関西ミドル 雑記帳
不動産賃貸業 元ゼネコン勤務
 



官公需とは
 神奈川県中小企業団体中央会

 
官公需法と国の契約の方針
国、公庫、公団及び地方公共団体などが、物品を買い入れたり、工事を発注したりすることを官公需といいます。中小企業の仕事量を確保し、その振興・発展を図るため国、公団、公庫、事業団等の官公需を発注する諸機関及び地方公共団体が、政策的に中小企業への発注を促進する施策として「官公需についての中小企業者の受注の確保に関する法律」が昭和41年に制定されています。
国は、この法律に基づき、毎年度国等の諸機関が発注する官公需のうち、中小企業者向けに発注すべき目標額を示し、併せて、その目標を達成するため、「中小企業者に関する国等の契約の方針」を閣議決定し、国等の各官公需発注機関に示すとともに、地方公共団体に対しても国の施策に準ずるよう要請しています。平成17年度の「国等の契約の方針」は、7月15日に閣議決定されました

 

 


大阪府

官公需施策は、経営資源の脆弱な中小企業者にビジネスチャンスを提供するととも
に企業の競争力を高める機会であり、大阪府において、「官公需についての中小企業の
受注の確保に関する法律」(昭和41年法律第97号)に基づき、中小企業者の受注機
会の増大を積極的に推進するものである。
このため本府では、予算の適正な執行に留意しつつ、より多くの中小企業者が官公
需に参入しやすい環境を整備するための措置について、「平成18年度中小企業者向け
官公需確保のための基本方針」を定める。

 

土工協機関紙「建設業界」

「官公需法」の意味するもの
伊藤 もうずい分以前のことですが、大蔵省だった時代に予算担当の方と話したことがあるのですが、彼が言ったことは、「公共事業費の配分は根本的に考え直すべき時にある。特に農業土木予算については…」ということでした。しかしそのときの彼の話でとても印象的な言葉は、「意味のない公共事業はまずない」ということでした。それでもなお、彼の考え方の底にあったことは、「本当に整備すべき社会資本、重要な社会資本はもっと他にある。そこにこそ予算を配分すべきである」ということでした。しかし現実には、農業の関係者や、国会議員、農水省の役人など、いろいろな人たちの陳情に押され、今に至って大きく方向が変えられることはないわけですね。

 それは例えば道路でも同じで、新しくつくるなら単線よりは複線が、さらには高規格であるほうがいいし、一本よりもネットワークのほうがいい。これらのことは何も道路に限らず、教育でも、医療でも、福祉でも、あらゆる分野でそうなのだと思います。

 問題は、そういう個々の公的事業を考えるときの仕組みが、全て縦割りになっているところからきているのだと思います。もちろん、そういう仕組みであることで、担当者はそのことを深く考え、一所懸命に取組むことができるという素晴らしい利点もあるわけですが、こと日本全体を大きく眺めて、今何が最も重要かということを見極める、全体を見通してプライオリティをつけていくということはなかなかに難しい。

 つまり、それぞれの事業には便益性があるわけですが、それに対して税金という全体としては限りがあるお金をどう配分していくかというとき、やはり相対的に一番大事なものからお金をつけていくということ、相対的に見てその便益性が低いものは犠牲にすると言いますか、少し後回しにしていくということはあってしかるべきではないかと思います。
葉山 全く同感です。いま公共事業の半分近くが「官公需法」という法律によって中小や地元企業のために割当てられています。その割合は毎年、契約目標率として閣議決定され施行されるのですが、しかもそれは年を追うごとに高まっていて、いまや四五%にも達しています。

 そこで、その事業の内容を見ていきますと、それはもちろん先ほどの先生のお話ではありませんが、意味のない公共事業というものはないわけですから、小さな工事は小さいなりに、例えば地域住民の暮らしにとってある程度重要な意味を持ってはいるはずですけれども、それを受注できるのは地元企業などいわゆる中小企業だけが対象ですから、必然的に技術力はそれほど必要としない工事が多くなって、昔は失業対策事業とも言われましたが、雇用確保のためと言っても過言ではない工事がほとんどだろうと思います。ですから、このようなものが本当に日本の社会基盤として重要な、プライオリティの高いものかと言えば、わたしは大変疑問に思っています。

 いずれにしても、本当に必要なインフラ整備のために使えるお金は、一〇〇のうち半分くらいしかないというのが現実です。これらのことはもっと世の中に明らかにしていくべきではないかと思っています。

伊藤 そうですね。

葉山 「官公需法」が良いとか悪いとか言うつもりはありませんが、少なくとも「現時点では、公共事業予算の五〇%弱は雇用対策のために使っています」というようなことをもっと世のなかに明らかにしていただきたい。それをしないから、公共事業の波及効果は小さいとか、公共事業不要論などが出てくるのだろうと思います。

伊藤 本来の「公共事業」と「雇用対策」とは明確に分けて執行せよと……。

葉山 そうですね。雇用対策としての工事ででも働いてもらうことは、一応の成果物もできていくことですし、地域社会としてはそれなりに意味のあることですけれども、「官公需法」によって執行されている工事には、そういう趣旨、そういう意味があるのだということを、政府は世の中に向かってもっとはっきり知らしめるべきではないかと思います。

