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朝日記230622 (表紙)翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

2023-06-22 16:02:16 | 絵画と哲学

表紙:4

朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,Quentin Meillassoux Lecture

 

翻訳と解説

(Quentin Meillassoux Lecture;) ケンタン マイアスー講義

Time without Becoming (Becomingをともなわない時間)

 

(Middlesex University, Londres, 8 mai 2008)

Middlesex University、ロンドン、2008年5月8日

和訳 Yasumasa Arai, Machida Tokyo  24 April 2023 (22 May 2023版)

 

Speculative realism(思弁的リアリズム)[1]は contemporary Continental現代の大陸での運動である、それは post-Continental philosophy)[1](ポスト大陸哲学)としても知られており、その自身が厳密ではない緩い metaphysical realism(形而上学的リアリズム)[2]の立ち位置で定義されたものである。それはpost-Kantian philosophy (ポストカント哲学) (または "correlationism"相関主義と用語化)[2]されたものの枠組みのもとでの形式解釈に抵抗するものとして位置づけられるものである。 

そのもっとも先導的な哲学者であるQuentin Meillassouxが2008年ロンドンで行った講義を翻訳である。

 

Abstract

Speculative ralism ia a movement in contemporary Continental-inspired philosophy(also known as post-Continental philosophy) that defines itself loosely in its stance of metaphysical realism against its interpretation of the dominant forms of post-Kantian philosophy(or what it teams “correlationism”)

Quentin Meillassoux of Ecole Normale Supriere in Paris is one of the leading thinker of this field. This article is a translation  to Japanese language of his lecture presented at Middlesex University, London, May 2008.

 

目次

  1. Correlationism 

相関主義

朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

  1. The problem of the arche-fossil.

  アルシェ‐フォシルの課題

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

  1. The principle of factiality

事実化性の原理

朝日記2380622  その3 ケンタン マイアスー講義

  1. The principle of contradiction

矛盾の原理

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

 

======Executive Summary

訳者まとめ

Speculative realism(思弁的リアリズム)[3]は contemporary Continental現代の大陸での運動である、それは post-Continental philosophy)[1](ポスト大陸哲学)としても知られており、その自身が厳密ではない緩い metaphysical realism(形而上学的リアリズム)[4]の立ち位置で定義されたものである。それはpost-Kantian philosophy (ポスト・カント哲学) (または "correlationism"相関主義と用語化)[2]されたもの)の支配的のもとでの形式解釈に対して抵抗するものとして位置づけられるものである。 

そのもっとも先導的な哲学者であるQuentin Meillassouxが2008年ロンドンで行った講義を翻訳である。[5]

節1では、MeillassouxはKantの哲学が、経験と知覚との接点を求めるという意味で単なる観念論ではなく、あえてCorrelationism相関主義という名称でその意味の考察をする。

ものを取り上げるときに、具体的に自分が意識したことを言明して、それを目の前に置くという前提でその存在を考えるとう点でまさに相関なのである。その点ではあくまでもリアルなのであるが、普遍的な存在は対象外とする。Meillassouxは、自分、そして先人、つまり人類さらに生命体といったancestralな存在については、そこに誰もいないのであるから相関は破綻することに言及する。

節2 Arche-fossilでは 一方、物理化学で同位元素の半減率の測定からは人間のアテンダンスに関わらずそのモノとしての所在を語る。人間の思考と存在を出発とし終点とする哲学的思考ではそれをどう救うのかという命題である。

節3The principle of factialityでMeillassouxは、ここでの外的リアリティに対してもうひとつAbsolute絶対性(普遍存在性)に着目する。相関主義の正しさはリリティに対するものであり、これによってはその存在の普遍性については語らないとし、ancestralな課題に対して主観上の事実かれの用語ではfacticity事実性というfactiality主観上の事実概念を導入する。

事実性はリアルなものの世界での事実ではない想像上(意識上)のfacticity事実的なものとおいて、これをおくことの必然性を論述である。

ここでの制約条件はPrinciple of non contradiction非矛盾性原理のみであり、思考もしくは想像できるentities事態、processプロセスをrepresentation思考表象として記述することを許すのである。なお、F.A.MullerはMeillassouxの相関主義や観念論でこのArche-fossilからの逆説について丁寧な説明をしている。[6]

節4The principle of contradictionは、かれの講義のヤマ場であろう。ギリシャ哲学での根源において一方でThalesの水のようなものが世界の元としてbecoming成るとして固定不変の思想と、他方、ものごとは現れては消え、また現れるという変転のものというAnaximander学派の可変(no becoming)の思想に言及する。読者としての本筆者はここでMeillassouxyの発想の根底において(ある意味で彼ら哲学者を脅かす)事態もしくはプロセスの幻影を見ることになる。直接間接に彼らは表記しないが、Iria Prigogineらの非平衡・動的・化学熱力学系の教えるところの現象で、ある状態がそれ事態が動的(時間軸)について変動して、それ事態の中でその構成要素が時間的変化(たとえば化学反応など)をしていくようなリアリティを明らかに意識していることみる。相関主義から想定外の発生や消滅があらわれる。それが人間がそこにアテンドするしないにかかわらず個別にも、世界的スケールにも事態進行していく。これらは単に静的な相関論で説明することの破綻として彼らはみているのである。Meillassouxはこれを主観の世界としての形而上学リアリズムの論理構造記述ができるモード記述と考えこれをSuper Caosとみる。かれの発想では通常のChaosがこのThe principle of contradictionの制約をうけるが、このSupeCaosにはその制約をうけないものとして見ている。Anaximander流の生成と消滅のあるモデルを想定しているが彼は自らのちからでは形式記述にいたらず、ただ数学的知恵が助けてくれると信じている観がある。つまり数学的形而上学的モデルへの期待である。かれのSpeculative Realismである。

