関西ミドル 雑記帳
不動産賃貸業 元ゼネコン勤務
 



畑村洋太郎

1941年、東京都生れ。
東京大学工学部機械工学科修士課程修了後、
日立製作所でブルドーザーの開発設計に従事。
73年、東京大学工学部助教授、
83年、同大学大学院工学系研究科教授
01年。

同年より畑村創造工学研究所を主宰。
東京大学名誉教授。
著書に『失敗学のすすめ』(2000年、講談社)、『社長のための失敗学』(02年、日本実業出版社)、『決定版 失敗学の法則』(02年、文芸春秋)、『成功にはわけがある』(02年、朝日新聞社)、編著に『続々・実際の設計--失敗に学ぶ』(96年、日刊工業新聞社)、『子どものための失敗学』(01年、講談社)など多数

「失敗学のすすめ」

畑村 これまで失敗事例を分析した学問などなかったですから、皆さんに与えた衝撃が大きかったのでしょう。

誕生のきっかけとなった「続々・実際の設計--失敗に学ぶ」

畑村 失敗学というのは、失敗を誹(そし)ったり、自信をなくさせるのが目的ではなく、逆に失敗を生かしていこうというポジティブな学問です。想像以上の反響に驚きの念も隠せませんが、これだけ支持され、また「このような本にもっと早く出会いたかった」という声を数多くいただいているところを見ると、随分必要とされている学問なのだなとうれしく思っています。

失敗を研究のきっかけ

畑村 ある時、大学の講義で失敗事例を話してみたら、想像以上に学生の反応が良かった。

「失敗は成功のもと」というくらいですから、創造、進歩に失敗は付き物なのです。ゼロからものを創り出すのに、初めからうまくいくわけありませんよ。失敗というと「避けたいもの」とついマイナスなイメージで捉えがちですが、意識してみると失敗から学ぶことはとても多い。これは科学に限らず、身近なことにもいえます。それならば、徹底的にそのメカニズムを調べる必要があるなと思ったのです。

また、うまくいく方法ばかりでは、既存の技術の真似や過去に起きた問題への対応は上手にできても、新たなものを創造する能力を身に付けることにはつながりません。

「ドジ」ともいうべきやや滑稽な失敗から、犯罪ともいえるような失敗、また、その後の技術進歩につながるような「意義有る」失敗まで、その範囲が随分広い。

畑村 しかし、いずれの失敗も分析してみると、「未知」「無知」「不注意」「手順の不遵守」「誤判断」「調査・検討の不足」「制約条件の変化」「企画不良」「価値観の不良」「組織運営の不良」の10種に原因を分類することができます。
どんな失敗でも、これらいくつかが重なったために起こるものなのです。

これだけ分っているのですから、失敗を生かさない手はないでしょう? ですから、単に失敗してしまったという結果を責めるだけではなく、次の事故防止、新たな進歩への大事な教材と捉え、生かしていくべきなのです。

失敗そのものを探求し、そこから学ぶことが大事。

例えば、1999年のH-2ロケット8号機が打上げ後に、最後の制御の不具合で小笠原海域へ墜落してしまったニュースは記憶に新しいでしょう。これなどは失敗を無駄にせず、後の技術進歩につなげた良い例です。

メインエンジンを広い海域の、それも3,000メートルの深さのところから引き上げたと聞いています。奇跡に等しい出来事だった。

これを単に不調だったためと締めくくっていたら、先日のH-2Aロケット打上げ成功も随分先のことになったといっても過言ではありません。失敗の原因となったメインエンジンを必死で探し出し、なぜ失敗を招いたのか徹底的に調査、分析したことでさまざまなことが解明できました。いうなれば、失敗を材料として生かしたことが今日のH-2Aロケット成功を導いたのです。

