万世六兵太の乾坤一擲!

阪神と競馬を愛し、歴史を実学として学ぶ万世六兵太による単勝・複勝の競馬の展望・予想・勝負ブログ、日々のつぶやきも少々

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JCの終焉とこれからのJCについての私案

2019年11月19日 19時23分19秒 | 競馬に関する雑談
ジャパンC創設39年目にして初の外国馬ゼロ

>JRAは今年のJCに予備登録していた、全外国馬が来日しないと発表した。外国馬の出走0は、JC創設39年目にして初。

>メルボルンC2着の英国馬プリンスオブアラン(騸6歳、C・フェローズ厩舎)は、一度は出走を表明したものの普段ゲート入りの際に使用している特殊馬装具(バリアブランケット)を日本では使用できないことに難色を示し来日を取りやめるに至ったという。


参加するのも勝ちに来るというよりは申し訳程度の参戦とか、香港国際競走がJCより魅力的に感じる部分もあってか年々参戦する海外馬は減ってきていた。それで漸くここにきて参戦が0という事態になった。

個人的にはもう少し早くその日が来ると思ったので(2015年くらいにはなると思ってた)、意外と遅かったなぁという印象。

自分としてはこれでJCというレースの役割に終止符が打たれたと思っているが、では名だけのJCはこれからどうなるのであろうかということと、これからどうしていくべきか。これについては色々と言いたいことはあるがまずはJCというのはどういう経緯で創設され、2019年に至るまでの簡単な流れを個人的などうでもいい回顧も含めて書いていく

【創設から日本馬初勝利】
JCが創設されたのは1981年。自分より2歳年下である。日本初の国際GI。

『世界に通用する強い馬づくり』が提唱され、第1回は北米とアジア地区から招待馬を選出したが、翌年からは招待範囲が欧州、オセアニアにも広げられ、参加国の多さから「世界一の競走」「競馬のオリンピック」と評されることもあった。さらに1983年からは、地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。

第1回の優勝馬は、米国からやってきた成績の目立たない牝馬(メアジードーツ?)の上、当時のコースレコードを1秒更新したことから、日本の競馬関係者に衝撃を与えた。

創設から10年間は海外馬8勝、日本馬はカツラギエース(1984年)とシンボリルドルフ(1985年)の2勝。
1984年の時はミスターシービーとシンボリルドルフの3冠馬が2頭も出るので3冠馬対決とか、2頭のうちどっちかが勝つとか言われていたが、勝ったのは超人気薄のカツラギエースだった。ルドルフは3着でした。

※ちなみに彼は84年の宝塚記念を勝っている馬です。

でその翌年にシンボリルドルフが勝利。

次に勝つのは彼の息子であるトウカイテイオーだが、それは8年待たなくてはならない
88年には葦毛のオグリキャップやタマモクロスの2頭がでるが海外馬に負けたり(ベイザバトラー)
89年は秋天⇒マイルCSのあと連闘というめちゃくちゃなローテででオグリキャップがホーリックスを猛追する世界レコード(オグリは2着)

など日本馬の健闘が目立ってきた

まあその間にもゴール板を間違えた騎手(93年)
騸馬が2年連続勝つ(93・94年)
5本脚で勝った外国馬とか(97年)

日本馬が漸く海外馬とがっぷり4つに戦えるくらいになった

【日本馬が世界に追いついた、そして世界への飛躍】

そして日本馬が漸く世界に追いついたといえるのは1998年で勝ったのは3歳(旧4歳)のエルコンドルパサーで、2着がエアグルーヴ、3着がスペシャルウィークと日本馬が1・2・3を独占するに至ったときだろう

日本馬が海外へ進出し始めたのもこの頃で、タイキシャトル、シーキングザパール、アグネスワールドが海外GⅠを勝ち
JCを勝ったエルコンドルパサーが翌年海外遠征をし、凱旋門賞2着と大健闘

