かるい散歩

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はやしだみきのブログ

マグニフィセント・セブン

2017年02月20日 21時21分35秒 | イーサン・ホーク
なんて贅沢な映画!
ビックスクリーンでイーサンを観ることはあまりないので、
それだけでもごちそうなのに。

9月午前十時の映画祭『いまを生きる』
『シーモアさんと、大人のための人生入門』
『ブルーに生まれついて』
『マギーズ・プラン』
『マグニフィセント・セブン』

全5本のイーサン祭。
この中での一番の予算付き、豪華なキャスト、
デンゼル&フークアとの再タッグ。
イーサン初めての西部劇。
*見直して追記『In a Valley of Violence』のほうが撮影が先だった気がしてきたけど、まいっか。
4月DVDだそうです。劇場なしかぁ。

期待度をイーサンだけでなく、作品そのものでゴォーーーっと超えていった。

人種の混在、人種同士の対立、正義と悪、善と悪、資本と生活、、、。
知れば知るほど超娯楽大作に監督&キャスト&スタッフがひっそりまぶした、
いまこの作品をやるのなら!という魂。

そのほのめかし方は、わびさび、の日本風。
武士は余計なことは言わず斬る。
そんな言葉があるかどうか知らないが、
余計なことは言わず、お客を楽しませた作品。
融和や罪や欲や闘うことの意味は?と、
掘り下げればキリがないのだけど。。

感じるところはいろいろあるが、
ここはグッドナイト・ロビショーという声にするだけで美しい周辺のことを。
観てない人には意味不明の、ネタバレです。



グッドナイトの最後の言葉は
『I got it!』 i get it には聞こえないんだけど、もしかしたらそうかも。
塔の上でファラデーがガトリングガンに向けて駆けてゆく中、
追っ手の最後の1人を撃ち抜いた後の叫びだ。


そう、グッドナイトのこの作品での旅はこの『I got it!』までの旅。
やったぜ。

それはチザムにでもなく、ビリーにでもなく、誰かにじゃなく、
自分が自信を力を取り戻した宣言みたいなもの。
そして数秒後、彼はガトリングガンで打ち抜かれる。
スタボロの無様な姿で、塔から落ちる。
フクロウが怖くて、
また人を殺してしまう自分が怖くて、
今までに殺した人がいることを恐れて、
不眠であるだろうし、丸まってしか眠れなかった男が、
大の字で天を向いて死んだのだ。

泣く。もう泣く。
よかった、、よくやったよ、そうか満足出来たんだね。
思い通りに引き金を引けたんだね。
と更に泣く。

グッドナイトの登場シーン。
最初のカットで目はうつろ、酒を飲み、タバコのように見える阿片を片手に、
荒野を見つめるうつろな目。

共に旅する愛しているであろう、
どうしても自分が生きる為には必要なビリーが、
今まさに賭け決闘で傷つくかもしれないのにどこ吹く風。
(ビリーの腕に絶対的な信頼があったにせよ)
あの目&倍払えよ。〜 I got it への旅。

ride faraday ride〜〜〜〜!
「いってらっしゃーーーい!」と駅で旅立つ友達を見送る祝いの声のトーンで、
ガトリングガンを潰しに駆ける仲間のファラデーに託したグッドナイトの心。高揚感。

ここの違いは大きい。
向けてる先が、届く先が違う声。

私はイーサンの声のトーンには敏感なので、
英語は間違ってたとしても声は間違えない自信がある。

よくぞフークアこの声を残してくれたと思う。
台本上にあったのか、
本番中のイーサン発信なのか分からないけど、
これは間違えなく監督が作品の中で残した声だ。

闘いに戻ってきてからの一連の声。
あーこれはもう個人的趣味嗜好ですけど、
叫び散らかすグッドナイトがたまりません。
刻々と変化するトーン、ビリーにかける声。

ヘイ、ビリーと銃を投げ渡し〜
レッツゴー、ビリーと、塔に登ってゆく〜もちろん塔の二人!

