東郷和彦
第二次世界大戦終戦時に外務大臣を務めた元外交官の東郷茂徳は祖父。
元外交官の東郷文彦は父。
自身を含めて親子三代で日本の外交官を務めた。
母東郷いせの母エディ・ド・ラランド(東郷エヂ)はユダヤ系ドイツ人であった。
『ワシントンポスト』元記者の東郷茂彦は双子の兄。
生年月日
1945年(昭和20年)1月10日
学歴
1968年 東京大学教養学科国際関係論卒
2009年 ライデン大学で博士号(人文科学)
現職
京都産業大学教授・世界問題研究所長
岡県対外関係補佐官
主要な職歴
1968年 外務省入省
1988年ソ連邦課長、
98年条約局長、
99年欧亜局長など、ロシア関係の業務に合計17年携わり、北方領土交渉を経験。
2001年 在オランダ大使
2002年 外務省退官、ライデン大学講師
外務省ではロシア語研修閥である「ロシア・スクール」に属しており、竹内行夫ら「アメリカ・スクール」との確執も取り沙汰されていた。
外務省に強い影響力を有していた鈴木宗男に太いパイプがあり、北方領土問題では歯舞・色丹の二島先行返還論を唱えていた。
このため田中眞紀子外務大臣の意向で駐オランダ特命全権大使への着任を一時保留された。
東郷や丹波實といった外務省のロシア・スクールが、鈴木宗男事件をきっかけに一掃されたことで、2006年8月の第31吉進丸事件への対応をめぐって外務省の人材不足が指摘された。
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