そして99年のJCにおいては凱旋門賞馬のモンジューをスペシャルウィークが返り討ちにするということも

海外馬の出走が減り始めたのもこのころからでこれは当然ながら、日本馬が強くなって日本に来るというメリットが少なくなったからであるという見方もある

このブログを始めた08年とか09年はまだ自分の中ではJCは国際的なレースで、観戦の折には正装で東京競馬場に赴き海外からくるであろう海外馬、そして海外の競馬ファンに対し恥ずかしくない格好で行ったものだが、11年を境に年末の香港国際競走に行くようになってからJCに余り魅力を感じなくなったのも事実である

香港国際競走はJCより世界中から馬が集まる(当然日本からでもあるが)、そして距離形態の違うレースが1日4つもある
1日4レースもGⅠがあるというのはフルコースの料理が4回も出てくるようなものである

海外馬があんまり来なくなった看板負けのJCとは雲泥の差になってしまったのである


どうでもいい話を連ねたが、これからのジャパンカップはどうするべきなのか

まずは存続か廃止かという話。
これは廃止でもいいんじゃないかということ。『世界に通用する馬づくり』という目的で作られ、世界の馬と切磋琢磨して競走馬だけでなく、騎手や調教師の技術等にも貢献し、世界に追いつき、追い越そうとしているのだ。

あと感じるのは香港との比較や、日本馬の海外への流出。
海外への流出については春競馬は特に顕著でドバイや香港のために国内の春のGⅠの盛り上がりに欠けるようになり、最近は大阪杯がGⅠに昇格することで流出を止めようという動きはある

秋競馬については有馬記念の空白化などもそうだが、香港国際競走への流出もある

日本でも1日GⅠ複数開催があってもいいじゃないかという声(主に天皇賞を愛する会など)があるが、売上等をいったん度外視していうだけならば日本でもスプリント・マイル・中距離・長距離・ダートの複数開催の競馬デーがあってもいいじゃないかと

JC存続や香港国際競走、ブリーダーズカップデーで考えると一つの問題が有馬記念との兼ね合いになる。

自分は有馬記念とジャパンカップの融合はあってもいいのではないかと思っている

ジャパンカップ廃止ではなく有馬記念との融合することによる発展的解消だが

スプリント・マイル・ダート・牝馬・障害に言えることだが、年間に2つしかGⅠがないという点。

スプリントは高松宮記念とスプリンターズS
マイルは安田記念とマイルCS
ダートはフェブラリーとJCD
牝馬がヴィクトリアマイルとエリ女
障害は中山大障害春秋

有馬記念の日に複数GⅠ開催できないものかなと

そうするとこれを全部開催できるに耐えうる競馬場は東京競馬場になるので

今現在秋競馬は
関東は9月中山開催、10・11月東京開催、12月中山開催
関西は9月阪神開催、10・11月京都開催、12月阪神開催

これを関西は変更なしで関東は9月中山、10月東京、11月中山、12月東京と出来ないものかなとか

短距離なら11月1週 スプリンターズS(中山)⇒12月最終週 有馬スプリンター(東京1400)(仮)

マイルなら11月3週 マイルCS(京都)⇒12月最終週 有馬マイル(東京1600)

中距離なら10月5週 天皇賞(秋)(東京)⇒12月最終週 有馬カップ(東京2000)

クラシックディスタンスなら12月1週 アルゼンチン共和国杯(東京2500)(GⅡ)⇒12月最終週 有馬記念(東京2500)

長距離なら11月2週 ステイヤーズS(中山3600)(GⅡ)⇒12月最終週 有馬ステイヤー(東京3400)

牝馬路線なら11月2週 エリ女(京都)⇒12月最終週 有馬M(東京1800)

※ダートは地方の東京大賞典との兼ね合いからなし

有馬記念の週をGⅠ複数開催でしかも出走馬をファン投票にと。これは有馬記念って2500という距離のせいで中距離馬以上でないとファン投票上位でも出走辞退ということになるのでファン投票でそれぞれの部門出られるとかにするというのもありかという。