「失敗は成功のもと」

畑村 ロケット開発などまだまだ未知の分野なのに、日本人はどうしても失敗をプラスに考えることが苦手なようで…。

その後に至っても、ちょっと不具合が公になったりすると、「日本の技術もここまでか!」なんて叩かれてしまったり…。

一方でアメリカでは、チャレンジャーの打上げ失敗が、後の技術開発につながる大変有意義なものだと認識されている。

畑村 失敗への認識が全然違うんです。

日本という国自体、古くは中国、近年は欧米の真似をすることで発展してきたこともあって、自ら創意工夫する能力より、正解を探す能力の高さを評価してきたところが多分にあります。失敗を恐れ、マイナスに捉えがちなのも、そうした背景も影響しているのだと思います。

これが文化の違い。日本は「恥」という意識を重んじる傾向が強い、というあたりも影響しているのでしょうか?

畑村 なるほど。恥とは新鮮な着眼点ですね。

では、せっかくですから、もう少し掘り下げて考えてみたいのですが、私は「恥」にも2通りあるのではないかと思っています。そしてここには、今の日本で正さねばならない姿と、今後進むべき姿、この2つの対極ともいえる意識が隠されていると思うのです。

畑村 1つは、社会規範に対しての「恥」です。日本は、組織や協調性というものを大事にする文化が強い国。悲しいことに、いまだ従来型の「村文化」が横行しているのが現状です。このため、何か失敗をしてしまった時に、まず会社などの組織の損得を考え、隠そう隠そうとしてしまうケースが多いのです。今、問題視されている大企業の不祥事などはその最たる例ですね。明らかに間違っていることなのに、組織の中でそれを指摘できずに良しとしてしまう。

昔はそれでも通用したのでしょうが、時代とともに価値判断も大きく変化している。

畑村 昔に比べ、人、ものの移動の範囲が広がっていますし、今や文化さえも流通する時代です。失敗を恥という意識で捉えるなどという小さな器の人間の集まりでは、組織の膿はますます大きくなってしまいます。ですから、組織のためにと失敗を隠そうとせず、むしろ今後の教材として公にするべきなんです。

最近よく耳にする内部告発なんていうのも、この文化に我慢ならない、また良心に正直な人々が起こす行動だともいえます。ですが、思い切って公にしても裏切った、リークしたなどと責められてしまったりする…。、まだこの国の文化に色濃く残っているわけです。

失敗学を世に広めることで、このような風潮、意識を取り除いていきたいと思っている。

畑村 そこで逆に広めていきたいのが、2つめの恥の意識なんです。

同じ恥の意識といっても、こちらは己の良心に対する恥の意識。自分はこうしたいと思っているのに、その意志に反した行動をとってしまった、とらざるを得ない状況に陥った場合などに感じるものです。いってみれば自身の志に対する失敗の恥の意識で、これは人の生き方に関わる大事なことです。

個人の価値基準が問われる

畑村 その通り。現代は、精神的にも経済的にも肉体的にも個人の自立が求められる時代です。自身できちんと考えて行動する、決して人の基準で動かない強さが必要なのです。ですから逆に、志に対する恥の意識を持っていない人は流されてしまうでしょうね。前者の「恥」とは大違いです。

自身で基準をつくり行動するのは、怖さ、辛さを伴いますが、これが「志」

畑村 その志に従って、失敗を恐れずに突き進んで行くべきなんです。そして、もし失敗してしまった時には、隠すことなくその事実を直視し、そこから学び今後の糧とする、この姿勢こそが生きていく上でとても大事なのだと思います。

そういう人間が集まれば、自ずと組織も文化も変っていく。

とはいえ、生死に及ぶような致命的な失敗は絶対にしてはなりませんよ。しかし、多少の痛みは必要でしょう。というのも、人間は、痛みを感じた時点で初めて次への対策を考えるものですから。それから、失敗学は決して「失敗しろ!」と勧める学問ではありません。

現在は、過去の失敗事例のデータベースづくりに取り組まれているとか。

畑村 ええ。各々が失敗を後の糧にするだけでなく、その失敗を知識として残していくことも失敗学の目的の1つなのです。より多くの失敗事例を広く共有できるようになれば、さまざまな分野で役立ちますから。

