輝いていたい

3つの癌経験者。でも負けないぞ!

七回忌でした

2019年01月13日 19時31分43秒 | 愛する人
いや~ 新年あけてすでに14日
皆様が良き年となりますようお祈りしております

 ↓ の甲状腺受診の血液検査は後日問題ないと郵送されてきました

本題にはいります 
タイトル&近況ですが・・・

今年はゴッド=亡き夫 の七回忌でした。1月12日が命日、そして誕生日でもありました。
他界して早丸6年。本当に早いです。
6年前はせっせと看護して、いやできていた私も、今や一つのことをやるのに精一杯のお年頃となってしまいました
お仕事はそれなりにできております。クリニックのナースですよ

6年前のことを思い起こすと・・・
あの時どうだったかしらと思い出せない、いいえ、わからないことも多々あります。
12日は誕生日だから、ケーキでも買ってと少し遅く11時半くらいに病院に着きました。
すでに努力様の呼吸だった彼は、私の呼びかけに左目から涙をポロリと流したのです。
しばらくして右目からもポロリと。。。
それが最期のコミュニケーションでした。

それから私がどう行動をとったか、葬儀屋さんがきて家についてからどうしたか、葬儀の時の細かいあれこれが思い出せないのです。動揺し、かつ気を張っていたこともあります。

あー、あれこれ書こうと思いますが・・・
やはりまだ無理・・・

今はまだ、私の胸の内にしまっておきましょう。


12日はひっそりと法要を執り行いました。
ご住職の温かいお経が主人に届いたでしょう。
身に詰まる法話も私たち存在しているものの生き方を教えて下さった良いお話でした。

無職の時は毎月墓参していましたが、お仕事している今はお彼岸、お盆、お施餓鬼供養の時くらいしか行けなくなりました。
仏壇には朝晩とお線香を立て手を合わせ、一日の無事を願い、そして一日が無事に終わったことを報告しています。

たまーに夢で会いにきてくれるけど、ゆっくり話せてないな~
でもいつも元気にな姿です。

これからも私と母の健康と幸せを見守ってくれることでしょう。



年初めにとりとめのない記事になってしまいました。

更新が滞ることが多いと思いますが。。。
本年も宜しくお願い致します



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お盆の入り

2016年07月13日 23時04分18秒 | 愛する人
仕事に復活してからというもの、月命日のお墓参りも〝ごめんなさい〟している状況です

今日のお盆の入りも行かれませんでした。

夜、仕事から帰宅し夕食前に迎え火焚いてお迎えしました。

今は、父も主人も家に戻り、きっと上から見ていることでしょう

お盆の提灯は先日のお休みに出して仏壇の前は賑やかです。


珍しく、数日前に夢を見ました。
何か話していたような・・・
病気の姿ではなく元気な頃の姿でした。
懐かしいな~

そして夕べも出てきてくれたのです。またまた内容は忘れてしまいました

こんなちょくちょく出てきてくれるのは嬉しいです

夢でしか会えないのだから


19日は施餓鬼供養があるのでお墓に行きます。
この日は午前中甲状腺の受診だわ~
ちなみに明日は婦人科受診

勤務希望は月3回までで、ほぼ受診関係で取らせてもらってます



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命日です

2016年01月12日 16時46分00秒 | 愛する人
今日は主人の命日です。
誕生日でもありました。

誕生日が命日になってしまうなんて…

お墓参り行ってきました。
一週間前にも行きましたが…
1月5日は父の命日。

命日の墓参は仕事をしていたら行けないけど、今年はバッチリです(^o^)

急に寒くなった今日。水がすごーく冷たく、手がまっかっか。

前週にお掃除しているので今日はお掃除が楽でした(^-^)

お寺さんの梅がちょっと咲いて、蕾は膨らんでいましたよ。




帰りは温かい物を食べようということになり、最寄り駅の中華やさんでサンマーメンを食べました(^-^)

