万世六兵太の乾坤一擲!

阪神と競馬を愛し、歴史を実学として学ぶ万世六兵太による単勝・複勝の競馬の展望・予想・勝負ブログ、日々のつぶやきも少々

暗黒日記 ~1942年12月9日~

2015年01月19日 00時42分40秒 | 暗黒日記
12月9日(水)

近頃のことを書き残したい気持から、また日記を書く。
昨日は大東亜戦争記念日(大詔奉戴日)だった。ラジオは朝の賀屋大蔵大臣の放送に初めて、まるで感情的叫喚であった。夕方は僕は聞かなかったが、米国は鬼畜で英国は悪魔でといった放送で、家人でさえもラジオを切ったそうだ。斯く感情に訴えなければ戦争は完遂できぬか。奥村(喜和男)情報局次長が先頃、米英に敵愾心を持てと次官会議で提案した。その現れだ。

東京市では、お菓子の格付けをするというので、みな役人が集まって、有名菓子を食ったりしている。役人がいかに暇であるか。

英米は自由主義で、個人主義で起てないはずだった。いま、我指導者たちは英米の決意を語っている。

『評論』という文字は、役人に対し『評』というのは怪しからんというので『言論報国会』としたそうだ。そして僕のところへは通知も参加状も来ない


大東亜戦争1周年において誰もいったことは、国民の戦争意識昂揚が足らぬということだった。(奥村、谷萩(那華雄)大佐ことごとく然り『東京日日新聞』12月9日)これ以上、どうして戦争意識昂揚が可能か。

総て役人本位だ。役人のために政治が行われている。県ブロック(役人の首の問題)。戦争の問題。

12月8日、陸軍に感謝する会が、木挽町の歌舞伎座であって、超満員だった。『連続決戦』という文字が新たに出た。

戦争を勃発させるに最も力のあった徳富猪一郎(蘇峰)は戦争1周年に「日本に日本精神あれば、英米に英米魂あり」といっている。また『朝気は鋭、暮気は帰』の古語に対し、アングロサクソンは『朝気は朦朧、暮気は新醒』という(12月19日『東京日日新聞』)

政党の弊害、役人の弊害、結局は教育だ。

東条首相は朝から晩まで演説、訪問、街頭慰問をして、5,6人分の仕事をしている。その結果、非常に評判がいい。総理大臣の最高任務として、そういうことを国民が要求している証拠だ。


日ア紹介の英人像抹殺

[松本電話]
日本山岳会次木幹事ほか2氏は日本北アルプスを世界に紹介した英人ウォルター・ウエストンの胸像を撤去の為7日登山、記念日の8日撤去した(『読売』昭和17年12月9日)


大東亜戦争を通じて最も表象的な人間は奥村情報局次長である。予は奥村情報局次長の説を愛読す。かれの説が、現在のイデオロギーを代表するがゆえに。奥村の知識は日本国民を代表す。おそらく世界には通用せず。

ここではこの日記を読んだ万世個人的な感想と意見を書かせていただきます

まず最初の大蔵大臣の感情的叫喚についての部分が想像しづらいのですが、これはアニマル浜口氏や松岡修造氏の熱いノリで国会演説をしているといえば想像がつきやすいのではないでしょうか?スポーツの場面ではともかくとして、国会という場所で感情的な発言、しかも敵国とはいえ、それに対する今でいうヘイトスピーチです。しかも個人や私的団体ではなく、国家の中枢といえる内閣の一人がするわけですから異常な状態であるというのは理解できるでしょう。

お菓子の格付けの件に関しては、もしこれを当時の子供が理解していたら「役人【官僚】になればお菓子が食える」とか短絡的な考えを生みやしないかというのを少し想像しましたw。お菓子を作るための資材や砂糖などは配給制で、手に入りにくく貴重なものでしたし、疎開の際に歯磨き粉や強力ワカモトという胃腸薬をお菓子代わりにしていたという話からも砂糖や甘いものに関しては希少なものであったというのが浮かび上がってきます。

戦争意識云々に関しては満州事変、上海事変、支那事変(日中戦争)とずっと戦争漬けの状態で太平洋戦争に突入したわけです。1930年代前半に満州事変があり、その時に『非常時』という言葉が使われましたが、それがずっと続いてしまうと『非常時』の状態が平時になってしまうわけです。清沢さんの言う「これ以上、どうして戦争意識昂揚」かというのは、おそらく戦争に慣れきってしまった国民の士気をどうやってあげればいいのかという疑問ではないかと自分は解釈しましたが、皆さんはいかがでしょうか。

『朝気は鋭、暮気は帰』の古語に対し、アングロサクソンは『朝気は朦朧、暮気は新醒』という部分は

「朝の鋭気の如くに盛んなるあり、昼の惰気の如くに衰えるあり、夕暮れの帰気の如くに定まらざるあり。善く兵を用ふる者は、其の鋭気を避けて、其の惰帰を撃つ」という孫子の一説です。

大ざっぱに言うと敵の勢いのある時を避けて、敵が倦んできたところを打つのが一番という話ですが、アングロサクソン(米英?)は「朝は朦朧として、暮れになったら目覚める」と対比すると、日本は今鋭気が鋭いけど、英米は朦朧としている。だから負けるはずはないとでも言っている感じです。
古語が日本の立場なら、時間がたつと目覚めた米英にやられるということになるんですがそれはいいんですかねぇ(実際そうなったし)

「日本に日本精神あれば、英米に英米魂あり」といっている。という部分は『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著)でも大和魂と英米魂があることについて言及している個所があります。○○魂というのは国の数だけあるわけですよ。論理的に考える場面で○○魂という精神論が出てくることがあったら黄色信号といえるでしょうね。

いまでこそ戦争を起こした張本人などと評価が低い東条英機さんですが、この当時の国民の評判は悪くなかったわけです。(まあ戦争敗けて犯罪人になった途端熱い掌返ししたわけですが…)今でこそそういう視察や国民と目線に合わせた行動はパフォーマンスと揶揄されますが、当時の総理は権威あるものですし、もっというと『総理大臣は仕事をするものである』という前提でしたので、そういう身分の人が仕事をすることに加えて、汗を流してこまめに視察したりする行動は国民の目から見ると「頑張っているな」とか「内閣の仕事だけでなく、こういうこともしてくれるありがたい」と映ったのではないでしょうか。

ただし「朝から晩まで演説、訪問、街頭慰問」よりもっと大切な仕事があるんじゃないの?ということや国民はそういうことをありがたがっているのはどうなのというのを暗に言っている風にも見えるw

あとは日本アルプスを紹介した(日本の素晴らしい部分を取り上げている)英国人の胸像の撤去。これは英国人というだけで撤去したわけです。
しかもそういうのをわざわざ取り上げて記事にして敵愾心を高めようといているわけで、敵愾心というのは湧いてくるものを、強制的に沸かしてどうするのさと。

「予は奥村情報局次長の説を愛読す」の部分はおそらく皮肉でしょうね。世界では通用しないであろうあなたの話をじっくりきいてますよという。
「自分は○○新聞を愛読する」という皮肉に似たものですな。


清沢さんの日記の部分は黒文字で。
>当時の新聞の切り抜きの部分は緑の斜め文字で
そして万世個人の感想は青文字で書いていきます。

清沢さんの日記と当時の新聞の切り抜きの部分さえ見ていただければ正直万世個人の感想はある意味読まなくても完遂できますw

放送してしばらくした後、日記と個人の感想を含めた記事をこのような形で上げていこうと考えております

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