アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅸ

2016-12-01 23:43:51 | 物語
九 あやの屋

 どのくらい雨の熱海をほっつき歩いていたのだろうか。何度ニューフジヤに戻って笑美子に跪こうと思ったか知れない。到底出来ぬ相談だ。かといってねぐらに帰って忘れてしまう気にもなれず、ずぶ濡れになるほど彷徨っていたのだ。
 ようやく雨が小降りになったので土産屋の軒先で雨宿りをした。
 通りかかった綾香が私に蛇の目傘を差し掛けて呉れた。
「ずぶ濡れ! 一体どうしたの」
 黙って蛇の目を綾香から奪い、相合い傘と洒落込んで歩いた。
 小さな雑居ビルから黒メガネの男が出てきたので、近づいて挨拶をした。綾香に男を見せる為だ。
「先ほどはどうも・」
 ジロリと私を見下ろして去って行く。海岸で見た印象よりかなり背が高かった。百七十五センチの私より最低十センチは高かった。すらりとした体に長い脚と手を持っていた。
 その男の顔を、タクシーのライトが照らして呉れた。
綾香も見た筈だ、彼女だったら何者か知っているに違いない。
男に近寄っていたのはそれが目的だった。
「今の男知っています?」
「ええ」
 少し後ろから綾香の声が聞こえてきた。
 振り返ると綾香が雨の中で立っていた。 
慌てて戻り、傘を差し掛け、
「すいません、気がつかなくて」
「あそこが私の家」
 と、綾香が路地の先を指さした。
「傘持っていっても良いのよ」
「だいぶ小降りになったから平気です」
「だけど・・・」
 私のずぶ濡れの全身を嘗め回す綾香。
「顔が真っ青。唇だって紫色になっているわ。部屋には誰かいるの?」
「いいえ」
「だったら、いっそ家にいらっしゃい」
 実は、少し前から悪寒で身体の震えが止まらないのだ。それに黒メガネの男の事を聞き出したいので彼女の家に寄った。
 綾香の家は「あやの屋」という名の置屋で、私たちが入って行くと若い芸子が四人、寝ぼけ眼を擦りながら出てきた。
「姐さん、お帰りなさい」
 口々に挨拶をして、私をじろじろと遠慮のない目で眺め回す。
「お風呂沸いているわね」
「ハイ」
 一番若そうな芸子が答えた。
 風呂に入り、洗いざらしの下着に上下のトレーナーを着て、ようやく人心地を取り戻す事が出来た。皆強いナフタリンの匂いがした。
「そんなに熱は無いようね。本当は医者に行った方が良いのだけれど、夜中だから仕方が無いわね、とにかく暖かくして寝ていなくちゃ駄目よ」
「はい」
 綾香の前では不思議と素直になれる。彼女には妙に惹かれてしまう魅力が有り、男が憧れてしまう、いかにも芸者という感じの女性だった。年上といっても、せいぜい五つか六つ、そんなに違わないかも知れない。これが女としての年季というものだ。
 泊まって行けと頻りに薦めるが、女所帯に泊まる勇気が無いので帰らして貰った。
 綾香は無言で真っ赤なジャンパーを差し出した。左袖と背中にスーパーマンのマークの入ったウインドブレーカーだ。「誰のだろう?」、チラリと頭を過ぎったが口に出さなかった。
 歩いて十分と掛からないのにタクシーを呼んで呉れた。
 
 部屋に帰るとどっと疲れが出て寝込んだ。
 綾香の話によると、あの男は金田という名のやくざで、ノミ屋に海岸通のストリップ小屋と射的場の用心棒をしていると言う。五年ほど前に熱海に流れて来たというから、胡蝶一座のグランドホテル来歴よりも旧い。台湾から来た中国人だという。

