
5/9まで飯田橋ギンレイホールで上映中。
お、再上映の時期になってきましたか!
イーサン好きならお勧めしたい。
ビフォアシリーズの声だけ聞くことを!
サンライズ/サンセット共に3年ほど聞き続けている。
微妙な息づかいや、絶妙な声のトーンの違いに気づいたりして、
物語の新しい面もみえてくる。
脚本もPDFで公開されているので、
好きなシーンやセリーヌのセリフも英語で覚えようとはしている。2年ほど。
だが、、進まない。第一早口なんだもん。
怒濤のセリフ合戦なんだもん。すごいセリフ量なんだもん。
日本語でならほぼセリフは覚えてるんだけどねえ。
ミッドナイトもその魅力は満載。
が!!!!
今回は二人だけの会話じゃない。
空港で、ジェシーはただのお父さんだ。
くっついたり離れたりして、彼女が妊娠したから結婚した。
セックスレスだしね。
彼女に愛情は感じないんだよ、でも子供の成長は"一瞬でも"見逃したくない。
僕らはどうしたもんかともがいてるんだ。
って遊覧船で、車の中でサンセットでジェシーが話してた当時の妻はいまは元妻。
その息子がハンク。かわいい青い瞳。
「飛行機乗り遅れるよ」「分かってる」。。。。フェード・アウト。。。
この絶妙なサンセットのエンディングから、
ジェシーはNYへは帰らず(当然だ!)、離婚し、
セリーヌはあれほど情熱を持っていた仕事を捨て、一時NYのジェシーのもとに。
二人には双子の女の子が生まれ。。。
結婚はしてないけど、いま一緒にパリで暮らす中年だ。
ギリシャの老年作家の招待で、
ジェシー/セリーヌ/エラ/ニーナ、そしてハンクは夏のバカンスを6週間過ごす。
そして、冒頭の空港シーンでハンクは元妻の居るアメリカへ帰ってゆく。
明日は、ジェシー家族もパリへ戻る予定だ。
そのバカンス最終日の午後~ミッドナイト前までの時間が、
今回の舞台。ギリシャ。
空港シーン、父ジェシーが息子ハンクを空港へ見送りに来ている。
わずか5分ほどの何気ない会話の中で、
二人の現状/関係/をほのめかす。
次は車のシーン。14分間の1テイク長回し。
ここでセリーヌ登場、そして車の後ろに眠る美しい双子。
会話はあちこちで二人が過ごした時間のヒントをくれる。
刺激は与えてくれるけど、はっきりすべてを言わないセリフはお見事。
カメラはフィックス。
常に二人が映り続けるこの緊張感、いや、ファンにとってはワクワク感。
実際撮影してる役者、スタッフの心情(撮影の大変度合い)を思うとゾォーーっとする。
ここまでだけで、どーでもいいようなダラダラしゃべってるセリフの中で、
ジェシー/セリーヌ、双子、ハンク、元妻、、などの必要必須外堀項目を、
なんなくサラリと観せてくれる安心感期待感~ビフォアの世界観へのお誘い完璧。
小さなお店での短い買い物シーンで、
四人の家族の日常感をまたまたサラリ。
想像の余地満載の引き算脚本の上品さ。ナイス!
(言ってることは下世話なことなのにもかかわらず!)
食事のシーン。
サンセットの二人と同年代の若いカップルは、スカイプで"毎日"会話をする。
離ればなれなのに。。 時間が時代が変化している表現。
作家とその友人老年ミセスは、
死の側に自分が近くなりつつあることを頭の片隅に、
どこか達観したような、そしておだやかな豊かな話ぶり。
ジェシーとセリーヌの行く末に、そんな時は訪れるのか。。
同年代の夫婦は(いや、30代かな)
男に甲斐性はないけれど、それも受け入れ楽しくやっている。
もしかすると私たちが想像するしかない30代半ば~後半のジェシーとセリーヌの姿かもしれない。
そして40代のふたり。
車の中は、いつもの姿?
食事のシーンは、いいカッコしい?