香港国際競走みたいに複数開催にすると番組や開催を大幅に変更するになるので妄想するだけでも結構面倒くさいという

関東は9月中山開催、10月東京開催、11月中山開催、12月東京開催
関西は9月阪神開催、10・11月京都開催、12月阪神開催

みたいにするとGⅠだけでも

秋のGⅠ初戦が秋華賞10月3週(京都)で、菊花賞(10月4週・京都)、天皇賞(秋)(10月5週・東京)
スプリンターズS(11月1週・中山)、エリ女(11月2週・京都)、マイルCS(11月3週・京都)、中山大障害(11月4週・中山)
チャンピョンズC(12月1週・中京)、阪神2歳(12月2週・阪神)、朝日杯(12月3週・阪神)、有馬記念デー(12月4週・東京)

とかいちおう連続GⅠ開催というのは可能にはなるが、GⅡ以下の開催までいじくることになるのですごく大変なことになりそう

スプリントだと京阪杯が10月開幕週とかでスプリンターズSのトライアルみたいになりそうだし
マイルだと阪神Cを12月1週にして有馬記念デーの前哨戦にしようとか
12月の中堅重賞が軒並み有馬記念デーに向かっての前哨戦と化しそう

有馬記念に海外馬の招待はなくても海外馬参加フリーにすれば体裁としてはジャパンカップの名残も残るし
GⅠ増やした分は解消したジャパンカップの賞金を回すとか、仮に1日4個開催(スプリンター・マイル・カップ・有馬記念)にすれば有馬記念とジャパンカップの賞金を全部足して4つに分ければ4つのGⅠを作るということもできるのか?とか6つならJC+有馬記念の賞金に少し上乗せしてそれをレース分で割ればいいのとか

などとか妄想だけでも本当に疲れる。こういうのを考えると番組一つ、開催一つ考えるのも大変だと思いますわ。

競馬が好きだからこういう妄想するのも結構楽しかったりする

ただ今のJCについて申し上げると役目は終えたのだから40年目になるであろう2021年くらいまでに何か新たなのを考える節目ではあるのかなとは思う
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沖縄旅行1日目

2019年02月07日 01時43分02秒 | その他
1月29~31日まで友人である局長氏と沖縄に旅行に行ってきました。
戦跡巡りの旅行ですが、色々回ってきたのを写真(タブレットにて撮影)を撮ってきました。

1月29日(火)
羽田空港にて局長氏と0750に待ち合わせ

局長「間違って成田に行っていないか気になりましたよ」

※実は自分が出発時に某新小岩で電車待ちの時成田方面に並んで途中で気づいたことは公然の秘密

ちゃっちゃと搭乗手続きを取って羽田から一路沖縄那覇空港に
3時間ほどで那覇空港に到着


出発時は気温が15度~18度と聞いていたので寒いかと思ったらかなり過ごしやすい
その後空港にてレンタカー会社への直通バスに乗りOTS(?)とかいうレンタカー会社へ

今回の旅行、局長が車を運転してくれました(自分は免許は持っているけど以下略なので)。
改めて局長には感謝。

そのあと昼食をとるために色々回っていると
局長「今日のお昼、沖縄のマックみたいなとこでいいです?」
万世「?。いいけど」

で昼食は某ショッピングモールのA&Wレストランのハンバーガー



このA&Wレストランというのは日本では沖縄県にしか存在しないらしい。
昔は近畿や東京、福岡にもあったらしいが撤退。再進出の計画もあったが撤退している。

クリームソーダとかA&Wブランドの飲料は輸入業者を通して発売。(日本国内では製造されていない)

局長「ここではA&Wのことを「エンダー」と言われているらしいですね」
万世「エンダアアアアアアアアア」
局長「(無視して)A&Wは「日本初のファストフードレストラン」で1号店である屋宜原店は1963年にオープンですし、マック(1971年)・ケンチキ(1970年)の日本進出より早いですね」
万世「沖縄県復帰をカウントするとドムドムハンバーガー(1970年)という見方もできるけどね。そうすると鎌倉幕府成立何年説みたいな感じになるのでまあどっちもありということでw」

(参考:A&Wの公式サイト)