ぜーんぶ違う(まあ感情が違うので当然なんだけど)声なのね。
刻々と変化してゆく、
刻々とあの闘いの中で、生きる力をとり戻してるのね。
たまんねーぜ!ちくしょう。

ここだけ聞ける。
延々聞ける。

イーサンの声が大好きで、
その声の微妙なトーンの違いと彩りの多さ、
感情が声にのっかてる感じが大好き。


瞳は見えなくてもいいの。
そんなのはビリーとのとこだけ観られば、
二人のとこはよく分かる。

だけど、おそらくだけど、、、、、。台本分析としては。。

ビリーがグッドナイトに求めていたものは愛だったと思う。
それによって自分の力を感じることが出来た。

だけどグッドナイトがビリーに求めていたのは力だと思う。
それによって自分の愛を感じることが出来た。人間性とも言うか。

すれ違ってんの!潜在意識が。
だから監督も言うように、お互いがお互いを必要としてる存在なの。
だからビリーは最後に「goody」って言って、
そのグッディは「I got it!」って言って、
やり遂げたことを愛と力で言葉にするの。 だと思う。

ビリーはグッドナイトを守ること(あぁ、愛するでいですよ!)で自分の力を感じてた。
史実も考慮すれば、中国人のようだけど(韓国人としてクレジットされてたらいいな)
鉄道がらみでアメリカへ渡り人種差別や低賃金で働かされ、
暗殺者になっていった過程で、
ビリーはずっと"個"が必要とされてなかったはずだ。
だけど酒場で素手で全員をぶちのめしたヤツを(おそらくグッドナイトが追っていたヤツが)
どういう訳かグッドナイトが個を認めたんだと思う。
暗殺者に個は必要ない。表の顔とかそんなものは必要ない。

もしかしたら"素手で" "銃を使わないこと"で戦った者に対する、
グッドナイトが個を賞賛する一言があったかもしれない。

もしかしたら自分が追っていたお尋ねものを、
撃たなくて良かったのはビリーが初めてだったのかもしれない。
(撃つ前に、みんなを叩きのめしちゃったから)
だとすれば、グッドナイトが狙ったのに"命を救えた"初めての人間かもしれない。

もしかしたらただ強いヤツならいくらでもいるが、
英雄としての自分の過去を知らない
言葉もそこそこしかしゃべれない(たぶん)から自分の事を"詮索しない強い人間"は、
ビリーが初めてだったかもしれない。
*最初の登場シーンの「あながグッドナイトですかー?」な対応などから、
英雄でいなければいけなかった立場は、過去に遡れば遡ったほど強い。
戦争が終わり、例えば殺人をした悪党(暗殺者のビリーとか)を追う自分は、
同じ殺しをしたにもかかわらず英雄と呼ばれてしまう。

もしかすると強くて孤独な人間なら何かあっても気にすることなく、捨てられると
最初はグッドナイトは思って一緒に居ることを選んだのかもしれない。

それはグッドナイトには救いだっただろうし、気休めか安心か楽か分からないが、
グッドナイトがビリーの力を求めた(認めた)瞬間があったんだと思う。
↑なにかこっちが先にあって、
それがビリーにとっては生きる為に都合が良かった上、
この人と一緒に居ることで個を見出せたんじゃないかなぁ。
必要とされること。
自分を必要としてくれる人を手放したくない気持ちは孤独な人間にとっては愛だ。
出来ることは自分を捧げるしかない。←これ他のセブン達も基本的には同じ。
生死が身近にあり、力まかせな暴力も横行する混乱した時代に
一番近くの人を疑ったら生きられない。

私はビリーと出会ったころは、
グッドナイトは撃てたと思っている。
それによって日々うなされたとしても撃てた。
殺さずとも、保安官に引き渡す時に傷を追わせればいいわけで、
チザムが最初の酒場で客を殺さずに撃った技術は、むしろグッディにとっては朝飯前。
生きる為のお金も「俺、グッドナイトだけど」で人は倍額ほいほい払ったかもしれない。

*このことを考えてる時に「グッドナイト」ってサインとかしてたら笑うな。。といつも思うんだけど、
たぶん英雄が目の前!ってそーゆうことだよね。
エマに挨拶する時みたいに「アンシャンテ〜」なんて言って村を去ってゆくわけ。
きゃー英雄ってやっぱ違う!今の何語?エロいし、コート長いし、スカーフしてるし、
えーーーやっぱグッドナイトってすごーい。 みたいなことは軽くあったんじゃないかと。
実際には誰も近寄ってくれなかった可能性のほうが多いのかな。
だからエマの時みたいな紳士的な挨拶を覚えたんだろうか。。
チザムにいいとこ見せたかっただけなのか。。いかん、ここで横道に逸れちゃダメわたし。

