喜多圭介のブログ

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鋭角的表現(10)

2007-02-09 12:51:26 | 表現・描写・形象
英国から帰国してから四十代前半までに創作した作品群はわりと評価が高かったが、どの作品も創作中は気分が重たく苦しかった。余暇は温泉旅行、山登りでもして過ごしたいと思うものの創作から離れることはなかった。

将来作家になろうという気もあるようでないようであった。同人誌に掲載はするものの四十代を過ぎるまで一度も文藝各社の新人賞に原稿を送ったことがなかった。とにかく一作、一作胸にあるものを小説化しておきたいという思いに駆られていただけだ。

二人の娘を育て上げるという親としての任務もあった。男子であれば中学卒であろうと高校卒であろうと職業はなんでもいい、男としての器量で生きていけばいいと思うのであるが、父親バカというのか女子には大学まで進学させてやりたい、と世渡り下手な私としては、こちらにも気持ちを集中しなければならなかった。早く亡くなった父のご加護か長女は音楽大学、次女は外国語大学へと進学させることができた。二人とも中学一年生の夏に姉は三十日間かけての英国、フランス、スイス、イタリア研修旅行、妹は米国カルフォルニア、パサデナの医師宅に三十日間ホームスティさせた。二人とも自ら贅沢する娘たちではなかったが、女子教育には金をかけた。

男に頼らない女として生涯を生きて貰いたいという私の願いが籠められていたし、男として小学高学年から若い女性に惹かれることのない私だが、我が娘ともなると可愛いもので、ワイフに妬かれた。

二人とも都市部の女子高校の学寮に入れたので、四国遍路ではないが、高校進学先はそれぞれの娘と同行二人、学校のある現地に出掛けて周辺環境を調べたり、受験当日は私が付き添った。母親付き添いが大勢を占め身の置き処がなかったが、二人が嫁いでしまったいまとなれば懐かしい思い出だ。いつ死んでも人生悔い無しと思うのもこんなところから来ているのだろう。

こういうこともあり創作一本に集中はできなかったし、こんな鬱陶しいことは止めにしたいと何度も思うものの、私から創作をとったら何があるのかと考えると何もないことに気づくのだった。

書くことよりも読むほうがずっと愉しい。この時期に先に挙げた作家以外に三浦哲郎の『忍ぶ川』の美しさに感動した。私も一度はこのように美しい男女の姿を創作してみたいと思うようになった。

志乃をつれて、深川へいった。識りあって、まだまもないころのことである。

深川は、志乃が生まれた土地である。深川に生まれ、十二のとしまでそこで育った、いわば深川っ子を深川へ、去年の春、東北の片隅から東京へ出てきたばかりの私が、つれてゆくというのもおかしかったが、志乃は終戦の前年の夏、栃木へ疎開して、それきり、むかしの影もとどめぬまでに焼きはらわれたという深川の町を、いちども見ていなかったのにひきかえ、ぽっと出の私は、月に二、三度、多いときには日曜ごとに、深川をあるきまわるならわしで、私にとって深川は、毎日朝夕往復する学校までの道筋をのぞけば、東京じゅうでもっともなじみの街になっていた。

錦糸堀から深川を経て、東京駅へかよう電車が、洲崎の運河につきあたって直角に折れる曲り角、深川東陽公園前で電車をおりると、志乃は、あたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。七月の、晴れて、あつい日だった。照りつけるつよい陽にあぶられて、バラック建てのひくい屋並をつらねた街々は、白い埃と陽炎をあげてくすぶっていた。
「あぁあ、すっかり変っちゃって。まるで、知らない町へきたみたい。おぼえているのは、あの学校だけですわ。」

志乃は、こころぼそげにそういって、通りのむこうの、焼けただれたコンクリートの肌を陽にさらしている三階建ての建物を指さしてみせた。志乃はその学校に、五年、かよった。
「大丈夫だよ。あるいているうちに、だんだんわかるさ。あんたが生まれた土地だもの。」

現実に志乃のような女に巡り逢うことはないだろうし、このような美しい男女になることも難しいだろうが、フィクションという小説世界では創造できる。いつかこうした作品を創作してみたいと秘かに思うようになった。直木賞作家の作品なども読むようになった。立原正秋の男女の愛を描いた作品群を多読した。以下は男女の愛とは趣がことなるが、立原正秋の『冬の旅』の冒頭である。

別れ霜

護送車の金網ごしに見える外界の新緑が眩しかった。外の景色を眺められるのはほぼ一か月ぶりだな、と宇野行助は移り行く風景を新鮮な思いで受けとめた。新緑にまじって家々の庭に赤い躑躅の花も咲いていた。それらの樹木に、早い午前の陽の光が砕け散っていた。白い壁の家も見えた。壁の白さが目にしみた。四週間を鉄格子のなかで暮してきた行助に、それらの風景は彩りがありすぎ、感動的ですらあった。
「ちえッ、娑婆では花が咲いてらあ」

と誰かが言った。護送車のなかには七人の少年がのっていた。
「ほんとだ。あかい花と白い花が咲いているぜ。とにかく外には色があるなあ」

と行助のとなりにいる少年が応じた。この少年の言葉はいくぶん詠嘆的で、金網ごしの外界にたいする羨望がこめられていたが、ちえッ、と軽くさけんだ少年の態度には反抗の響きがあった。

行助は仲間のやりとりをききながら、なぜ俺は少年院送りになったのか、と自分の内面を視つめていた。彼は、他の少年達のように詠嘆的にも反抗的にもなれなかった。「練鑑できいた話だが、俺達がこれから入る多摩少年院は、少年院のなかの学習院だとよ」

ちえッ、とさけんだ少年が言った。
「学習院とはわらわせるな」

外には色がある、と言った少年が答えた。
「おまえ、いやに大人ぶっているが、なにをやったんだ?」
「窃盗よ。おめえは?」
「俺は盗んだのさ」
「おたがいにたいしたことはしていねえな。奴はなにをやったのだろう。奴の方が俺より大人ぶっているぜ」
「きいてみろよ」
「おい、おまえ、なにをやったんだ?」
 外には色がある、と言った少年が行助の肩をたたいた。
「俺は人を刺した」
 行助は外を見たまま面倒くさそうに答えた。すると二人は一瞬だまりこんだ。