月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

つづき

2007-01-24 | Weblog
昔のテレビはもっと面白かった。
というと團菊ジジイのようだが、心から頷いてくださる方は多いはずである。
テレビの劇的な質的凋落は報道以外のドラマやバラエティにまで及んでいる。
それでも私が芸能装置としてのテレビを見捨てられないのは、テレビの表現技法が深く熟成した70年代・80年代の輝かしい番組群にどっぷり浸かって成長したという個人的事情と深く関わっているのであろう。
その辺に無理に理屈をつけてみることにする。

一つには、テレビ放送にはDVDなどの複製メディアの再生では得られない同時感覚というか時間の共有感覚がある。
いまや大抵のテレビドラマやバラエティはDVDで安く見られるので、それをあえて画像の質の落ちるテレビ放送で見る必要はない。
しかしビデオやDVDの、停止ボタンを押せば止まる、再生ボタンを押せば始まるという完璧な随意性は、私には物足りなさ、というかつかまりどころのない現在への不安みたいなものを感じさせる。
特に自分で録画したテレビ番組を改めて見るのはスカスカの食い物を噛んでいるようで、苦痛すら感じる。
逆にテレビは見逃すと先へ行ってしまう、見ている間は放送に伴走させられているという、その自由にならなさが一種の興を生み出す。
「志村けんのバカ殿様 初夢!初笑い!スペシャル」を翌日録画で見てもいまいち燃えないのはそういうわけである。
これがDVDなら画質が良い分ビデオよりはましだろうが、恐らく放送をオンタイムで見るほどには面白くないと思う。
テレビ番組のDVDやビデオは、かつてすんごく面白かった思い出の反芻に使うものである。
あ、見たくても見ようがない昔の番組の復刻版なんかは別よ。

もう一つは、これも家にいる間はほとんどテレビをつけっぱなしにして生活してきた私ならではのことかもしれぬが、毎日なり毎週なり決まった時間に決まった番組が放送されることによって醸し出される情緒である。
朝の身支度をしながら「ああもう7時半か」。
風呂上がりにファンタを飲みながら「ああもう木曜日なのね」。
「今年亡くなった人たち」を見ながら「ああもう年末になったか」。
と、テレビが生活の句読点(笑)になることが多い。
というか多かった。
もはやそういう番組は年末年始においてさえほとんどない。
今の子供たちが大人になった20年後、「火曜日の7時半といえばアレだったよな!」と記憶を共有できるような番組をもっているだろうか。
ま、別にもつ必要はないのだが。
おじさんたちは一杯もっているがな。

ということで(あんまり論理的なつながりはないが)、あくまでも芸能装置としてのテレビに限っては、中味の作り方によってはまだなんとか面白がれる余地が残っているのではないかと思うのである。
一番の売れ筋が韓国ドラマにみのもんたでは余りにも心もとない。