直木賞作家五木寛之の『風に吹かれて』の書き出し。大衆作家、流行作家だけに読みやすい。しかしこういう文体は私には物足りない。
赤線の街のニンフたち
ある作家から、
「きみはセンチュウ派か、センゴ派か」
と、きかれた。
ピンときたので、
「センチュウ派です」
と、答えた。
その作家は目尻にしわをよせてかすかに笑うと、それは良かった、と言った。
良かった、と言うべきではないかも知れない。だが、私には、その作家の言葉にならない部分のニュアンスが、良くわかった。
おくればせながらも、センチュウ派の末尾に位置し得たのは、良かったと思う。だが、良かったから元へもどせ、などとは言いたくない。滅んだものは、もうそれでおしまいだ。どんなに呼んでみたところで、ふたたび返ってきはしない。
後はただ白浪ばかりなり――。何の文句だったろうか。終ったお祭り。紀元節。失われた祝祭を復活させようとするのは、空しいことだ。私は、そう思う。
良かった、というのは、過去の記憶を飾るささやかなリボンにすぎない。センゼン派は皆、それぞれのリボンを頭に結んでいる。私のそれは、短くて貧弱だ。だが、風が吹くたびに、そいつが揺れるのを私は感じる。そのことを少し書こう。いわゆる赤線廃止のまえに、その巷に一瞬の光陰を過した〈戦中派〉の感傷である。
そのころ私は、池袋の近くに住んでいた。立教大学の前を通りすぎて、もっと先だ。
十畳ほどの二階の部屋に、十人ほどのアルバイト学生が住み込んでいた。私もその一人だった。
呆れるほど金のない連中ばかりで、何だかいつも腹をすかしていたように思う。
仕事は専門紙の配達である。業界紙とは言わずに、専門紙と言っていた。世の中に、これほど様々な新聞がある事を、私はその職場ではじめて知った。有名なものもあり、そうでないのもあった。