡路大震災の17日が近づいてきた。NHKテレビの関西ローカ
ルは震災特集が多くなった。
30年前、断水でトイレの水を近くの疎水からバケツに水を汲んで
運んだこと、同僚の車で西宮の山手を迂回して通勤途中、玄関の門
扉に「井戸の水あります。よかったらご利用ください」と張り紙し
ていたこと、泊まり込んだ会社から1週間ぶりに帰宅することにな
り、電車内で見知らぬ人に携帯電話(当時は持つ人が少なかった)
を借り自宅に電話したこと、

NHKアナウンサーがニュース報道の時、涙があふれしばらくしゃべ
れなくなったこと、被災地ご訪問の美智子皇后(現在の上皇)が、
帰られる車内で身を乗り出すようにして両手のこぶしを上下に激し
く振って「しっかり!がんばって!」と、見送る被災者を励まされ
たお姿も、目に焼き付いている。

   📷📷📷📷📷  蔵出し写真  📷📷📷📷📷
        *1.17大震災から30年 忘れない*
   <西宮・二川 大規模地滑りで34人犠牲、鎮魂のシバザクラ>





















時代の「色」

2025-01-14 11:10:02 | 日記
1月3(月)よく晴れた気持ちの良い「成人の日」の朝。テレビニュ
ースは、晴れ着姿の成人女性たちの晴れやかな笑顔を映し出している。
我が家では、もうとっくに縁のない風景だけど。

今年は令和6年だけど、「昭和100年」に当たるんだってね。
日本の暦には、西暦(グレゴリオ暦) と元号(和暦)の二つがある
のは、たいていの人は知っている。
元号は奈良時代に中国から伝わり「大化」が最初と言う。元号の本
家の中国ではすでに西暦だけになっているので、二つの年号を採用
しているのは日本だけ。
新聞の欄外に2025年(令和5年)とあるように、二つの表記を
する場合が多い。
元号は、大きな天災事変とか、慶事があった時に元号を改めたが、
現在は皇位の継承があった場合に限り元号を改めると規定されてい
る。
昭和天皇が崩御され平成に代った時の小渕官房長官(当時)の写真
が忘れられない。
  

二つの暦表記、ややこしくってしょうがない、と嘆く人も多いでし
ょう。でも、元号と言うのは貴重なものだなあ、とも思う。
例えば江戸時代の「元禄」と言えば、赤穂浪士が討ち入り、華やか
な庶民の文化が栄えた時代、と思い浮かぶ。
時代が進んで明治は、江戸幕府が倒れ文明開化の西洋化とともに、
ロシアの南下を防ぐという名目で日本軍が大陸に侵攻、大正時代は
関東大震災や大正デモクラシーが花開いた。
昭和では、前半に軍部のクーデターの果て太平洋戦争突入と敗戦の
大激動があり、戦後には民主主義が根付いた。平成になって、阪神
淡路と東日本の二つの大震災があった。
ざっとみて時代を元号でみると、それぞれ「カラー」が見える。単
なる西暦だけは、そんな時代色が浮かばない。

穏やかな祝日だったので、やっと育ったビオラの苗の移植をした。
本葉が出ているけど、まだ小さい。元気に育ってほしいね。



大相撲初場所

2025-01-13 11:51:17 | 日記
1月12日(日)今朝もよく晴れたおだやかな一日で日が暮れた。
寒い日が続き、カナはほとんど一日中こたつに入り浸り。
時々「熱かったぁ」と出てきてい居間の床でドタリ。しばらくしてまたこ
たつに戻る。そんな毎日を繰り返している。


今日は午後から長女の運転で、新年初の月イチお墓参り。墓苑のある山は
さすがに寒いようで、お墓の供花台の水は分厚く凍っている。

東京の国技館で大相撲初場所が始まった。スピード出世して髪の成長が追
いつかず、先場所までチョンマゲ姿だった大関の大の里は、やっと大銀杏
姿で土俵に上がったが、あっさり負け黒星スタート。もう一人応援してい
る前頭十一枚目の尊富士(たけるふじ)は、無難に勝ってやれやれ。
試合が始まる前に、モンゴル出身などの外国人力士へのインタビューがあ
ったが、みんな流暢な日本語で受け答え、いつも感心する。
来日して10年前後しか経っていないに、厳しい稽古と土俵上のしきたり
や風習を覚えながらの日本語習得は、並大抵じゃないだろう。
プロ野球などの外国選手は、ヒーローインタビューでは、いつも通訳付き。
ほとんどの選手はアリガトウ、サヨナラ、オオキニ、ガンバリマスぐらい
しかしゃべっていない。
数年の活躍が終われば帰国する、出稼ぎ気分で来日するプロ野球選手と、
日本古来の伝統スポーツの世界にどっぷり飛び込んで、幕下から這い上が
る外国人力士とでは、心構えが全く違うからだろう。
また彼等の「挙措」を見ていると、親方たちがきっちり「教導」している
ことがわかる。


「忘れる」「忘れない」

2025-01-12 11:18:34 | 日記
1月11日(土)寒波はひとまず峠を超えたようで、ガラス越しの朝の
陽ざしは柔らかい。午後からは曇って、寒くなったが。

広縁から畳のある部屋にかけて差し込むまぶしい日差し、光の中に手を
かざすとほんわか暖かい。真冬でも穏やかなこんなひと時を過ごせるな
んて、何とありがたいことか。

最近、人の名前がなかなか出てこない。年齢を重ねると物忘れが高じる
のは仕方のないことだが、少し寂しい。
正月の歌謡番組で「北国の春」をカバーを聴いた。今では国民歌謡のよ
うなポピュラーな曲だが、「誰が歌ってたかなあ」と思い出せず、いらい
らしながら聴く。あとで千昌夫のヒット曲と思い出したが、そんな「物
忘れ」が目立つようになった。
勤めていた会社の上司や同僚たちの名前も、忘却の彼方へ去っていく。

その一方、たまたま正月映画で観た「大いなる西部」は、70年も昔の
高校生のころ初めて観た外国映画だったのに、主演のグレゴリー・ペッ
クとチャールトン・ヘストンは、ばっちり覚えていた。
もっとも、西部劇の名画だからその後テレビで再三放映されたので、覚
えたのだろうけど。
脳内の「忘れない」「忘れる」の線引きは、どこにあるのだろう?