アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 能登国風土記 Ⅶ

2016-12-12 13:55:32 | 物語
 七
 彼の島の戦闘で投降した新羅海賊の数は五百にも上った。その内の三十人程
は、幼い頃この能登で拉致されて連れ去られた者達だという。
 捕虜の大多数を羽咋君が買い、首領の若武者だけが郡衙の牢に繋がれた。

 翌日、早くも羽咋君比古麻呂が国衙に登庁して来た。捕虜の代価を葛麻呂に
払い、若武者の身代金について相談する為だ。
 若武者は高位の貴族の娘で多額の身代金が取れるという。
 可否を決めかねた葛麻呂は平城の長屋王の指示を仰ぐため、急使を送り、若
武者を郡衙の牢から国守館の土牢に移した。
 その急使と入れ替わるようにして悲報が届いた。
 九月十三日、基皇太子が薨去されたという。九月十九日に那富山に葬られ、
畿内の人民らは白い喪服を三日間つけ、畿内諸国の国守郡司らは悲しみの声を
挙げる礼を三日間行うという。
 葛麻呂は、喪服と哭礼を十九日から能登国でも行うように命じた。
 その夜の葛麻呂は珍しく上機嫌だった。気味の悪い薄笑いを浮かべて雅に心
の内を明けた。
「これで藤原氏も終わりだ、恐らく来年早々にも新しい皇太子が決まる。追い
込まれた藤原氏が謀反を起こすに違いない」
 この時の葛麻呂の脳裏には、愛発の関を抑えた能登軍団が落ち延びてきた藤
原氏を討つ光景がありありと浮かんでいた。
「雅、次の皇太子は誰か分かるか?」
 にやにやしながら葛麻呂が雅に聞いた。
「私などに分かる筈が有りませぬ」
「構わぬ、笑ったりせぬ、言って見ろ」
 暫く考えている雅。
 難問に戸惑う雅を見て嬉しそうな葛麻呂。
 雅は有力な情報源を持っていた。妹の千代が女孺として宮廷に上がり、采女
になった頃は橘夫人の娘井上内親王に使えていた。一年前、井上が伊勢の斎宮
として平城を去った後、今度は藤原夫人の娘安部内親王に仕えた。その千代が
采女を辞して能登に来ている。
 雅は千代からの情報を吟味し、分析し、一つの結論を出した。
「私には、安部姫皇女が皇太子に選ばれるような気がします」
 驚く葛麻呂。
「面白い、確かに面白い見方だが、女が皇太子になるなど前例が無いぞ」
「前例など、首天皇は無視します」
「雅」
 賢そうに見えても所詮は女、ほっとする葛麻呂。だが、安部姫皇女の名は余
りにも不愉快だった。憎き政敵、藤原不比等の三娘光明子の娘ではないか。
 迂闊にも、葛麻呂は首天皇の生母が不比等の娘宮子だという現実に思慮が行
き届かない、首天皇は亡藤原不比等の孫だったのだ。
「馬鹿な事を言うな。それとも理由でも有るのか?」
「安積親王の生母、広刀自様の御父君は未だに五位の位階しか持っていませ
ん」
「なるほど、だったら長屋王はどうだ? 吉備内親王との皇子たちはどうなの
だ? 資格は十分持っているぞ」
 長屋王は天武系高市皇子の子で位階が正二位、その夫人吉備内親王は天智天
皇の娘元明天皇と天武系草壁皇子との娘で位階が二品、十分すぎる皇位継承権
を持っていた。
「長屋王は憎まれております」
「何! 誰にだ?」
「恐れながら首の大王に」
 長屋王が憎まれていれば、その片腕を自認するこの己はどうなるのだ。と、
突然不機嫌になる葛麻呂、不快な気持ちを抑える事が出来ず、肩を怒らせて部
屋を出て行った。
 雅を溺愛していた葛麻呂は威張る事が有っても怒りをあからさまに出したの
は初めてだった。

