Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記240705  (その7)7. カテゴリーの理論 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

2024-07-05 10:47:39 | 研究論説

 

朝日記240705  (その7)7. カテゴリーの理論 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース

 

  1. カテゴリーの理論 Theory of categories

 

カテゴリーの理論 Theory of categories

 

主記述はCategories (Peirce)

1867年、5月14日に、27歳のPeirceは"On a New List of Categories"と題する論文を American Academy of Arts and Sciencesに提出したそして翌年にそれを出版したのであった。

その論文は術語predicationの論理を形づくるものであり、三つの普遍的カテゴリーを含んでいる。これは、PeirceはアリストテレスAristotle、カントImmanuel Kant、そしてヘーゲル G. W. F. Hegelを読んだ結果から開発したカテゴリーcategoriesであり、これらはPeirceがかれの人生の終焉まで彼の作業において一貫している。[20]   

Peirceに研究者は一般的にこの"New List"をPeirceの「構築ということの科学的研究」"architectonic"、プラグマティズム哲学のための青図のための基盤もしくは竣工として見なしている。

このカテゴリーにひとは感知し、集中するであろう、そのパターンは明解なる三つのグレードによって形式化されていることを知る、これは(1878 paper foundational to pragmatism)プラグマティズムへの基礎となる1878論文にあり、かつ彼の沢山のtrichotomiesの作業によっている。

"On a New List of Categories"(カテゴリーのあたらしい表について)はカント流演繹としての影響をうけたものである;それは説明が十分ではいが、密度のたかいかつまとめるには困難なものである。以下の表はそれと後年の研究から編みあげたものである。[129]

1893年にPeirceはその殆どを再記述し、より一般むけに供したのである[130]

 

Peirce's categories (technical name: the cenopythagorean categories)[131] Peirceのカテゴリー(技術的名称:セノピタゴリアン・カテゴリー

Name

名称

Typical characterizaton

典型的特性

As universe of experience

経験の宇宙として

As quantity定量性として

Technical definition

技術的定義

Valence, "adicity"

結合、「付加性」

Firstness[132]

第一性

Quality of feeling

感覚の質

Ideas, chance, possibility

理念、機会、

可能性

Vagueness, "some"

 

曖昧さ、

「或る」

Reference to a ground (a ground is a pure abstraction of a quality)[133]

基盤としての参考(基盤は質について純粋な抽象)[133]

Essentially monadic (the quale, in the sense of the such,[134] which has the quality)

 

基本的に単項monadic(quale, the such,[134]

という意味において、その such

は質を所有している)

Secondness[135]

第二性

Reaction, resistance, (dyadic) relation

反応、抵抗、(対応)関係

Brute facts, actuality

素朴事実、

実際性

Singularity, discreteness, "this"

特異性、

別々分離、

「これ」

"this"

Reference to a correlate (by its relate)

相関(その関係による)としての参考

Essentially dyadic (the relate and the correlate)

基本的にdyadic(その関係とその相関)

Thirdness[136]

第三性

Representation, mediation

代表、

仲介調整

Habits, laws, necessity

習慣、

必要性

Generality, continuity, "all"

一般性、

「すべて」"all"

Reference to an interpretant*

解釈の参考として

Essentially triadic (sign, object, interpretant*)

本質的に三元性triadic (記号sign, 対象object, 解釈interpretant*)

 *Note: 

Intepretantは或る解釈プロセスの産物という意味での解釈物(人間もしくはそれ以外)である。

 

論理的または記号学 Logic, or semiotic

 

1918年、論理学者C. I. Lewisは書く、「C.S. Peirceの記号論理学への貢献は他の記述投稿者以上に数多くそして内容的にも多岐にわたるものであった―少なくとも19世紀においてはである。」[137]

 

 

関係性論理 Relational logic 

 

  "Logic of Relatives" (1870)は最初の論文であるが、Peirceは  Augustus De Morgan.[b] の嚆矢になる関係性の理論  theory of relations を拡張したのであった。