光が燦々とそそぐ遺跡?原っぱを歩く二人は、サンライズやサンセットへの記憶?
小道を歩くシーンは、二人のこれからもくねくね曲がり道を暗示?
そしてホテルシーンへ。
ハンクとのこれからの関わり方を巡って、
ジェシーとセリーヌの気持ちはすれ違いを見せ始める。
せっかく二人だけでゆっくり過ごせるはずだったのに。
どんどん吐き出される現実や、心情や、かわし合いや探り合い。
セヌーリの体型もおっぱいも、
ズルズル靴下やズボンを脱ぐジェシーも、
若い頃に信じていた気持ちからはかけ離れた矛盾と、
時間が過ぎていたことを、キリキリを突きつけてくる。
だけど、だけど、
それは私の中にもある生活の一部のセリフがいっぱい。
「それ言ったことあります。。。」と、
記憶の中にもある、イヤミや意地悪、意固地や妥協や嘘。
でも、でもだ。
それが悪いことばっかなのか?
そうやって、大きなことを、
本気で向き合ってしまったら、止められない破局や破壊への道を、
小さな抵抗でやりすごしながら、
人は淡々と年を重ねてゆくしかないのだ。
私の毎日だってそうじゃんか。
大人になっても矛盾なんか解決しやしない。
大人になっても何でも出来るようになんかならない。
大人になったから小さなあきらめの連続だ。
大人になったから迷うことだらけだ。
だから、だからこそだ。
変わらないもの、変えたくないことを見つめた時に、
手に入れるのじゃなく
手の中からこぼれてゆかないようにするだけでも、
守るより挑むように戦ってゆかないと
自分から進んでゆかないと
簡単じゃないことを思い知る。それは痛みでもある。
その上内心は、軽やかに変化したいとも思っていたり。
もはや、大人なのになにがなんだか(笑)
激しい言い合い、ぶちまけ合い、ののしり合いのような喧嘩の最後に、
「もう愛していない」と、
セリーヌは三度目にホテルの部屋を出て行く時に言い放つ。
部屋のカードキーを叩き付けるようにして。ジェシーを置いて。冷めたお茶のカップを残して。
そのままお互いに相手を傷つけ、自分をも傷つけたことに打ちのめされているだけだったら、
もう二人は先へ進めなかったかもしれない。
一貫してセリーヌと双子の娘との別れは考えになく、でもハンクとも時間を過ごしたい。
二つとも手に入れたい男のジェシーと、
私の生き方は変えられない。大事なものはあるけれど、
この生き方が自分を支えるものだと主張するセリーヌは、
平行線しか辿れなかっただろう。
ギリシャからパリに戻って、別々に暮らし始めたかもしれない。
だけど、、、ここからが映画の素晴らしさ。
それまで超リアルを見せつけまくったくせに、
別の世界へ引きずり込んでくれる。
サンライズ/サンセットをまるごと包み込むような言葉をちりばめて、
ジェシーはセリーヌを引き止める。
タイムトラベラーのジェシーとして、82歳になったセリーヌからの手紙をメッセンジャーとして持って
「日常のたわいもないことから君を救いに来た」と。
「僕は1994年に君と会っている」と。
「あのロマンチックな出会いをしたのは僕だ」と。
ねえ、日常のたわいもないことから、
誰かが救いに来たら、落ちるよねえ。
だって、オオゴトより、日常のたわないもないことが、
私たちをとめどなくイライラさせるんだもの。
だけど、、、リチャード・リンクレター監督はそれを夢物語だけで終わらせない。
「ゲームはやめて。私らは物語の中の登場人物じゃない」というセリーヌ。
「僕は君を笑わせたいんだ」
「もし本当の愛を求めてるなら、それはここにある。
これが現実の人生だ。完璧じゃないかもしれない。だけどこれが現実だ。
それが分からないなら、もう打つ手はない」と。
完璧じゃないことを受け入れることは日常だ。
(もしかしたら二人にとっては結果的に後退"かも"しれないが)