昼食をとった後に海沿いをドライブしつつ海岸



海を眺めていると空港に近いせいか飛行機がビュンビュン飛んでくるという


ドライブ終わった後は最初の目的地である沖縄陸軍病院の南風原壕群20号と南風原文化センターに。



万世「南風原を見て一発で読める人っているのかな」
局長「まあいないでしょうね。これでどうやれば「はえばる」と読めるのでしょうね」
万世「原を「ばる」と読むくらいしかとっかかりがない。それにしても沖縄は難読地名が多い気はする」

(沖縄の難読地名の一部)
北谷(ちゃたん)喜屋武(きゃん)豊見城(とみぐすく)
保栄茂(びん)奥武山(おうのやま)西原(いりばる)西武門(にしんじょう)美作(ちゅらさく)今帰仁(なきじん)
東風平(こちんだ)東山(あがりやま)

万世「西原と西武門とか西を「いり」と読ませるのか「にし」と読ませるのかはっきりして欲しいと言いたくはなる」
局長「豊見城にお城あったら「とみぐすくぐすく」とかになるんでしょうかね」
万世「保栄茂とか昔の自民党の幹事長や官房長官にいそうな名前だし」
局長「それは保利茂(ほりしげる)です」

南風原町の由来は「南風が吹く豊かな土地」という意味で、南国ムードを感じさせるロマンチックな町と南風原町観光協会の公式サイトには書かれております。この南風原は沖縄戦に於いての戦争の傷跡をかなり残す場所というもう一つの顔があったりします

この南風原だけでなく、今観光地となってる箇所~例えば首里城など~も中世の琉球王国の歴史という部分もありますが、沖縄戦の激戦区となった場所という部分もあります。

何回か沖縄に訪問しておりますが、この南風原の陸軍病院に訪問するのは初めてです
南風原文化センターでまず歴史を見てから、実際合った沖縄陸軍病院の南風原壕群20号を廻ることに(因みに南風原の病院壕見学は予約が必要です)

DVDの個所以外は撮影可能ということなので撮影しつつ内部へ進むことに



樽を二人で担ぎつつ、炊事場から『飯上げの道』を通った女学生です。
炊事場で作られた握り飯を500m近くある病院壕まで『飯上げの道』を通って運びました。(飯上げの道に関しては後述)



病院壕で使われた日用品の一部です。




病院壕の寝台です。狭い壕の中の2段ベッド。湿度が高く、内部は暗く、臭い等が充満する手掘りの病院壕は当然ながら衛生環境としては最悪の部類でその中に負傷兵が押し込まれた形になります。

食事として先ほどの女学生が炊事場から運んできたおにぎりも配られますが、1食1個ではなく1日1個です。最初はテニスボールくらいの大きさだったのに、最後の方はピンポン玉の大きさになったと。


病院壕も最初は内科・外科・精神科などに分かれていたのですが、余りにも重傷者が多いため第1外科・第2外科・第3外科(全部外科じゃないか!)に編成替えをしたとのこと。



病院壕の中の手術室の様子です。医療品も不足しているので満足な治療はできず、麻酔なしの手術とか、あとは負傷箇所を鋸等で切り落とすというそれを手術と呼んでいいのか?というようなこともしていたとのこと。
軍医の人形のある背後の光は当時は蝋燭の火でした。資料館の為やや明るいですが、当時はかなり暗かった(というか見えない?)と推測されます。





戦況が悪化すると首里方面から南部(糸満市方面…ひめゆりの塔がある方)への撤退ということで自力歩行の患者を連れて撤退することになるのですが、その時連れていけない患者を「生きて虜囚の辱めを受けず」ということあるいは「捕虜になって情報が漏れるのを恐れる(?)」こともあってミルク入りの青酸カリで自決(自殺させること)に追い込んだということも。

病院ってある意味命を救える可能性のある場所なのに、命を奪う場所に…。

これに関しては第32軍がとか日本軍がということではなく、戦争という切羽詰まって窮地になったときに人はかくも残酷になれるのかということ、「大を生かすために小を殺す」(沖縄戦自体がある意味本土(大)から見たら沖縄は(小)ということになるが)の観点からこうするしかなかったのかということ、こういう状況に陥ったときに他国はどのような対応をするかなどの比較をしてみないとどう判断すればいいかわからないなど色々意見があるかもかわかりませんが、戦争に於いてはこういう事実もあるということです。
戦争は悲惨(当たり前だが)と簡単に片づけられない問題です。