じゃあ、いつ撃てなくなったのかは正直分からないのだけど、
阿片をビリーがいつからか渡し始め、
それをグッディも要求するようになっていけば、
当然撃つ精度も低くなるんじゃないかと思う。
どこかで失敗したんじゃないかな。

「敵を逃す」ことをグッドナイトはどこかでして、そんなことが何回かあり、
それにより自信も自己を支えるものもすり切れてゆき、
そばに居たビリーがああして賭け決闘という自分の武器をつかっていくうちに、
(東洋人!ははっ!ありえねー!と男達はやるき満々になっちゃうわけ)
撃つ機会が無くなっていったのかなと。それで稼いでいけたのかなと。

もしあの賭け決闘をグッドナイトがやる、、、?!と考えても、
英雄はそんな簡単に撃たないし〜〜
俺やるんなら1000倍ドンっ!じゃないとやらないし〜〜
そんな軽口みたいなことで回避出来たはずだ。
だいいち誰も”グッドナイト”とやろうとしないし。

なのでビリーがグッドナイトが撃つ姿をいつから見てないか?は確証も持てないけど、
肝心なやらなくちゃいけないのに撃てないグッドナイトを知ったのは、
ローズクリーク最初の決戦、イィィーーーヒィィーーの時だと思う。


「弾詰まりだ」って言うけど、

あれ弾が入ってなかった? 
入ってたのに撃てないのと、弾を入れてないのは違うのですが、
どっちなのか画で銃に詳しくないので分からないんだけど。


弾入れてないなら、撃たれる気でしょ。
そこで死ぬ気でしょ。勝手に。
チザムとの約束も果たさず、ビリーのことも考えず、自分勝手にいっちょあがりする気でしょ。
戦ってるという大義のある場所で、自分だけさっさと逃れる気でしょ。

それが決戦前夜のチザムとの会話
「俺は卑怯ものだ」に繫がるんだと思ってて。←過去のことも含めてでも繫がるのだけど。
分かる方いたら教えて欲しい。

そうなら、
その時のビリーの衝撃を思うと切ないね、グッドナイトは哀れだね。
ますますふたりは共依存。


弾は入れてて、撃てなかったのなら、
あわよくば大義の闘いの場で死ぬ望みが叶ったかもしれないし、
ファラデーが助けてくれたから生き残ったけど
それはそれで自己嫌悪。自信損失。俺生きる価値なし。ああフクロウがぁ〜のループ。
どっちでも繫がるんだけど。
たぶんこっちで、いくらなんでも弾入れないって不親切は監督もしないとは思うんだけど。
画の意味が明確に分からないので弾入れないもアリかのかと。
ファラデーにバレないようにビリー驚いてるのは、
素直に「あ、撃てなかった」でいいんですよね?
撃つ気が気がなかったのにビックリ? 分かる方いたら教えてください。

あそこで腕か、手首?から血を流してるのはなんでなんだろう。。
撃とうとして力込めると、手に傷か?
それともブラックストーン組の弾がかすったか?!それは、ない。古傷なのか。。
あの闘いの中で心の傷をうけて血を流してるって、画としての表現なのか。これもない。
何も出来なかったのに生き延びてしまった傷。うぅ。

いずれにしても、
最初の決戦で、グッドナイトは自分がここで終わるかもしれないことは頭にあったような気がします。
来たことでチザムへの義理は果たせし。

村人たちとの銃撃訓練では「腹の底から憎め!」と軍人だったころの凶暴性をチラリ。
きっとずっとああ言われて言って、
南北戦争のスナイパーとして実績を重ねて英雄と言われるようになっていたのだろろう。
ファラデーに言われて、どうにか当たったのは生身じゃないただの的だから。
血が流れる訳じゃない。だから撃てた。
撃てば首を銃で折れるのに、自分はもう出来ないだろうと知ってるグッドナイト。


戻ってきたのは考えに考え抜いた末でもなく、
ビリーが居るからとか、チザムが居るとか、村人がとか、表面的な理由はそれで付けられても、
潜在意識では、闘いが彼の場所であり、そこでしか力は得られないキャラクターなのだと思う。
発作的にそうしてしまったようなことでもアリ。
なぜなら「この闘いを逃したら、力を取り戻せない。あの場所なら力を取り戻せる」
しかも仲間や愛情のある大切な人も居る。


