private opinion

next live 12.14 高円寺showboat(S)

しけー

2008-12-03 18:57:06 | 教室
『生きていてはいけない人っているのだろうか』
って帯に唖然、ブックオフの片隅で俺しばらく放心した。
内容はと言うと死刑囚、遺族、刑務官らのインタビュー的なののダイジェスト、中立であり自分も悩んでいる的なスタンスではあるが、死刑囚ラブな感じは偏見無しに読み取れる。
このテの人達がこぞって言う事にはまず加害者の人権、やむを得ない事情、そして死刑制度自体が前近代的であると。
人を殺してみたかった終わったバカにも事情はあるからしてまぁまぁここは一つ寛い心で許してやってちょうだいよ、と遺族に言っちゃう人達。
他人の生きる権利を蹂躙したヤツが死をもってしてその罪を償う、そんなに乱暴かねぇ。
犯罪被害者からすればそんな迷惑なヤツがたとえ縊られたとしても納得なんかいかないだろう。
本当は仇討ちをもって納めるのが一番自然な行動だと俺思ってる。
犯罪被害者からすれば、自分の家族が無惨に殺されても死刑はいいよ許す赦すって同じような事が言えるのかと、廃止派に問う。
そすると生殺与奪の権利を人間が持っちゃ駄目だとねぶたい事を言う。
そんな不毛なやり取りを決着に導くのがやはり仇討ち制度である。
被害者遺族は昼夜問わず加害者を付け狙い、隙あらば必殺の一撃をくれてもよい。必ず一名で、戸籍上の配偶者、血縁者にかぎってみる。
その場所からの拉致も可。
然るべき準備したトコロへ移動しての処置も認められる。
加害者側の認められる権利として1.命乞いと釈明、2.抵抗と返り討ち、ここが人殺しに与えてもいい本当の権利である。本当ならば2はいらないんだけど、あえて防御の権利を入れる事で人権派の人達もきっと膝を打つだろう。
1で遺族が納得した場合は示談とし係る書面を交わし、双方共に一切の遺恨を残さない。。
2の場合で遺族が仇討ちが困難な状態になる、もしくは絶命した場合は新たな人員に引き継がれる。その場合血縁者の人数に制限は無い、また仇討ち要員の有無や人数は加害者に伝える必要は無い。
迫り来る復讐者にいつまでも怯えながら生きていかなくてはならないのが一線を越えたバカに与えられる唯一の権利だ。
裁判なんかいらない。