奉安殿とその様子です。奉安殿には天皇陛下の御真影が収められています。


戦時中に行われた国民貯蓄運動。戦時における国民貯蓄というのは、戦争目的を遂行するために国家が必要とする国債の消化や生産力の拡充に充てるべき資金を蓄積。つまり貯蓄させてその資金を軍備に回そうということです。(顧客の預金を他に融資する形とみればわかりやすいでしょうか?)
国債なども買うことを奨励(半分強制)させました。なお戦争に負けて紙くずになった模様。



南風原における戦争の遺品です。




戦前・戦時に於ける学校や教育などの写真です。戦時中は小学甲は国民学校と言われてました



学童疎開についても。沖縄に於いては「対馬丸の悲劇」が有名でしょうか。(実は沖縄からの疎開船で沈められたのは『対馬丸』だけというのはあまり知られていないかもしれませんが)
ヤーサン ヒーサン シカラーサンとは「ひもじい 寒い(?) 寂しい」ですね。(記憶違いかもしれませんが)






この辺りは是非とも沖縄旅行で南風原に来た際に皆さんにじっくり見ていただきたいものです



移民開拓団。沖縄県からも満州や南洋諸島、戦争前は南米やアメリカにも多数の方が移民したとのこと


じっくり見て回っていたら「もう壕の見学のご予約のお時間ですが」という係員の方の声
まだ沖縄戦のところも69.75%くらいしか見ていないのに…。
「すみません。30分ほど遅れてよろしいですか」と

いうことで沖縄戦コーナーだけは全部見て、戦後は次回来た時にじっくり見るということにして
戦後の沖縄コーナーはざっとみて(おい)。壕へ。

30分あれば全部見られるだろうという人もいると思うのですが、壕へ移動するのにこの道を通るから
30分で見ることができないのです。この道というのが「飯上げの道」です




麓にある炊事場から病院壕のある個所に片道500mくらいの山道を1日に何回か(朝昼晩?)この道を通って女学生たちが樽に握り飯を詰めて砲弾(航空機による機銃掃射も含む)のさなかが飛び交う中、病院壕に輸送しました。

今でこそこのように整備されていますが、当時はこんなに舗装されておりませんし(そもそも当時そんな工業力あれば以下略)、移動しにくい道ですし、雨期になるときっとぬかるんで移動するだけでもかなり困難であったでしょう。その道を重さにして17キロ~20キロの飯入りの樽を運んだわけで、さらに砲弾や機銃掃射の中なわけですから。

17キロというのが想像しにくい方はコンビニ等で売っているペットボトル飲料。段ボールで24本入りの500mlペットボトルが12キロです。それより重いのを山道を女性が運んでいたわけです。





南風原の陸軍病院壕の碑です。
この南風原に陸軍病院壕を置いた理由としては、首里の後方ということもあるのでしょうが沖縄県で唯一海に面しない自治体というのもあるのでしょう(海に面しないということは艦砲射撃【戦艦などによる砲撃】が届く確率が減る)
なお、制空権はとられていたため航空機はバンバン飛んでくる模様






下2枚の下り道が当時の道を再現(それでも十分整備されているとは思いますが)していると言えるでしょう。
樽を担いで体験することもできるそうです


南風原の壕付近の碑です。軍医さんの読んだ詩とのことです。

いよいよ南風原の陸軍病院壕なのですが、じっくり見ていて写真を撮るのを忘れてしまいました。
ガイドの人がじっくり説明してくれて話を聞き入っていたというのもありますが、次回行ったときはこの内部写真をとってきます(おい)

詳しくは「南風原 陸軍病院」を検索してください。結構訪問されている方もいらっしゃり、記事や内容もここよりは遥かにいいです。

沖縄に何回か訪問させていただき、沖縄戦に於いては定番のひめゆりの塔、平和祈念公園などがありますが、どちらかというと自分の場合は激戦区であった嘉数高地、シュガーローフ、首里の32軍地下壕といったいわゆる軍事的なもの向けのほうに興味があってそっちに目移りしてしまいます。