 九月十九日からの三日間、能登で皇太子薨去の喪が行われた。
 人民は皆白の喪服を着、朝務の始まりは悲しみの声を平城に向かって挙げる
事から始まった。
 葛麻呂は密かに用意していた、最高位の者にしか許されていない濃い紫の朝
服を喪服とした。 雅はもちろん、何時もと変わらぬふぢの御衣を着ていた。
 能登中が白の喪服の中、葛麻呂と雅だけが紫の喪服でこの三日間を過ごし
た。

 皇太子の薨去で慌てふためいたのは、意外にも長屋王陣営だった。
 京師を駆け巡る、長屋王左道をもって皇太子呪詛の噂に怯え、必死に替え玉
を探索し、東西の市や辻に高札を立て、多額の懸賞金で密告を募った。
 政敵藤原氏は不比等の血を引く皇太子の死を予測し、後顧の憂いを除くため
の布石を既に打っていた。先月の中衛府の新設である。
 従来の五衛府を統括していたのは大伴氏で、藤原氏に指揮権は無い。
 中衛府の大将に任命されたのが藤原房前、少将が藤原氏と光明子に推挙され
た高梓である。
 中衛府の新設は二つの重大な意味を持っていた。一つは天皇が始めて純粋な
近衛兵を持った事であり、二つ目は藤原氏が指揮権を持つ衛府を持った事であ
る。
 そして、その衛士は東舎人と呼ばれた。恐らく東宮とも称される皇太子の親
衛隊をも意味して名付けられたに違いない。この事を熟慮すれば、藤原氏と首
天皇が次の皇太子を誰にしようとしていたのか見えてくる筈だ。
 政敵の権謀に長屋王は気付かず、己が藤原氏と首天皇に憎まれているとは夢
にも思っていなかった。

 そして一ヶ月が経ち、平城に本格的な冬がやって来た。
 朝靄の中、生駒の山奥を進む火麻呂、鼎の洞窟で来寝麻呂と能登襲撃の打ち
合わせをする為だ。
 洞窟の目と鼻の先まで来た時、谷底から風と共にあの声が聞こえてきた。
「防人に行くは、誰が背と問ふ人を、見るが羨しさ、物思いもせず」
 谷へと降りていく火麻呂。
 木陰から娘のほうの鼎が顔を出し、そっと火麻呂の後をつけていく。

 小川の苔むした岩の横にあの小稚児がゆらゆらと揺れるようにして佇んでい
た。
 近付く火麻呂。
「何か用か?」
 無言のまま不思議な微笑みを称えて火麻呂を見詰める小稚児。
「地獄にでも行くのか? 火麻呂」
 背後の声に振り返る火麻呂、娘が立っていた。
 娘には何も答えず小稚児のいた方を見る火麻呂。
 もうそこには誰もいなかった。
「遅いから迎えに来た」
 と、言う娘を無視するようにして谷を上る火麻呂。
 木枯らしがヒューッと吹いた。
「あなたを待っています、待っています」
 天から声が降って来た。
 娘が火麻呂に追いついた。
「汝には何か見えていたのか?」
 ニタッと笑う娘、邪気を祓うように不動明王の真言を呟いた。

 洞窟に入って呆然と立ち竦む二人。
 何者かに荒らされ、来寝麻呂も鼎も、不動明王も髑髏も消えていた。

 その日の午後に西市に来寝麻呂と鼎の生首が晒された。
 夕陽の頃になると、どこからともなく狐の母子が現れて、遠くから西市の刑
場を眺めている。 日が沈み、人々の姿が市から消えると、母子は来寝麻呂の
晒し首の下までやって来ては見詰めていた。
 ある日の夕方。珍しくも日の沈まぬうちに母子が来寝麻呂の生首のすぐ側ま
でやって来た。
 祟りを畏れたのか、哀れと思ったのか、衛士も人々も皆見てみぬ振りをし
た。
 日暮れとともに降りはじめた初雪が夜半過ぎに吹雪になった。
 吹雪の中で尚も佇み続ける母子。
 降り積もる雪は辺り一面を白く覆いつくして行った。
 夜明け前にその吹雪がピタリと止み、白銀の世界に朝陽が差し込んできた。

