goo blog サービス終了のお知らせ 

かるい散歩

アテもなく・形式もなく・テーマもなくつらつらと・・
はやしだみきのブログ

『ブルーに生まれついて』

2016年12月13日 00時26分44秒 | イーサン・ホーク
この時期だけ。
いましか映画館で観られないと。

頭は脚本や演出や、、、と分析モードにもなってるけど、
そんなことはブルーレイでも発売になったらやれって話しで、
ただ、ただ楽しもうにも毎回ズットーンと心を打ち砕かれる、あの目。あの声。あの指先。

この撮影中にイーサンは誕生日を迎え、俳優生活30周年目だったのだ。

子役13才〜40代まで、このザ・主演を勝ち取るまでの道のり。
よく頑張った!よくぞ続けてくれた!としか言いようがない。

なのでレビューはそのうちやるとして。以下ネタバレは含みます。
*書き終わったら90%はイーサンのことだけになっっちゃった。

How do I look?

最初の台詞である。

どうって言われてもバードランドで入り待ちするファンのごとく
「キャー!」である。

そしてあの声。
そうか。。声も変えてやる気なんだ。でドキドキ。
ボイストレーニングでは、歌だけでなくしゃべる声も訓練もしたそうだ。

で、演奏シーン。 キャーーー!
最後までキャーキャー言ってろ。である。

カズンだ、チェーホフだ、ディックに「役者じゃないじゃん」と言い放ち、
(きっとイーサンがアイディアを出したんだな)
こちらをニマリとさせ。

唄ってあげるよ。ってさあ。
その2分後には包帯グルグル巻きで、あの目。
ジェーンじゃなくディックを見つめる目。どうしようもない目。

始まって10分した頃にはファンとしてはメロメロです。
はい、もう傑作、イーサンの代表作決定。

さてそこから先のドラマ。

クズをクズとだけ描いて何が面白い?
何度もインタビューでも言っていたが、
「googleで誰でもすぐに読めば分かることよりも、、」
「"終わりなき闇"を読んだチェットの友人は"あれは好きじゃない"と言ってた」
など、わざわざやるなら、映画にするならが監督はじめ製作陣のチャレンジだ。

っと、ここでゴールデングローブ賞のノミネート発表。
入らなかった、、、、うーん。
ララランド、シングストリート、メリル・ストリープ 音楽もの多過ぎか。
まあね!そーですか。残念。

話し戻って
そこで復活期。
ここを選んだことで自由度や共感、ドラマが成り立つ。


もしただのジャンキーなクズ野郎で、
ダラダラ薬まみれで苦しみ、周りに迷惑をかけ、自分も何もかもを破壊し、、、だったら、
イーサンじゃなくていい。

もともと歯が欠けているのにそれでも人気者になった才能あるトランぺッターが、
ドラッグがらみのトラブルで(自業自得だけど)ー100くらいの痛手を追ったところからのスタート。
伝記&恋愛映画という姿を借りたドラマだと思う。
ダメ男がダメじゃない時期を描くのだ。
実際に復活はしてる訳で、そのパワーは映画の嘘でもない。

病院のベッドで手を握っているのはチェット。ジェーンじゃない。
モテる男はこういう時に口が聞けないほど痛めつけられていても外さない。

バスタブで「ダメだ!」って言われてるのに吹かずにいられず、
マイルスに「修行してこい」と言われた記憶〜あの目。
からの、、、やっぱドラッグ。で、あの目。

イーサンの瞳の威力炸裂。
私はイーサンが誰かの話しを聞いている時の目も大好きなので、
病院〜ドラッグまでだけでもトロトロになるほどの快楽。
「ねえ、イーサンがドラックなの」というファン心理である。

そしてクズなダメ野郎から人間としてのドラマ。

オクラホマの実家。

お母さんが向かえる笑顔とあの声、お父さんと微妙な距離。
1回目に観た時(昨年東京国際映画祭)は、
あまりにイーサンにメロメロになりぼやんと見てしまったが、
2回目〜今年数回観るほどにこのシーンの威力を思い知る。