 その朝、私は昼過ぎまで起きあがる事が出来なかった。風邪をひいたようだ。
 あやの屋の芸子が、洗濯された私の服と、粥の差し入れを持って来たのを機に、ようやく起きあがった。
 私が粥を啜っていると、コズエとミズエがやって来た。
 粥などを食べている私を見て、ミズエが心配をしてくれた。
「病気?」
「うん、風邪ひいたらしい。大したことはない」
「今朝、鬼太郎どうしていたの?」
 と、口を尖らせるコズエ。
「私がいくら呼んでも出て来て呉れなかったじゃない」
 多分、熱で魘されて気づかなかったのだ。
 コズエにはいつも健一がついてくるから、この姉妹だけと話せる機会は滅多に無い。
 そこで色々聞いて見た。
「胡蝶一座は何処を本拠にしているの?」
「島根だって先生が言っていたわ」
 コズエが答えた。二人とも母親を先生と呼んでいたのだ。本拠とは名ばかりで、東北、北海道への巡業が殆どだという。
「いつから劇団やっていたのか知っている?」
「ずっと昔から、江戸時代からだって。ご先祖様は聖徳太子のパトロンだったそうよ」
 秦の始皇帝の末と称した秦河勝の事だ。秦氏は新羅系とも、百済系とも、秦国の末裔とも云われている謎に包まれた氏族で、何れにしても渡来人であった事は確かだ。機織の技術を伝えたから日本では秦と称した。

 秦氏の由来は諸説有るが、私が最も興味を惹いたのは、日本書紀に記された夕月君(ゆづきのきみ)と呼ばれた渡来人が秦氏の祖先だという伝承である。夕月君は伝説上の人物で実在は証明されていないが、秦氏の始祖であると伝わり、秦の始皇帝の末裔とも伝えられている。三世紀に渡来した夕月君とその民はキリスト教の一派、ローマ教会から破門されたネストリウスが建てた教派で、東洋では景教と呼ばれている民族だという学者もいる。
 何故キリスト教と認識されなかったのだろう? イスラエルから迫害(破門故)を逃れてペルシャに渡り、マニ教やゾロアスター教と同化して中国に渡り、さらに仏教や道教(老子の教えとは全く別物)の影響を受けた為に、仏教の一宗派と見なされたからだと思われる。後年、弘法大師となった空海が唐に留学した時、当時長安にあった景教の本山太秦寺の僧侶と頻繁に交誼を温め、仏典を二人で訳した事まであった程だ。空海がキリスト教的な教えを真言密教に潜めたとまで云われている。
 秦氏の始祖と伝わる秦の始皇帝そのものが、真の漢族だとは思われていない、少なからず西域人の血が混じっていたのは間違いない。秦国も秦の民も漢族から異人として認識されていた。
 景教伝来の由来やルートには、最低後二つある。

 一つは、西暦752年4月9日、東大寺の中庭で大仏開眼供養が行われました。一万人の僧侶と皇族・貴族が参加して行われた国際色豊かな大イベントでした。開眼師のインド僧菩提遷那を初め、ベトナム僧仏哲、ペルシャ僧ラームヤール等が参列していました。まさに華厳による光輝く太陽の帝国がこの世に出現したのです。このラームヤールこそ玄宗皇帝から李密翳(りみつい、因みに始皇帝は李性)という名を賜った景教の伝道師(宣教師では無い)で医者でした。彼は僧玄昉と共に聖武天皇の母藤原宮子の病(重度の躁鬱病と思われる)を治癒した事で知られる、恐らく玄昉は祈祷で、ラームヤールは薬を使用したと思われる。
その景教の伝道師で医者のラームヤールは二十年程日本に滞在したと伝わっている。
 景教は中国からの伝来の他に、渤海国から日本海を経て北陸から東北地方に伝来したルートが考えられます。渤海人、特に靺鞨(まっかつ)族(満州人の祖先)は度々日本海を渡って大和朝廷に帰化しています。
 天平18年(西暦746年)、千百人を越える渤海人(高句麗系朝鮮人)と鉄利人(鉄利府靺鞨族)が出羽に漂着して、大和朝廷から帰化を許されました。もしかしたら、この中に景教伝道師や景教信者がいたのかも知れません。ラームヤールと合流して新しい郷をみちのくの奥に開いたかも知れません。
 青森の奥入瀬にキリストの墓が有るという村が有ります。昔戸来(ヘブライの意味か?)と言った新郷村です。
 ゴルゴダで処刑されたのは弟のイキリスで、イエスキリストは日本に逃れ(伝説によれば帰って、ということになります。キリストは十二才から二十三才までを日本の越の国で過ごしたそうなのです)、天寿を全うして戸来郷に葬られたそうです。本当でしょうか? こんなものは墓を科学的に調査すれば、真贋は明らかになるのですが、ロマンとして残しておいても良いのかも知れません。
 新郷村にこんな盆踊りが残っています。
 ナニャドヤ~ラ~
 ナニャドナサレ~ノ
 ナニャドヤ~ラ~
 神学博士・川守田英二氏はこの歌詞を古代ヘブライ語であるとし、次のように翻訳しています。
 御前の聖名を褒め讃えん
 汝の毛人を掃蕩して
 御前の聖名を褒め讃えん
 何を隠そう私の祖先はこの新郷村の出身なのだ。
 幕末の風雲時、私の祖先は京に出て倒幕運動に身を投じ、維新後官に仕え、故郷のある青森県に官吏として登用された。その時に初めて大久保性を称した。
 なんという因縁なのでしょうか? 私とミズエとコズエの祖先を遡ればユダヤ人の血が入っていたかも知れないのです。