1940年に始まるが、 Alfred Tarski  とかれの学生は関係性論理学のPeirceのより開けた学問展望を再発見したのであった。それは関係性代数 relation algebra の展望展開へとつながった。

コンピュータ科学computer scienceでは、データベースdatabasesのための関係性理論 relational model は Edgar F. Coddの業績のなか、Peirce学派での理念によって展開された、かれはPeirce学者Arthur W. Burksの博士課程の学生であった。  

経済学では、関係性論理は Frank P. Ramsey,  John von Neumann, そして Paul Samuelson  によって選好性preferencesと効utilityの研究のために使われた、そして Kenneth J. Arrow はSocial Choice and Individual Values,社会的選考と個人的価値において関係性論理が使われたのである。この研究は City College of New York においてTarskiのいるArrow研究派に引き継がれたのである。 

 

数量詞 Quantifiers

 

Peirceとその同時代者たちである Ernst Schröder とGottlob Fregeについて、Hilary Putnam (1982)[91]は資料をまとめた、それは Fregeの業績で量化論理logic of quantifiersの部分は彼の同時代者たちへ影響を与えなかった、しかしそれはPeirceとかれの学生 Oscar Howard Mitchellの業績の4年以前に公開されたにもかかわらずである。

 

 Putnam は 数学者および論理学者が数量詞quantifiersについてPeirceとMitchelによる独立的研究を通じて学んだことを見出したのである。それは特にPeirceの論理代数学"On the Algebra of Logic“を通じてであった; 

 

記号の哲学への貢献は  にて出版され、Peano and Schröderによって編じられたが、そこで取り上げられたひとのなかにはFregeは無視されていたのであった。

それらは記法、印字修正など現在つかわれているものを採用しているはPeirceに依って採用され進化してきた。

PeirceはあきらかにFregeの業績を無視していた、かれらの達成が論理、言語哲学、そして数学基礎(philosophy of language, and the foundations of mathematics.)のおいて共通していたにも関わらずである。

Peirceの形式論理の業績は  Ernst Schröder の他にも賞賛者がある;

  • 哲学的代数学者 William Kingdon Clifford[139]と論理学者 William Ernest Johnsonであり、双方とも英国人である;
  • 論理と基礎数学のポーランド学派、これには Alfred Tarskiをふくむ;
  •  Arthur Prior 、彼は 1964年の論文においてPeirceの論理的業績を研究し、かつ賞賛する[28] 、そして形式論理(これはPeirceのFormal Logic  「多分、これ以前にも以後にも他のいかなるひとよりも基礎に対して鋭敏な目をもつ」)というpage 4のことを指している)。

 

 

論理の哲学 Philosophy of logic

 

論理の哲学、これは彼のカテゴリーと記号論での基盤をなすものであるが、Peirceの記述から抽出できるし、Peirceの業績のより一般的なものから拾い上げ、擁護できる、

これは Hilary Putnam (1982);[91] が行っている; Nathan Houser et al. (1997);[140] での序論;そして Cheryl Misak (2004).[141]での Randall Dipert'sの章である。

 

 

 

哲学的なものとしての倫理  Logic as philosophical

 

 Peirce は論理それ自体logic per se を哲学の一部門division of philosophyと見なした、一つの部門として、それは美学estheticsと倫理ethicsを基礎においた規範科学normative scienceとし、形而上学metaphysics,[118]以上に基本的としたのである、そしてもうひとつの部門として、それを「研究の方法をあみだす技術(わざ)」であるとしたのである。  

より一般的には、推論inferenceとして、「論理logicはその社会原理social principleに根差している」なぜなら推論inferenceは立ち位置standpointによっており、その立ち位置は無制限unlimited.[143]であるからである」 

現今、論理"logic".と単純に呼んでいるモノの多くを「論理数学」"mathematics of logic"と呼んでいる(これは否定的な見方を意味してはいない)

 

 

彼は (哲学的な)論理(philosophical) logicと論理数学logic's mathematicsの双方に生産的なものをみていた、それらは彼の仕事と思考に深く結びついている。

