ジャパンC創設39年目にして初の外国馬ゼロ
>JRAは今年のJCに予備登録していた、全外国馬が来日しないと発表した。外国馬の出走0は、JC創設39年目にして初。
>メルボルンC2着の英国馬プリンスオブアラン(騸6歳、C・フェローズ厩舎)は、一度は出走を表明したものの普段ゲート入りの際に使用している特殊馬装具(バリアブランケット)を日本では使用できないことに難色を示し来日を取りやめるに至ったという。
参加するのも勝ちに来るというよりは申し訳程度の参戦とか、香港国際競走がJCより魅力的に感じる部分もあってか年々参戦する海外馬は減ってきていた。それで漸くここにきて参戦が0という事態になった。
個人的にはもう少し早くその日が来ると思ったので(2015年くらいにはなると思ってた)、意外と遅かったなぁという印象。
自分としてはこれでJCというレースの役割に終止符が打たれたと思っているが、では名だけのJCはこれからどうなるのであろうかということと、これからどうしていくべきか。これについては色々と言いたいことはあるがまずはJCというのはどういう経緯で創設され、2019年に至るまでの簡単な流れを個人的などうでもいい回顧も含めて書いていく
【創設から日本馬初勝利】
JCが創設されたのは1981年。自分より2歳年下である。日本初の国際GI。
『世界に通用する強い馬づくり』が提唱され、第1回は北米とアジア地区から招待馬を選出したが、翌年からは招待範囲が欧州、オセアニアにも広げられ、参加国の多さから「世界一の競走」「競馬のオリンピック」と評されることもあった。さらに1983年からは、地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。
第1回の優勝馬は、米国からやってきた成績の目立たない牝馬(メアジードーツ?)の上、当時のコースレコードを1秒更新したことから、日本の競馬関係者に衝撃を与えた。
創設から10年間は海外馬8勝、日本馬はカツラギエース(1984年)とシンボリルドルフ(1985年)の2勝。
1984年の時はミスターシービーとシンボリルドルフの3冠馬が2頭も出るので3冠馬対決とか、2頭のうちどっちかが勝つとか言われていたが、勝ったのは超人気薄のカツラギエースだった。ルドルフは3着でした。
※ちなみに彼は84年の宝塚記念を勝っている馬です。
でその翌年にシンボリルドルフが勝利。
次に勝つのは彼の息子であるトウカイテイオーだが、それは8年待たなくてはならない
88年には葦毛のオグリキャップやタマモクロスの2頭がでるが海外馬に負けたり(ベイザバトラー)
89年は秋天⇒マイルCSのあと連闘というめちゃくちゃなローテででオグリキャップがホーリックスを猛追する世界レコード(オグリは2着)
など日本馬の健闘が目立ってきた
まあその間にもゴール板を間違えた騎手(93年)
騸馬が2年連続勝つ(93・94年)
5本脚で勝った外国馬とか(97年)
日本馬が漸く海外馬とがっぷり4つに戦えるくらいになった
【日本馬が世界に追いついた、そして世界への飛躍】
そして日本馬が漸く世界に追いついたといえるのは1998年で勝ったのは3歳(旧4歳)のエルコンドルパサーで、2着がエアグルーヴ、3着がスペシャルウィークと日本馬が1・2・3を独占するに至ったときだろう
日本馬が海外へ進出し始めたのもこの頃で、タイキシャトル、シーキングザパール、アグネスワールドが海外GⅠを勝ち
JCを勝ったエルコンドルパサーが翌年海外遠征をし、凱旋門賞2着と大健闘
そして99年のJCにおいては凱旋門賞馬のモンジューをスペシャルウィークが返り討ちにするということも
海外馬の出走が減り始めたのもこのころからでこれは当然ながら、日本馬が強くなって日本に来るというメリットが少なくなったからであるという見方もある