 「お父さんの事何か覚えているかい?」
 この問は、かなり迷ってなかなか切り出せなかった。
 慎重に言葉を選び、さり気なく尋ねた。
 悲しそうに頭を振るミズエ。無理もない、二歳の時別れ別れになったのだから。
「お父さんは、あいしんなんとかの子孫だって言っていたわ」
 コズエが少し覚えていた。
「あいしんなにだって?」
「ううん、覚えているのはあいしんだけ。黄金の事だって」
 ああそうか、愛親覚羅、満州族が建てた清朝の王族の名だ。迫害と差別から逃れるために、いまでは満州族を名乗る者は殆どいないと言う。満州族の故地では、広隆寺の弥勒菩薩のような面影を持った女性がたくさんいるという。つまりミズエに似た女性が多いと言うことだ。ミズエが世界一と言って良いほどチャイナドレスが似合う道理が分かった。
 清朝の子孫が台湾に逃れていても別に不思議は無い。だが、ラストエンペラー溥儀の弟溥磔の長女慧生が心中をした天城山の目の先で満州族の姉妹が流離っているのはとても不思議な気がした。興味深い事はもう一つ有った、慧生の心中相手大久保武道青年は私の縁者だ。
 どうやら父親は死んだと聞かされていたらしいが、二人とも信じてはいないみたいだ。
 父親への追慕の情はミズエの方に強く、コズエはその民族に興味が有るようだ。
 その後、二人はそれぞれのお守り袋から、透き通るようなエメラルドグリーンの玉を取り出して見せてくれた。父親の形見の翡翠だという。指輪だと聞かされているそうだが、かなり大きく、環というより筒に近い。中指や人差し指ではすかすかで、すぐ落ちてしまう。親指でも良い位だ。

 満州族が玉を貴んだ事は良く知られており、臨終に望んだ西太后が巨大な黒真珠を口に含んだと云う。指輪というより、何か宗教的な儀式に使ったのではないだろうか。後で調べてみようと思ったが、なかなかその機会が無く、ごく最近になって、ひょんな事からそれを知った。弓を射る時、親指に当てるといい、やはり宗教的な意味合いもあったらしい。
 他人の事に興味を覚える事の無かった私が、これほどにも姉妹の父親に拘った理由が、今考えてみてもよく分からない。何か不思議な縁に挽かれていたのだろうか。あるいは、コズエの怨念が私にそれを強いたのかも知れない。
 黒メガネの男が彼女たちの父親であったなら、父娘の名乗りを上げさせようとも思っていたが、正体がやくざだと分かった以上、むしろそれを阻止する側に廻らなければいけない。少なくとも、もう少し調べようと決意した。
 その日、私はようやく三時頃ホテルに顔を出した。
 舞台を暗くして、コズエを中心にした若者達が丸く座を造り、真ん中に蝋燭を立て、硬貨(東京オリンピック記念千円銀貨、日頃からコズエが大切にしていた)を皆が指で支えていた。つまりコックリ(狐狗狸) さんだ。以後も時々やっていたが、私は参加した事が無い。
 コズエが仕切るコックリさんは、さぞかしスリルがあって、肝試しにはもってこいの筈だ。今になっては一度加わって見れば良かったと後悔しているが、当時としては、見栄と自尊心がそれを許さなかった。若者達といっても、一番上が健一の二十一で、後はせいぜい十二三から十七八までの子供達だったのだ。

