Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記130427  産経新聞「新憲法案要綱」(4・26)を読んで

2013-04-27 14:31:38 | 政治

朝日記ときょうの絵をおおくりします。


おはようございます。
けさも風がなくしずかな朝です。
ゴールデンウィークGWのはじまりですね。
もっともこちらはいつもGWですが。

さて、
同窓会ネット早起き同盟の友人から、産経新聞(4/26)の「新憲法案要綱」の発表をおしえられました。以前 その友人が ’憲法改正国際コンペ’をやったらどうかという思い切った提言をされ 私は度肝をぬかれたことを思いだしました。

件の要綱は以下からご覧になれます。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130426/plc13042605010009-n1.htm


それで、きのうは 細部とは言わぬも 目を通してみました。


時間が経たないうちに 自分の態度とひとまず発信することにしました。
***
以下 私のメモを書きます。

***
<産経新聞の新憲法案要綱(2013/4/25)(以下で「産経要綱」とよびます)
についてのメモ>

*まず、憲法を考えるうえで テキスト(たたき台)をメディアが自らの意思と責任として 提案したことに敬意を表することにします。
*これに対して ひとまず 全体を横観する意味で目をとおしました。 
*印象としては、昨年の4月に発表した自民党が改正案(自民24年版)と非常に近い位置にあるという印象です。
メディアの自由な立場から 「男系」の天皇案のように  より具体的な形で 提示しています。

*「産経要綱」での前文について

以下に指摘します(⇒は 筆者の感想もしくは意見です)
 

*前文の印象として 

⇒訓示的な印象がしました。なぜか。 内容は立派ですが、憲法をつくるということがなぜ必要なのか、そのためになにを決めるべきかという理念からのよびかけがない。
* ミッション(使命)、ヴァリュー(価値)、ビジョン(行動展望)としての論理(設計思想)がみえてこないということになります。
したがって 国造りへの理性に裏付けされえた感性への支持つまり感動がおこらない。 

keywordsとして以下を抽出します

⇒ これらの言葉の定義が必要です。
もとい、よりどころ、国の代表、象徴、元首
内閣の補佐と責任、道義国家、基本的人権、国の主権

「日本国は・・・」
⇒ 国の定義宣言であるから これはこれでよい。
「日本国民は建国以来・・・」
⇒ このパラグラフは 日本民族の伝統固有の価値の明示である
「先の大戦による荒廃から復興し・・・」
⇒ 前のパラグラフを受けて 近代史のなかでの日本国の歴史を明示し、
「国際規範を尊重し、・・・」に繋げるのがよいとおもう。
⇒ 「前文」は 基本的には「自民24年版」と主旨はかわらないとおもうが、「要綱」の方が 文が練れているとおもう。
⇒筆者は「現憲法」の前文の方が圧倒的にすぐれているとおもう。本要綱の記事解説では前文の各項目の表現が 憲法の借り物でることを強調しているが
このような見解は 誤った判断を一般読者に与えるものである。
条文の表現の出自で価値を問うべきではなく 内容の正しさで評価すべきであるとおもう。
⇒そういう意味では 検討段階で 外国語(特に英語)で翻訳を平行して明示することが必要である。 一国の憲法は世界にも向けられていることを銘記すべきである。
⇒したがって、一国の憲法には、国のミッション(国の持つ使命)、ビジョン(国のもつ目標概念)、バリュー(価値・道徳・美など)が語られていなければならないからである。

*本文の印象として

第一章 天皇
⇒ 第一条 の「象徴」、第二条の「元首」、「代表」 と三つの語で天皇を定義しているが
 三つの語の定義がない。(使える語を羅列した感がある)
⇒ 第四条 「内閣の補佐と責任」の定義がない。 この案を通じて 天皇の主体性と補佐との関係が明示的でない。
第二章 国の構成
⇒「国民主権」と「国家主権」 ふたつ主権が出てきてその相互の意味が曖昧である。
⇒国の構成を、近代の議会制民主主義の基本精神にもとめるとして 国民個人の持つ「基本的人権」と国民から委託された政治的権力である「主権」の相互の位置づけがきわめて不明確である。
⇒ たとえば つぎのようなふたつの条文となるべきである;「日本国民は、人類共通の自然権として、個々が基本的人権(生存、自由、平等、博愛)を 普遍的な原理として認め、これを所有するものである。」