 夜明けと共に、見廻りの衛士、泥麻呂と蟷螂が雪を踏み固めながら、晒し台
までやって来た。
 蟷螂が異変に気が付いた。
「何か変です」
 二つの晒し首が雪だるまのように積み重なっているのだ。しかも、上の首が
やや黒ずんでいた。
 槍の穂先で生首の雪だるまを突付こうとした蟷螂が滑って転び、その弾みで
雪だるまを槍の柄で払ってしまった。
 転がり落ちる二つの生首に驚いて後退りする泥麻呂と蟷螂。
 雪の中から生首の鼎が二人を睨んでいる。
 コロコロと転がり続ける来寝麻呂の生首、泥麻呂の足元で止まった。
「なんだこれは」
 来寝麻呂と見えたその生首はただの石の塊だった。
 白銀の世界に眩いばかりの陽光が降り注ぎ、一面を虹色に煌かせて真白き地
平線に朝陽が昇る。
 やがて、円く大きな太陽が白い地平線の上にポッカリと浮かんだ。
「こんな太陽、見たことなど無い」
 呟くように言う泥麻呂。
「私もです」
「悪いことでも起こらねば良いが」
「良いことに決まっています。こんなに綺麗なんだから」
「おい、あれを見てみろ」
 蟷螂が泥麻呂の視線の先をみると、そこには不思議な光景が展開していた。
 生駒の山裾に、朝だというのに夕陽が架かっていたのだ。
 いや、沈む夕陽ではなく昇る朝陽だ。太陽が二つ出現したのだ。
 生駒に昇る二つ目の朝陽に向かって一直線、狐の母子が飛ぶように走って行
く。
 白銀に照り返す陽光が顔をまともに捉えたため、二人は夫々に手を翳して生
駒に昇る二つ目の太陽を拝んだ。
「狐の母子が走って行く」と、泥麻呂。
「私には三匹に見えます」
「こんな所で何をしているのだ、泥麻呂」
 背後の声に振り返る二人。
 火麻呂と娘が立っていた。
「生きていたか? 火麻呂。俺達は脱走した後直ぐに捕まって奴に落とされ、
佐伯に買われてこの様だ」
 娘が鼎の生首を抱き上げた。
「それは困る。女の生首まで持って行かれたらどんな罰を受けるか分からん」
「一つも二つも同じだ。何れにせよ下手をすれば死罪。また抜けて俺と来ぬ
か」
 顔を見合わせる泥麻呂と蟷螂。
「その方が利口だと思いますが」
「よし、決めた」
 二人は、置き去りにして市を去ろうとしている火麻呂と鼎の後を追って走り
出した。
 来寝麻呂を失った火麻呂は泥麻呂と蟷螂を手に入れた。

 能登の冬は厳しく長い。
 雪に閉ざされた八田郷の国衙、その国守館で雅は毛虫の妹を産んだ。
「雅の娘だからみやびで良い」
 ややがっかりした様子で無造作にみやびと名付ける葛麻呂。
 兄の名は毛虫、忌み嫌ってつけた名前では無かった。
 当時、赤子が成人するまで生き延びる確立はせいぜい三に一つだった。人々
は死神を欺き、魔王から逃れる為、赤子に人とは思われぬ名をつけた。一種の
流行である。葛麻呂の幼名糞虫も子虫もそんな訳で付けられた名だった。その
葛麻呂が、己が果たせぬ、見果てぬ夢を込めて名付けたのが毛虫である。内乃
兵大伴に相応しく華麗な蝶に変身して羽ばたくようにと、強い願いを込めた名
だったのだ。