もし余裕があるなら、
チェットとジェーンが愛し合うベッドの枕の"柄"をみてほしい。
幼稚園児の巾着袋のような"宇宙"なの。色付きの。
はっきり見えないんだけどシーツは白地に黒の"宇宙"なの。
二人が愛し合う姿の奥にかかった額には"飛行機"

あの荒涼としたド田舎でトランペットとラジオだけを手にしていたチェットは、
あの場から飛び立つことを無限の宇宙を抱いていたわけだ。
おそらく、、、あれはお母さんの手づくりだと美術さんは想定したんじゃないかな。
愛されてたのだ。

外でトランペットの練習をする時にお父さんが廃材に火をつける。
その時に手に持っているのは木馬だ。絶対手作りだ。
手書きのペンキ見つけちゃったし。
おそらく、、、あれは何才かの時の誕生日プレゼント、、、と美術さんは想定してると思う。
愛されていた時期があったのだ。

それを燃やす父。
家に帰った時すぐに「給油所に求人があるぞ」と言う。
おそらく、、、事件/事故を起こした息子の帰宅に合わせ"見つけて"いたんだ。
今も愛されているのだ。
「引退したらどうだ」とも。
プレイヤー/チェット・ベイカーではなく、ただ息子でいてくれれば良かったのだ。

別れの時
お母さんは手作りのサンドウィッチかなにか道中で息子とその彼女が食べるお弁当を紙袋を二つ渡す。
息子は息子として父にレコードを渡す。のだが、チェット・ベイカーになって離れていく。

あぁ、、、あぁ、、公開後は何度見てもここで泣く。
美術さんブラボー!2秒も写ってないものたちばがりだけどどれもがチェットを物語を描いてる。
映画は総合芸術の底力。

イーサンの映画でこのお母さんみたいな役でシーンで共演出来たら死んでもいいと本気で思うだろうな、、
と、いま感じている。

もちろん間に挟まれる
美しく切れるような寒さを感じる風景にたたずむチェットの姿に魅了されながら。

(お母さんのお弁当/これをポンっとトランクに入れるのは、、どうかなぁ、、とは思ってるが。あざとくなりすぎるのを避ける演出ならアリか。雑に置かれてるんだよなぁ。)

二人の愛のシーンには、、、、この前段があるからよけいにね、
美しいシーンです、、急がずに、、、以下は省く(笑)

あ、分析はいいのだ。
けど、後半へ向かって母と父と故郷を断ち切ってしまったチェットには、
もうジェーンとトランペットしか残されていない。
恥だと二度と言われない為にも。
ディックも居るんだけどね。

そのディックの家への道のり。
あの山を?海辺から?何時間かけて登って下ったの?
サラリと描かれるだけだけど復活をかけたパワーである。

ディックの家から植木鉢を持ち去るのはどうやらイーサンのアイディアのようで。
最初から絶対そうだと思ってた。

「ジャンキーはなんでも自分の都合の良いように考える」から、っていうような事を言っていた。
ジェーンは妊娠もしてないし。

脚本作りの段階から参加したイーサンらしい、
人間を多面的に捉えた(伝えるための)、好きなシーンです。


だ、、ダメだ。。。これじゃ終わらない。


●メキシカンハットのイーサン。ディックじゃなくともあの姿を観られてファンサービスのよう。
あ、給油所のつなぎも。
●ジェーンの父母へ会いに行く前、髪を整えてもらい見上げるシーンの顔。『大いなる遺産』か20代後半のイーサンの顔。
●下がり眉ですこしまぶしそうにシェーンの父に「f○ck you」と言い放つ時も20代の頃のイーサンを思い出す顔。『今を生きる』の時に確かあんな顔をしてた時がある。リアリティ・バイツのラストシーンでもあんな顔をした。
●モノクロシーンで俯き加減の時『ガタカ』っぽい横顔がある。
●キスの仕方がリアリティ・バイツの頃と変わらない。

あのですね、もうこの映画1本の中に、
今までのイーサンを思い起こさせる顔、瞳、表情がてんこ盛りなんですよ。
チャーミングでセクシーで甘くも無邪気さもあって。
ファンとしては30周年写真集を、チェットとしての今のイーサンに芝居で見せられた感じ。
また映像がきれいなもので、ジャズの光と陰が美しくあやしくねイーサンを照らす。