 準備が順調に進んでいたので、初日を明日に控えているというのに、やるべき事が殆ど無く、大部分をクラブの方ですごした。
 夜の八時頃、まだ少し頭が痛むし、咳も出るので帰る事にした。
 ロビーの前で東京の晴実からの電話に捕まった。
「河野君から連絡有る?」
「いや、全然」
 河野と私と晴実の三人は大学時代の同級で、キャンパスではいつも一緒だった。ありきたりの青春の典型的なパターンだ。
「私の所もさっぱりだわ。年賀状の返事も来ないし、なんだか胸騒ぎがするの」
「その内、ひょっこり現れるさ」
 『冒険者たち』という映画を見たことが有りますか? ロベルトエンリコ、そう『ふくろうの河』という短編名作を残したあの監督の作品で、主演がアランドロンとリノバンチェラ、ヒロインがジョアンナシムカスでした。映画の世界では古典的な青春映画の規範となった作品で、日本でも盗作まがいの作品がずいぶん制作されたものです。
 私も河野も、私たち三人の関係をこの冒険者たちのようだと想っていた。『冒険者たち』と違ったのは、三人の後を晴実の妹由美子が纏わり付いて来た事だ。
 高校生だった由美子は、美しい手と、キラキラと輝く目を持っていた。その輝く目で、姉の恋人もボーイフレンドも盗もうと狙っていたのかも知れない。現に望みは半ば適った。
 最初の頃、晴実はほんの少しだけ私の方を好いてくれている様だったが、学園紛争の為、やがて逆転されてしまった。
 大学二年の時、日本中が学園紛争の嵐の中に迷い込んだのだ。今考えると、まあ麻疹のようなものでしたが、当時は皆それなりに真剣だったのです。
 晴実も又夢中になり、デモや集会に随分参加していた。私はいわゆるノンポリ学生で、左右いずれの陣営にも関係が無く、あらゆる紛争・闘争に関わらない様にしていた。その事で随分、晴実に詰られ、軽蔑された。
 私には、芸術学部で演劇を学ぶ学生が、なぜ闘争や紛争の形で参加しなくてはならないのか、よく理解出来なかった。人それぞれの立場や信念で社会の不正や矛盾と戦い、警鐘し、啓蒙するべきだと信じていた。まがりなりにも劇作家を目指していた以上、作品を通して訴えたかったのだ。
 誰にも悟られぬようにしていたが、その頃の私は、体育会系の学生よりもナショナリストで、また反面、密かにサルトルを読み、ポールニザンの『アデンアラビア』を愛読書としていたので、体制側から見れば、充分に左翼学生の資格をもっていたと言える。 
 九州の福岡から上京して来た河野は、あっという間に紛争に染まっていった。最初は晴実に誘われてデモに参加したようだが、一年もすると学部の幹部になっており、やがて活動を全国規模にまで広げていった。
 晴実の気持ちが河野の方に傾いていったのは、このせいだと私は思っている。
 いや、もう一つ有る。私は大学二年の冬、唯一の身寄りの母を癌で失っていた。一人で食べてゆかなければならない、大学を中退したのは言うまでも無い。金のためだけでは決して無い、大学の価値そのものに嫌疑を持っていた。母が生きていても、やはり私は退学したに違いない。

「いやな噂が流れているの、何かとんでもない事を計画しているようなの」
 まさか革命を本気でやろう等と計画している分けでも有るまい。
「大丈夫、あいつは臆病だから、それほど馬鹿な真似はしないさ」
 と、一笑にふしたが、私の脳裏に不安が浮かんでいたのも事実だ。去年の安田講堂の攻防戦に河野が参加していた。その最後の時計台放送を私は思いだした。

 われわれの闘いは勝利だった。
 全国の学生・市民・労働者の皆さん、
 われわれの闘いは決して終わったのではなく、
 われわれにかわって闘う同志の諸君が、
 再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、
 一時、この放送を中止します。

