アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

まばゆく光り輝く夜明けに、鳥たちは飛び立つ

2016-12-24 12:52:17 | クラシック音楽
まばゆい光が輝き渡り 喜ばしい夜が明けると 
小鳥たちは歌いながら お祝いに飛び立つ

今私はガランチャの鳥の歌を聴きながらこのブログを書いています。
 小鳥たちは何処へ行くのでしょうか? 聖母の御許です。マリアの祝福を受け、それを永遠に歌い継ぐためです。
 次はアーノンクールのクリスマスオラトリオを聴くつもりです。
 くしくもクリスマスソングですが、意図したものでなく、偶然です。
 本来、私はクリスマスにクリスマスソングを聴くという良質な感性も常識も持っていません。山下達郎のクリスマスイブを聴いたことは有りません(嘘です)。ボアのメリキリを聴いた事が有りません(これも嘘です)、ドリカムの雪のクリスマスも聴いた事が有りません(これは本当です)、桑田佳祐の白い恋人達も聴いた事がありません(これはも本当です)、私は嘘つきなんです。
 嘘つきの私が誠意を尽くしてアーノンクールを偲びたい思います。
アーノンクール1929年12月06日に誕生、2016年3月06日に死去しました。
このブログを覗きに来た方々の殆どが、私よりアーノンクールに精通して居ることをわきまえながら続けます。今時の言い方をすれば、やたらメジカラの強い、飛び出しそうな眼で既成概念に挑戦し続けたあの指揮者です。
 彼の指揮は颯爽としていて格好いいんですが、疲れてしまうことも否めません。
 バッハを得意としていますが,古楽器の新しい解釈と女性ソプラノでは無くボーイソプラノを使っています。バッハの時代ではそれが常識だったからです。その為、バッハの声楽曲を余り評価していません。優秀な演奏ですが、最高の録音では無いと思っています。なぜなら、私たちはリヒターの録音を持っているからです。
 協奏曲では更に真価を発揮していました。クレーメルを起用した各協奏曲は白眉です。さて、クリスマスオラトリオ。これが予想に反して素晴らしいのです。受難曲と違い祝祭色の濃いこの作品は彼の指揮スタイルにはまっています。管楽器の切れと伸びが素晴らしく、少年の起用もそれほど気になりません。この演奏好きです、リヒターより高評価を私は与えます。
  2016年12月24日   Gorou

なよ竹の まつろわぬ者への哀歌

2016-12-24 07:55:03 | 反戦
なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそ聞け

 西郷千惠子の辞世の句である。意味は、「なよ竹のように、風にまかせて揺れ動く女の身だが、なよ竹のたわまない節のように、私も節義に殉じてみせる」
 西郷と言っても隆盛ではなく、会津藩家老の頼母の妻です。
 会津戦争が激戦となり、新政府軍がいよいよ若松城下へ侵攻してきたことで、西郷千重子は5人の娘や義母、義妹ら21名とともに自刃しました。会津戦争における痛ましい秘話です。
 明治維新で会津藩と家臣団の置かれていた状況を、完全に把握していない私には少し理解出来ません。いかにも日本人好みの話ではありますが。
 少し考えて見ましょう。
 そもそも会津藩の置かれていた東北地方は、古代より「まつろわぬ」邦であり続けた地方です。今も変わりません。東日本大震災の未曾有の災害にも負けぬ気概を持っています。堂々と東北弁を誇り高く話します。
 その「まつろわぬ」者の気概が会津藩と、その女性達にも根を下ろしていたに違いありません。故に、西郷千惠子は一族の女性達と共に散りゆく花となつたのです。
 一日こそ人も待ちよき長き日を 
この万葉歌を彼女達に捧げたいと思います。
    2016年12月24日 Gorou

伝えし者達、・・・マタイ伝

2016-12-23 17:19:58 | クラシック音楽
 十六世紀、キリスト教がアジア、アフリカに急激に広まって行きました。カトリック教会では彼等を宣教師と呼びました。
 それより千年ほど前にアジアにキリスト教を広める一派があった。ローマ教会を波紋されたネストリウス派だ。彼等はイエスの人間性を説き、マリアの処女懐胎に疑問を投げかけたために破門された。
 ネストリウス派はペルシャを経て中国に伝播し、景教と呼ばれ、その牧師を伝道師と呼ぶ。
 キリストの奇跡に満ちた生涯を伝えるのが宣教師で、人間イエスの真言を伝えるのが伝道師である。