一般の人が中高での平和学習等で戦争と平和の「平和」の部分について多くを学んでいくのに対し、自分はその時期にどうも「戦争」「軍事」という部分に重点をおいていたせいか「平和」に関する部分に関して希薄というかやや醒めた感じもあるのは否めません。
軍事的な視点でこうであるとか、戦争において非情で冷酷な部分についても。

ただ30を超えてから「歴史を学び軍事を学ぶのは何のためか」ということを考えるようになりそういう視点とともに改めて「平和」とは何ぞやというのも考えるようになって、軍事的や歴史的な視点とは違った視点や考えも必要であると。

そういうことにおいて自分にとって沖縄であるとか広島、長崎(まだ行ったことはないけど)は今まで自分にとって欠けていたものの再学習の場所になるのであろうかと。自分なりに沖縄などに訪問して戦跡や慰霊碑を廻るというのは

最後に南風原を廻った後に名護方面に行き桜を見てきました。
例年と比べると遅咲きとのことです




2日目に続く(のか?)
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2019年を迎えて

2019年01月01日 14時35分58秒 | その他
毎年の初めには『今年こそはブログも再開しよう』と意気込みをしつつ結果は「英国は必ず約束を守ると断言した(約束を守るということを履行するとは言っていない)」という結果になっては自己嫌悪に陥る。



ブログのヘッドにツイッターがあるからいいやと思いつつも、やはり文章を何か書こうということで最低でも競馬記事だけは何とかしようということでブログを再開できればと思っている。

いつもながらのことで、2019年に勝負するレースを去年のうちに選定してそれを絞るとこうなる


◎は現地観戦をする ○は馬券勝負濃厚 △は馬券勝負するか微妙

通年は3歳戦はよくわからないので原則は参戦しないという方針だが、今年は3歳の牡馬牝馬クラシックは全部勝負レースにしようかと思う。
というのは2008年からブログをやって以来、オークスとダービーは複勝すら的中なしという成績である(NHKマイルもそうだが)
だから的中させたいという想いはある。

勝負するのはGⅠだけだが、前哨戦やTR等もしっかりと注視しようとは思う(毎週レース終わった後にちゃんみおの競馬辞める!ネタを楽しむだけでは能がない)

あと去年からUMACAなるものがJRAでできたとのこと
詳細はリンク先から見ていただくとして大雑把に言うと

○現金チャージすることでキャッシュレスで馬券購入できる
○競馬場等でクーポンがもらえる
○UMACA使用でオッズ確認や投票履歴が見られる
○結果確定で即時に払い戻し精算
○払い戻し残高は5年間有効(馬券は60日以内)
WIN5や海外競馬(JRA指定)ができる

色々なものがあるが、海外競馬の馬券を買うことができるというのが一番のメリット。
これでドバイWCや香港国際競走、BC、凱旋門賞、メルボルンCなども勝負できるようになる
ただそれでも香港国際競走には毎年行くのだが

ちなみにこれがUMACAである


12月28日に銀座WINSまで足を運びUMACAを登録してきました。
注意が必要なのは今現在はUMACAで馬券購入(払い戻し)する場所が限られているということ。

今現在は競馬場だと東京、福島、中京、阪神のみ
WINSだと銀座、難波、神戸のみ

競馬場は
京都…4月6日
函館…6月1日
小倉…6月29日
札幌・新潟…7月13日
中山…8月17日

という流れになる。中山が一番遅いのか(困惑

あと一度入金したお金が払い戻しできないという点。
これは投票専用残高と精算可能残高というのがあって
投票専用残高…馬券購入専用の電子マネー
精算可能残高…馬券が的中して払い戻しされる払戻金、または発走除外取消などでの返還金