サンマーメンといっても、サンマは入っていません


永眠を確認された16:46
今年も携帯のアラームが鳴りました。

黙祷。


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月命日

2015年06月13日 12時49分21秒 | 愛する人
昨日12日は主人の月命日。
雨も昼過ぎには止むとのことだったのでお墓参りに行ってきた。

出かけるときには小雨だったが、お墓に着くと雨も上がりラッキー
お掃除を始めると・・・ 葉っぱや何かの実みたいなものがたーくさんあり、掃除し始めてしばらくすると顔から汗がポタポタと落ちてきた
気温はそう高くなかったが、湿度が高かったので超不快
汗だくになったわ

その後、昼食のために入ったお店では冷房効き過ぎ
最初は気持ちいいぃ~ だったのに、じきに今度は寒ーい

汗かいたり寒くなったり忙しい一日で、すごく身体が疲れたぁ


先日、夏物を出した時に主人の衣類も整理した。
リサイクルに持っていこうかとも考えたが、時期のものでクリーニングしてあり・・・など制約がある。
お金になるのは買って2~3年の物のみとも聞いた。
それだったら、今更ながらだけど形見分けとして、知っている人にお渡しした方がいいと思い、見定めて処分するもの、クリーニングに出すもの、私が着るものと整理した。
スラックスはどうにもならないが、上着系はなんとかなる。

そんな整理をしているとき、主人の携帯がしゃべった


らくらくフォンで、音声が出るようにしてある。もちろん契約は切ってあるが仏壇の前に置き、適宜充電している。
一人の時、たまにメールを読んだり写真を見たりして・・・ すると辛くなるんだけどね
未送信のメールに私宛で、タイトルが「ありがとう」というのが残っている。
本文には何を打つつもりだったのかな・・・ それともこの一言がすべてを語っているのかな・・・

携帯がしゃべったのは、衣類の整理をしてほしくなかったのか
一緒に選別してくれていたのか

すごい偶然を感じる。

亡くなって一か月目の、12日14時46分にお線香をあげようとしたら、やはり同じようにちょうど携帯がしゃべった。四十九日前だったのでまだお骨があった時だったな~
携帯がしゃべること知らなかったから母はびっくりしていたわ。

こんなことがあると思い出すな・・・


あ・い・た・い


湿っぽい話になってしまったので写真で〆

美味しいもの  これ、美味しかったですぅ~ (某場所での土日限定景品)





可愛いもの  最近は来ないです。親のレモンも全然来ないの。元気なのかな~



大事なもの 一部ですぅ




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毎年のアラーム

2015年01月12日 16時46分00秒 | 愛する人
今朝、メモしてあったことのお知らせがスマホに入った。

そう、ゴッドの誕生日。
そして、昨年からは命日となった。

2年前の今日、ゴッドは私の声がけに対し、2回、涙をポロリと流してこの世の修業を終え私とお別れをした。


昼前にお墓参りに行ってきた。
去年は入試と重なり、命日にはいけなかったな~

お墓参りは毎月行っているので、しみじみって感じはないんだけど・・・
今日は帰り際、無意識にお墓の方に振り返っていた自分がいた。
なんでだろ・・・

お寺さんの梅がすこーしだけ膨らんでいた。


ご住職は命日を覚えていてくださり、「あの時は雪が大変でしたね~」と。
そう、2013年1月14日は大雪で、翌日にご住職がみえた時は車がやっとこ通れたという状態だった。
お通夜の16日にはなんとか雪も溶けて、交通問題はなく横浜に到着したっけ。
葬儀屋さんは、どこか回っていくか気をまわしてくださり、ゴッドが最後にしていたお店の前を通っていったんだった。

たんさんのことが思い出される。。。



昼食は地元近くに戻り、お蕎麦屋さんでなんとか御前


そして、誕生日のケーキを買って帰宅。ちびっちゃいのを



帰宅ししばらくすると三回忌には声をかけなかった甥っ子夫婦からお花が届いた。
危篤の時に私一人でどうしたらよいか・・・
とにかく近くにいる母や親戚に連絡をしたんだった。
母と叔母、甥っ子夫婦が駆け付けてくれて最期を看取った。
静かに静かに息を引き取った。
呼吸が止まった時、「ゴッド、息をして~」と叫んだのを覚えている。
しかし戻ることはなく、心臓も停止した。