 Peirce は論じた、論理logicは形式記号学formal semioticであるとした;広義の意味での記号形式研究formal study of signsであり、これは技巧的artificial、言述的linguistic,、または象徴的symbolicである記号である、しかしそればかりではなく類似性semblancesまたは行為反応reactionsのときの検索的indexicalなものになる記号でもあると論じたのである。 

 Peirceは「この宇宙すべてに記号signsが浸透し充ちている、それは記号signs,が、たとえば組み構築composedされ、特定の表示性representationalと推測性関係inferential relationsを伴うといった排他的exclusivelyなものではなく、記号signsが先に浸透、充実perfusedしている」[144] とした。 

 彼は論じる、思考thoughtのすべては時間timeを取るので、思考すべては記号signs[145]の中にある、そして記号プロセスsign processes ("semiosis")は探求プロセスinquiry processのようなものであると論じたのである。   

かれは論理を分けたdividedのである:

(1) 特定的な文法speculative grammar,  もしくは知識の応用論stechiologyである、これは記号signsはどのように意味を持ち得てon how signs can be meaningful andそして,その意味の関係においてどのような記号がそこにあって in relation to that, what kinds of signs there are, それらがどのように結合していてhow they combine, そしてあるものは体を持ち得るembodyか他の者と結びついて incorporatいるかである; 

(2)論理的判断性 logical critic, または論理的特性 logic proper,であり、これは推論のモード the modes of inferenceに関係するものとしてである; そして

(3)おおきな見方speculativeまたは宇宙観universal rhetoricとして, またはものごとの筋の一貫methodeuticとして,[115]哲学的な探求 理論 philosophical theory of inquiryとしてであり、それにはプラグマティズム pragmatismを含む,.

 

論理先行性 Presuppositions of logic

 

彼の"F.R.L." [First Rule of Logic](論理の第一則) (1899)は、Peirceはいう、それは第一のものthe firstであり、「ひとつの意味において、それ単体」"in one sense, the sole",であり、理性に則っているrule of reasonということは、すなわち学ぶために、学ぶことを望むことが必要であること、そして思考に傾注することに満足することに絶えることなく願望しつづけることであると言明する。[118]

而して第一則は惑うto wonder.ということであり、Peirceは研究実施research practicesと理論形成shaping of theoriesでの吟味判断課題critical themeへとむかう;そこでは定理からえられる系 corollaryにつながり、それ自身がたとえば哲学の街の壁面に書かれるに値するようなものである;つまり探求の道すじに妨げしてはならない。

Peirceはさらに加えた言う、手段と経済性が研究ではもっとも望ましいのであるが、試論において外側からの罪意識などを一切継承させない、それが入ると試行として持ち込んだものを経ての研究の障がいとなり、また研究意欲への阻害となる。

そして「人許されざる攻撃」は真理の前進に対して哲学的障壁となる、その攻撃側にある「すべての世代での形而上学の学者たちを以って、彼ら自体がもっとも中毒に置かされていることを証明してしまうこと"metaphysicians in all ages have shown themselves the most addicted".になってしまうそのような攻撃を意味する。 

 

Peirce はかれの著述に一貫して、 logic precedes metaphysics(論理性が存在性ontological, 宗教性religious, そして物理性physicalに先行する)として、論理が形而上学に先行するという立場を保持した。

Peirceは探索への障壁を四つあげる:

(1)絶対的確実性の主張Assertion of absolute certainty;

(2)あるものが絶対的に不可知であることを保持しているmaintaining that something is absolutely unknowable;

(3)あるものが基礎もしくは究極であるがゆえに絶対的に説明不可能であることを保持するmaintaining that something is absolutely inexplicable because absolutely basic or ultimate;

(4)完全な厳密性が可能であるとし、特に全く非日常的で、かつ例外的現象であるとして保持するholding that perfect exactitude is possible, especially such as to quite preclude unusual and anomalous phenomena.