で!!!!!
グッドナイトが最後にね。最後に。
ヒーイィィーーーしか言えなかった男が、
叫び散らしてるんですよ、最後。

みんなに対して、知らせとして叫び、助けるために叫び、闘いを続けるために叫び、
ビリーとの繋がりを確かめるように叫び、
自分が居るはずの塔を守っていた少年の父の先生を(訓練に時に馬鹿にした先生を!)
追い出すために叫び&伝え、
ビリーとの最後の二人だけのひとときは”語り”
雄叫びをあげ、
仲間(ファラデー)の道を華やかに祝うように叫び、
自分の力で達成した証明に叫び。




泣く。
はーたまらない。
こんなイーサン・ホークが観られるなんてたまらない。

チザムに決戦前夜グッドナイトが逃げ出す時に言われた
「真の男ってのはどういう死に方を選ぶかだよ」
(every man chose right way to die. ←みたいなとこ。)

うん、死に方は生き方だもん。
I got it!  生きたんだね。

よかったよ、もうね、映画観てる時に、
堂々とした大の字のロビショーに全力で言うの、
グッドナイト。

そんな気持ち。

あ、少年の父の先生は最初の教会で
「この街を離れるしかない」って言ってたんだよ!!!
その後、仕方ないかもしれないけど、
息子がボーグに呼ばれても何も出来なかったんだよ。それが塔!
この先生も最初と最後が対なんだよねえ。痺れる。

PTSDについては、
アンドリュー・ニコル監督「グッドキル」邦題ドローン・オブ・ウォーで役として扱ったし、
イーサン監督のドキュメンタリー『シーモアさんと、大人のための人生入門』で
自分自身の舞台恐怖症を語ってるし、
『ブルーに生まれついて』チェット・ベイカーの物語は、ドラッグの依存を扱ったし、
多くの映画もそうではあるけど、人間の痛み、誰にでもある痛みをどうするのか?

そんな題材を好んでこの撮影時期2014〜2015は選んでたんじゃないかなとも思います。


マグ7ファンのみなさんの深く温かい考察や知りたいという熱意のこもったツイ−トもたくさんあって、
自分でも南北戦争やロビショー家の家系とか調べもしたけど、1人では絶対に追いつかなかった。感謝。
いいねばかり押しながら呼んでない伏せ字もたくさんあるので、
公開が終わったら読みたいと思う。


もっと前に書こうと思ってたたけど、観る時間作るほう優先しちゃった。
マギーズ・プランのこともあるのにぃ。
でももう終わるかもしれないから。。マグニフィセント・セブン。


グッドナイトに偏ってるんだけど、他の皆も素晴らしいパワーでこの作品に
敬意と情熱を注いでるのが伝わって、凄い。
普通、誰か一人くらい「あんた、、、それアリ?」って芝居だったり、
物語に馴染まないキャストっていたりするんだけど、
ないんだよなぁ、この作品。 
イーサン脳じゃなく、平等な脳で考えても
素晴らしい娯楽西部劇作品になってると思います。大好き。

同時期にスコセッシ監督の『沈黙』も見たが、
マグ7熱の最中に見てしまったけど、
描こうとしてるものの根底は、種のようなものは大きくズレはないと思う。

ただ、スコセッシは自分発信で沈黙の映画化を望み、自分のメッセージはストレートにぶつけた。
一方フークア監督は雇われた商業監督としてリメイクというくくりの中に、自分のメッセージは隠した。
そんな風に思えた。育った植物の種類が違いまーす。って。

沈黙は語り過ぎ。(私にとっては)
マグ7は寸止めで基本語らない。

揺れはするが白黒を己が選べの沈黙。
グレーが基本、白も黒もグレーも己が選べのマグ7。

「1人の内なる問い」の沈黙に対して、
「貸し借りの問い」がマグ7。つまり自分以外の人間との関わりの問いだ。

チザムーファラデーの馬を買ってやった。その借りは無しって
二人での最後のシーンに象徴されるように。

チザムの肉親を殺された借りはどう返すのか?

ジャックが奥さんもいて、インディアンを300人殺してて、
その借りはどこで何で払うのか?