最近発行された「社長のための失敗学」というご著書が東アジア各国でも翻訳、出版され 随分評判を呼んでいる。

著書は、東アジア各国で経営の教科書とされているとか。

私も、興味深く読ませていただきましたが、中でも巻末の「失敗した社長の頭に浮かぶ事柄」をまとめられた図は、実によく分析していらっしゃると感心いたしました。まるで私の頭の中を覗かれてしまったような

 
畑村 「社長業もしたことがないのにどうして分るの?」と、友人などにもよくいわれるんですよ(笑)。もともと私は機械工学の失敗事例の研究から始めましたが、実は経営も機械工学も失敗のメカニズムはそう変らないものです。ですから今後も、さまざまな分野に応用して、多くの人に自信を与えることができるような本を発行していきたいと思っています。


***
―それまで「してはいけないもの」「隠すべきもの」であった失敗に焦点を当て、新たな視点で失敗に対する価値観を一変させたわけですが、そもそも失敗に注目されるようになったきっかけについてお聞かせください。

畑村: 大学で機械工学を教える中で、失敗について話をすると、それまで眠そうにしていた学生が急に熱心に聞き始めるんです。効果的な指導を行うためには、相手が欲しがる形で情報を与えることが一番です。さらに、この「失敗話」の効用について思索を深めていくと、失敗に学ぶことがものごとの真の理解につながり、創造する力を養うものだということが分かってきたのです。

なぜなら、新たなものを創造しようと思うとき、そこに失敗はつきものだからです。「失敗は成功のもと」と言われるように、失敗の中にこそ創造の種があるのです。

こうやればうまくいくという「失敗しない方法」を学ぶことは、一見成功への近道のように見えますが、これが通用するのは既存のパターン化された課題に限られ、新たな課題にはほとんど役に立ちません。新たな課題に相対したときに必要なのは、一つには自分自身が実際に失敗した経験を持っていること、もう一つは自分が経験しないまでも人の失敗経験を知識として持っていることではないでしょうか。

未知の領域に挑戦し、ゼロから創造をしていこうと思えば、失敗はついてまわります。創造と失敗は表裏一体の不可分なものです。
それなのに、失敗は忌むべきもの、隠すべきものとして、今まであまり語られず、また先回りをして失敗をさせない教育が偏重されてきました。これでは創造力が養われないどころか、新たなことにチャレンジする気力すら奪いかねません。

失敗をマイナスととらえる従来の失敗観を転換して、失敗と真正面に向かい合い、そのとらえ方や生かし方について、きちんと考えていく必要があるのではないか――、そう考えたことが『失敗学』の礎となりました。


―失敗に学ぶためには、具体的にどのようなプロセスが必要となるのでしょうか。

畑村: 私自身の経験で言うと、エンジニアの初心者である学生に、まずお手本となるサンプルを一切与えずに自分自身でものを作らせるようにしています。そうすると誰しも初めは失敗をし、挫折感を味わうことになります。このとき、向学心が強い者ほど挫折感を強く感じ、同時に知識の必要性を骨身にしみるほど実感・体感します。そうなって初めて、どんな場面にでも応用して使える真の知識を吸収する素地が形成されるのではないでしょうか。

また、こうした素地が形成されたら、今度は自分の失敗体験だけではなく、他人の失敗体験を知識として吸収し、さらに学習した知識も吸収して蓄えていきます。これが真の理解へと至り、創造力を養成するための理想的なプロセスと言えるでしょう。