 みやびの誕生祝いを兼ねて、羽咋君比古麻呂がまた国衙に登庁して来た。
 葛麻呂にはいつくばるようにして若武者の解放を願う比古麻呂。来るたびに
身代金の額が増えていた。
「ならぬ。雪解けを待って平城に送ると決めた」
 葛麻呂がそう決めたのではなく、ようやく長屋王から指示が届いたのだ。
 今度もすごすごと帰る比古麻呂、思いあぐねて郡衙の能登臣龍麻呂を尋ね、
事実を明かした。
「あのお方は、新羅王が溺愛する孫娘で御座います」
 孫娘が処刑されたら日本を攻める。と新羅王が言っている事まで明かす比古
麻呂。
 能登を閉ざす雪が解け、正姫が平城に送られて処刑されたとしたら、
「能登が真っ先に蹂躙されてしまいます」
「有ってはならぬ事です」
 二人とも、新羅と日本が全面戦争をして負けるとまでは思っていなかった
が、間違いなく最大の犠牲を払うのが能登だと知っていた。
「比古麻呂殿、あの男生かしておいては能登の為には成りません」
「いっその事、殺してしまいますか。私に策が有ります」
「よしなに、私に出来ることがあれば言ってください。助力は惜しみません」
 数世紀に渡って競い合っていた能登の二つの古豪の意見が珍しくも一致し
た。

      2016年12月12日  Gorou

火麻呂伝

2016-12-12 03:46:27 | 説話
 吉志火麻呂は武蔵国多摩郡鴨野里の人、母は日下部真刀自である。母は生まれつき信心深く善行を心がけていた。

 聖武天皇の御世、火麻呂は大伴氏に命じられて九州防備の防人に徴用された。防人の任期は三年である。
 母は子について入って共に暮らし、妻は国に留まって家を守った。
 九州に赴任した火麻呂は、妻と別れてから恋しくてたまらず、母を殺して喪に服す事で役を免れて妻と暮らそうと思いついた。
 子は母に語った。
「東方の山の中で、七日間の法華講が有ります。母刀自、聞きに行きましょう」
 母は欺されてしまいます。仏陀の悟りを得ようと決意して湯で体を洗い清め、共に山の中に入って行った。
 火麻呂は牛のような目付きで母・真刀自を睨んで、
「汝、地に跪け」と言った。
 母は子の顔を見詰めて、
「どうしてそんなことを言うのか。お前は鬼にでも取り憑かれたのか」と言った。
 それでも、火麻呂は刀を抜いて母を殺そうとした。
 母は直ぐに子の前に跪いて哀願した。
「木を植えるのは、木の実をとり、木陰にかくれるためです。子供を養うのは、子の力を借り、子に養われるためです。たよりにしていた木から雨が漏るように、思いもかけず、おかしな気を起こしたのですか」
 火麻呂はついに聞き入れなかった。
 そこで母は嘆いて、身に着けていた衣を脱いで三カ所に六お気、子の前に跪いて、こう遺言をした。
「わたしの為に包んでおくれ。一つの衣は兄のお前が取りなさい。一つの衣は弟にやりなさい。一つの衣は末の弟にやりなそーさい」
 極悪の子は前に出て母の首を切ろうとした。
 その途端、大地が裂けて火麻呂はその中に落ち込んだ。
 母は直ぐに立ち上がって進み、落ちる子の髪ををつかみ、天を仰ぎ、
「この子は憑きものにつかれてしたので、正気では有りません。どうか罪をお許し下さい」と訴えた。なおも髪を握って子を引き留めようとしたが、子はついに落ちてしまった。
 慈悲深い火麻呂の母真刀自は髪を喪もって家に帰り、子の為に仏事を営み、むその髪を箱に入れて仏像の前に置き、僧を招きお経を詠んで貰った。
 母の慈悲は深い。深いが為に極悪の子にあわれみをかけ、子の為に善行を行ったのである。不幸の罪の報いはすぐにやって来る。極悪の報いは必ずあることがこれで分かる。
     日本霊異記、平凡社版を参照。なお、この話今昔物語にも引用むされいいます。   
       2016年12月12日    Gorou