などなど
What we lost in the fire, we will find in the ashes.
炎の中で失ったものは、灰の中でみつける。

グッドナイトとチザムの再会の時には、グッディが言う、
決戦前夜のグッディ逃亡を引き止めるためいチザムが言うやつ。

炎の部分をフークアが隠しちゃったものだから、ますます愛おしい(笑)

あ、ファラデーについてはの炎は家族だと思ってます。
兄弟の弟を殺す、女性(母性)に関わろうとする。
父親はいないとエマに言う。最後に子供を助けに行く。
↑そんな本篇で描かれてるシーンがあることから
捨てられた子供が1人でストリートチルドレンのように生きてきたのか、
現代風に言えば、両親に虐待を受けてたか、父が母を痛めつけていて、
それを自分のせいだと思ってる子供時代があり、
もしくは母親助けられなかった自分がいて、
何にしろ、家族のついての傷があり、1人で生きていた。
ギャンブラーになった過程も分からないけど、いまは賭けには負けてお金もない。
この闘いに関わって何か感じながらいたのだけど、
最後の最後に「cover」はファラデーが両親、もしくは家族の誰かに言えなかったこと。
いままで一度も誰かに「cover」と言えなかったファラデーがそれを言えたのだと思います。
誰かにそうしてほしかったファラデーの旅なんだと思う。
あの見上げて少しはにかんで言う「cover」は深読みかもしれないがそれで私は信じられる。
その先に、ガトリングガンがある。
「cover」が言えて、ファラデーは安堵したか、勇気百倍になったか。
あのまっすぐ疾走する姿と最後の賭けに!(グッドナイトの声と共に)
ここは痺れる!名場面!


カットしてある削除シーンは、
(グッドナイト、バスケス、ファラデー、ジャックなど他もあるのかな? エマはありそうな気が)
入れてくれるにこしたことはないけど、
それじゃ七人の侍と同じ4時間になっちゃって、それは無理。
ならば全カットは潔い。
それでも2時間超えてるギリギリのところで、
削除シーンのようなスパイスだけを残して(キャストによって差があるのが残念なくらい)
最初はドーンと西部劇楽しんでください!その中でなにか感じて。
っと、覚悟の上でいま見ている作品になってるのだと思う。

7に関しては、
語られてるチザムの復讐というような個人的な潜在的な動機をみんなが持ってる。
エゴや自分勝手、自分がよりよく生きる(死ぬことは生きること、どう死ぬかの意味を含む)ための、
他の人、ましてやローズ・クリークの人達にはまったく関係ない欲求がある。
脚本にないとこは俳優達がどう掘っていって、自分の信じられるものにしたのか。
いつか話してくれないかなぁ〜オスカーに乗っかってたら話してたのかなぁ。

いったいどれだけ撮ってんだろうか。。。
決戦前夜の食事シーン〜チザム&牧師二人が話す時、
食事中のみんなの声が入ってるけど、何しゃべったんだろうなーとか、
食事シーン自体がもっと長い?!とか、
「はーーい、声だけ別撮りしまーす。みんななんな適当にしゃべって、2〜3分」って、
ああいうチームでもやるのかしら、、、と思ったり。

初回に見た時に、
最初の大自然にあのゴージャズな音楽が流れた時に、
あぁ、、この作品にイーサンが、、ってマジでスゥーーーっと涙が出ちゃいました。
良かった、観られて良かった。

次はグッドナイトとチザムのことでも。。。かなぁ。
でも分からないことが多過ぎで。
1867.10.14 リンカーンって何があったんだろうか。
ご存知の方いたら教えて欲しいわ〜。

ってまたグッドナイトのことを書くのだろうな。
思いの1/3も書いてない気がしてるw
イーサンのことはいつもそうだ。。

RT が多いフクロウとグッドナイトの名前はどっから来てるの?は張っておきます。
https://twitter.com/go2miki/status/829369153110695936
https://twitter.com/go2miki/status/829371292834947072
https://twitter.com/go2miki/status/829371383771574272
https://twitter.com/go2miki/status/829373045483581440


こうやって1つ1つ撮影してるのは同じなんだよなぁ。
銃を撃つところの多くはみんなひとり芝居のようだったんじゃないかと想像中。
素晴らしい俳優達の中に自分の好きな俳優がいる歓びってあるよねー。
ありがとうマグニフィセント・セブン
これに関わったすべての人にありがとう。
ファンにありがとう。

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