蘇生はお願いしていなかったので、医師がきて死亡確認をして臨終を伝えられたのだった。

16時46分 お線香をあげて手を合わせた。


2年って早いな~

ゴッド~
さなりんは元気に生きているよ~
まだしばらくはこちらで修業するから、もうちょっとそっちで待っててね~



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一周忌法要

2013年12月27日 23時55分23秒 | 愛する人
22日の日曜 無事にゴッドの一周忌法要を終えることができました。


数日の天気の悪さと堪える寒さはうそのようで、この日は快晴で寒さも和らいだ
駅までのタクシーもすぐ拾えたし、電車もタイミングよく乗れた

臨終は1月12日の土曜 午後4時46分
その日はいつか来るとはわかっていたが、誕生日がその日になるとは予測できなかった。

家に連れて帰るのに、当然片付けもしていない。介護用ベッドを片付けなければならなかった。
介護レンタルの会社は5時まで。
バタバタして5時過ぎに電話したら状況が状況だからすぐに片付けにきてくれた。

去年の14日の東京は大雪。北国出身のゴッドが最後に見たかったのかもしれない。
お通夜は16日だったので雪も溶け、無事にゴッドの棺を運び出すことができた。
その日はお寺の最寄り駅を通る路線で事故がおき遅れがあった。しかし皆が間に合った。

ゴッドのあれこれがあるときってこのように何かがあってもすんなりといく。
すべてゴッドが良いほうに導いてくれていると信じている。


法要に向う電車で、今まで何度も乗ったけど一度も気付かなかった景色も見ることができた。
それは富士山

ゴッドも富士山が好きだった

治療では毎回同じ病棟とは限らず、空いている個室の病棟に入院していた。
外科の病棟の時は部屋の真正面に富士山を見ることができたの
そう、光の反射で床に虹ができた時


何でもないことなのにゴッドに結び付けてしまう。


法要は親戚が集まってくれて滞りなく終えた。
葬儀屋さんがあれこれしてくれて助かった~


ろうそくの炎って風があったりすると横に揺れるでしょ
でもね
ある一つのろうそくの炎が縦にポッポッと時々揺れるの。
うちでは、そういう時って仏様が喜んでいるんだよって言うの。

和尚様の説法が印象に残ったのでちょっと・・・
供養の供の字は供えるってこと。供養は供えて感謝すること。
存命の人への供養はプレゼントを差し上げたりお礼を言ったり。
仏様への供養はお経が一番のお供えだって。

人は怒ることや煩悩でいっぱいだけど、これは当たり前のこと。しかし現世は思い通りに行かないのが常。自分の思い通りにしようとするから苦しくなりさらに頭にもくる。
そんな現実を変えようとしても無理。
ということをいつも頭においておけば怒ることもなくなる。
世間や他人を変えるのではなく、自分の考え方を変えれば済むこと。

って、言われることはわかるけど~
人間って欲が深いよね~



随分と日にちが経っての更新でした
今週はクリスマスに同級生とシワシワ女子会
26日も同僚と外食
今日は昼に外食


そして今日、仕事収めでしたぁ
やっとゆっくりした時間が過ごせます



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死ぬことは終わりじゃない

2013年08月24日 23時24分21秒 | 愛する人
24時間テレビのドラマスペシャル
「今日の日はさようなら」

見なきゃいいのに見ちゃった。
最初から最後までグスグス・・・


抗がん剤は、作用は勿論あるがダメージは大きい。
ゴッドも2回目からは「もぅいい」って言ってたな・・・
それを幾度も説得しての治療だった。

嘔気、嘔吐はなかったけど食欲低下と倦怠感は相当あったようだった。
口には出さなかったけど辛さに耐え頑張っていたんだな。

あのとき治療をしなかったら、もっと楽な時間を過ごせたんだろうか・・・
いや、治療をしたから余命が延びたんだ。

自問自答を繰り返している自分がいる。
自分を責めてるわけでもなく、正当化しているわけでもない。


完治が望まれない、いわゆる緩和ケア段階となると、この世でのやり残したこと、やりたいことをする時間を過ごすことが望まれる。
しかし、ゴッドは神経難病のためひとりで何かをするということはできなかった。
その手伝いを私はできたのだろうか・・・