 この後、河野は赤軍派のどこかの組織に入ったと聞いている。そう考えを進めて行くと、いいようの無い不安が頭を過ぎった。
「僕の連絡先をそこら中にばらまいて呉れないか、そうすればきっと連絡して来る」
 こう言って電話を置いた。春実は真っ先に由美子に教える筈だ。そうすれば確実に河野に連絡が行く。
 由美子は看護学校を卒業してすぐ、河野を追って京都に行った。二年程同棲して、今は東京で看護婦をしている。意思の強い娘で、河野の事を諦めたとはとても思えない。
 それにしても女の嗅覚は凄い。笑美子といい、晴実といい、よくも私を捜し当てたものだ。誰にも熱海の事を漏らした覚えなどまったく無かった。私は極度に社交性の欠けた男だったのだ。
 晴実も又、私に「結婚するかも知れない」と言った女の一人だ、いや最初の女性だった。
 そのくせ一生友人でいて欲しいと脅迫するのだ。勿論私は拒否したが、所詮無駄な抵抗だった。一ヶ月も連絡が途絶えると、必ず探し出して、あれこれと世話を焼く。
 レティシァ(冒険者たちのヒロイン)は死んで、深海で永遠の眠りにつくのだが、晴実は寿司屋の女将に収まっていた。あれほど紛争に関わっていたのに、ケロリとして安全な所に退避する。これは非難しているのでは無く、ただただ羨ましだけなのだ。  
 河野は革命運動に人生を賭けてしまうし、私の方は、この時以来、社会のアウトサイダーに形果てて、未だに泥沼から這い出せずに藻掻いているのだから。
2016年12月2日  Gorou

劇的に変わった音質

2016-12-01 00:39:21 | オーディオ
audio-technica ヘッドホンアンプ AT-HA22TUBE
クリエーター情報なし
オーディオテクニカ


 先日購入したヘッドホンアンプで私の視聴環境は劇的に変化しました。
システム構成は次のようです。
レグザ4Kテレビ49J20Xの光アウト(PCMするのをお忘れ無く)→Amazonベーシック TOSLINK (トスリンク) デジタルオーディオ オプティカルケーブル 1.8m→DAC デジタル(光&同軸)→アナログ(RCA) オーディオ変換器 端子金メッキ加工(TRUSTIN)
→ Mogami(モガミ)2534 RCA(ピンケーブル1.0m ペア, プラグボディ色:シルバー(NYS352G)) →audio-technica ヘッドホンアンプ AT-HA22TUBE →オーディオテクニカATH-AVA500
またテレビには、レグザブルーレイDRT-650と光テレビのトリプルチューナが繋がれています。パソコンは時々繋ぐ程度です。

 以前は、ヘッドホン端子から直接聞いていましたが、兎に角音の品性が悪く高温はヒステリックに低音はぼやつき、音の分離も悪かったので、高級ヘッドホンを考慮していましたが、その前に前期の管球むヘッドホンアンプの導入に踏み切りました。
 結果は大成功! ピアノやヴァイオリンの高音はすっきりと伸び、ヒステリックには決してなりません。低音も、今まで聞き分けづらかった、打楽器やベースもクッキリと再現してくれます。二三十時間程のエージングが進んだ時の事です、ステレオ音源が両耳の外までスーッと拡がって行きました。魔法のようです、オーケストラの音が50インチの映像にふさわしく拡がり、各楽器が綺麗に定位しています。感動しました。
 グールドのピアノがグールドらしく(バッハピアノ協奏曲、バードとギボンズ、バッハピアノとビオラの為のソナタ)、五嶋みどりと今井信子のヴァイオリンとビオラが絶妙なバランスで睦み合います。
 特に感動したソースをあげます。
 パーセルとマーラー、ムーティ友情の道プロジェクトヴェルディ・レクイエム、ELTありがとうコンサート、フォースの覚醒、ゴーンガール等々
 管球式から想像してしまう温かみの勝った音とは違い、かなりオールランドに上質な音楽を届けてくれます。
    2016年12月1日 Gorou

椿姫

2016-12-01 00:24:10 | クラシック音楽
ヴェルディ:歌劇「椿姫」全曲
ネトレプコ(アンナ),ウィーン国立歌劇場合唱団,シュナイダーマン(ヘレンネ),ヴィリャソン(ロランド),ハンプソン(トーマス),コルデッラ(サルヴァトーレ),ゲイ(ポール),ヴァッレン(ヘルマン)
ユニバーサル ミュージック クラシック