そうしなければ、自分を相手を壊してしまうのにそんなに時間は必要ない。
82歳セリーヌからの手紙を読むジェシーはこうも言う
「振り返ってみると、今は人生最高の時だったのよ。あなたは大丈夫。」
今までにも使い古された言葉なのだ。
なんなら「そんなの聞いたことあるし、新鮮味もないし、いつの時代も誰かがそう言うのよ」
ムカつくほど「そんなの分かってるけどさーーー!!」って言いたくなるような言葉なのだ。
だからリアルに刺さる。
最後のシーンまでに積み重ねたセリフやシーンやトーンがあるからこそ、
あたりまえのことが慰めやわずかな光になる。
この最後の畳み掛けは本当に見事だと思う。二人の芝居も素晴らしい。
使い古された直球の言葉の力強さ。
それはきっと妥協じゃなく、信じてみようという力だ。
大げさに信じるのじゃなくても「うーん、まあ乗ってみるか」程度の切り換えだとしても。
物語の最後の最後は、
もう一度、うふふ、ニヤリ、はぁ~の安堵感へと、夢物語へと誘ってくれる。
なかなか現実の生活で、こんなステキなエンディングは無い(笑)
だいいちあんな手紙を即興でで読む男も居ないし、それにユーモアで反応出来る女もそうそう居ないはずだ。
(芝居は即興じゃないよー)
これはビフォアシリーズの素晴らしさ。
リチャード・リンクレーターを核にした三人の才能とセンスだ。
リアルと、映画の嘘とのバランスの絶妙さ。
余韻を残し、この後の二人を想像させ、、想像を脹らまさせて、、フェードアウト。
全体を包むユーモアは、
気持ちを、人を救ってくれる。
最後のシーンでも「それが逃げだよ!」とキィーーっとする男も女も居るかもしれないけど、
ユーモアを受け入れることで、この場はやり過ごせる。
(問題を先送りにしただけとも言う。ジェシーは何度も言うよね「今決めちゃダメだ」って)
愛おしい、その愚かさや弱さも愛おしい。
長く流れる時間も一瞬一瞬の集合体でしかない。
その一瞬一瞬はすぐさま過去になり、
重ねた月日も消え去ってゆく日がいつか訪れる。
you are stardust.
サンライズで占い師は出会ったばかりの二人にこう言った。
人も記憶も、続きながら残るものと過ぎて消えてゆくものが入り乱れて
都合良く残ったり、目の前に現れたり整理出来たりなんかしない。
登場人物が話すひとことひとことが、
絡まったり重なったりしながら、一瞬や、ゆるやかな豊かな時間を感じさせてくれる。
アナとアキレス(若いカップル)が出会いの話。
シェークスピア「冬物語」でパディータを演じたアナ。
その打ち上げパーティの夜に二人は出会い、夜中じゅうバイクで走って、
野外劇場へ戻ってきた時、アナは12000人の客席の誰もいない一番上に座っていた。
アキレスは舞台に上がり、何かを彼女に伝えた。
「彼の口が動くのが見えたの。その3秒後私の耳に彼の声が届いたの」
この3秒間遅れて届いた声の煌めき!
(何を言ったかは脚本は教えてくれないが)
短いシーンだけど、とても印象的でミッドナイト全体の輝きを増幅している。
こんな煌めきを登場人物はみんな持ってる。
そういう一瞬も、ホテルシーンで二人が喧嘩し合う一瞬も、
全部ひっくるめて人が過ごしてゆく時間なのだ。
*余談ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
冬物語はちょっとした嫉妬と誤解から始まる不運(悲劇?!)と、
16年という月日を経て、人が変化し成長し、不運が幸福へ(喜劇/ロマンス劇)変わってゆく許しと和解の物語だ。
ミッドナイトの舞台ペロポニスには、エピダウロス古代劇場がありこのセリフの劇場はそれのことを言ってるはず。
そこで実際に2008年、イーサンは冬物語の公演を行っている。役は道化。
エピダウロス古代劇場の紀元前4世紀建設と言われているので、2400年前と3秒の対比!