このブログを始めた08年とか09年はまだ自分の中ではJCは国際的なレースで、観戦の折には正装で東京競馬場に赴き海外からくるであろう海外馬、そして海外の競馬ファンに対し恥ずかしくない格好で行ったものだが、11年を境に年末の香港国際競走に行くようになってからJCに余り魅力を感じなくなったのも事実である
香港国際競走はJCより世界中から馬が集まる(当然日本からでもあるが)、そして距離形態の違うレースが1日4つもある
1日4レースもGⅠがあるというのはフルコースの料理が4回も出てくるようなものである
海外馬があんまり来なくなった看板負けのJCとは雲泥の差になってしまったのである
どうでもいい話を連ねたが、これからのジャパンカップはどうするべきなのか
まずは存続か廃止かという話。
これは廃止でもいいんじゃないかということ。『世界に通用する馬づくり』という目的で作られ、世界の馬と切磋琢磨して競走馬だけでなく、騎手や調教師の技術等にも貢献し、世界に追いつき、追い越そうとしているのだ。
あと感じるのは香港との比較や、日本馬の海外への流出。
海外への流出については春競馬は特に顕著でドバイや香港のために国内の春のGⅠの盛り上がりに欠けるようになり、最近は大阪杯がGⅠに昇格することで流出を止めようという動きはある
秋競馬については有馬記念の空白化などもそうだが、香港国際競走への流出もある
日本でも1日GⅠ複数開催があってもいいじゃないかという声(主に天皇賞を愛する会など)があるが、売上等をいったん度外視していうだけならば日本でもスプリント・マイル・中距離・長距離・ダートの複数開催の競馬デーがあってもいいじゃないかと
JC存続や香港国際競走、ブリーダーズカップデーで考えると一つの問題が有馬記念との兼ね合いになる。
自分は有馬記念とジャパンカップの融合はあってもいいのではないかと思っている
ジャパンカップ廃止ではなく有馬記念との融合することによる発展的解消だが
スプリント・マイル・ダート・牝馬・障害に言えることだが、年間に2つしかGⅠがないという点。
スプリントは高松宮記念とスプリンターズS
マイルは安田記念とマイルCS
ダートはフェブラリーとJCD
牝馬がヴィクトリアマイルとエリ女
障害は中山大障害春秋
有馬記念の日に複数GⅠ開催できないものかなと
そうするとこれを全部開催できるに耐えうる競馬場は東京競馬場になるので
今現在秋競馬は
関東は9月中山開催、10・11月東京開催、12月中山開催
関西は9月阪神開催、10・11月京都開催、12月阪神開催
これを関西は変更なしで関東は9月中山、10月東京、11月中山、12月東京と出来ないものかなとか
短距離なら11月1週 スプリンターズS(中山)⇒12月最終週 有馬スプリンター(東京1400)(仮)
マイルなら11月3週 マイルCS(京都)⇒12月最終週 有馬マイル(東京1600)
中距離なら10月5週 天皇賞(秋)(東京)⇒12月最終週 有馬カップ(東京2000)
クラシックディスタンスなら12月1週 アルゼンチン共和国杯(東京2500)(GⅡ)⇒12月最終週 有馬記念(東京2500)
長距離なら11月2週 ステイヤーズS(中山3600)(GⅡ)⇒12月最終週 有馬ステイヤー(東京3400)
牝馬路線なら11月2週 エリ女(京都)⇒12月最終週 有馬M(東京1800)
※ダートは地方の東京大賞典との兼ね合いからなし
有馬記念の週をGⅠ複数開催でしかも出走馬をファン投票にと。これは有馬記念って2500という距離のせいで中距離馬以上でないとファン投票上位でも出走辞退ということになるのでファン投票でそれぞれの部門出られるとかにするというのもありかという。