伊藤 議論のあるところですからね。

葉山 もうひとつ盛んになされている議論としては、公共事業の「採算性」とか「費用対効果」の問題があります。

 公共事業に「費用対効果」という評価基準を持ち込むことの是非については、わたしなりにまた別の思いもあるのですが、今はそこは別にして論じれば、当節の財政事情を勘案すれば少しでも投資効果の高いところを優先するという価値観を是とするなら、そこをもっと前面に打ち出して実行すべきであろうと思います。例えば、首都圏のすでに認可を受けた全ての道路を一斉につくると、国土交通省の試算によれば現在のお金で八兆円かかるのだそうです。ところが、その経済波及効果は四〇兆円にもなる。とすれば、小さな工事を全国のあちこちでやるよりも、この首都圏に一気に投資すれば大変有効なのではないかと思います。


伊藤元重
東京大学大学院・経済学研究科教授

伊藤 まさにそういうことを建設業界はもっと積極的に外に向かって発言していくべきではないでしょうか。世の中のいろんな価値観やものの見方が揺れているこの時こそ、業界の方々は自分の立場を表に出していかないと、国民の目には見えてこない。先ほどの、雇用対策のような問題も含めて、公共事業の名の下に行われていることにはこんな問題もあるのだということも自らきちんと発言していくようにしないと、一部のマスコミの議論に流されて、ますます公共事業悪玉論だけが蔓延していくことになりかねません。

 やはり、絶対に必要な公共事業はあるわけで、それは例えば、特にこれから高齢化社会を迎えたときにどのような都市であるべきかとか、あるいは慢性化している渋滞をどう解消するのかとか、災害に対してはどこまで強固なものにしていくのかとか、いろいろな課題があるわけですが、そういうものが雇用対策的な事業と一緒の土俵でひとまとめにして議論されていていいのかということですね。

葉山 全くそのとおりだと思います。


セーフティネットはどこまで張るべきか

伊藤 あえて失礼な質問をいたしますが、建設業界はあまりに人が多すぎませんか。それはもしかしたら、「官公需法」による影響が大きいのでしょうか。

葉山 まさにおっしゃるとおりで、人間も企業数も多い。ご存じのとおり、ピーク時の建設投資額は平成八(一九九六)年の約八三兆円ですが、それが十四年度はたぶん五六兆円くらいとなり、さらに十五年度には五二、三兆円にまで減少するのではないかと言われています。それに対するに、現在の許可業者数は五七万社余、就業者数は六三〇万人とも言われています。

伊藤 全就業人口の一〇%を超えている……。これはたぶん、世界的に見てもかなり高い数字ですね。やっぱり「官公需法」の影響が大きいということでしょうか。

葉山 建設産業自体が、これまで他産業の雇用調整の役割を担わされてきたところがあります。例えば自動車メーカーの合理化が進めば、そこから流れてきた人を雇用するといったふうにして受け入れてきた。そういうことがあって、景気が冷えてくると公共事業を増やして建設業のところで社会全体の雇用調整をするということが行われてきたのですが、このように日本全体に人余りが出てくると、しかも建設投資もこのように大幅に減少すると、もう余剰人員の持って行き場はないというのが現実ですね。

伊藤 このような時代では、個々の企業にとって、雇用されている者にとっては過酷でも、リストラをしなければ企業として生き残ってはいけないということがありますね。こういう言い方は非常に冷たいと思われるかもしれませんが、企業に対して雇用の維持ということをあまり押しつけるべきではないと思います。もちろん、しっかりした企業であるためには社員を大事にし、安心して働いてもらえるようにする、終身雇用的なことも大事ですけれども、しかし、他であふれた人たちの雇用を特定の産業や企業に押しつけるのは、たぶん本末転倒ですね。

葉山 企業でやるべきことと、国がやるべきことを、もっとみんなに分かるようにすべきではないでしょうか。

伊藤 雇用対策とは何かということを考えるとき、雇用の場を国や地方自治体が自ら用意をするということはいかがなものかと思います。これはやはり労働市場のメカニズムに任せるべきで、個人も自分で仕事を探さないと生きていけないということになってくれば、いろいろなことを考えていくのだろうと思います。それをこれまでは、失業率が増えたから何とかしなければいけないということで、場当たり的な雇用対策をした結果が、雇用対策的な土木事業を年々増やすことになってしまったのではないかと思います。

葉山 個人に対してセーフティ・ネットを用意するのは国のひとつの役割ではあるかもしれませんが、あまりに手厚くしすぎるのは問題だと思います。それは同時に企業に対しても言えることで、あまり過度になると自然淘汰ということは起こらなくなってしまいます。

 わたしは、建設業も一種の生き物だと思うのです。とすれば、生物界の仕組みとして当然、自然淘汰ということもあってしかるべきだと思うのです。それを会社更生法などいろいろなセーフティ・ネットを張ることで無理やり助け起こそうとする。これは言ってみれば、建設業という生き物の生態系を乱すことになるのではないか、そう思うのですけれどね



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