 

 

絶対的な理論確実性を拒絶することは可謬主義fallibilismの中核である、Peirceは可謬主義をもって、そのような障壁barriersを立てることを拒絶する・

Peirceは可謬主義の論理的先行仮説logic's presupposition of fallibilismが発現機会chanceと連続性continuityにおいて非常に現実realであるという観方を長い歳月をかけて導いていった(tychism and synechism)[101]。   

論理の第一則The First Rule of Logicは、目下取り込んでいる理由undertaking reasonと論理logicが、こころの方が先行するという前提仮説mind's presuppositionsを保持するというものである;その先行仮説とはたとえば真理とその現実はあなたやわたくしのそれらについての意見opinionに依るのではなく、そこに矛盾がみられないような顕現表示の関係representational relation(それはとても十分とは言えないまでも)の調査結果を仮説をとるのである。(以下をみよsee below) 

彼はそのような観念を希望hopesとして記述した、それはある特定のケースでは、ひとはもはや深刻に疑うことが出来ないという事態で、それをまとめてそれを希望hopesと表現するとしたのである。[146] 

 

 

四つの無能力 Four incapacities

 

The Journal of Speculative Philosophy series 思弁哲学ジャーナル(1868–1869), includingつぎのものを含む;  

  • Questions concerning certain Faculties claimed for Man (1868)           ひとのために要求されるたしかな能力に関する質問(1868)
  • Some Consequences of Four Incapacities (1868) 

四つの無能力の必然性(1868)

  • Grounds of Validity of the Laws of Logic: 論理法則の有効性の基盤
    Further Consequences of Four Incapacities (1869)四つの無能力のさらなる必然性

1868–1869においての三つの著述,[145][126][147]で、Peirceは言述的もしくは誇張的疑念および第一義もしくは究極原理を拒絶し、われわれが持っていること(彼はそれらを数えあげたが[126])を論議した;

 

  1. 内観の無力 No power of Introspection. 内的世界のすべての知識は既知の外的事実からの仮説的理由によってもたらされる。
  2. 洞察の無力 No power of Intuition (それ以前の認知による論理的決定なしの認知)。  認知のない段階は絶対的にプロセスの最初である。こころの行為すべては推論の形式をもつ。
  3. 記号を伴わない思考の無力No power of thinking without signs. 或る認知はつぎの認知において翻訳されなければならない、それは全体として或る認知にあるためにである。
  4. 抽象的非認知なるもの無概念性 No conception of the absolutely incognizable.

 

(上での洞察という語の意味はほとんどKantのものであるとPeirceは語る。それは現今の本能instinctiveや半意識的推論性half-conscious inference などをカバーするような緩い意味とは異なる)

Peireはこのような無力性は現実性についての一般性、および連続性、理性のモードの有効性、および哲学的なデカルト主義Cartesianism (see below)の失敗性を含むと論じたのである。

Peirceは(Kantがよく指摘するように)未知の物自体thing-in-itself[126]の概念を拒絶し、そして「信念作りを却下する」"dismiss make-believes"ことがプラグマティズムの前提条件であると後に言明した。[148] 

 

 

形式的記号論としての論理 Logic as formal semiotic

 

Peirceは形式哲学的道すじを数十年をかけ広域の研究をとおして探求した。それは思考プロセスのつまびらかさarticulate thoughtのためにであり、そして科学の働きをも、説明するためでもあった。 

本来性と生育過程で根ざした探求の動力学的設問は高度に絡まっていて、これが彼をして記号論へと向かわしめた、それは記号と推測の概念を著しく広げるものであった。

そして、総合して、所謂「科学がいかに働くか」と研究方法の工夫といる仕事の探索理論へとつながったのである。

これは数世紀のあいだ教えられてきた中世的定義medieval definitionによる論理であり、芸術ついての術art of arts、科学についての科学science of sciencesであり、方法methodsすべての原理への道につながるのである。[142] 

  Aristotle の業績での探求の平行線についての点から発している、その軌跡loci としては、 On the Soul魂についてでの心理学psychologyの基本的語彙;解釈についてOn Interpretationでの記号関係sign relations の基盤となる記述である。 

 