―失敗体験を知識として組織に蓄積するためには、どのようなことに留意したら良いのでしょうか。

畑村: 一つは、客観的な失敗情報は役に立たないということ、つまり失敗は「当事者の視点」から記述したものしか正確には伝わらないということです。従来の事故の報告書のように、第三者が客観的に分析したものは、確かに責任の所在の明確化という点では意味があることかもしれません。しかし、他人の失敗から学ぼうというときに一番大事なのは、失敗した人がどういう状況に置かれ、どういうことを考え、どういうプロセスでミスを犯したのかという、主観的に再現された情報です。当事者の生々しい肉声に触れて初めて、その失敗を身近な問題として実感し、また自分の行動に置き換えることで、他人の失敗体験を知識として体得することができるのです。

もう一つは、それぞれの失敗知識が何に役立つのかが明示されていて、学びたい人のニーズに合わせた検索ができるようになっていることです。失敗を使える知識にするためには、その失敗から何が学べるのか、それを学びたいと思っている人の目にどうやったらとまるのかということを深く考察する必要があります。

―失敗知識を正確かつ効率的に伝達する仕組みの構築にあたって、ITはどのような役割を果たすとお考えですか。

畑村: 失敗知識を正しく伝達するために、ITは非常に有効なツールであると思っています。その例として、2001年から私が中心となって取り組んできた、科学技術振興事業団の「失敗知識データベース」について紹介しましょう。これは、科学技術分野の事故や失敗の事例を分析し、得られる教訓とともにデータベース化しているもので、既にインターネット上で試験的に公開されています。

失敗知識データベースの構築にあたって、最大のポイントとなったのは、失敗知識を正しく伝達するためにはどうしたら良いのかということでした。様々な議論を繰り返す中で、失敗を生かそうとしている人が頭の中に持っている失敗知識の構造を明らかにし、それに従って個々の事例を記述していくことが必要だという結論に達しました。これにより、失敗知識を得ようとしている人にとって、より検索しやすく、吸収しやすいものになると考えたのです。

実際、失敗知識データベースでは、失敗知識を原因・行動・結果という三つの失敗構成要素で立体的に表現し、かつ個々の事例の中身を示唆する図を表示するなど、視認性に重きを置いた表現方法を採用しています。

同種の失敗の防止に効果を上げられる、使える失敗知識データベースを構築するためには、まず第1の構想段階において、失敗知識を得ようとしている人の立場に立って考えること、第2の設計段階においては、脳科学からのアプローチなども含めた多角的な検討を行い表現方法を練ることが重要です。同時に、設計段階において、ITの効果的活用を勘案する必要があるでしょう。ITなくして、設計を具現化することはできないからです。

・失敗シナリオの立体表現―失敗知識を構造化することで、原因と結果の間にある「何をしたら失敗するのか」という行動が浮かび上がってきますね。

畑村: 多くの人が今まで原因と結果の2要素しか見ようとしませんでしたが、実はこの間にある「行動」が、失敗学では非常に重要な意味を持っているのです。例えば、自動車の営業をしているAさんが、「自動車が売れない」という失敗を何とか克服したいと考えているとします。その原因を「不景気だから」「運悪く、自動車が売れないエリアの担当だったから」などと考えます。しかし、同じ条件下なのに同僚のBさんは売り上げを伸ばしている。だとしたら、問題はどう行動しているのか、そこに違いがあるということになります。このように結果から逆に原因をたどっていく方法を、私は逆演算と呼んでいます。

変化のスピードが速く、昨日の成功が今日の成功を約束するものではない現代。こうすればうまくいく、という順方向への考察よりも、むしろ、どうして失敗したのかを考察する逆演算の発想を持つことが重要になってきているのではないでしょうか。

よく「失敗を反省する」と言いますが、私はそうではなく、いつも「失敗を省察せよ」と言っています。「反省」という言葉の中に潜む、失敗をマイナスととらえる価値観を覆し、失敗を創造の過程、すなわち次の創造の種となる貴重な体験としてとらえることが、今必要だと思うからです。

新たなものを作り出す創造力が、ますます求められる時代にあって、失敗とうまく付き合える方法を考えることが、日本を覆う閉塞感を打破し、経済再生につながる道だと信じています。



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