喜多圭介のブログ

著作権を保持していますので、記載内容の全文を他に転用しないでください。

鋭角的表現(12)

2007-02-11 06:39:45 | 表現・描写・形象
藝は盗む物だという言葉がある。長年創作していると、この言葉が実感させられる。盗まなくてもプロになってしまうヒトは天性のものがあり、十代でデビューしてしまう。他のヒトは盗むことに精進しなければプロの道は厳しい。盗む鑑識眼があるかどうか、これも持って生まれた能力の一つである。

盗む値打ちのある物を〈鋭角的表現〉として、小説創作志望の皆さんに少しは役に立つことをと一気に書いてきた。

私は文学論議は好きではない。こんなことは将来文藝評論家になりたい人達が、討論の練習とか文藝認識を深めるためにやればいい。実作者は寸暇を惜しんで、一冊でも多く名作を多読しながら、自らの人生哲学と「藝」を錬磨しておればいいという考えである。宮本輝は大学受験に失敗した一浪のときに、中之島図書館で世界文学全集を読破していた。あるいはこのことで一浪したのかも知れない。

書かないことには作品にならないというところがつらい。饒舌に時間を費やしているあいだにコンピューターが自動書記してくれて、作品が完成していればいいのだが、コンピューターもここまでは賢くない。

前にも書いたが、私自身の文体について述べると、四十代の後半に差し掛かる頃、あることが契機になり、英国から帰国以来の女性不感症がしだいに解消されていった。すると不思議なことに三浦哲郎著『忍ぶ川』のような美しい男女の姿を、重苦しいタッチではなく少し軽いタッチで描いてみたいと思い、参考になる小説はと書店に出掛けたらG・サバンの『ぼくの美しい人だから』が目についた。読んでみると実に愉しく、また男と女の有り様を考えさせられた。単細胞の私はすぐさま、よし、このタイトルでと『ぼくの美しい人だから』100枚を書き上げ、推敲もしないで初めて「文学界」新人賞に送った。二次通過残留で、もう少ししっかりと推敲してから応募すべきだったと反省。「神戸新聞」の同人誌評でも作家の竹内和夫氏がピックアップしていた。

次に短篇『六甲山上ホテル』を同人誌に掲載したら、いまは廃刊したが「海燕」の同人誌評にピックアップされていた。

だがこれ以降、事情ができ、暫く執筆を断念。このときの一次通過者の中に第22回芥川賞受賞者、藤野千夜さんがいた。私が執筆しなかった時期に彼女は精進、受賞に結び付いた。これを知ったときも反省。

もう少しプロの文体を眺めておこう。

川端康成著『雪国』。川端作品は『雪国』と『川の音』が気に入っている。有名な冒頭の短い一段落目は書けそうでなかなか書けない、川端の心血が注がれている箇所。これに続く二段落、三段落、四段落で読者を寒い雪国に誘い込むテクニックは心憎いばかりのものがある。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん。」

明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます。」
「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ。」
「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ。」
「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」
「ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお願いいたしますわ。」
「よろしい。元気で働いてるよ。これからいそがしくなる。去年は大雪だったよ。よく雪崩れてね、汽車が立往生するんで、村も焚出しがいそがしかったよ。」
「駅長さんずいぶん厚着に見えますわ。弟の手紙には、まだチョッキも着ていないようなことを書いてありましたけれど。」
「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪をひいてね。」

駅長は官舎の方へ手の明りを振り向けた。
「弟もお酒をいただきますでしょうか。」
「いや。」
「駅長さんもうお帰りですの?」
「私は怪我をして、医者に通ってるんだ。」
「まあ。いけませんわ。」
 和服に外套の駅長は寒い立話を切り上げたいらしく、もう後姿を見せながら、
「それじゃまあ大事にいらっしゃい。」