かれのfactialityでの興味ある視点は、人間が価値あると考える側とそれの反対がわの矛盾側との存在に言及している。これは思考の絶対存在そのものが絶対矛盾というHegelの弁証論的な世界へといざなうが、そこに入るこむまえに、矛盾の存在を思考上でみとめることの意味を述べていることにある。秩序、整頓、仕事、冷静、尊厳、矜持、理性的なものにたいして非秩序、混沌、熱的なもの、好き嫌い、喜怒、感情的なものの意識上の並存であり、主観上の相互作用としてみることである。主観上の空間量や時間量の概念が許容されるかどうかの思考許容性の問題は後におくとして、思考(メンタル)と存在(体)とを一体系した熱力学的な枠組みとして、そこにエントロピー概念を取り入れることを示唆しているが、彼らはそこまでに立ち入れていない。メンタルエントロピー概念へのいざないである。物理化学系でこれがPrigogineやAlan Turingへの非平衡動的化学熱力学の数学的記述との相似性への道をひらくことになろう。こちらのモデルは考える枠組みのもつ能力としてΔU=(非秩序)+(秩序項)のもつイメージである。右辺第一項がエントロピー項であり、第二項が目的の項である。 「彼は赤である。」「かれは赤ではない。」「彼はその中間にある。」「彼はそのどちらでもない。」

蛇足をゆるすなら、先にわが敬愛するMeinongの非存在対象NonExistence Objectへの

思考展開の意味と考える自由からの果実を約束するようにも想像するのである。

 

さらに、他のモデル論にもちこむなら、主観主義の裏側に対峙している客観主義で上のすべてをObjectの多層構造として表象するひともでてくる。Graham HarmanやLevi Bryantが提唱するOOO(object-oriented ontology)がそれである。[7]

さらにIan Hamilton Grantはtransscedental materialism超越的物質主義として、ものごとの実質的(substanctial)なものとしてMatterとuseful fictionとの間の区別性は現在も生きていると主張する。物理学をPhysics of bodies(体の物理学)ではなく、その“physics of all”すべてのものの物理学に還えることを要求する。生命それ自身の概念自体がもつ領域の哲学と、同時にmetaphysical properties(形而上学的特性)を求めることになるかの次元にいたることになる。

これらについては、西側世界での哲学的研究の白眉であることを、最近知ったのであるが、その思考展開の拠点としてスピノザへの回帰がある。[8]

 

Meillassouxにもどるなら、かれは誰かが数学的ツールによってこのからくりを説明してくれるであろうということ期待して彼の講義を閉じるのである。しかしかれはそれが成功しても、思考と存在の原点ancestryの相関主義の線路の欠落については、自分の未解決課題としてのこってしまうことを吐露する。

 

さて、筆者(荒井)自身の取り組んできた研究課題「システム思考における目的論の構造と社会的倫理について」である。

人類社会でのaffection感情(感性)とthought思考(理性)の動的集積体としてさきにdispositon(社会的情動集積体)というのを社会道徳現象概念をあげたが、問題の枠組みとしてそして思考の方向としてみると興味深いものがあるが日暮れて道遠しではある。敬愛する畏きわが友からの所見をいただくことを乞うものである。

荒井

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朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

 

 

[1] Speculative; 関わっているさま、表現しようとしている様、知識よりも推測に基づいたさまGoogle Word dictionary)(荒井)

[2] Metaphysical realismはつぎの内容の考え方である;存在するものはすべてそのようにありかつ、そのような特性と関係を所有し、それについて思考や経験から存在や自然を引き出したものとは独立にあるとする。(Philosophical realism:From Wikipedia, the free encyclopedia)(荒井)

 

[3] Speculative; 関わっているさま、表現しようとしている様、知識よりも推測に基づいたさまGoogle Word dictionary)(荒井)

[4] Metaphysical realismはつぎの内容の考え方である;存在するものはすべてそのようにありかつ、そのような特性と関係を所有し、それについて思考や経験から存在や自然を引き出したものとは独立にあるとする。(Philosophical realism:From Wikipedia, the free encyclopedia)(荒井)

 

[5] From Wikipedia, the free encyclopedia (referred on May,2023),which translation to Japanese language by Yasumasa Arai is posted below;

朝日記230617 思弁的リアリズムSpeculative realismについてと今日の絵

 

 

[6] F.A.Muller、The Paradox of the Arche-fossil, An Analysis of Meillassoux’s Challenge to Correlationism, Idealism included. Vol 74;3 September 2020 dialectica

 

[7]   From Wikipedia, the free encyclopedia (referred on May,2023),which translation to Japanese language by Yasumasa Arai is posted below;

朝日記230617 思弁的リアリズムSpeculative realismについてと今日の絵

 

[8] 国分功一郎 スピノザ ―読む人の肖像 岩波新書1944, 2022


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