そして推論の違いを三つのモードに別けたのである、それらはひろく一般になり、英語世界では、アブダクションabduction、演繹deduction、そして帰納induction,であり、これは Prior Analytics, での位置づけである。 

  analogy (Aristotleはこれを paradeigma と呼んだ)による推論と同様、それはPeirveは他の三つを含むものとしてみとめたのである。

Peirceは1860年代に記号論について書き始めた、それは三つのカテゴリーの彼のシステムの考案であった。彼はそれを semiotic  及び semeiotic.とよんだ。ともに単数型と複数型として現在存在している。

彼は三角的記号関係の概念のうえにそれの基礎とし、そして記号性を定義したそれは「行為もしくは影響性としての記号性であり、つぎの三つの協力を含む、記号、その対象そしてその解釈者である、この三つの相対的影響はそれらの二つの組みでは解決にならないようなものである。」.[149]

思考における記号として、Peirceはその逆を強調したのである;「思考というものはその瞬間に起こすことはできない、しかし時間timeが必要である、ということは別の道すじということになる、それはすべての思考all thoughtは別の、もしくは思考thoughtが記号signsのなかにあるということであるのだ。[145]

 

 

Peirceはつぎのように考えた、思考thoughtのすべては記号signsのなかにあり、それは解釈でそのもの、そして解釈からのもの(in and from interpretation)である、ここでは 記号sign は非常に広い語彙wordにわたる、概念的な類似semblances、関係図diagrams、隠喩metaphors、診断symptoms、信号signals、標識designations、シンボルsymbols、テキストtexts、さらに心の概念mental conceptsと理念ideas、こころもしくは擬的こころ quasi-mindの決定determinationsとしてのものすべてである、それはこころa mindのような機能functionsをし、たとえば結晶やミツバチの働きのようなものがそれである[150]―その焦点は、心理学psychology、言語学linguistics、また社会研究social studiesよりも、一般には記号行為sign actionにある(かれが探求する場ではある)

 

探求は推論プロセスの一種であり、思考と記号学の様態mannerをもつ。現象が記号として成立する現象の道すじ、および探求への下位仮定subsumption、そして記号プロセスとして進行する推論内での思考は以下の三つの水準の記号学的探求の研究になる;

  1. 有意義の条件顕著な要素の研究とその組み合わせ、それらの文法

 Conditions for meaningfulness. Study of significatory elements and combinations, their grammar.

  1. 有効性、真の代表のための条件。それら様々別々のモードでの議論の批判的位置付け。 Validity, conditions for true representation.Critique of arguments in their various separate modes.
  2. 解釈をきめる条件 相互に作用しあうモードでの探求方法論。 Conditions for determining interpretations. Methodology of inquiry in its mutually interacting modes.

Pierceはしばしばわかりやすい経験からの事例をつかう、しかしそのようなものを哲学的論理の用語において明言しかつ翻訳するのである。

形式的位置付けにおいては、Pierceはいう:論理の定義性について、論理Logicとは形式的記号論formal semiotic.である。

記号Aは何かあるものAである、つぎに何かあるものB、これは翻訳的記号 interpretant signを持ってこよう、そのAは、Bによって決定されるか、それによって創出されて何かあるものCを同じ種として対応correspondence((もしくは下位に位置する種 a lower implied sort))させる、そのがその対象object であり、それにおいてそれ自身がであるとして位置するのである。

この定義は、それは時間の経過とともにある粒子を置いていくとき、これを線の定義する以上の人間思考への如何なる参照を含むものでない[1]、それは定義からくるものであり、私が論理の原理principles of logicを演繹deduceするのは数学的理由性mathematical reasoningによるのであり、そして数学的理由性によって演繹deduceするのである、それは、私は敢えて強調するものであるが、 Weierstrassian厳密性の判断批判criticismを支持するものであり、そしてそれが完全に検証可能perfectly evidentであるということに依るのである。そこの定義での語「形式的」"formal"もまた定義される。[151]     

 

 

 

[1] This definition no more involves any reference to human thought than does the definition of a line as the place within which a particle lies during a lapse of time.

 

 

朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日記240705  (その6)6... | トップ | 朝日記240705  (その8) ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

研究論説」カテゴリの最新記事