香港国際競走みたいに複数開催にすると番組や開催を大幅に変更するになるので妄想するだけでも結構面倒くさいという
関東は9月中山開催、10月東京開催、11月中山開催、12月東京開催
関西は9月阪神開催、10・11月京都開催、12月阪神開催
みたいにするとGⅠだけでも
秋のGⅠ初戦が秋華賞10月3週(京都)で、菊花賞(10月4週・京都)、天皇賞(秋)(10月5週・東京)
スプリンターズS(11月1週・中山)、エリ女(11月2週・京都)、マイルCS(11月3週・京都)、中山大障害(11月4週・中山)
チャンピョンズC(12月1週・中京)、阪神2歳(12月2週・阪神)、朝日杯(12月3週・阪神)、有馬記念デー(12月4週・東京)
とかいちおう連続GⅠ開催というのは可能にはなるが、GⅡ以下の開催までいじくることになるのですごく大変なことになりそう
スプリントだと京阪杯が10月開幕週とかでスプリンターズSのトライアルみたいになりそうだし
マイルだと阪神Cを12月1週にして有馬記念デーの前哨戦にしようとか
12月の中堅重賞が軒並み有馬記念デーに向かっての前哨戦と化しそう
有馬記念に海外馬の招待はなくても海外馬参加フリーにすれば体裁としてはジャパンカップの名残も残るし
GⅠ増やした分は解消したジャパンカップの賞金を回すとか、仮に1日4個開催(スプリンター・マイル・カップ・有馬記念)にすれば有馬記念とジャパンカップの賞金を全部足して4つに分ければ4つのGⅠを作るということもできるのか?とか6つならJC+有馬記念の賞金に少し上乗せしてそれをレース分で割ればいいのとか
などとか妄想だけでも本当に疲れる。こういうのを考えると番組一つ、開催一つ考えるのも大変だと思いますわ。
競馬が好きだからこういう妄想するのも結構楽しかったりする
ただ今のJCについて申し上げると役目は終えたのだから40年目になるであろう2021年くらいまでに何か新たなのを考える節目ではあるのかなとは思う
>JRAは今年のJCに予備登録していた、全外国馬が来日しないと発表した。外国馬の出走0は、JC創設39年目にして初。
>メルボルンC2着の英国馬プリンスオブアラン(騸6歳、C・フェローズ厩舎)は、一度は出走を表明したものの普段ゲート入りの際に使用している特殊馬装具(バリアブランケット)を日本では使用できないことに難色を示し来日を取りやめるに至ったという。
参加するのも勝ちに来るというよりは申し訳程度の参戦とか、香港国際競走がJCより魅力的に感じる部分もあってか年々参戦する海外馬は減ってきていた。それで漸くここにきて参戦が0という事態になった。
個人的にはもう少し早くその日が来ると思ったので(2015年くらいにはなると思ってた)、意外と遅かったなぁという印象。
自分としてはこれでJCというレースの役割に終止符が打たれたと思っているが、では名だけのJCはこれからどうなるのであろうかということと、これからどうしていくべきか。これについては色々と言いたいことはあるがまずはJCというのはどういう経緯で創設され、2019年に至るまでの簡単な流れを個人的などうでもいい回顧も含めて書いていく
【創設から日本馬初勝利】
JCが創設されたのは1981年。自分より2歳年下である。日本初の国際GI。
『世界に通用する強い馬づくり』が提唱され、第1回は北米とアジア地区から招待馬を選出したが、翌年からは招待範囲が欧州、オセアニアにも広げられ、参加国の多さから「世界一の競走」「競馬のオリンピック」と評されることもあった。さらに1983年からは、地方競馬の所属馬も招待対象に加えられた。
第1回の優勝馬は、米国からやってきた成績の目立たない牝馬(メアジードーツ?)の上、当時のコースレコードを1秒更新したことから、日本の競馬関係者に衝撃を与えた。