生活上のケアは十分できていたと思うが、ゴッドというひとりの人としてのやり残しはなかったのだろうか・・・

人生の楽しかったことを思い出すことはできたのだろうか・・・

何か食べたいものはあるか
何かして欲しいことはあるか
などと聞いてはいたが・・・

強い欲求を出す人ではなかった。



半年以上経った今でも、ひょっこり帰ってくるんじゃないか
どこかにいるんじゃないか

思うことがある。


死ぬことは終わりじゃない。
ゴッドが生きていた証しは確かに私の心にある。
いつまでも・・・


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優しさ満点

2013年04月12日 23時53分37秒 | 愛する人
今日は主人の月命日です。
まだ3ヶ月しか経っていないのね。。。

まだまだ急に思い出しては涙が溢れてくることがしばしばあります。
電車でぼぉ~と外を眺めている時
お風呂でゆったり温まっている時
なぜか洗い物をしている時・・・

先日は、臨地実習を終えて帰りの電車で音楽を聴いていたら急に涙がこぼれて・・・
ひとりで涙をぬぐっていました。
もう急いで帰る必要はないんだ。。。
帰ってもお帰りと迎えてくれる人はいないんだ。。。

いつも・・・泣いている私に遺影の主人は微笑んでいます。

今日は職場の歓迎会でした。
病院のレストランでやるのが恒例となっている歓迎会。
エレベーターで最上階に昇っているとときに涙がこぼれてきて・・・
それは再三通った病棟へのエレベーターでした。

電車通勤は自分の体調不安もあるので大変だけど、しばらくは主人の思い出がいっぱいある病院での実習は無理だと思いました。
自分の通院で行くのも辛いものです。。。



今日は愛している人の優しさに少し触れたいと思います。


何を買うにしても
どこに行くにしても
「買えばいいじゃない」 
「行ってきたらいいじゃない」 と、自由をいっぱいくれた人。

外食に出ると私の好きなものは必ず残して食べなさいと言ってくれた人。
看護学生だった頃は(その頃に知り合いました)試験勉強している私にお夜食を届けてくれたこともありました。
看護師になり、夜勤に出るときは必ず店で夜食を準備してくれていました。

私が不明の発熱で約1ヶ月入院した時や、子宮の手術をした時は、自分のことはかまわず昼と夜に必ずお見舞いに来てくれた人。
子宮手術後はお腹が痛くて足が拭けずやってくれたこともありました。

甲状腺手術の時は一人での歩行が困難となり自宅でお留守番。
大腸の時は主人も胃がんがわかった頃で入院中。病院内別居。
私の支えになれないと嘆いていました。
一日に何度もメールで励ましてくれたものです。
「大丈夫  祈っているよ  心配いらないよ・・・」

在宅療養していた時にいろいろな話をしました。
そんな時お見舞いのことを話して優しいよねというと・・・
「そんなことしかできないから」と言っていました。
主人自身が苦しかったでしょうに、体調が悪いと言うと「休んでなさい 無理しないで 無理したら自分が辛くなるんだから・・・」などと言ってくれたりもしました。


私に対しては勿論ですが、他人に対しても常に優しい人でした。
人の悪口は嫌がり、争いごとは大嫌いな人でした。
でしゃばらず、物静かなひとでもありました。


優しさにはまだたくさんあります。

素敵な人。
今もだーい好き。
これからもずっと大好き。

共に闘った時

2013年03月31日 16時46分00秒 | 愛する人
4月から復職します。
自分の闘病と主人の看病に没頭した1年5ヶ月が終わろうとしています。

この期間のことは辛いことばかりが思い出されます・・・
でも、二人で過ごした大切な時間。
一緒に闘った日々。
ずっと一緒にいられたことはありがたいことでした。

愛する人のことを書き残しておきたいと思います。
思い立ったらその時に・・・

同情をひこうとか、褒めてもらおうとかいう気持ちではありません。
辛い病と闘いながら精一杯生きた人がいた証として・・・
そして自分の中での覚書として。。。

今回は共に闘病した日々のことを・・・

愛する夫とは四半世紀以上の日々を共に過ごしました。
大きな病気をすることもなくいたって健康体でした。

だから・・・まさかこんな早くにお別れがくるなんて夢にも思っていなかった・・・



2007年に脊髄小脳変性症(神経難病)と診断される。
小脳は運動をつかさどる機能。手足の運動障害、構音障害、嚥下障害とさまざまな運動機能が低下していく病気。
この病気の特効薬はなく、進行を遅らせる内服薬とリハビリが唯一の治療だった。
一人では通院リハビリが困難になってきた頃から自宅で週2のリハビリを受けていた。