これはCD音源ですが、出来ればDVDかブルーレイで観てほしい作品です。
 ザルツブルグ音楽祭のライブで、ヴィラゾンとネトプレコの絶頂期作品です。
 かなり斬新で簡潔な舞台、楕円形の白い壁と大きな時計(ビオレッタの命の象徴で、クルクル回ったり、逆回転したりします)が下手の壁に立て掛けられています。
 演出の狙いはビオレッタと死に神の対決です。死に神は時には主治医の姿でビオレッタに忍び寄ります。
 ネトプレコは十分にスリムで美しく、歌もなかなか素晴らしい出来映えで、必見の価値あり。いつもの事ですが、ヴィラゾンがオーバーアクションで少し浮き上がっていてたのは、残念ですね。
 椿姫は、非常に合唱団の歌唱力と演技力を必要とするオペラです。その意味でもこれは素晴らしいですね。合唱団でウイーン国立歌劇場に匹敵出来るのはスカラ座位ですかね。オーソドックスな椿姫として、スカラ座のゲオルギュ-のスカラ座ライブ(ショルテイ盤とマーツェル盤)をお勧めします。
  2016年12月1日   Gorou

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅷ

2016-12-01 00:08:22 | 物語
八 野良犬たちのクリスマスイブ

 九月になるとローカルから中山に競馬が帰ってきた。その初日、そして二日目と、珍しく大敗を喫し、競馬場で私はスッカラカンに成った。下総中山までのオケラ街道をとぼとぼと歩く私、ポケットには百円玉と十円玉が数枚ずつしか入っていなかった。あんまり惨めなので、見栄を張って最後の贅沢をしてみた。屋台の烏賊焼きを買って食べながら歩いた。

 残っているのは十円玉が数枚だけだ、電車賃も無いのだが、意外にも晴れ晴れとした気持ちになれたから不思議だ。
 電話ボックスを見つけて片端から電話を掛けたが、誰も捕まらない。
 もはや歩いて帰るしか方法がない。まあ明日の朝くらいには帰り着けるに違いない、仕方が無いから歩こうと思いながら、一縷の望みをかけてポケットをまさぐると、外れ馬券に紛れてあの紙ナプキンが出てきた。
 幸いにも笑美子は部屋にいた。
「デートしよう」
「いまから?」
「総武線の下総中山って駅分かるかい?」
「ええ、分かるけど、・・・何時?」
「もう来ている。だから何時でもOK、出来るだけ早い方が有り難いけどね。退屈でしょうがない」
 笑美子は意外と感のいい娘で、それだけで全てを理解したようだ。
 
 一時間程で笑美子が来た。
「やあ、元気そうだね」
「電話、有り難う」
 何だか恥ずかしくもあり、無性に照れくさかった。
 小銭を借りて一人で帰るつもりだったが、笑美子は逃がして呉れなかった。自分のアパートの在る荻窪までの切符を二枚買い、その切符を私に渡さずに改札を入るのだ。仕方がないから後に従った。
 電車の中で、笑美子は喋り続けた。新しいOL生活の事、最近見た映画の事、テレビの事、自分の部屋の事。ピタリと身体を寄せて、耳元で喋り、一人で喜んで笑う、笑って私に抱きつくようにして絡みつくのだ。
 顔から火が出るほど恥ずかしかったのを覚えている。初老の紳士が舌打ちをして私たちから離れていったし、チラチラと盗み見る老夫婦もいた。
 駅に着くと、
「ラーメンでも食べる?」
 と、笑美子。
「ラーメンより笑美子の手料理の方が良い」
 正直に言った私の言葉が、偉く笑美子の気に入ったようだ。
「本当! うんと美味しいのをつくるネ!」