創設から10年間は海外馬8勝、日本馬はカツラギエース(1984年)とシンボリルドルフ(1985年)の2勝。
1984年の時はミスターシービーとシンボリルドルフの3冠馬が2頭も出るので3冠馬対決とか、2頭のうちどっちかが勝つとか言われていたが、勝ったのは超人気薄のカツラギエースだった。ルドルフは3着でした。
※ちなみに彼は84年の宝塚記念を勝っている馬です。
でその翌年にシンボリルドルフが勝利。
次に勝つのは彼の息子であるトウカイテイオーだが、それは8年待たなくてはならない
88年には葦毛のオグリキャップやタマモクロスの2頭がでるが海外馬に負けたり(ベイザバトラー)
89年は秋天⇒マイルCSのあと連闘というめちゃくちゃなローテででオグリキャップがホーリックスを猛追する世界レコード(オグリは2着)
など日本馬の健闘が目立ってきた
まあその間にもゴール板を間違えた騎手(93年)
騸馬が2年連続勝つ(93・94年)
5本脚で勝った外国馬とか(97年)
日本馬が漸く海外馬とがっぷり4つに戦えるくらいになった
【日本馬が世界に追いついた、そして世界への飛躍】
そして日本馬が漸く世界に追いついたといえるのは1998年で勝ったのは3歳(旧4歳)のエルコンドルパサーで、2着がエアグルーヴ、3着がスペシャルウィークと日本馬が1・2・3を独占するに至ったときだろう
日本馬が海外へ進出し始めたのもこの頃で、タイキシャトル、シーキングザパール、アグネスワールドが海外GⅠを勝ち
JCを勝ったエルコンドルパサーが翌年海外遠征をし、凱旋門賞2着と大健闘
そして99年のJCにおいては凱旋門賞馬のモンジューをスペシャルウィークが返り討ちにするということも
海外馬の出走が減り始めたのもこのころからでこれは当然ながら、日本馬が強くなって日本に来るというメリットが少なくなったからであるという見方もある
このブログを始めた08年とか09年はまだ自分の中ではJCは国際的なレースで、観戦の折には正装で東京競馬場に赴き海外からくるであろう海外馬、そして海外の競馬ファンに対し恥ずかしくない格好で行ったものだが、11年を境に年末の香港国際競走に行くようになってからJCに余り魅力を感じなくなったのも事実である
香港国際競走はJCより世界中から馬が集まる(当然日本からでもあるが)、そして距離形態の違うレースが1日4つもある
1日4レースもGⅠがあるというのはフルコースの料理が4回も出てくるようなものである
海外馬があんまり来なくなった看板負けのJCとは雲泥の差になってしまったのである
どうでもいい話を連ねたが、これからのジャパンカップはどうするべきなのか
まずは存続か廃止かという話。
これは廃止でもいいんじゃないかということ。『世界に通用する馬づくり』という目的で作られ、世界の馬と切磋琢磨して競走馬だけでなく、騎手や調教師の技術等にも貢献し、世界に追いつき、追い越そうとしているのだ。
あと感じるのは香港との比較や、日本馬の海外への流出。
海外への流出については春競馬は特に顕著でドバイや香港のために国内の春のGⅠの盛り上がりに欠けるようになり、最近は大阪杯がGⅠに昇格することで流出を止めようという動きはある
秋競馬については有馬記念の空白化などもそうだが、香港国際競走への流出もある
日本でも1日GⅠ複数開催があってもいいじゃないかという声(主に天皇賞を愛する会など)があるが、売上等をいったん度外視していうだけならば日本でもスプリント・マイル・中距離・長距離・ダートの複数開催の競馬デーがあってもいいじゃないかと
JC存続や香港国際競走、ブリーダーズカップデーで考えると一つの問題が有馬記念との兼ね合いになる。
自分は有馬記念とジャパンカップの融合はあってもいいのではないかと思っている