⇒「国家は 必要な制度を有し、国の安全を保障し、公の秩序を維持し、公共の利益を進め、これを保証するために必要な最低限の統治権力を国家主権として、国民から委託されるものとする。」
⇒つまり 「国民主権」の表現は「国民自然権」もしくは「基本的人権」ということばに帰るべきである。

第三章 国防 
⇒「交戦権」の明文化が必要である。  国際法上の主権国家の資格条件として「交戦権」が認められており、「放棄」は主権国家の放棄と理解される。 したがって、これについての明示がないと独立国として、国際法上の紛争の解決の場の乗らない。
第四章 国民の権利と義務
⇒ 基本的人権の制限は 主権国家として当然であるが、この制限は「最小限」であることが必要。
⇒ 国民の「抵抗権」の明示。  国家主権が基本的人権に対する無制限制限拡大として、 乱用された場合 国民の「抵抗権」をみとめるべきである。(民主主義の本質)
 「 国あり、はじめて人あり」ではなく「人あり、はじめて国あり」が近代民主主義の」基本である。
第五章 国会
第六二条(政党)
⇒ 政党の運営の内部秩序も民主主義のルールが遵守されるべきこと。
 独裁者の温床になることの危険性を防ぐ。 ドイツ基本法が参考になる。
 特に ヒットラーの「全権委任法」(1934)の成立の可能性の芽が個人独裁があり、
政党内独裁が国の独裁を決定づけることに注意すべきである。
 
第七章 裁判所
第九十条(軍事裁判所)
⇒ 位置づけが唐突である。 第2項で「法律でさだめる」としているが、主旨と基本的条件が明記されないと恐怖政治をうむ温床になる可能性がある。
 
第十一章 緊急事態
第百十六条 緊急事態の失効宣言
⇒ 緊急事態の限期設定と手続きの明示が必要(「全権委任法」1937ナチスの独裁権から学ぶべき)
第十二章 改正
⇒ 両院の三分の二の議決が いまでも国際的の基本のベースである。安易にこのバリアーを低めると 暴力政党に利用されやすい不利益があり いまの議決方式でよい。

*まとめ

*筆者の意見

⇒筆者は「現憲法」の前文と 本「要綱」とを比較して 一番決定的な違いは 「現憲法」はミッションとバリューが明確であること知る。 

⇒その視点で各国の憲法を「横観」(よこかん)すると 「現憲法」が世界の現近代史の流れとしてとして 「ミッション」および「バリュー」とも 遜色がなく世界の「恒久平和」に積極的に貢献していうという理想を掲げ、むしろ世界に先行しているともうかがえる。

⇒この「ミッション」からくる「バリュー」は 民族固有の価値観と人類社会との接点の思考と意思から生まれるものであり、自分が考えたから、他人が考えたからなど バリューの出自を問うべきではない。

⇒本文では 「現憲法」の第九条の「戦争放棄」をあらため 国際法にもとづく「自衛権」としての「軍」をもつこと、あるいは国際法上の「交戦権」を保持することに賛成である。


*わたくしの提案:

提案1.「現憲法」の前文を 極力そのまま 引き継ぐべきである。

提案2. 国民主権と国家主権について 次の定義がひつようである。

「日本国民は、人類共通の自然権として、個々が基本的人権(生存、自由、平等、博愛、など)を 普遍的な原理として認め、これを所有するものである。」
「国家は 必要な制度を有し、国の安全を保障し、公の秩序を維持し、公共の利益を進め、これを保証するために必要な最低限の統治権力を国家主権として、国民から委託されるものとする。」

項目2.基本的には 「現憲法」の第九条の戦争放棄に自衛権ならびに共同自衛権を明記したものに替えることで済むと理解している。 

項目3. 本「要綱」や「自民24年版」やのように憲法条文総入れ替えではなく、「現憲法」の「前文」を存続させ、個別修正改正案であることを支持する。国の歴史過程のなかでの一貫性が 守られるべきであると考える。 以上。                  
***

ご参考までに、さきに発表した 以下をあげさせていただきます。是非 ご覧ください。
(YouTube版)音楽絵画 「憲法改正問題をかんがえる」
http://www.youtube.com/watch?v=z-Ytg5E7ZH8

エッセイとしては以下をお読みください。
朝日記130222 論説「自由民主党憲法改正案を読んで(その2)特に 前文案を中心にして」
http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/59491950b8f80015ddaea108d2d04963



徒然ことおわり


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