
新十津川神社1/北海道新十津川町(Shintotsukawa Jinja,Shintotsukawa Hokkaido Japan)
2015年4月11日(土)、新十津川町字中央にある新十津川神社(しんとつかわじんじゃ)に参拝。国道451号沿いの大きな神社。参道は新旧2箇所ある。右にある旧参道は、社号標はあるが入り口に鳥居は無い。階段を登りコンクリート参道。参道は残雪に行く手を阻まれる。奥には社務所があり、参道はその手前で左に直角に曲がる。白い旧鳥居をくぐり、30mほど行くと新参道に合流する。ネコヤナギが子猫の尾のようなふわふわの花を咲かせている。左にある新参道には、広場と駐車場がある。白い第1鳥居をくぐり、階段を登りコンクリート参道。右に演舞場あり、手水舎のところで旧参道が合流。焦げ茶色の銅製第2鳥居をくぐり、左に石造りの神輿庫、鎮座百年紀念碑。奥にほぼ黒屋根の社殿あり。上徳富士功組合紀念碑、徳富高台尋常小学校跡の碑あり。
獅子狛犬は3対居た。
1対目は、新参道第1鳥居の後ろに居た。阿吽は正常。スラリとした縦長の体型だ。口中に玉あり、タテガミは豊か、耳は水平で、波打つ小さな尾は直立している。奉納年は平成元年6月(1989年)。
2対目は、旧参道銀色の鳥居の後ろに居た。阿吽は正常。素朴で胴長体型。タテガミは豊かでアゴヒゲは筋を見せて左右に分かれる。タレ耳、長い瓜のような尾はとても大きく立っている。奉納年は大正4年9月(1915年)。
3対目は、社殿の階段上(欄干)に居た。阿吽は正常。浅い彫りで細い前足の小型の縦長体型だ。アゴヒゲは豊かで下に垂れている。タレ耳、尾は丸くて直立している。奉納年は明治33年9月11日(1900年)。
-------------------ネットによると-----------------------------------------------
☆所在地
〒073-1103 樺戸郡新十津川町字中央37番地
☆祭神
・國常立尊(くにのとこたちのみこと)
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冊尊(いざなみのみこと)
・天照大神(あまてらすおおかみ)
・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
☆由緒
本社は明治22年奈良県十津川村の有する吉野郡一帯の豪雨により、生活の方途を失った人々が北海道へ移住する事に端を発し、明治24年1月14日に本村役場側に仮殿を設けて、奈良県十津川の玉置神社5柱の御分霊を奉斎した。同27年6月24日、本村上徳富のシスン島に仮殿を建築、同31年水害により現在の高台に奉遷し、同33年9月には社殿を造営、更に大正4年には現在地に社殿を新築した。母村、玉置神社は上代神武天皇がご東征の折玉置山で休まれたと伝えられ白河法皇9回、鳥羽法皇は20数回、後白河法皇は32回、後鳥羽法皇31回、後嵯峨法皇2回、亀山上皇1回という大変な数の参拝を数えると伝わる。本社は玉置神社と同名にて奉斎し大正4年に大正天皇ご大典記念として社殿を新築。その間明治28年8月24日公認神社として認可され、大正4年12月21日に村社、昭和5年8月に郷社、同18年1月15日に県社となった。さらに昭和42年社名変更をし新十津川神社となる。平成2年に鎮座100年を迎え母村十津川村より杉、桧材を奉納賜り本殿、社殿、廊下、社務所を改修、神饌所を新築、平成9年神前を横断する車道と2曲りしている参道を直線に改修し現在に至る。
☆地名の由来
・新十津川町:1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川大水害の被災民がトック原野に入植し新十津川村と称した。この関係で十津川村とは同じ町(村)章を用いている。
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2015年4月11日(土)、新十津川町字中央にある新十津川神社(しんとつかわじんじゃ)に参拝。国道451号沿いの大きな神社。参道は新旧2箇所ある。右にある旧参道は、社号標はあるが入り口に鳥居は無い。階段を登りコンクリート参道。参道は残雪に行く手を阻まれる。奥には社務所があり、参道はその手前で左に直角に曲がる。白い旧鳥居をくぐり、30mほど行くと新参道に合流する。ネコヤナギが子猫の尾のようなふわふわの花を咲かせている。左にある新参道には、広場と駐車場がある。白い第1鳥居をくぐり、階段を登りコンクリート参道。右に演舞場あり、手水舎のところで旧参道が合流。焦げ茶色の銅製第2鳥居をくぐり、左に石造りの神輿庫、鎮座百年紀念碑。奥にほぼ黒屋根の社殿あり。上徳富士功組合紀念碑、徳富高台尋常小学校跡の碑あり。
獅子狛犬は3対居た。
1対目は、新参道第1鳥居の後ろに居た。阿吽は正常。スラリとした縦長の体型だ。口中に玉あり、タテガミは豊か、耳は水平で、波打つ小さな尾は直立している。奉納年は平成元年6月(1989年)。
2対目は、旧参道銀色の鳥居の後ろに居た。阿吽は正常。素朴で胴長体型。タテガミは豊かでアゴヒゲは筋を見せて左右に分かれる。タレ耳、長い瓜のような尾はとても大きく立っている。奉納年は大正4年9月(1915年)。
3対目は、社殿の階段上(欄干)に居た。阿吽は正常。浅い彫りで細い前足の小型の縦長体型だ。アゴヒゲは豊かで下に垂れている。タレ耳、尾は丸くて直立している。奉納年は明治33年9月11日(1900年)。
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☆所在地
〒073-1103 樺戸郡新十津川町字中央37番地
☆祭神
・國常立尊(くにのとこたちのみこと)
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冊尊(いざなみのみこと)
・天照大神(あまてらすおおかみ)
・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
☆由緒
本社は明治22年奈良県十津川村の有する吉野郡一帯の豪雨により、生活の方途を失った人々が北海道へ移住する事に端を発し、明治24年1月14日に本村役場側に仮殿を設けて、奈良県十津川の玉置神社5柱の御分霊を奉斎した。同27年6月24日、本村上徳富のシスン島に仮殿を建築、同31年水害により現在の高台に奉遷し、同33年9月には社殿を造営、更に大正4年には現在地に社殿を新築した。母村、玉置神社は上代神武天皇がご東征の折玉置山で休まれたと伝えられ白河法皇9回、鳥羽法皇は20数回、後白河法皇は32回、後鳥羽法皇31回、後嵯峨法皇2回、亀山上皇1回という大変な数の参拝を数えると伝わる。本社は玉置神社と同名にて奉斎し大正4年に大正天皇ご大典記念として社殿を新築。その間明治28年8月24日公認神社として認可され、大正4年12月21日に村社、昭和5年8月に郷社、同18年1月15日に県社となった。さらに昭和42年社名変更をし新十津川神社となる。平成2年に鎮座100年を迎え母村十津川村より杉、桧材を奉納賜り本殿、社殿、廊下、社務所を改修、神饌所を新築、平成9年神前を横断する車道と2曲りしている参道を直線に改修し現在に至る。
☆地名の由来
・新十津川町:1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川大水害の被災民がトック原野に入植し新十津川村と称した。この関係で十津川村とは同じ町(村)章を用いている。
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