きっとここを書いたのはイーサンかなーと思っている。ロマンチック♪
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ビフォア・ミッドナイトは、
ジェシー/セリーヌの二人の行く末、現状だけを描く世界から、
もっと長く、人間が生き続けてゆくことを描くまでに至ったシーリズ三作目。
本当にステキな作品だ。
大好きな作品だ。
日本の宣伝文句には「シリーズ最終章」とか書いてあったが、
三人はそんなことは言ってない。
「今は次のことなんて考えられない」とは言ってるが、
たぶんいつか時が来たら、やりたくなってくれると思う。
イーサンへ渡した手紙に
「9年後なんてプレッシャーじゃなくて、
リックの他の作品で、二人が誰かの後ろを歩いているだけで出てくれても、
ファンは嬉しいと思う(もちろんジャック・ブラックの後ろを!)」って書いた。
本心だ。いつか実現しないかな。
だって、このエンディングから更に時間は流れているのだもの。
"今"二人はどこに居て、何をしてるか、気になって仕方ない。
やっぱ結局離ればなれになったのか、
別れようと傾いてたとこに、また子供が産まれているかもしれないし。
どっちかが病気をしているかもしれないし。
ファンにとって、
どこかでジェシーとセリーヌは生きている。
そう思わせてくれるのはこのシリーズの醍醐味。
やっぱり書きたいことの何も書けてない気がする(笑)
長く書いてみて、こんなことを感じるのは40代後半のわたしだからなのだろう。
ちょっとの嘘や間違えも「絶対許してなるものかっ!」って、
すべての人が他人を見張って「ありえませんっっ!」って言い切るような
今の時代に息苦しさを感じてるからだろう。
きっとそれぞれの今を重ねて見方や感じ方も違う、
奥深い味わいのある作品になってます。
あーーもうまた観たくなってる。
声だけミッドナイトも聞きたい。
どうそ機会を作って劇場で。
お、再上映の時期になってきましたか!
イーサン好きならお勧めしたい。
ビフォアシリーズの声だけ聞くことを!
サンライズ/サンセット共に3年ほど聞き続けている。
微妙な息づかいや、絶妙な声のトーンの違いに気づいたりして、
物語の新しい面もみえてくる。
脚本もPDFで公開されているので、
好きなシーンやセリーヌのセリフも英語で覚えようとはしている。2年ほど。
だが、、進まない。第一早口なんだもん。
怒濤のセリフ合戦なんだもん。すごいセリフ量なんだもん。
日本語でならほぼセリフは覚えてるんだけどねえ。
ミッドナイトもその魅力は満載。
が!!!!
今回は二人だけの会話じゃない。
空港で、ジェシーはただのお父さんだ。
くっついたり離れたりして、彼女が妊娠したから結婚した。
セックスレスだしね。
彼女に愛情は感じないんだよ、でも子供の成長は"一瞬でも"見逃したくない。
僕らはどうしたもんかともがいてるんだ。
って遊覧船で、車の中でサンセットでジェシーが話してた当時の妻はいまは元妻。
その息子がハンク。かわいい青い瞳。
「飛行機乗り遅れるよ」「分かってる」。。。。フェード・アウト。。。
この絶妙なサンセットのエンディングから、
ジェシーはNYへは帰らず(当然だ!)、離婚し、
セリーヌはあれほど情熱を持っていた仕事を捨て、一時NYのジェシーのもとに。
二人には双子の女の子が生まれ。。。
結婚はしてないけど、いま一緒にパリで暮らす中年だ。
ギリシャの老年作家の招待で、
ジェシー/セリーヌ/エラ/ニーナ、そしてハンクは夏のバカンスを6週間過ごす。
そして、冒頭の空港シーンでハンクは元妻の居るアメリカへ帰ってゆく。
明日は、ジェシー家族もパリへ戻る予定だ。
そのバカンス最終日の午後~ミッドナイト前までの時間が、
今回の舞台。ギリシャ。
空港シーン、父ジェシーが息子ハンクを空港へ見送りに来ている。
わずか5分ほどの何気ない会話の中で、
二人の現状/関係/をほのめかす。
次は車のシーン。14分間の1テイク長回し。
ここでセリーヌ登場、そして車の後ろに眠る美しい双子。
会話はあちこちで二人が過ごした時間のヒントをくれる。
刺激は与えてくれるけど、はっきりすべてを言わないセリフはお見事。
カメラはフィックス。
常に二人が映り続けるこの緊張感、いや、ファンにとってはワクワク感。
実際撮影してる役者、スタッフの心情(撮影の大変度合い)を思うとゾォーーっとする。
ここまでだけで、どーでもいいようなダラダラしゃべってるセリフの中で、
ジェシー/セリーヌ、双子、ハンク、元妻、、などの必要必須外堀項目を、
なんなくサラリと観せてくれる安心感期待感~ビフォアの世界観へのお誘い完璧。
小さなお店での短い買い物シーンで、
四人の家族の日常感をまたまたサラリ。
想像の余地満載の引き算脚本の上品さ。ナイス!