 主よ憐れみ給え 滴り落ちるこの涙を

 ヨハン・セバスチャン・バッハはマタイ伝を元に受難曲を作曲した。
 キリストの奇跡を宣教する為か、イエスの真言を伝道する為かは分からない。
 マタイ受難曲はバッハの最高傑作の一つだ。
 現在、その録音は、メンゲルベルクの歴史的演奏を初め沢山有る。通常二時間半から三時間かかるこの大作を、カラヤンは三時間半もかけた。必要以上にたっぷりと歌わせたからだ。私はカラヤンのマタイを余り評価しない。私が一番評価するのはリヒターが1958年に録音し演奏だ。繰り返し、繰り返し聴いたがテーマを理解する事が出来なかった。
 ようやく理解の手がかりを与えてくれる演奏に出会った。
 ラトル・ベルリン・フィルによるマタイのライブ映像です。
 以下にそのデータを記します。
 マーク・パドモア (福音史家) ロデリック・ウィリアムズ (イエス)
カミッラ・ティリング (ソプラノ) マグダレーナ・コジェナー (メゾソプラノ)
トピ・レティプー (テノール) クリスティアン・ゲルハーヘル (バリトン)
ベルリン放送合唱団 (合唱指揮 : サイモン・ハルシー)
サー・サイモン・ラトル (指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
演出 : ピーター・セラーズ
収録 : 2010年2月27日~3月1日 | ベルリン・フィルハーモニー
 ピーター・セラーズによる革新的な演出は、コンサートとは思えない迫真の演技。福音史家(パドモア)がイエス本人の肉体をも表現するという解釈で、ベルリン・フィルの古楽演奏を記録し、単なるピリオド演奏の模倣に留まらない、ドラマチックな音楽展開、コジェナーをはじめ、ゲルハーヘル、クヴァストフなど豪華ソリスト陣が素晴らしい歌唱力を聴かせてくれます。樫本大進とダニエル・スタヴラーヴァのヴァイオリン独奏、エマニエル・パユのフルート、アルベルト・マイヤーのオーボエも素晴らしい出来映えで、実に美しい音色を醸し出していました。
 歌手陣がそれぞれの楽曲で相応しい役を演じています。特にソプラノのカミッラ・ティリングは聖母役(彼女は妊婦だったのは偶然か狙いだったのかは分かりません)を演じ、メゾのマグダレーナ・コジェナーがマグダラのマリアを演じるという仕組みはとてもわかりやすい設定でしたし、日本語字幕も付いていましたから、初めてマタイを理解出来たように思えました。特筆為べきはコジェナーの演技です、腕を交差させて十字架を表したり、神がかったように悩み、苦しみながら、もう一人のマリアやイエスに従った女性達を演じていました。もともと彼女はオーバーな表現を好む歌手で、クラシックではオーバーアクションだと敬遠されたりします。
 私はリヒターのマタイに感動し、ラトルによって理解しました。マタイのテーマはキリストの奇跡の復活ではなく、人間イエスの安眠だったのです。
    2016年12月23日    Gorou

 