ここまででイーサンファンとしてほぼ感無量なのだ。
物語としてチェットを見守ってもいるのだ。
チェット本人はもっとヤなヤツ、他人を巻き込むヤツだとしても映画の中では応援出来る。

ここから先は進化するイーサンだ。

4年ほど前のTVインタビューで
「僕は役ごとにまったく違う人になるフィルのようにはなれない。
 昔は誰でもみんなどんな役(人)にでも変われるんだ、そう出来るんだと思ってたけど、
 自分はそうじゃなかった。だからいろんなジャンル映画に出るんだ。
 その映画ごとに自分自身をおくんだ。(put in myselfと言ってる)」

と言っててビックリしたことがある。
フィルとはフィリップ・シーモア・ホフマン。
NYの昔からの演劇仲間で先に売れたイーサンがオーディションに行くと、
その相手役はフィルで「それはもう恐怖だった」とも言っている。
セント・オブ・ウーマンのオーディションでアルパチーノの代役がフィル。
イーサンが受けて落ちた側ですね。
互いに認め合った仲間なのだ。

イーサンでもそう思うのかーと。
だからジャンル映画に、、、ってそうやって生き延びてやりがいを見つけてきたのかと。

born to be blue ブルーに生まれついて
この脚本をイーサンが手にしたのはフィルが薬物中毒で無くなった数ヶ月後。
おそらく2ヶ月かそんなものだろう。

インタビューでドラッグと芸術の話しになると、
「僕の二人のヒーローであるリバー・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンは薬物で亡くなってる。この映画の間二人のことはすごく考えた」とかならず言っている。

人間には痛みがある。
薬物は痛みを緩和する。
薬物はいけない。それはそうなんだがその痛みをどうするのか。
一方 ディジー・ガレスピーは家族も居てクリーンな中で素晴らしい芸術家だった。
僕は薬物が芸術を良くするとは思わない。

ザックリそんな話しをあちこちでしている。

イーサンは薬物を使わなくても、薬物でしか癒せなかった人達の痛みを自分はやってみせる。

と、心のどこかに留めていたように思う。

フィリップ・シーモア・ホフマンも
10年以上薬物に頼らない生活があったようで、
「フィルは戦っていた。本当に戦っていた」
と確か亡くなった後に言っていた。

「僕は他の人にはなれない」と言ってたイーサンが、
実在の人物を演じる挑戦へのエネルギーのひとつに、
リバーやフィルのことがきっとある。

そしてリンクレーターと20代後半に企画したチェットの映画。
ブラッド・ピットでチェット・ベイカーを映画化する企画があって、
そこからブラッド・ピットが降りたという話しが伝わってきて、
リックに「チェット・ベイカーどう思う?」という話しから、
二人は脚本も書き、資金集めもしたけど実現出来なかった過去がある。

24,5才のチェットがドラッグをやる前日の1日を映画にしようとしていたらしい。

脚本を読んだ時「あの映画の続編のような気がした」と。
今回と同じドラッグ真っ最中のチェットではなく。

この二つを心の奥に原動力にイーサンがしたのは間違えないと思う。

いろんなシーンごとにちょっとだけ今までと違う感じのイーサンが、
チェットとして共演の俳優さん、音楽映像と全部で物語を積み上げる。

そして、、最後の楽屋だ。

ここでのイーサンは今まで見た事のないような表情や、
見ているこちらの心の痛みをジリジリえぐるような、かきむしられるような痛みをみせる。
いや、なんていうか痛みを共有させざるえなくさせる?
痛みを振動させるっていうか。

あの泣き顔は今までの映画で見たことはない。
確かにあそこにはチェットとしての痛みがある。
すがる顔は見たことはあるけど、あの楽屋ですがる目は今まで作品で観た覚えはない。

I want my life back.
It gives me confidence.

