Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記130107 超「横観」という徒然ごと

2013-01-07 08:09:34 | 絵画と哲学

おはようございます。
今朝は低い雲が絨毯のように覆っています。


徒然ごと
*きのうは 家内とわたくしの誕生日で
家ですき焼きをしました。
最近は外でそれに相当するものがあり、
また こちらも小家族なので少なくなりました。
室内加湿器とウィスキーをプレゼントに
もらいました。
この季節、乾燥がつづき、喉に負担がかかるので
加湿器はありがたいことです。
*所属しているNPOの季刊誌に一年余 表紙絵を載せてもらいまいした。そのつど図書券一枚が謝礼としてもらいます。 それお溜めて正月に以下の三つの本を買いました。書名だけをあげておきます。

松本三知夫 構造災~科学技術世界に潜む危機 岩波新書
中北浩爾  現代日本の政党デモクラシー 岩波新書
高橋昌一郎 知性の限界~ 不可測性・不確実性・不可知性理性よさらば!? 講談社現代新書

*ところで「数学基礎論」に思いのほか時間をかけてしまって、なにかロッククライミングをやらかしている感じです。
数歩上っては留まり、ときにずるずると落ち また足場を取って先へのおぼる。これを「縦観」とでもいっておきましょうか。 こういう本の読み方は久しぶりで楽しいです。


* 一方、気になっていることがらを、さっと知識の吸収しながら考える思考の仕方があります。これを「横観」とでも言っておきます。
*この二つがうまく並行しての論理思考が大切であると思っています。要はバランス感覚が大切ですね。 


*しかし意識の上からすると「縦観」の方は自分の意識をその期間”on”にし続けておくことがさらに要求されるようです。途中で休むと またふもとからはじまりということがあって気が付いてみると 「横観」はそっちのけで、縦へということになります。 つまり”はまる”ということです。
*こういう 「縦観」というは 学生のころの時間の過ごし方に適したものですが、あとのまつりです。世の中にでるともう,それなりの立ち位置での「横観」”on”で 走っていくことになります。
ときに あのとき すこし 突っ込んでおけばよかったとおもったことは 大変多かったようです。
*概してのはなしですが、理系のひとの知識への関心の持ち方は 「縦観」的です。 専門的であるいは原理的ではあるが 時間の使い方としてそれが精一杯で 幅がせまいとかげぐちを叩かれても本人はそう思っていないのではないかとおもいます。 
*あるいは、原理的であるということで逆に 意識内では幅のひろい視野をもっていると 確信している節もあります。
*ところが 異なる分野の人との頻繁な交流からくる情報は相対的に少なくなりますので、実践的には 幅がせまくならざるを得なくなります。 ある件で 本を何冊よんだ そしてこのように考えたというパターンとはかい離してきますね。

*ところで、上にあげた本も本屋と電車のなかで目次を
ながめただけで 超「横観」になっている状態です。
*「縦観」と「横観」という徒然ごとでした。


徒然ごとおわり


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