丘の上のマリア Ⅳ マリア③

2016-12-23 10:57:32 | 物語
 この夜、マリアが神泉駅の踏切を渡ったのは十一時を少し回った頃だった。
 フラフラと力なく、マリアは松涛の我が家を目指した。
 一人の男と出会すマリア。ネスタと言う名のネパール人だ。
 マリアは無視して通り過ぎようとするが、ネスタは後を追ってきた。
「マリアさん、今夜はまだ早い、どうですか?」
「今日は疲れているの。もうホテルに行くのは嫌」
「あそこのアパートの空き部屋の鍵を持っているよ」
 ネスタが指し示す先にぼろアパートあった。
 ネスタはマリアの腕を掴んでアパートを目指した。逃げようかと少し考えた
マリアだったが、松涛の我が家まではまだかなり距離があり、とても男の足か
ら逃げられない思い観念した。何よりも彼女の決意を鈍らせたのはここがまだ
円山町だったからだ。
 ネスタはまんまとマリアをアパートの一室に連れ込んだ。
 外観よりも更にオンボロアパートだった。何年も住民が居なかったに違いな
い。電気も付かず、変な臭いが漂っていた。
 ふて腐れたように佇むマリア、ネスタはコートを剥ぎ取り、押し倒した。
「何すんだよ! げす野郎」
 叫ぶマリアに覆い被さるネスタ、下着を剥ぎ取り、股の間に下半身を割り込
ませて来た。
 観念して眼を瞑るマリア、今夜はどうしてこんなに嫌何だろう? ほんの少
しの間がまんしていれば直ぐ澄む事なのに。
 マリアはネスタの物を感じると、自分から腰を使って、わざと喘いで見せて
男を挑発すると、案の定、男は果てて彼女の上に倒れ込んだ。
 ハアハアと荒い息をして、マリアの乳房にむしゃぶりつくネスタをはね除け
て上半身を起こした。
「さあ、終わったんだろう?」
「マリアさん、まだだよ、まだ」
「あたしを誰だと思ってるの」と、ネスタの顔の前に左手を突き出した。
「ほら、払う物があるだろう?」
 ネスタは渋々ズボンのポケットから皺だらけの万札を取り出してマリアに渡
した。
「一万? あたしは四万円の女」
「ご免なさい、今日はこれが全財産です、おまけして」
「フン、金も無いのに女を抱くんじゃ無いよ」
 マリアは暗がりで財布を捜し当てて、その一万円をねじ込んだ。
 かなりの万札が並んでいた財布を見たネスタは眼を瞬かせて、ゴクリと唾を
飲み込んだ。
「マリアさん、お願いがあります。お金貸して下さい。今日中に用意しない
と、わたし大変な事になります」
「知るか!」と、マリアは財布を胸に抱え込んで守った。
 その財布を剥ぎ取るネスタ、取り返そうとするマリア、少し揉み合っている
と、ネスタの手が彼女の右頬に当たった。
 倒れ込みネスタを睨むマリア。
 ネスタは財布から万札を抜き取り、走るようにしてアパートから逃げた。
 マリアは残された財布の中身を確かめた。
「馬鹿野郎、どうせなら全部とってけよ」
 大の字になって天井を見上げるマリア。「あーあ、ざまあ無い、罰が当たっ
たのかねえ」
 涙が流れて頬を濡らしたが、拭いもせずにマリアは暫くその儘でいた。暗が
りに慣れて,すこしずつ回りが見えてきた。六畳間だろうか、かなり狭く、汚
い部屋だった。
 いつの間にか、一人の男が足下で立っていた。
 無言の儘にらみ合う二人。
 男の肩が震えていた。
 突然閃光が走り、雷鳴が轟いた。二人がそう感じただけで、実際は車のライ
トが窓から飛び込んで来ただけだった。
「遅かったじゃ無いの、恭平、今夜もつけてたんだろ?」
 恭平と呼ばれたその男は憎々しげにマリアを見下ろしていた。
 また車のライトが飛び込んで来た、その時、アパートの壁も天掻き消え、ま
るで宇宙に漂うが如くに感じた。
 二人は、万華の無数の鏡で取り囲まれ、二人の人生が走馬燈のように浮かん
では消えた。

 見上げる恭平。
 聖女のような紗智子が二階のベランダで微笑んでいた。

 泣きじゃくる紗智子。
 優しく頭をなでる幸太。

 母・俊子が怨歌を口ずさんでいた。

「地獄に落ちろ! この雌豚」
 友恵を罵る紗智子。

「あの家には近づいては駄目。罪と怨念の渦巻いた、あの加藤家には」
 俊子が臨終の床から呟いている。

「ふん、お前なんか殺して剥製にしてやるからね」
 友恵が叫んでいた。

 工場の玄関で佇む聖女のような紗智子がいた。
 恭平に救いの手を差し伸べていた。

「いい年をして、死に損ないの孔雀のようですわ」
「お黙り! 化け猫!」

「好きにして良いのよ」
 恭平の耳元で囁く紗智子。

「父の遺志を継ぐためです」
 ダークスーツの紗智子が胸を張った。

「元気を出しなさい恭平。恥ずかしがっては駄目。君は立派なお・と・こなん
だから。ホラッ、こんなに立派じゃないの」

「ウワーッ」と叫んだ恭平がマリアに覆い被さり、白い手袋の両手を首に掛け
た。
「ちゃんと、もっとしっかり力を込めて」
 マリアが高い声で恭平を唆した。
 言われた儘に力を込める恭平。
 苦しげに噎びながらも、今度は紗智子の低い声で命じるマリア。
「わたくしは、君を創った。・・・創造主が命じるのです。この汚れた肉体を
滅ぼしなさい」
 恭平は紗智子に憧れ、無情の愛を捧げていたが、マリアを激しく憎悪してい
た。
「悪魔をわたくしの肉体から追うのです。殺すのです」
 ぐったりととして息を引き取るマリア。
 汚れた悪魔は恭平の両手の中でこと切れた。
 恭平に罪の意識は皆無だった。紗智子は安らかに眠り、永遠となったのだ。
 恭平は考えた。その為には悪魔のマリアの存在を消し去らなくてはいけな
い。と、・・・
   2016年12月23日   Gorou