(言ってることは下世話なことなのにもかかわらず!)
食事のシーン。
サンセットの二人と同年代の若いカップルは、スカイプで"毎日"会話をする。
離ればなれなのに。。 時間が時代が変化している表現。
作家とその友人老年ミセスは、
死の側に自分が近くなりつつあることを頭の片隅に、
どこか達観したような、そしておだやかな豊かな話ぶり。
ジェシーとセリーヌの行く末に、そんな時は訪れるのか。。
同年代の夫婦は(いや、30代かな)
男に甲斐性はないけれど、それも受け入れ楽しくやっている。
もしかすると私たちが想像するしかない30代半ば~後半のジェシーとセリーヌの姿かもしれない。
そして40代のふたり。
車の中は、いつもの姿?
食事のシーンは、いいカッコしい?
光が燦々とそそぐ遺跡?原っぱを歩く二人は、サンライズやサンセットへの記憶?
小道を歩くシーンは、二人のこれからもくねくね曲がり道を暗示?
そしてホテルシーンへ。
ハンクとのこれからの関わり方を巡って、
ジェシーとセリーヌの気持ちはすれ違いを見せ始める。
せっかく二人だけでゆっくり過ごせるはずだったのに。
どんどん吐き出される現実や、心情や、かわし合いや探り合い。
セヌーリの体型もおっぱいも、
ズルズル靴下やズボンを脱ぐジェシーも、
若い頃に信じていた気持ちからはかけ離れた矛盾と、
時間が過ぎていたことを、キリキリを突きつけてくる。
だけど、だけど、
それは私の中にもある生活の一部のセリフがいっぱい。
「それ言ったことあります。。。」と、
記憶の中にもある、イヤミや意地悪、意固地や妥協や嘘。
でも、でもだ。
それが悪いことばっかなのか?
そうやって、大きなことを、
本気で向き合ってしまったら、止められない破局や破壊への道を、
小さな抵抗でやりすごしながら、
人は淡々と年を重ねてゆくしかないのだ。
私の毎日だってそうじゃんか。
大人になっても矛盾なんか解決しやしない。
大人になっても何でも出来るようになんかならない。
大人になったから小さなあきらめの連続だ。
大人になったから迷うことだらけだ。
だから、だからこそだ。
変わらないもの、変えたくないことを見つめた時に、
手に入れるのじゃなく
手の中からこぼれてゆかないようにするだけでも、
守るより挑むように戦ってゆかないと
自分から進んでゆかないと
簡単じゃないことを思い知る。それは痛みでもある。
その上内心は、軽やかに変化したいとも思っていたり。
もはや、大人なのになにがなんだか(笑)
激しい言い合い、ぶちまけ合い、ののしり合いのような喧嘩の最後に、
「もう愛していない」と、
セリーヌは三度目にホテルの部屋を出て行く時に言い放つ。
部屋のカードキーを叩き付けるようにして。ジェシーを置いて。冷めたお茶のカップを残して。
そのままお互いに相手を傷つけ、自分をも傷つけたことに打ちのめされているだけだったら、
もう二人は先へ進めなかったかもしれない。
一貫してセリーヌと双子の娘との別れは考えになく、でもハンクとも時間を過ごしたい。
二つとも手に入れたい男のジェシーと、
私の生き方は変えられない。大事なものはあるけれど、
この生き方が自分を支えるものだと主張するセリーヌは、
平行線しか辿れなかっただろう。
ギリシャからパリに戻って、別々に暮らし始めたかもしれない。