「JRA銀行に預金したけど払い戻しがない」と揶揄されたが、UMACAの導入でJRA銀行に預金して(的中馬券が)払い戻しになるというのが形作られたとみていいだろうし、競馬の為の貯金をUMACAにチャージすれば転用不可の競馬貯金にはなるということで自身の競馬特定財源を作ることができるとみてもいい。そういう意味ではUMACAは自身の競馬資金を管理するという点ではいいかもしれないというのが企画院総裁の見解である。

毎月○○円競馬貯金するがこういう形でできるのはいいことなのかw
因みにGⅠレースは全部で26レースあるので1レース5000円なら×26で年間13万円競馬に使うということになる。
(毎週やっている人は13万じゃ済まないだろうけどw)
競馬を楽しむ私のようなナウでヤングなライトなファンは月1万5千円貯金で年間13万弱くらいが妥当であろうなぁと考えてしまう。

こんな感じで2019年の新年のあいさつに代えさせていただくことにする
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2018年の勝負レース予定

2018年01月13日 08時04分10秒 | 競馬に関する雑談
さて、2018年になりJRA賞も無事決まり、競馬はすでに4つの重賞を消化しているが、私もそろそろ2018年の予定を立てようと決めている




今年は勝負レースは全部GⅠにしようと思っている。
じっくり考えて競馬をするには毎週毎週では頭が追い付かないし、お金も続かない。ここ数年絞ってはいるが、絞ってもなんだかんだで絞った以下のレースしかやっていない。競馬づけになるよりはいいかもしれないが

それでも年間23レースはやる予定なのだから多いかもしれない。
その中でもいくつか省いてあるレースもある。

NHKマイル…天皇賞(春)で遠征に行った反動と、GWは競馬以外の予定があるということでNHKマイルはやらないことにする

札幌記念…実質GⅠみたいなレースではあるが、この時期は私自身がGⅠに出走するのでできない。

2歳GⅠ3つ…2歳戦はよくわからないというのと、香港が重なるという点、有馬記念をじっくりやりたいという点から2歳GⅠはやらないことにする

エリ女orマイルCS…たぶんどちらになるであろうが、大洗にてあんこう祭があるのでそちらを優先する。去年はマイルCSと同日だったが。

日が黄色塗になっているところは現地観戦に行く。

もし現地観戦に一緒に行きたいという稀有な方がいらしたら声をかけて頂ければ幸いではある。

ということで新年のあいさつに代えさせて頂く
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2017年の競馬終了

2017年12月30日 09時43分43秒 | 競馬に関する雑談
さて2017年も競馬は終わったわけですが、今年はあまり競馬をやらなかったなぁという印象。馬券も古馬戦線だけに少し手を出しただけなので、完全に普通の競馬ファンという立ち位置になってしまった感はある。

競馬だけでなく、歴史関係のネタを追っかけまわしたり(特に冷戦期)、旅行に出かけたり、登録販売者の試験を受けて合格したりと競馬以外ではそこそこ充実したのではないだろうかという。
(登録販売者試験って競馬の重賞のランクでいうとどのあたりだろうか?)

今年はヤマカツエースのおかげで来年も競馬をやることができることになったので来年は『GⅠだけ』をやっていく。
といっても5月にコミケという話があるのでコミケと重なるあたりのGⅠはやらないし、2歳GⅠは(阪神JF、朝日杯FS、ホープフルS)除外する。

折角GⅠだけ勝負するのだから誰かと対決しようと(一方的に相手を決めて予想対決)考えて日刊スポーツでタップダンスシチーの騎手がGⅠで予想とかあげているのでその予想と対決しようと思っていたら、とあるアメリカ大統領が来年は単複勝負を考えているということなので、私は彼と馬券対決をしてみたくなった。

「Yes,We Can!」と早くも私との馬券対決で勝利宣言をしている彼だが、こちらも10年間単勝と複勝の勝負をしている身としては簡単に負けるわけにはいかない。ドイツの総統閣下にも馬券対決で勝った実績はあるので、今度はアメリカ大統領に対しても勝ちを得ていきたいと思う。

勝負の内容や詳細については後日掲載していきます。

ということで今年の競馬はこれにて終了

来年もよろしくお願いいたします
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