愛じゃないんだ。
自分の人生を取り戻す。
自分が音の中に入っていき、
それをお母さんでもお父さんでもなくジェーンでもなく、
マイルスやディジーのいるお客さんの前で演奏することでしか得られない人なのだ。

隠してもっていたバルブ・リングも手元にはない。ジェーンもいない。
ディックは自分で選べと言う。

希望や愛情や成功や名声を目の前にして、
それでも不安や恐怖を抱えて痛みをコントロールは出来ずに"あの"決断をする。

チェットとして生きるイーサン・ホークという役者の強烈な今を見せつけられた。
もうもうもう。
チェットの魂を掴んで離さずあの映像の中においただけ。
役者魂とかではなく。
クズでダメで哀愁があって人気者で努力をした時期の音楽家の魂をそっと置いた感じ。

さらに最後の最後。

唄。

あまくやさしく恋を唄い、
どこまでも痛みを映すその目で愛も寛容も同情も拒絶し、
痺れるような深さのブルーに染まって、、、。

born to be blue.


イーサンはこちらの想像をはるか超えて、
最後にキャーキャー言わせてくれなかった。

「はぁ、、、うぅ、、」とも声にはならず、
心の中でひっそりと吐息だけを噛み締めるような
ドカンとするのに、静かで強烈なやりきれなさを
born to be blue組の中の主演としてストンと置いていった。

誰かにはなれないと言ってたイーサンが、
巡り巡った奇跡のような企画で俳優生活30年目の歳に、
この映画を撮影してたことが、あんな魂を私たち観客の前に晒してくれたことに震えます。

もうほっっんと最高!


ジャズファンやチェットファンが怒ったらどうしよう、、って
私が考えなくていいんだけど(笑)、、、おおむね?!受け入れてもらってるみたいで嬉しい。
音楽家としての大半がもっと危険人物だったとしても、こういう側面もあったってことで。

唄については
「ある記者が"チェットの唄は誰かの思い出を唄っているようだった"と言ってて、
 それなら自分にも出来ると思った」と言っている。

東京国際映画祭の監督Q&Aでも
「真似じゃなくていい。魂を」と監督とイーサンの思いは一致していたと言う。
最初から似せるだけの作品を作る気はなかったんですね。

ビックリエピソードとしては、
唄を録音した翌日スタジオに行ってみると
どーゆーわけかなんでそうなったのか録音したものが全部消えていて
再録したという作業もあったって。


ダメ男が確かにイーサンには似合う。出来るんだ。
それは弱い部分に共感してるイーサンがいるからだと思う。
そいう描き方が伝え方が好きなんだろう。
"弱い部分はユニークでしょ"というような話しをしてるインタビューもあるんだけど、
いまいち英語力が追いつかずよく分からないんだけど。。

「live in tokyoが最高だ。
そこにチェットはいないように、だけどただただ存在してる。
チェットの唄は当時は止めたほうがいいとか、
受け入れられなかった時もあるけど、
でも今でもチェットのCDは売れている。
そこが面白いよね。」

「トランペットは、コーチにチェットみたいに吹くには8年か10年か。
 それだけやってもチェットのように吹けるかは分からないって言われちゃって」と。

「それでも8曲くらい練習してるんだけど、カルメン・イジョゴはメイクルームも隣りで、
 僕がずっと練習して、ホテルの部屋も隣りでずっと練習してたから、、、(苦笑い)、、えへへ」だって。

kevin turcotteというカナダ人の演奏家の方が"吹き分け"てるそうです。
インタビューでも吹いてないって言ってるし隠してもいないのに、
日本の記事はいくつか吹いてることになってて、ん?なぜ?と思ってます。


『シーモアさんと、大人のための人生入門』渋谷は1/6まで 急げ!
イーサン監督のドキュメンタリーはこの映画の前に撮り終えてて、
それもすごくこの映画をやる上では助けになったそうです。

演奏する恐怖、練習を重ねること、心の問題、、、。
答えは自分の中にある。

6才のボク〜を撮り終えて、
ビフォア・ミッドナイトが公開になりオスカー脚色賞にノミネートされ、
シーモアさんを撮り終えて、
舞台ではマクベスが終わって、2014年。
長い年月をかけて関わってきたことが全部一段落した年に、
イーサンはこの役を手にした。

つくづくどこからか、誰かかから与えられてる人なんだなぁと思う。
もちろんイーサン自身がつかみ取ってきてるから。

チェット・ベイカーをイーサン・ホークがやるとこうなる!

他のことはまたそのうちに。
まだまだ上映中!拡大でこれからのところもありますね。

東京はあと1週間半やってくれるか、、、の瀬戸際か。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