 八百屋と肉屋によってから笑美子のアパートに帰った。綺麗に片付いているし、ちゃんとしたキッチンもついていた。
 缶ビールを飲みながら晩飯の出来上がるのを待った。ラーメン屋に誘ったくせにちゃんと二人分の米が研いで有った。初めから自慢の手料理を馳走するつもりだったのだ。笑美子は優しく、本当にいい娘だ。一緒にいると心が和むし、誰をも明るく包んで呉れるのだ。
 笑美子の手料理はこの上なく美味だった。どんな達人の懐石よりも遙に旨かった。この時の私が、それだけ愛情に飢えていた証かも知れない。
 晩飯の後、笑美子がおずおずと私の前に封筒を差し出した。
「今、これしか無いけど、使って」
 黙って封筒を開けて見ると、万札が五枚入っていた。私の給料が三万円足らずの時代だったから、充分すぎるほどの大金だと言える。
 チラッと札を数え、封筒に戻して再び卓袱台に置いた。私が何時までも黙っているので、
「気を悪くした? 怒っているの?」
 笑美子が気を揉んで、何を勘違いしたのか、通帳を持ってきて私に見せようとする。
「こう見えても、私、ちょっとした御金持ちなの。・・・ほら」
 とばかりに通帳を開く。こんな娘が男に騙されるのだろう。笑美子のような娘がいるから、ヒモなどという男の亜種が出てくるのだ。
 笑美子のような娘が男を駄目にしてしまう、とも思えた。
 私はほんの電車賃を借りるだけの積もりで電話しただけだ。それもこうやって笑美子の部屋に上がり込んでいる以上、金を借りる理由などまったく無い。明日になれば銀行が開く、コツコツと貯め込んだ泡銭がタップリとは言わないまでも、かなりの額の資金を眠らせていたのだ。私なりに、どう言って断れば角が立たず、笑美子を傷つけずに済むのか思案していただけなのだ。
「お願い、使って、本当にこれだから」
 と私を拝んで微笑む笑美子。その笑顔に負けて気が変わった。いきなりのスランプに戸惑っていたのだ。麻雀に負けて競馬でスッカラカンになる。こんなに負けるのなんて初めての経験だった。なんだかこの笑美子の心の籠もった金を種銭にすれば、つきが戻るような気がしてきたのだ。
「じゃあ、暫く借りるね」
 嬉しそうに微笑む笑美子。立ち上がってキッチンから洗面道具を二組持ってきて、
「お風呂に行こ」
 と誘った。私がこの部屋に泊まるのを信じて疑わないのだ。その時、私の脳裏に新宿あたりで復讐戦をしようかという誘惑がフッと浮かんだが、必死に堪えた。笑美子の弾けるような肉体にも充分すぎるほどの未練が沸いていたのだ。この後に及んでも、それが愛だなどと考えも及ばない、私は冷めた心を持つ、哀れな男だったのだ。
 
 次の日、ベッドで目を覚ました時、すでに午後の三時を回っていた。私の腕を枕に笑美子がまだ眠っていた。会社を休んだのだ。夕べから私たちはお互いを飽くこともなく求め続けて夜を明かし、日が高くなってからようやく眠ったのだ。
 この日、私は笑美子のアパートから店に通った。
「ちゃんと帰ってきてネ」
 と抱きついては甘えて口を吸ってくる笑美子。その時、私は笑美子と暮らす事を決意した。だが、適わぬ夢だった。
 店で麻雀に誘われて、余りといえば早速の無断外泊。次の日は六本木のハウスで徹マン。水曜日に再び店の連中に付き合い、木曜日は新宿、金曜日は渋谷、土曜日は、昼は競馬で夜はまたまた店の連中、日曜日は勿論競馬、夜から六本木のレートの高いハウスで打った。 私が予感したように、笑美子の種銭が良かったのか、猛烈についてきたのだ、ついた以上休むのが勿体ないのでギャンブルを続ける。まともに寝たりして、ツキが落ちるのを怖れたのだ。
 笑美子の元に帰ったのがなんと月曜日の朝方だった。
「こんなの嫌、ちゃんと愛して!」
 激しく泣きじゃくる笑美子に閉口した。少し煩わしく感じ始めてきた。
 とにかく平謝りに謝って、ようやく宥める事が出来た。麻雀は週に一度、競馬場に行くのは土曜日だけ、こんな約束をする羽目になった。不渡り確実な約束手形のようなものだ。
私のような男に守れる筈が無い。誰でも信用するが、信頼するのは嫌いだ。孤独に強く、何ヶ月でも誰とも口を聞かなくても平気だ。己の性格をそんな風に思いこんでいた。そんな私に特定の女など愛せる分けが無い。
 結局十日に一度位しか帰らなかった。それもほとんど笑美子が出勤した後で、帰宅する前に私の方が店に出る。だから、まともに顔を合わせるのが、せいぜい月に一度か二度だった。
 こんな同棲に若い娘が絶えられる分けがない。秋が深まる頃、口も聞いて貰えなくなった。その上、笑美子は決して笑わぬ娘になってしまった。笑顔が似合う明るい娘から、私は永遠に笑顔を奪ってしまったのだ。随分酷い仕打ちをしたものだ。少しだけ努力をして、ちょっとだけ素直な気持ちになれば、笑美子の愛も、笑美子への愛も、勝ち得たかも知れない。笑美子も私もそれなりの幸せを味わう事が出来た筈なのだ。
 