ジャパンカップ廃止ではなく有馬記念との融合することによる発展的解消だが
スプリント・マイル・ダート・牝馬・障害に言えることだが、年間に2つしかGⅠがないという点。
スプリントは高松宮記念とスプリンターズS
マイルは安田記念とマイルCS
ダートはフェブラリーとJCD
牝馬がヴィクトリアマイルとエリ女
障害は中山大障害春秋
有馬記念の日に複数GⅠ開催できないものかなと
そうするとこれを全部開催できるに耐えうる競馬場は東京競馬場になるので
今現在秋競馬は
関東は9月中山開催、10・11月東京開催、12月中山開催
関西は9月阪神開催、10・11月京都開催、12月阪神開催
これを関西は変更なしで関東は9月中山、10月東京、11月中山、12月東京と出来ないものかなとか
短距離なら11月1週 スプリンターズS(中山)⇒12月最終週 有馬スプリンター(東京1400)(仮)
マイルなら11月3週 マイルCS(京都)⇒12月最終週 有馬マイル(東京1600)
中距離なら10月5週 天皇賞(秋)(東京)⇒12月最終週 有馬カップ(東京2000)
クラシックディスタンスなら12月1週 アルゼンチン共和国杯(東京2500)(GⅡ)⇒12月最終週 有馬記念(東京2500)
長距離なら11月2週 ステイヤーズS(中山3600)(GⅡ)⇒12月最終週 有馬ステイヤー(東京3400)
牝馬路線なら11月2週 エリ女(京都)⇒12月最終週 有馬M(東京1800)
※ダートは地方の東京大賞典との兼ね合いからなし
有馬記念の週をGⅠ複数開催でしかも出走馬をファン投票にと。これは有馬記念って2500という距離のせいで中距離馬以上でないとファン投票上位でも出走辞退ということになるのでファン投票でそれぞれの部門出られるとかにするというのもありかという。
香港国際競走みたいに複数開催にすると番組や開催を大幅に変更するになるので妄想するだけでも結構面倒くさいという
関東は9月中山開催、10月東京開催、11月中山開催、12月東京開催
関西は9月阪神開催、10・11月京都開催、12月阪神開催
みたいにするとGⅠだけでも
秋のGⅠ初戦が秋華賞10月3週(京都)で、菊花賞(10月4週・京都)、天皇賞(秋)(10月5週・東京)
スプリンターズS(11月1週・中山)、エリ女(11月2週・京都)、マイルCS(11月3週・京都)、中山大障害(11月4週・中山)
チャンピョンズC(12月1週・中京)、阪神2歳(12月2週・阪神)、朝日杯(12月3週・阪神)、有馬記念デー(12月4週・東京)
とかいちおう連続GⅠ開催というのは可能にはなるが、GⅡ以下の開催までいじくることになるのですごく大変なことになりそう
スプリントだと京阪杯が10月開幕週とかでスプリンターズSのトライアルみたいになりそうだし
マイルだと阪神Cを12月1週にして有馬記念デーの前哨戦にしようとか
12月の中堅重賞が軒並み有馬記念デーに向かっての前哨戦と化しそう
有馬記念に海外馬の招待はなくても海外馬参加フリーにすれば体裁としてはジャパンカップの名残も残るし
GⅠ増やした分は解消したジャパンカップの賞金を回すとか、仮に1日4個開催(スプリンター・マイル・カップ・有馬記念)にすれば有馬記念とジャパンカップの賞金を全部足して4つに分ければ4つのGⅠを作るということもできるのか?とか6つならJC+有馬記念の賞金に少し上乗せしてそれをレース分で割ればいいのとか
などとか妄想だけでも本当に疲れる。こういうのを考えると番組一つ、開催一つ考えるのも大変だと思いますわ。
競馬が好きだからこういう妄想するのも結構楽しかったりする
ただ今のJCについて申し上げると役目は終えたのだから40年目になるであろう2021年くらいまでに何か新たなのを考える節目ではあるのかなとは思う