丘の上のマリア Ⅳ マリア②

2016-12-23 05:30:26 | 物語

 人は誰でも幸せになる権利を持っているが、堕落する権利も持っている。
 紗智子は堕落する権利を選んで円山町のマリアに成った。

 1999年三月二十八日、日曜日。
 紗智子は宅急便で起こされた。中を開けると、「お姉様、お誕生日お目出度
う御座います」とメッセージの添えられた、由美からの誕生日プレゼントだっ
た。聖書とマタイ受難曲のCDだった。
 敬虔なクリスチャンだった由美に良くこの演奏のレコードを聴かされて以来
バッハやモーツァルトも聞くようになった。
 紗智子は小学三年位からクラッシックを聴いていたので、カラヤンばかり聞
かされて、すっかりカラヤン嫌いになった。そんんな時クライバーの演奏に出
会ってファンになった。カラヤンとクライバーの違いは何処に有ったのか?
クライバーは優しく、楽しく、決して音楽を押しつけては来ない、何よりも彼
女がクライバーを気に入ったのは父幸太に驚く程雰囲気が似ていたからだ。
 カラヤンの演奏はどれも力ずくで音楽を押しつけてくる。素晴らしい演奏を
聴かせて上げよう、という狙いが見え隠れしてしまうのだ。そして、指揮する
姿にヒトラーの演説が重なって見えるのだ。ヒトラーもカラヤンも集団催眠の
スペシャリストだ。
 午後からマタイを聞いて過ごす紗智子。この演奏はリヒター指揮の1958年録
音盤で名演との誉れ高い演奏だ。涙に紛れながら聴いた。彼女は歌詞の意味が
分かっていたのだ。初めて通して聴いた事で、この曲のテーマが、キリストの
奇跡の復活では無く、人間イエスの安息である事が分かった。
 
 マタイを聴き終えた紗智子は、今日もマリアへと変身した。いつもと違った
のは由美から送られたクルスを付けた事だ、感傷的になっていたからだ。
 変身し終えて姿見の前に佇むマリア、感情が高揚して泣き崩れてしまった。
「ああ、お父様、わたくしを憐れんでください、したたり落ちるわたくしの涙
を」
 後悔の念に苛まされて父に懺悔するマリア。
「わたくしは何をして来たのだろう?! わたくしは何をしようとしているの
だろう?! お父様、わたくしをお許し下さい」

 夕闇迫る渋谷、109前にマリアが佇んでいた。仕事の有る平日にはこの109
の化粧室でマリアに変身し、この夜と同じくここから道玄坂を上って旅の始ま
りとして居たのだ。
 道玄坂の石畳を、マリアはカッカッカッと靴音高く颯爽と闊歩していてい
た。十センチ程も有るハイヒールで大股に歩き、真紅のスプリングコートの裾
を翻し、エルメスのトートバッグを肩に掛け、亜麻色の長い髪を風に靡かせて
いる。
 マリアが立ち止まって雑居ビルを見ると、黒い影が隠れた。
 再び歩き出すマリアは何時ものように甲高い声で歌った。
「ロクサーヌ!」
 すれ違う男という男に明るく高い声で話しかける。
「お兄さん、お茶しない」
「おにいさん、遊ぼうよ」
 軽快にステップを踏んで石畳を登って行く。
 明るい声で男達を誘っていたが、その顔は苦渋で歪んでいた。

 悔いの苦しみは 罪深いわたくしの心を 引き裂く

 道玄坂上を右折するマリア、交番の巡査達に声を掛けた。
「ずいぶん暖かくなったわね。もう春よ」
 巡査の一人は顔を顰め、一人は苦笑を浮かべ、若い巡査は顔を赤らめた。

 円山町に入ってもマリアの歌は止まらない。
「ロクサーヌ! 今夜は髪を結い上げないでおくれ」
 電柱を鋭く見詰めるマリア、電柱の後ろに影が隠れた。
「ロクサーヌ! 今夜は客を取らないでおくれ」

 血を流せ 我が心よ血を流せ

   2016年12月23日    Gorou