つかまり歩行が難儀になったが、2011年8月には車椅子で北海道旅行をしてきた。
私が行きたいといった函館中心。
少し嚥下が心配になってきていたが、美味しそうにお料理を食べていた。
温泉にも入ったしもちろん観光もした。

たくさんの人の手を借りてだが、旅行もできる、外に出ることができると二人で自信をつけたものだった。

2011年9月末頃から食欲が低下し腹部の異常を訴えるようになった。
我慢強い夫もいよいよ辛くなったのか、自分から病院に行くと言った。

10月2日に受診。レントゲン、心電図、CT、採血、エコーなどいろいろな検査の結果「大腸の憩室炎および腹膜炎」ということで緊急入院となった。
数日後にまず私だけ主治医となった内科医からICを受ける。
頭が真っ白になった。
病名「スキルス胃がん」 すでに腹膜播種をおこしており手術の適応ではない。
目に飛び込んできた血液検査の腫瘍マーカーは3桁を記していた。
治療は化学療法しかない。予後も伝えられる。

私の大腸手術が決定していたあとの告知だった。
自分だけ手術をして夫はできない。むごい現実だった。
多分・・・癌でも手術をして快復した私をみているので夫自身も手術ということを考えたと思う。 神様はひどい現実とそれに立ち向かう困難を私たちに投げかけてきたのだった。

当然、夫も夫の主治医も私は手術ができるのだからしなければいけないと言った。

夫は私の懇願で化学療法を受けることを承諾した。標準治療にのっとっての治療だった。
癌性疼痛軽減のため、内服でモルヒネも開始となった。

*ファースト治療 2011年10/13~2012年7/3
21日間のTS-1内服 + TS-1内服後7日目のシスプラチン投与。
シスプラチンは腎臓機能の問題が生じるので大量輸液を必要とするためその間は入院。
この治療は夫の身体に適したようで最初は効果が大だった。
この治療を6コース施行。(6コースまでしかできない)
2012年5月以降はTS-1内服を2コース施行。

効果は最初のみで、7月のCT検査では再発が確認された。

*セカンド治療  2012年7/23~8/20
パクリタキセル。
この薬は骨髄抑制が強く出る薬。脱毛もあった。
新たな薬を使うので入院して施行。
週1で施行する予定だったが、1回目施行後骨髄抑制が強く出てしまい、2回目は1ヶ月後にしかも減量して施行した。
3回目は外来で施行した。

8月末には痛みの増加と息苦しさで緊急入院。 8/24~10/19入院。
骨髄抑制がさらに強く出てなかなか改善されず、酸素投与。空気清浄機の使用等をした。
一時期は肺炎を併発し生命の危機を告知された。
幸い抗菌剤が効果を示すものが原因だったため改善する。
痛みが増強してきて緩和ケアチームの介入があり、抗不安薬を内服するようになる。

この頃は抵抗力もないので積極的な治療はできない状態になった。

家につれて帰りたいと願い、ソーシャルワーカー・緩和ケアチームの介入を経て訪問医・訪問看護の段取りをしてもらい、以後は在宅で看ることにしたのだった。

食事量が減ってきていたので、退院間近には胸にCVポートの埋め込み手術をしてもらった。
尿意を頻回に訴えていて排尿困難があったので体力温存のためにと挿入した尿留置カテーテルもそのままで退院することになった。
経口だったモルヒネも点滴のルートから入れるようになった。

病院同様、吸入や吸引ができるように福祉器具のレンタルをして、ベッドも介助しやすいよう位置を変えて、ハード面でのできることはすべてやった。
点滴(高カロリー輸液)交換や、モルヒネ薬の交換は私が、週1で入浴に合わせて針の差し替えを訪問看護師が、尿カテは2週に一度訪問医が交換してくれていた。

在宅では、病院ではできなかったお風呂も訪問看護師の力を借りて入れてあげることができた。好きなときに好きなものを食べることもできた。
テレビだって気にせず見ることができた。

