関西ミドル 雑記帳
不動産賃貸業 元ゼネコン勤務
 



クリストファー・コロンブス

コロンブスはジェノバ生まれであるが、イタリア人である確証はなく、スペイン系ユダヤ人との説が有力である。
当時ポルトガルが東回り航路でインドに到達するべく次々と船を出したのに対し、コロンブスは、西回りでインドに到達する事を計画。
スペインのイサベラ女王の援助を得て出発した。
数回にわたり新大陸の東岸を探検した

1492年8月3日、ポルトガルのパロス港の近くサルテス川の河口から、三隻の船で出航した。
主船はサンタ・マリア号(100トン以下と推定)、ニーニャ号とピンタ号というカラベル船(15世紀に生まれた三本マストの帆船)で約60トン程度。
1492年10月12日、バハマ諸島の中東部にある サン=サルバドル島に上陸した。


1992年は、コロンブスの新大陸到達から500年に当たる年で、それを記念する行事がアメリカでも行われたが、しかし時代はかつてのような大航海者にして新大陸の発見者として礼賛されるだけではなかった。
コロンブスの新大陸到達によって始まったことはスペインによるインディオの土地の略奪とその虐殺だった、
さらにアフリカからの黒人奴隷の大量の強制移住をもたらした、という側面を忘れるな、という声が各地で起こった

 2020年5月、アメリカのミネアポリスで起こった白人警官の暴力によって黒人容疑者が死亡した事件は、6月に黒人差別に抗議する大規模な黒人暴動に発展した。さらに世界各地で、黒人差別の頑強である黒人奴隷制、さらにその歴史的出発点となったコロンブスの新大陸「発見」などの歴史評価に対して、従来の白人、ヨーロッパから見た歴史の見直しを迫る運動として、さまざまな記念碑の破壊へと転換した。アメリカのリッチモンドでのジェファソン=デヴィス(南部連合大統領)、リー将軍(南軍指揮官)の銅像が倒されただけでなく、6月10日にはボストンでとうとうコロンブス像の首が落とされるという事態となった。 → AFP bb ニュースサイト
 さらに動きはヨーロッパに飛び、イギリスではブリストルで奴隷商人の銅像が倒されて海に投げ捨てられ、オックスフォード大学ではセシル=ローズ像撤去の動きがあり、ロンドンではチャーチル(インド人に対する人種差別的な言動で知られる)像が破壊される恐れがあるので鉄板で覆われたという。さらにベルギーでは国王レオポルド2世(今後を植民地化し、過酷な黒人弾圧を行った)像にも被害が及んでいるという。現在の人種差別思想は、ヨーロッパ白人の世界征服過程の始まりである15世紀末のコロンブスに遡るのだ、という主張が正しいかどうかさておき、私たちアジアの民族として世界史を学ぶ意味が問われているとも言えるだろう。

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