だけど、、、ここからが映画の素晴らしさ。
それまで超リアルを見せつけまくったくせに、
別の世界へ引きずり込んでくれる。
サンライズ/サンセットをまるごと包み込むような言葉をちりばめて、
ジェシーはセリーヌを引き止める。
タイムトラベラーのジェシーとして、82歳になったセリーヌからの手紙をメッセンジャーとして持って
「日常のたわいもないことから君を救いに来た」と。
「僕は1994年に君と会っている」と。
「あのロマンチックな出会いをしたのは僕だ」と。
ねえ、日常のたわいもないことから、
誰かが救いに来たら、落ちるよねえ。
だって、オオゴトより、日常のたわないもないことが、
私たちをとめどなくイライラさせるんだもの。
だけど、、、リチャード・リンクレター監督はそれを夢物語だけで終わらせない。
「ゲームはやめて。私らは物語の中の登場人物じゃない」というセリーヌ。
「僕は君を笑わせたいんだ」
「もし本当の愛を求めてるなら、それはここにある。
これが現実の人生だ。完璧じゃないかもしれない。だけどこれが現実だ。
それが分からないなら、もう打つ手はない」と。
完璧じゃないことを受け入れることは日常だ。
(もしかしたら二人にとっては結果的に後退"かも"しれないが)
そうしなければ、自分を相手を壊してしまうのにそんなに時間は必要ない。
82歳セリーヌからの手紙を読むジェシーはこうも言う
「振り返ってみると、今は人生最高の時だったのよ。あなたは大丈夫。」
今までにも使い古された言葉なのだ。
なんなら「そんなの聞いたことあるし、新鮮味もないし、いつの時代も誰かがそう言うのよ」
ムカつくほど「そんなの分かってるけどさーーー!!」って言いたくなるような言葉なのだ。
だからリアルに刺さる。
最後のシーンまでに積み重ねたセリフやシーンやトーンがあるからこそ、
あたりまえのことが慰めやわずかな光になる。
この最後の畳み掛けは本当に見事だと思う。二人の芝居も素晴らしい。
使い古された直球の言葉の力強さ。
それはきっと妥協じゃなく、信じてみようという力だ。
大げさに信じるのじゃなくても「うーん、まあ乗ってみるか」程度の切り換えだとしても。
物語の最後の最後は、
もう一度、うふふ、ニヤリ、はぁ~の安堵感へと、夢物語へと誘ってくれる。
なかなか現実の生活で、こんなステキなエンディングは無い(笑)
だいいちあんな手紙を即興でで読む男も居ないし、それにユーモアで反応出来る女もそうそう居ないはずだ。
(芝居は即興じゃないよー)
これはビフォアシリーズの素晴らしさ。
リチャード・リンクレーターを核にした三人の才能とセンスだ。
リアルと、映画の嘘とのバランスの絶妙さ。
余韻を残し、この後の二人を想像させ、、想像を脹らまさせて、、フェードアウト。
全体を包むユーモアは、
気持ちを、人を救ってくれる。
最後のシーンでも「それが逃げだよ!」とキィーーっとする男も女も居るかもしれないけど、
ユーモアを受け入れることで、この場はやり過ごせる。
(問題を先送りにしただけとも言う。ジェシーは何度も言うよね「今決めちゃダメだ」って)
愛おしい、その愚かさや弱さも愛おしい。
長く流れる時間も一瞬一瞬の集合体でしかない。
その一瞬一瞬はすぐさま過去になり、
重ねた月日も消え去ってゆく日がいつか訪れる。
you are stardust.