なにより、一緒に笑ったり泣いたりといつも二人で、全てのことが大切な時だった。

11月くらいまでは少しずつではあるが食事も摂れていた。
歯磨き、髭剃り、清拭、更衣、トイレ介助・・・生活の全ては介助が必要だった。
三度三度キッチンに移動(車椅子で)し、エプロンをして食事をする姿を見ているのが嬉しかった。たった一口でも・・・

12月に入り、胃の腫瘤が触れるようになり、次第に腕や頚部、鎖骨上のリンパ節も腫大しているのがわかった。直に食事は通らなくなり痛みもさらに増強し不安も増大したようだった。
12月末には腹水も溜まり始め胃の腫瘤がわからなくなるくらいだった。

病院とのつながりもあり受診しては採血やらCTをしていた。その都度状態に関しては検査結果も含め夫には伝えていた。
腹水が溜まったら薬を使ったり穿刺して抜くことができるが自宅ではできず、病院に行くことになる。すると入院かもしれないなどと。

テレビのリモコンすら操作する気力もないほど辛さが増強して、年が明けると自分から病院に行くと言い出した夫であった。

2013年1月8日が受診日であったが、辛くて辛くて7日には病院に行くと言い・・・
そのまま入院となった。
入院して直ちに腹腔穿刺を施行。2L引けた。

腹水自体からは癌細胞が検出されず、引いた後もそう溜まることもなかったので、医師は低栄養からではないかといっていた。
高カロリー輸液から維持液に変更ししかも1日に500mlとなったが、腹水が増えることもなかったので、12日からまた高カロリー輸液にもどすことになった。
もしかしたら、もう一度家に帰れるかも知れないと医師は言っていた。

11日は身の置き所がないようで寝たり起きたりを繰り返していた。
辛そうだった。
吐血だったのか?!口の中が黒かった。
この日、病院に泊まっていれば・・・ 
ずっと傍にいてあげらなかったのが悔いて悔いて・・・
私らしくもなく夜中に何度も目が覚めた。その時になんでおやっと思わなかったのか・・・バカ

12日 主人の誕生日だった。
少しでもなめられたらとケーキを買っていつもより少し早めに病院に向った。

病室に入り夫の姿を見て動揺した・・・
すでに努力様の呼吸(肩呼吸)をして、呼びかけには発語がない。
一生懸命呼びかけた。
そうしたら・・・ 左目から涙がポロリと・・・
私のことがわかったんだね。。。 遅くなってゴメン・・・

その1時間後くらいには手をかすかに動かした。
そしてもう一度、呼びかけに対して今度は右目から涙がポロリ・・・


静かに静かに 
眠るように
痛みや苦しさから解放された安楽にも見えた顔で
16時46分 永遠の眠りについた。

私の母と叔母と甥っ子夫婦に見守られて・・・

共に闘った日々に終止符が打たれた。。。


長い間
ありがとう

四十九日

2013年03月01日 16時46分00秒 | 愛する人
早いのか・・・遅いのか・・・
今日は主人の四十九日です。

皆様からのご厚意 心より感謝し御礼申し上げます。

すでに法要は24日に執り行い、納骨もしました。
仏様になり、今は仏壇の中です。。。 


もう
ナースコール代わりの鈴が鳴り響くことはなく
点滴や痛み止めの薬を心配することもなく
清拭もトイレ介助も口腔ケアも内服介助もなく
病院に通うこともなく
なにもなく・・・

一気に生きがいがなくなって心にぽっかりと穴が開いてしまったようです


レンタルで使っていた福祉用具もすべて引き取ってもらうと本当にいなくなっちゃったんだ・・・必要ないんだ・・・としみじみ感じます
今では購入した取っ手が付いたお茶碗類、バスチェアが残っているだけ

衣類の整理をしては泣き・・・
写真の整理をしては泣き・・・
主人の日記(2007年・2008年の)を読んでは泣き・・・
自分で書いた看護日誌を見ては泣き・・・

何もしていなくても突然涙が出てきたりして・・・

寂しいものですね
今までいた人がいないって

おつかいから帰ってきて「ただいま~」と言ってもシーンと静まった部屋の中


復職までにはまだ1ヶ月
ただただボッーとしているんだろうな~