 それでも笑美子の誕生日だけは覚えていた。忘れもしない十二月二十四日のクリスマスイブ、心ばかりのケーキを買って、その日はちゃんと帰宅した。
 アパートの前の電話ボックスで、若いサラリーマンが電話をしていた。スラリとした長身に濃紺の三つ揃えを粋に着こなし、モデルにしたいようないい男だ。が、街路灯のせいか、顔が病的な程青白く、陰鬱な雰囲気を滲ませていた。
 軽快に階段を登って部屋の前に立った。
 小銭入れにもポケットにも鍵が見つからなかった。どこかに落としたのかも知れない。灯りがついているから笑美子がいる筈だ。
 仕方がないので呼び鈴を押した。
 反応が無いので又押した。
 暫くして、ドア越しに笑美子の声が聞こえてきた。
「お願いですから帰って下さい。・・・これ以上私に付き纏わないで下さい」
 おやおや、こんなに嫌われてしまったのかと驚いた。私の最大の取り柄は、こと女の事に関しては、すこぶる諦めが早い事だ。この時も、いち早く笑美子への未練を捨てた。が、せめてケーキだけでもと思い、もう一度ベルを押した。
「いい加減にして、警察を呼びますヨ!」
 幾ら何でもそうまで言う事はないと、少し腹を立てた。
 だけど何か少し様子が変だ。いつの間にか、ボックスのサラリーマンが私の横に立って、焦点の定まらない病的な眼で恨めしそうに睨んでいる。
 鬱陶しいほどに陰湿な男だった。
「鍵をなくした。無理に上がり込む積もりなんかないから開けて呉れないかなあ」
 と呼びかけると、ようやく微かにドアが開いた。用心深く隙間から様子を窺っている笑美子。私を認めた後もなお、ちゃんとドアを開けない、チェーンを掛けたまま、迷っているようだ。私の横の男に怯えているのかも知れない。
「オイ、あっちに行けよ!」
 怒鳴ると、じりじりと下がって身構える男。
 カンフーでもない、空手でもない、妙な構えだ。
「あっちに行けって言ってるだろ!」
 いきなり突き飛ばしたら、男はすっ飛ぶようにして逃げていった。
 ようやくドアが開いた。余程恐かったのだろう、笑美子は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「メリークリスマス」
 そう言ってケーキを掲げて見せた。
 戸惑いながら私を見つめる笑美子、怯えに震えていたその顔が怒りに代わるのに、さほど時間がかからなかった。
 なぜ素直に「誕生日おめでとう、ハッピーバースデー、エミコ」と言えなかったのか、まるで分からない。
 笑美子の気持ちはもう修復不可能だ。
 妙な事から変な事になったものだ。瓢箪から駒、なんて諺が有るが、こういうのをなんと言えばいいのだろう。嘘から出た真、やや近いかも知れない。とんでもないクリスマスイブになってしまったのだけは確かだ。
 笑美子は私のケーキを取り上げると、道路に向かって投げつけた。彼女がクリスマスケーキだと勘違いした誕生祝いのケーキを、救いようのない闇へと葬り去ったのだ。
 合い鍵も無くした事だし、ここらが潮時かも知れない。悟った様な気持ちで借りていたままになっていた五万円を笑美子に返した。
 素直に受け取った笑美子。だが、私の目の前で全部燃やしてしまった。
 アパート前の電柱の下で野良犬の親子が笑美子のケーキを貪っていた。私が近づくと母犬が牙を剥いて威嚇する。壊れた箱から色とりどりのローソクが顔を出していた。
 笑美子の為に買ったケーキが野良犬たちのクリスマスを祝っているのが、なぜか風流でもあり、悲しくもあった。
 ヒューッと音を立てて礫が私の遙か頭上に飛んできた。あの男が遠くから投げてきたのだ。
 無視をして駅に向かって歩いた。
 又飛んできた。なんてしつこい奴なんだ。あんな変質者に付け狙われたら頭が変になっても不思議は無い。まして、元の素は私に責任が有り、笑美子のヒステリーを詰る権利など私に無い。
 角を曲がり物陰に身を隠した。
 男がやって来た。私を捜して遠くを見ている。
 油断を見透かし、男に飛びかかって、めったやたらに殴りつけて蹴り倒した。少しも気が晴れなかった。なんの事はない、真に傷ついたのは私の方だった。
2016年12月1日   Gorou