サンライズで占い師は出会ったばかりの二人にこう言った。
人も記憶も、続きながら残るものと過ぎて消えてゆくものが入り乱れて
都合良く残ったり、目の前に現れたり整理出来たりなんかしない。
登場人物が話すひとことひとことが、
絡まったり重なったりしながら、一瞬や、ゆるやかな豊かな時間を感じさせてくれる。
アナとアキレス(若いカップル)が出会いの話。
シェークスピア「冬物語」でパディータを演じたアナ。
その打ち上げパーティの夜に二人は出会い、夜中じゅうバイクで走って、
野外劇場へ戻ってきた時、アナは12000人の客席の誰もいない一番上に座っていた。
アキレスは舞台に上がり、何かを彼女に伝えた。
「彼の口が動くのが見えたの。その3秒後私の耳に彼の声が届いたの」
この3秒間遅れて届いた声の煌めき!
(何を言ったかは脚本は教えてくれないが)
短いシーンだけど、とても印象的でミッドナイト全体の輝きを増幅している。
こんな煌めきを登場人物はみんな持ってる。
そういう一瞬も、ホテルシーンで二人が喧嘩し合う一瞬も、
全部ひっくるめて人が過ごしてゆく時間なのだ。
*余談ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
冬物語はちょっとした嫉妬と誤解から始まる不運(悲劇?!)と、
16年という月日を経て、人が変化し成長し、不運が幸福へ(喜劇/ロマンス劇)変わってゆく許しと和解の物語だ。
ミッドナイトの舞台ペロポニスには、エピダウロス古代劇場がありこのセリフの劇場はそれのことを言ってるはず。
そこで実際に2008年、イーサンは冬物語の公演を行っている。役は道化。
エピダウロス古代劇場の紀元前4世紀建設と言われているので、2400年前と3秒の対比!
きっとここを書いたのはイーサンかなーと思っている。ロマンチック♪
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ビフォア・ミッドナイトは、
ジェシー/セリーヌの二人の行く末、現状だけを描く世界から、
もっと長く、人間が生き続けてゆくことを描くまでに至ったシーリズ三作目。
本当にステキな作品だ。
大好きな作品だ。
日本の宣伝文句には「シリーズ最終章」とか書いてあったが、
三人はそんなことは言ってない。
「今は次のことなんて考えられない」とは言ってるが、
たぶんいつか時が来たら、やりたくなってくれると思う。
イーサンへ渡した手紙に
「9年後なんてプレッシャーじゃなくて、
リックの他の作品で、二人が誰かの後ろを歩いているだけで出てくれても、
ファンは嬉しいと思う(もちろんジャック・ブラックの後ろを!)」って書いた。
本心だ。いつか実現しないかな。
だって、このエンディングから更に時間は流れているのだもの。
"今"二人はどこに居て、何をしてるか、気になって仕方ない。
やっぱ結局離ればなれになったのか、
別れようと傾いてたとこに、また子供が産まれているかもしれないし。
どっちかが病気をしているかもしれないし。
ファンにとって、
どこかでジェシーとセリーヌは生きている。
そう思わせてくれるのはこのシリーズの醍醐味。
やっぱり書きたいことの何も書けてない気がする(笑)
長く書いてみて、こんなことを感じるのは40代後半のわたしだからなのだろう。
ちょっとの嘘や間違えも「絶対許してなるものかっ!」って、
すべての人が他人を見張って「ありえませんっっ!」って言い切るような
今の時代に息苦しさを感じてるからだろう。
きっとそれぞれの今を重ねて見方や感じ方も違う、
奥深い味わいのある作品になってます。
あーーもうまた観たくなってる。
声だけミッドナイトも聞きたい。
どうそ機会を作って劇場で。
今まで読んだたくさんのネタばれレビューの中でも、ほんとに深いです。さすが!!
ところで、ギンレイは5月9日(金)までですよー。私、そうじゃないと行けそうにない。
ありがとうございます!
久々にゆっくりされました!?
翌日の仕事場が地元より、自分の家が近かったので直帰(笑) でもゴールデンウィークに帰ってゆっくりしましたよ。 ってHALさんは誰なのか、、ごめんなさいっっっ! はる、ハル、、、と考えつつ。ヒントくださいっ!